2-6:少女を引き寄せるもの
◇◇◇
母は……ローゼは、正義感が強すぎた。ということなのだろう。
クルドはその行いが過ちであったと語る。ローゼは友達を救って、それで終わりにすればよかったのだ。そうすれば少なくとも、余計な血を流さずに済んだはずだ……。と。
だが、母はそれを悔いていたとも、クルドは語った。それなのに、母はまた暗殺者として働いているという話だ。
それに暗殺の道具だというナイフのついた籠手。なぜそんなものを母は私に残したのか? この武器の意味するところが分からない。
分からないことだらけだ。
……分からないことは訊いてみるのも手だ。
クルドを探すと、ちょうど玄関を出るところだった。
「村長!」
呼び止めると彼は怪訝そうな顔をした。この人は村でもそうだったが、子供の相手をするのがあまり好きではないのだろう。
「どうかしたかのう」
「長くは取らないよ。……これについて、何か知ってる?」
革製の籠手にはナイフが6つのネジで留められている。クルドの開けた扉から刺した光を、刃が怪しく反射する。私は磨いてすらいないのに、この金属は光を失わない。けれど、その光はどこか明るさに欠ける。
クルドの瞳が刃に映る。彼は少し目を見開き、細めた。
「ローゼさんの武器じゃ。それも、殺しに使ったものじゃよ」
やはり――
「ここを引っ張ると……ん? おかしいのう」
「……何が?」
「この武器はナイフを出したりしまったりできるのが特徴だったはずなのじゃが……。操作する紐が付いてないのう」
「そうなの? 箱にあった時から刃は外に出てたし、引っ込めたこともないけど……」
「動かないのか。壊れておるのかもしれん」
「そっか」
「……もういいかの?」
頷く。
クルドは外へ行き、扉は閉まる。私はしばらくナイフを見ていた。
この武器は壊れている。
その事実は、なんとなく心の重石を軽くした気がした。母は現役の道具を渡したのではない。役目を終えた存在なのだ。
「さて、今日はどうするかな」
まだ時間はたっぷりとある。特に何かしなければいけないわけでもないから、暇と言える。
軽く散歩して気分を改めるのもいいだろう。
リビングに行くと、グレーテルが起き上がっていた。彼女はこちらを見ると、のそりと立ち上がって小さな歩幅で歩み寄ってくる。
「おはよう、グレーテル」
「……」
彼女は返事はせず、眼前までやってきて、ずいっと顔を寄せてきた。目の前いっぱいにグレーテルの顔が広がる。
「???」
じっと見つめられる。何事かと訊こうと思ったら、顔をしかめてみせたり、無表情になったりした。最後には少し残念そうな顔をして、
「……鏡……どこ?」
と。
……彼女を洗面台の鏡の前まで連れていくと、自分の顔をぺたぺたと触ったり、髪をくしゃくしゃとしたりして、首を傾げていた。暫くそうしていたが、彼女はため息をついてこっちをみた。
「まいっか……。ルゥちゃん、どこか行くの……?」
この子は感がいい。まだ出かける準備は済ませていないので、雰囲気から察したのかもしれない。
「ちょっと散歩にね」
「……わたしも行っていい?」
珍しい。彼女から行動的な言葉が出るとは。ついさっきまでずっと寝ていたとは思えない。
まぁ、軽く街を周るだけのつもりだったので、構わないだろう。
「いいよ」
そうと決まると、荷物を軽くまとめて建物を出る。
庭先ではムスケルのトレーニングを受けていたヘンゼルが休憩をとっているところだった。ヘンゼルは息も絶え絶えという様子だ。それにグレーテルは特に驚く様子もなく「お散歩に行ってくるね」と普通に声をかけた。
ヘンゼルは余裕がなさそうに「いってらっしゃい」と。
ムスケルは「ちょっと待ってな」と家に入っていき、中から軽い食べ物と飲み物を持ってきた。
「街からあまり離れるなよ」
最後に注意の言葉を受け、グレーテルと街に向かう。
レンガ造りの家々が並ぶ街並みは目新しさがあった。この街は窓の数よりも人の方が多いのではないかと思うほど賑わっている。路地を歩く人はせわしない。
昨晩通り抜けた大通りには、どこから現れたのか不思議なくらい人や馬車、店がめいっぱい広がっていた。露店というのだろう。簡易な小屋に様々な商品が並び、それらを求めて人が人と話をしている。村で見たことのある商売というのは、行商人とのやり取り以外にはなかった。それも母が叔父と話しているだけの光景だ。いつも見ていてつまらないから遊びに行っていたのだが……。
比べてどうだ。
店先をこっそりと覗くと、並んでいるのは本当に様々で、野菜や肉などの食料、香辛料(だと思う。ちょっとツンとする匂いがした)、宝飾品、食器、なんと武器を売っているところもあった。奇麗な布や服を取り扱っている店なんかは女性客が集まっている。
村での暮らしが色褪せていたように思えるほど、そこには"色"があった。
街というのは、村なんかとは違う。頬が熱くなるような気がした。
ふと、路地を笑い声を上げながら走る少女たちが目に入った。自分と同じくらいの背丈の女の子。彼女たちは小さいながらも可愛らしい服を着て、中にはきらびやかなブレスレットを付けている少女もいた。
「……」
鏡を売っている店の前を通りかかって、自分の姿が映るのを見た。
赤いケープは気に入っている。……けれど。
「ルゥ?」
グレーテルに袖を引かれる。
「いこっか」
ここは人が多すぎる。騒がしいさは嫌いではないが、疲れてしまう。グレーテルと一緒に街の外周まで歩いた。
外に近づくにつれて人は少なくなり、道を通る馬車くらいしか見かけなくなった。外はところどころに農地と家が。あとは森が広がっている。
適当に歩くと橋にたどり着いた。ほとりに行き、グレーテルと一緒に腰を下ろす。昼食にはいい場所だ。
ムスケルが用意してくれた紙袋に包まれた弁当を紐解く。パンには薄く切った肉と野菜、あと赤い果実――ええと、トマトと言ったか――が挟んである。おいしい。
食べ終えた後、この後どうするかを考えながら休んでいたら、グレーテルが突然立ち上がった。
「呼ばれてる」
「え?」
彼女はてくてくと橋に向かって行く。とりあえずついていく。
「何に呼ばれてるの?」
「…………」
グレーテルの様子はどこかおかしい。まるで何かに誘われるように、橋を渡り、森へと歩を進めている。
彼女は呼ばれていると言った。だが当然、何も聞こえてはいなかった。
「どこに向かってるの?」
「……」
彼女は答えない。腕を掴んで止めるが、彼女はそれを振り払って進もうとする。強く止めると、思いがけない力で引っ張られる。引っ張っているのはこちらのはずなのに、連れていかれるかのようにどんどん森の中へと入ってしまっている。
「ちょ、ちょっと。待って、グレーテル!」
ダメだ。反応が無い。憑りつかれたようにグレーテルは進む。
すると、異様な空間に出た。人の痕跡だ。崩れた荷車、焚火の後、散らかった食器。その中に不穏な痕跡を見つけた。血痕が森の奥へと続いている。
――困ったな。
グレーテルが向かう先は、まさにその森の奥だ。これは良くない。
「グレーテル!」
肩を掴んで無理やりにこっちを向かせる。瞳は暗い穴のようだった。息をのむ。
ひっぱたく。
「……え?」
グレーテルは頬を抑えて疑問を口にする。
「ここはどこ?」
まるで今までの記憶が無いような様子だ。……いや、実際に無いのかもしれない。
このような異様な状況に心当たりはない――いや、一つだけ思い当たる言葉がある。
"魔女"、"魔法"。
確かに、少なからず縁がある存在だ。だが、こうも高頻度に出遭うものなのだろうか。それとも、偶然ではなく必然の何かか。
何にせよこのまま進むのはまずい。急いで戻るべきだ。
「帰るよ」
何もわかっていなさそうなグレーテルを引っ張って帰り道を進む。野営跡を背にして進み、特徴的な曲がり方をした木の横を通り、道の方へと進み……。
「……あれ?」
道を間違えたか。野営跡に戻ってきてしまった。それともよく似た別の野営跡だろうか?
ともかく進み、道に出たい。
「……。……これは」
三度目はいらない。
二度で察しはつく。これは普通の現象ではない。
グレーテルは不安そうにしている。それはそうだろう。いくら歩いても元の場所に戻ってきてしまう。目印の木を越えた後には目の前に野営跡がある。
それに、周りの雰囲気もおかしい。何かに見られているような、しかしどこからというよりも、森全てから見られているような、気味の悪い感覚が全身を突き刺す。
「ね、ねぇルゥ、誰かが森の奥で呼んでる……」
グレーテルは先ほどまでの我を失った感じではなくなったのだが、それでも同じことを言う。誰かに呼ばれている……か。だがやはり、私には何も聞こえない。
嫌な予感はするが、グレーテルが呼ばれているという方向に進むしかなさそうだ。
森の奥を見る。昼間だったはずなのに、薄暗い森が続いている。
せめて武器になるものを持ってこればよかった、と後悔する。
鞄の中には昼食のゴミと水筒、おやつのクッキーしか入っていない……。
◇◇◇




