序
「まるで向日葵の花の様ね。」
可笑しそうに笑った母親の言葉に、五鬼は目を丸くして小首を傾げた。
「ひまわり」と言う花が、どんな花なのか五鬼は知らない。
鬼の住む鬼界には、様々な草木や花が咲いている。
鬼界では年頃になると妻問いの為に、界渡りの門を潜って人間の住む界へ渡る者が多くいるが、伴侶を連れて戻って来る時に、あちらの種を草履の裏や着物に付けて偶然に運ぶ事があるのだろう、鬼界と人間界で共通するものも多くあった。
中には意図して持ち帰った物もあるにはあるが、何故かそう言うものは育てるのが難しいらしい。
いずれにしろ、人間界にあって鬼界に無いもの、鬼界にあって人間界に無いものがあり、向日葵は鬼界に存在しない花だった。
「向日葵はね、夏に咲く、大きくて黄色い花なのよ。」
「黄色いお花?」
「ええ、そう。向日葵は太陽が大好きでね、太陽がいる方をずっと追いかけて咲いているの。」
五鬼の母親は、元は人間の女だった。
五鬼の父親が妻問いの為に界渡りをし、伴侶として連れ帰った事で鬼人に変ってしまったが、嘗て住んでいた人間界で咲く花を思い出しながら、五鬼に向日葵の花について説明してくれた。
母親がクスクスと笑っているのを聞きながら、その言葉に、五鬼は「成程」と素直に納得してみせる。
確かに、五鬼と向日葵とやらはそっくりだ。
「…いっちゃん、二鬼姉が裏山で虫捕りしようって言ってたけど、どうする?」
五鬼がうんうんと一人で頷いていると、丁度、家に遊びに来ていた法月の三鬼に頭をちょいちょいと突かれ尋ねられた。
「行く!行く!みいくんも一緒に虫捕りしよう!」
五鬼は無邪気にはしゃぎ、三鬼の袖を掴むと外へと飛び出した。
鬼人の名前は少し特殊だ。
産まれた時に親から名付けられた名は、あくまで仮の名であり、真実の名では無い。
妻問いの際に、伴侶から与えられる名こそが真名となって、その者の正式な名前となるのである。
それ故に、仮の名は何れ呼ばれなくなる為、どこの家でも長子を一鬼と名付け、あとは産まれた順に二鬼、三鬼と呼ぶのだが、それだと未婚の者はほとんど同じ名の者ばかりになるので、大概が姓と同時に呼んだり、長子やその家の当主には姓のみで呼ぶ事が多くあった。
つまり、法月の三鬼とは、法月家に産まれた三番目の子供と言う意味であるが、幼い五鬼に難しい事は分からない。
ただ、この年上の幼馴染である「みいくん」が、五鬼は大好きだった。
「ねえ、みいくん、にきちゃんはお家にいるの?」
「今日は道場が休みだから、オレ達が迎えに行くまで原っぱで素振りをするって言ってたよ。」
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、早く迎えに行かなくちゃ。みいくん!にきちゃんの所まで競争しよう!」
「え?あ、ちょっと、いっちゃん!」
三鬼の返事も聞かずに走り出した五鬼を、三鬼は慌てて追いかける。
五鬼は振り返って、黄金色に輝く髪を揺らしながら走る三鬼を見て笑うのだった。