五話
風呂敷に図書館で借りた図鑑を包み、三鬼が診療所の前を歩いていると、笘篠の一鬼と富田の一鬼が三鬼に大きく手を振りながら声を掛けて来た。
兄と鏑鬼の兄妹と遊ぶ様になるまでは、大概がこの二人と一緒に町の中を駆け回り、時には悪戯をして大人達に怒られていた。謂わば、二人は三鬼の悪友であったのだが、学問所以外で二人に会うのは久し振りかも知れないなと、眼の前に来た笘篠と富田の顔を見やって暫し、三鬼は考え込んでしまった。
「何だよ、三鬼。最近、誘っても断ってばっかで。学問所が終われば、直ぐにどっかに行っちまうし。法月の兄ちゃんと鏑鬼の双子と一緒に町の外で遊んでるみたいだけど、こっちにいるならいるって言えよ。」
「ああ、ごめん。今日は図書館に行ってたんだ。」
富田が唇を尖らせて言うのに、三鬼は手の中の風呂敷を振ってみせた。
「三鬼が図書館!?嘘だろ!?何の本を借りたんだよ?」
「植物図鑑だよ。」
「はあ?植物図鑑?おまえの家、花屋なんだから、そんなの必要無いだろ?」
「…いいだろ、別に。」
富田が驚き、冷やかすのを、三鬼はふいと顔を逸らして返事した。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ富田を無視して歩き始めると、笘篠が寄って来て隣に並び、
「そう言えば、この前、澄芳川の近くで三鬼が小さい女の子と手を繋いで遊んでるのを見たけど、」
と言ったので、三鬼はギクリと肩を揺らしたが、直ぐに何でも無い風を装った。
「…それ、鏑鬼の双子の妹」
「ああ、そうだったんだ。」
笘篠が納得した様に頷けば、富田が不満気に声を上げる。
「はあ?おまえ、オレ達の誘いを断って、小さい女の子と遊んでるの?何、それ。ままごとなんかして面白いの?」
明らかに三鬼を馬鹿にした様に揶揄うものだから、三鬼は羞恥で顔を赤くしながら反論した。
「ままごとなんかしてねえよ!」
「じゃあ、何してんだよ?相手は小さな女の子だろ?そんな子と遊んでもつまらないだろ?」
「それは…」
三鬼が言い淀むのに、二人の遣り取りを見ていた笘篠が三鬼の肩をポンと叩き「そんなことないぞ」と声を上げた。
「オレの家も妹が産まれたばかりでさ、母さんによく子守りを頼まれるんだけど、つまらなくはないぞ。妹はまだ赤ん坊だから、何を言ってるか分からないけど、大声で泣いててもオレが抱っこしてやれば泣き止むし、泣き止んで笑った顔は可愛いもんさ。三鬼にとって、その子は妹みたいなもんなんだろ?だから、オレ、三鬼の気持ちは分かるよ。」
笘篠はそう言って、三鬼を見やって笑った。
富田は「そんなもんか?」と首を傾げていたが、三鬼は笘篠の言葉がストンと胸の中に落ちて来たのを感じた。
思い出したのは、一緒に木苺を食べた時の五鬼の顔だ。
大声で泣いていたのを忘れた様に、三鬼の顔を見て笑った五鬼。
確かに、可愛らしかったかも知れない。
三鬼は末っ子なので自分より下の弟妹はいないが、笘篠の言う通り妹がもしいたら、きっとこう言う気持ちになったに違いない。
三鬼はそれまで何となく感じていた年下の女の子と遊ぶ事への抵抗と羞恥心が、この一言で少しだけ取り除かれた気がして楽になった。
そうして、気分の良いまま図鑑を家に置いてから二人と遊ぶ約束をした三鬼は、久し振りに町の中で日が暮れるまで遊んだ。
兄達とばかり遊んでいたが、富田も笘篠も親友には変わりない。
不義理をしていた事を少しだけ申し訳無く思いながら、悪友達と思い切り笑い合ったのだった。
店の灯りを落とす頃になって帰って来た三鬼は、夕飯を食べてから風呂に入り、布団に寝転がると早速、借りて来た図鑑を開いてみる事にした。
三鬼の借りた植物図鑑は、主に野草について解説された図鑑だった。
富田の言う様に三鬼の家は花屋であり、店で売られている観賞用の花や、簡単な野草の名前位なら両親から教えて貰い知っていた。同い年の子供達に比べるなら、充分に知識はあると思っていたが、まだまだ不足だったらしい。
つい先日の事、五鬼に尋ねられ、答えに窮した自分が腹立たしい。
『みいくん、約束だよ!今度会ったら、教えてね!絶対だよ!』
足元に咲く花を指差し、ニコニコと笑う五鬼に有無を言わさず交わされた約束。
「しまった」と思いつつも「仕方無いなあ」と溜息を吐いて。
恐らく、父親に聞けば直ぐに分かった花の名を、柄にも無く図書館で図鑑まで借りて調べようと思ったのは意地だったのだろう。子供心にも、三鬼には五鬼に対して年上である事への矜持と見栄があった。
三鬼は子供用に書かれたその図鑑の順番を飛ばして、はこべら、カラスノエンドウ、アカツメクサと確認し、件の花を探す。
パラパラと捲っていると、風呂から上がって来た兄の一鬼が髪を拭きながら、図鑑を読む三鬼に気付き目を瞠って言った。
「三鬼が読書なんて珍しいな。」
「…富田にも同じ事、言われた。」
悪友の顔を思い出し、眉を寄せた三鬼を一鬼が笑う。
「ふふっ、そう膨れるなよ。で、何の本を読んでるんだい?」
「植物図鑑、野草の。」
「植物図鑑なら父さんが持ってたと思うけど?わざわざ図書館で借りたんだ。」
「…父ちゃんの本は難し過ぎてオレには分からなかったんだよ。あんな本読めるのなんて、兄ちゃん位だよ。」
三鬼はチラリと一鬼を一瞥し、唇を尖らせた。
髪を拭き終わった一鬼は、三鬼の知らない術式の書物を捲っていた。それは、見るからに難しそうな本だったが、三鬼は裏表紙を見て首を傾げた。
「…それ、何の本?見た事無い本だけど。」
図書館の本には裏表紙の端に蔵書印が押されている。
だが、一鬼が持っている本にはその印が押されていなかった。
「ああ、これは鏑鬼のお祖父さんの本だよ。借りたんだ。」
「え!?あそこの本って貴重な本が多いって聞いた事あるけど、よく貸して貰えたね。」
「三鬼と四鬼がこっそり持ち帰って来たんだよ。だけど、家にあるとバレるからって、僕が預かったんだ。」
「それってヤバいじゃん!バレたら怒られるよ!」
「うん、そうだね。だから、三鬼、内緒だよ。」
そう言って一鬼はニコリと笑った。
悪びれない兄の顔に、三鬼は内心で慄いていたが、好奇心には勝てそうもない。
「…ちょっと読ませてよ。」
「はい、どうぞ。」
一鬼が気軽に寄越したのを恐々と受け取り、中を確認すれば『移し』と言う項目が目に入って来て、三鬼は瞬時に顔を蒼くした。
「に、兄ちゃん、これ、ヤバい本じゃないのか?!『移し』って書いてるぞ!危ない事してるんじゃないのか!?」
「ははっ、別に『移し』事態は難しい術式では無いから、それが載ってるからって危ないなんて事は無いよ。『移し』に必要なのは妖力と言うよりも、対象に引き摺られない強い精神力だからね。その本にも、そう言う心構えが説かれてたよ。」
「でも…」
「大丈夫、『移し』なんて使わないよ。そんな妖術が使えるのは鏑鬼の当主と一兄位さ。でも、三鬼と四鬼と一緒にちょっと試したい術式があるんだ。集中したいから、五鬼ちゃんの事は任せたよ。」
「え!?嘘だろ?」
「ふふっ、三鬼は五鬼ちゃんと約束したんだろ?花の名前を教えてあげるって。」
一鬼はそう言って、チラリと三鬼の手元の植物図鑑を見て笑った。
三鬼は一瞬固まり、兄と図鑑を交互に見やると慌てて布団の中に図鑑を隠して叫んだ。
「なっ!?なんで、知って…」
「それ、今更隠しても意味ないだろ。五鬼ちゃん、嬉しそうに『みいくんと約束したの!』って言ってたよ。」
「……」
三鬼は枕に顔を突っ伏すと兄の顔を見ないまま、布団の中に潜った。
外から一鬼の笑い声が聞こえたが、聞こえない振りをする。
だが、
「…本当に、危ない事してないよね?」
「うん、大丈夫だよ。」
今一度、兄の返事を聞いた三鬼は、ホッと胸を撫で下ろし、布団の中で植物図鑑を読み進めたのだった。




