2-7:人形劇
進むしかない。
そう思ったとたんに、森の奥の闇に引っ張られるような感覚を覚える。
「せめて、武器があればいいのだけれど……」
そうは言っても何もないのだから仕方がない。そこら辺にあるものを利用して、と思いつつも、使えるものは見当たらない。
「……」
グレーテルはやはり黙っているが、森に迷い込んだ時とは違って不安そうな顔をしている。
二人でしばらく歩くと、ひらけたところに出た。正面の先に人が……いや、人形が椅子に座っていた。
藁を束ねて作ってある人形の目のところから黒い滴が垂れている。
その黒い血のような液体が人形の頬を伝い、吸われるように消えていく様子を見た瞬間に、全身を這いまわるような、足元から何かが上ってくるような、気色の悪い感覚が――それが首元に来る前に、無意識に首を振っていた。
完全に振り払ったわけではないが、正気を保つことはできたようだ。周りを見渡す。
木々の間に何かがいる。それらはふらふらと身体を揺らしながら近づいてきていた。闇の中から一つ、姿が見えるところまで出てきて、ようやくそれが人間の姿をしている何かだと認識できた。
だが、それらは人間ではない。人間は、死んだら動かない。
一つ、また一つと増えていく人影は、されどその全てが額に黒々とした穴が空き、眼球があるべき場所は陥没し、閉じない口からは干からびた舌が垂れている。肌は土色で精気は一切感じられない。
動く死体だ。
グレーテルの腕を引っ掴んで走りだす。
だがその先にもそれらはいた。逃げ道を探して視線を巡らせるが、どこにでもいる。それに、深い闇に囲まれたこの場所から逃げ出すことはできるのだろうか。
……人形を壊せば解決したりしないだろうか? こういった不思議な現象の対処法なんて分からない。だが、もし魔女の何かであるなら、その大本を潰せばこの呪いのようなものを消すことができるのではないだろうか。
双子と退治した魔女も、周りにいた黒い泥の獣は魔女を殺しただろうタイミングで消えた。それと同じように、魔女を殺せばこの動く死体たちも消えるだろう。
だが、それができそうな武器が無い。
逃げ場もなく反攻の手段もない。
「ねぇ、ルゥちゃん」
グレーテルが震える声で何かよくわからないものを差し出してきた。
「え、何それ」
「……武器?」
黒くて、トゲトゲしたもの。
簡単に表現するとそんな感じの物がそこにはあった。一応持ち手はついているのだろう、グレーテルは特に痛そうにはしていない。少し光沢のある黒い物体は、球に鋭い棘を無数に持つ何かだ。
とりあえず受け取った。妙に軽い。だが、持ち手以外の場所は触れるだけで切れそうなほどに鋭い突起で出来ている。ハンドメイスをより凶悪にしたような、いや、それよりも雑な攻撃性を表現したような武器だ。武器……?
だが、何も無いよりはずっといい。軽いから打撃力には期待できない。だが、それを補って余りあるほどに鋭い棘を持つこの黒い物体を、手近な化け物の頭部に叩きつけた。
「えいっ」
干からびた顎を貫き、喉笛をえぐり、だが相手は死体だ。期待したほどダメージは出ない。
と思った矢先、またもや信じがたい現象が目の前で起きた。
黒くてトゲトゲしたものは、動く死体を貫いた。そして、死体を内側から喰らっているかのように、喉、胸、肩、腹、腕、脚を刺し貫き、死体を破裂させた。
砕けた肉片を被りながら、状況を整理できずにいた。
まず何の理解に努めればいいのか? とりあえずグレーテルに質問を投げかける。
「どこに持ってたの、これ?」
「えっと……」
困ったような顔をした後、グレーテルは目を閉じ、両手を向かい合わせにして……少ししたら手の中にもう一つの黒くてトゲトゲしたものが現れた。
「ルゥちゃんが、武器があればって言ってたから……」
「そ、そっか。武器……」
いや。
だがしかし、これは……。
とはいえ、深く考えている余裕はなさそうだ。周りの化け物は待ってくれない。……少し動きが鈍っていたような気がするが、今はそうでもない。それらが襲いに来るのなら、この黒くてトゲトゲした……武器を以って対処しなければならない。二本の黒くてトゲトゲした武器を両手に、迫りくる怪物を叩く、叩く、叩く。
叩いた怪物が内側から侵食する黒くてトゲトゲした何かに破壊される。
叩く、叩く、叩く――
破壊までかかる時間は1.5秒程度。二本あれば一体に対処している間に、背後に迫っていた怪物を殴りつけることができる。
叩く、叩く、叩く――
交互に、グレーテルを守りながらまるで踊るように処理していく。
迫り来ていた最後の一体を破壊したところで、周りの様子が変わっていることに気が付いた。
散らばった肉片と異臭はまぁそうなのだが、森を覆っていた霧のような闇が晴れていた。そして何より、災禍の中心かと思われた人形が消えている。
「逃げたのかな……」
息を整えながら周りを見渡しても、それらしい気配は感じられない。
「も、もう大丈夫……かな……」
グレーテルから訊ねられるが、確信は持てない。だが、今なら帰り道までたどり着ける予感はする。
「とりあえずここから離れよう。って、うわっ」
手の中の感触が消えたと思ったら、黒くてトゲトゲした武器が砂のようになって風に流されていった。
グレーテルに疑問の表情を投げかけるが、彼女も困惑していた。
二人で森の中を走っていると、直ぐに道に出ることができた。昼間の陽光が眩しい。
走った時に枝葉でできた擦り傷はあるが、大した怪我もなく危機を脱出することができたようだ。
「まだ呼ばれてたりする?」
そもそも事の発端はグレーテルを呼んでいたという何かだ。先ほどの出来事と因果が無いというのは考えづらい。先ほどの怪異、その中心らしき人形がグレーテルを呼んでいた何かだろう。取り逃がしたようなので、油断はできない。
グレーテルは首を振った。とりあえず今はまだ何かを仕掛けられてはいなさそうだ。
また何か起きる前に、街へ帰る。
人々の喧騒が溢れる街に足を踏み入れると、人の領域に戻ってきたのだと安心できる。それはグレーテルも同じだったようで、広場の噴水の縁に座ると、肩にもたれ掛かって眠ってしまった。
流石に彼女を抱えて戻るのは大変なので、しばらくそこで休むことにした。
途中、肩が痛くなってきたのでグレーテルの頭を膝に下ろした。




