26 掏摸眼(すりがん)
静子は客席に目を配りながら特急列車の車内を歩いた。
決して首をきょろきょろと回したりしない。
見ようとするものに対して、顔を向けて見るのは素人のやることだった。
プロは顔を動かさずに眼球だけを動かして獲物を探す。
それを掏摸眼という。
だが、この言葉も死語だ。
今の御時世、師匠について修行をした職人の掏摸は絶滅危惧種になりつつある。
「最近の犯罪者は素人ばかりで、お前さんのようなプロがいなくなったよ」
前に捕まった時の警察署で取り調べを受けた時に、刑事が言った。
「いいことじゃないか。あたしみたいな職業犯罪者がいなくなってさ」
刑事は首を振った。
「素人の方がタチが悪い」
吐き捨てるように刑事は言った。
「ところで、お前さんの掏摸眼を見せてくれよ」
「どういう風の吹き回しだい」
「本物がいなくなって来たんだよ。だから、本物の掏摸眼ってやつを後学のために一度拝んでおきたいんだよ」
「馬鹿だねぇ」
そう言いつつも静子もまんざらではなかった。
静子はため息をつくと観念した表情をして言った。
「しょうがないわね。じゃあ、一度だけやるからしっかり見ておくんだよ。それから手錠のままじゃ気分が出ないから外しておくれよ」
「わかった」
刑事は腰にぶら下げていた鍵を取り出して、手錠を解錠した。
静子は手首をさすった。
「さあ、やるから、よく見ておくんだよ」
静子は顔を動かさないまま、伏し目がちの半眼になった。
そして眼球の動きだけであたりを伺った。
「おお、すげー、これが本物の掏摸眼か」
「はい。もうおしまい」
「ありがとうな」
「それと、これ」
静子は刑事の腰のポケットに入っていた長財布を机の上にポンと投げ置いた。
「あっ、それ、いつの間に」
「これが本物の掏摸の仕事さ。覚えておきな」
掏摸眼は、スリだということがバレないように獲物をさがす視線移動の手法だけではない。
世間で認識されている掏摸眼はその次元までだ。
しかし、本当の掏摸眼は、対象者がどれくらい金を持っているか、その金は盗んでいいい金なのかどうかを見抜く眼だ。
対象者の人生そのものを見透かす眼と言ってもいい。
静子は刑務所で出会った師匠からそう教わった。
静子は特急列車の通路を歩き、両側の乗客を掏摸眼で観察した。
(あれはだめ、金をもっていない)
(あの人もだめ。あの人の金は手をつけてはいけないたちの金ね)
(おや?)
静子は一人の乗客に引き寄せられた。
その乗客は男装の麗人のような凛々しい若い女だった。
そして大事そうに安物のバッグを抱きかかえて寝ていた。
(なんて寂しそうな、それでいて安堵したような顔をしているの。きっと、いろいろあったのね)
その若い女がかかえている鞄からは大金の匂いがした。
(あそこには大金が入っているはず。でもそれはこの娘には不要なものだわ。むしろ持っていれば害をなすかもね)
静子は、掏られたら一家心中をしてしまうような金は決して狙わなかった。
その人にとっては余分な金、それだけをターゲットにしてきた。
それを一瞬で見抜くのが真の掏摸眼だった。
鞄を抱きかかえている娘から、鞄を抜き取るとすぐに化粧室に向かった。
化粧室の鍵を内側からかけて鞄の中をあらためた。
(想像以上ね)
そこには、帯封をした札束がぎっしり詰まっていた。パッと見ただけで数千万円はあった。
静子はそのまま次の駅までトイレの中にいて、列車が駅につくと降車した。
久々の大戦果だった。
[現在の給付金の残金3000万円]




