第3章~入店してから数十分後
お通しを口にしてから最初の一杯を飲むと、お互いのプライベートを探り合いました。
ただ、いつもながらに浮いた話の一つもありませんでした。
それが終わると、会話のほとんどが上司への愚痴でした。
ただ、愚痴だけなら日頃からしょっちゅう話をしているので、大して盛り上がりませんでした。
そこそこ飲み食いが進んでいくと、もう話題の中心は競馬の事しかありませんでした。
吉村君がスポーツ新聞の中央にある競馬欄を抜き出すと、矢沢君は食い入るように馬柱を見ました。
因みに、馬柱とは各レースに出走する馬に関する情報を帯状に記したものです。
更に言えば、馬名、血統、馬番と枠番、馬の年齢、毛色、騎手、調教師、過去の戦績、獲得賞金、過去のレース情報が馬柱を見れば分かるのです。
当日にならないと分からない情報は、馬体重、毛艶、発汗状態、入れ込み具合等になるのでしょうが、事前の情報は新聞を見て研究する事になるでしょう。
競馬新聞(専門紙)なら、ほとんどのレースで馬柱が見れますが、スポーツ新聞だとメインレースと準メインレース(特別レース)しか馬柱が見られません。
ただ、スポーツ新聞は値段が安いので、うちら3人の中では定番でした。
なので、3人は他紙の予想も参考にしたい為に、重複しないようにスポーツ新聞を買っていました。
自分は、土曜日か日曜日のどちらかのメインレースしか買わないのですが、無類の競馬好きな2人は馬柱を見てすっかりテンションが上がっていました。
2人が熱心に見ていたレースは、僕が苦手としているダート短距離の重賞だったので、そこそこのところで会話から抜けて一人で黙々と料理を食べていました。
そして、自分は先程テーブルに運ばれてきたばかりのレモンサワーのジョッキを手に取りました。
すると、時を同じくしてお店の入り口から若い男女がどやどやと入ってきました。
店員1「いらっしゃいませ~!何名様でしょうか?」
男性1「10人です」
店員1「少々お待ちください、ただいまお席を確認して参りま~す」
ここで、少しの間だけお店の入り口が混雑して入り切れない状態が続きました。
店員さん戻って来ると、透かさずもう一人の男性が話し掛けました。
男性2「あの、今10人掛け以上のテーブルって空いていますか?」
店員1「はい、ございますよ」
男性1「じゃあ、案内してもらおうかな」
店員2「お客様、当店には個室はございませんが差し支えありませんか?」
男性1「そんなの全然問題ないですよ!」
店員2「ありがとうございます!では、7卓に10名様ご案内致しま~す!」
男性2「あの、今は9人なんですが、もう1人は30分位遅れて来ます」
店員2「かしこまりました、お連れ様がご来店しましたらお声掛け下さいませ」
男性1「OK、OK!とりあえずピッチャーでビールとカシスオレンジを1つずつ持ってきてよ」
男性2「あと、グラスは10個ね」
店員2「かしこまりました」
店員1「お席までご案内致します」
店員2「はい、7卓に9名様入りました~」
店員一同「ありがとうございま~す!」
程なくして、数人の若い男女がうちらが飲んでいるテーブルのすぐ近くに来ました。
そして、12人掛けのテーブルにそれぞれの男女が向かい合うようにして座ると、男性5人対女性4人の合コンがスタートしました。
その時、自分はこんな事を思っていました。
天野「なんだよ、よりにもよってうちらの隣で合コンかよ…」
隣のテーブルで、合コンが始まった事に気が付いた矢沢君は、自分にこう耳うちをしました。
矢沢「今日のメンバーが吉村じゃなきゃ俺らも合コンしてたのかもな」
天野「まあ、そうかもね、でもここで仲間割れしてもしょうがないからね」
矢沢君はそれだけ言うと、再び吉村君と競馬の予想を始めました。
自分は、明日のレースは見送るつもりだったので、予想に参加する事はしませんでした。
ただ、このままだと暇をしてしまうので、鞄の中からスポーツ新聞を取り出して、プロ野球の記事を見ている振りをして合コンの様子を密かに窺う事にしました。