1 異世界転移
役場が手違いで50万円の給付金を5000万円振り込んでしまったことから始まるお金をめぐる喜悲劇です。最近そういう事件が現実社会でありましたが、実在する事件や人物とは一切関係ありません。純然たる創作です。
もし5000万円が突然降ってきたらあなたは何に使いますか?
そんなシンプルな問に、想像力を膨らませてみませんか。
「マジか!」
中村涼介は通帳を記帳して思わず叫んだ。
残高が5千万円になっていたからだ。
心臓の鼓動が高まった。
(まて、まて、冷静になれ)
中村涼介は銀行を出て駐車場に停めてある車に戻った。
そして、深呼吸をしてもう一度通帳を開いた。
何度数字の桁を数え直しても5千万円だった。
スマホの画面が復活して電話を知らせるメロディが鳴った。
まるで誰かが監視していて鳴らしたようなタイミングだった。
登録していない番号だ。
中村涼介はおそるおそる電話に出た。
「中村~元気か?」
声で誰だか分かった。前に勤務していた会社の同僚だった。だがプライベートでの電話番号を交換するほどの仲ではなかった。
「飛田さん、お久しぶりです」
「どう? そっちの生活は?」
「どうと言ってもまだ引っ越してきたばかりですし……」
「やっぱり空気が良くて、魚とか美味しいのかな」
「ええ、まあ」
中村涼介はプログラマーだった。そして、会社を辞めて海辺の町に移住してきたばかりだった。過疎化防止対策で、30歳未満の移住者には町が古民家を無償で1年貸与し、さらに審査により選ばれた者には起業資金として50万円が給付されるという公募に応募して、その権利を得て移住してきたばかりだった。
「でも、いくら家賃がただでも、何もない漁村みたいな土地で起業するって、50万円の元手では大変だよね」
「そうですね」
飛田の言う通りだ。まだ24才の中村涼介が都落ちして飛びつくような美味しい話ではない。
「ところで、そっちの方はどうですか」
涼介は飛田に訊いた。
「変わらずだよ」
「松江さんはどうしてます」
つい訊いてしまった。
涼介はコミュ障だった。だからPCにのめり込みプログラマーになった。プログラマーになれば、生きた人との関わりは最小限で済み、マシンとだけ対話していればいいと思ったからだ。
しかし、それは社会を知らない涼介の勘違いだった。
中規模のIT系の会社に入社して働き始めて知ったのは、人間関係の大変さだった。特に松江はパワハラおやじを絵で描いたような上司だった。
次第に朝起きて会社にゆくことが苦痛になり、睡眠不足になり、食欲も減退し、仕事のミスも多くなった。
朝の通勤のホームで、あの向こうの線路に飛び込みたいと真剣に思った時に、これではまずいと自覚した。
(自分は会社勤めには向いていない。このまま都会で会社員をしていてはいつか心も体も完全に壊れてしまう)
それで、ネットで検索して見つけたのが城野島町の移住プロジェクトへの応募だった。
幸いパソコンには詳しく、プログラミングの知識もあるので、フリーランスのプログラマーや動画編集者として、仕事ができたらと考えた。ただ、フリーランスでは収入がおぼつかない。だから物価が安く、食べ物は自給自足できそうで、家賃も免除な上、給付金まで出る城野島町の移住プロジェクトに応募し当選したのだ。
「それで、暮らし向きのほうはどうだ」
「異世界に転移したような感じですね」
電話の向こうで飛田が笑った。
「そりゃいい。俺も異世界転移してみたいな」
飛田との共通点は異世界もののアニメやラノベ好きというところだった。だから異世界転移の例えはひどく受けた。
「異世界転移だとしたら、そろそろなにか事件が起きる頃だな」
涼介はドキッとした。
(このタイミングで電話してくるなんて、やっぱり飛田さんは5000万円についてなにか知っているのだろうか)