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その男はハゲだった  作者: 清河 桂太
ガゼロット編
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にくきゅう


 綾が訪れたのは、牢屋と呼ばれる割にはこぎれいな場所だった。

 窓が無い事と出入り口が鉄格子なのは仕方が無いとしても、白壁には目立った汚れが無く、最低限揃えられた家具も古臭くは無い。どういう仕組みなのか、光源が無いのに室内は明るく見渡せる。先ほど話しに出てきた魔法の力なのか。

 血まみれだった服は着替えさせられ、ゆったりとしたワンピースに変わっていた。服がお気に入りだと団員に告げると、明日までには綺麗にしておくとの返事が。

 綾が抱いていた『牢屋』と『囚人』に対するイメージを、根本から破壊されるような状態だ。


「ほへー……綺麗ですね……」

「やー、普段は家出人を保護するのに使ってる部屋だからねえ」


 目を白黒させる綾に猫耳を生やした女性はからからと笑った。


「後でバリー……ああ、あんたの相手した大鬼の事ね。あいつがご飯持ってくるからさ」


 身長は綾より頭一つ分大きく、すらっとしたスレンダーな体を、軽装の鎧で包んでいた。露出した肌には所々茶色に黒い縞の入った体毛が生えていて、彼女が亜人である事が分かる。


(猫娘、ってところなのかな……)


 正直、中途半端な体毛がなければ人間で通じてしまいそうなくらいに、体の造詣が人間に似通っていた。そういう種族なのだろうか。

 このような女性を見ると、自分が異世界に来たのだとまざまざと思い知らされる。大火飢饉にアッシュブレッド、大鬼に数多くの亜人達……どれもこれも、綾がいた世界には存在しない概念だ。

 逆に、この世界の人々にとって見れば、自分達の世界……第二次世界大戦やロケット、各種銃器なども存在しない概念なのだろう。そもそも、それらが動くかどうかすら分からない。

 修一郎は口癖のように言っていた。異世界とはすなわち、物理法則が異なる世界なのだと。彼が最初に踏み入った世界は、そりゃあもう凄い所だったらしい。

 光線や火の玉を吐き出す不条理怪獣達が大決戦を行い、なぜか空中に土の塊がいくつも浮いていて、太陽が六つもあるものだからいつまでも夜が訪れなかったそうだ。

 わかりやすく例えれば、世界は漫画で、彩達は登場人物だった。Aの漫画の設定はBの漫画では使えず、Cの漫画では最強の悪役も、Dの漫画では三下にしかならない。

 その事例を考えると、自分は幸運だったのだろう。理由は分からないが、こうやって人間のいる世界にたどり着き、保護さえされたのだから。その上言葉が通じる世界となると、奇跡としか言いようがない。

 酸素が存在しない世界などに放り出されていたら、目も当てられない。

 思考が深くなるにつれて、綾の視線が女性の肢体に集中していく。女性は自分が凝視されていることに気づきうろたえるも、


「んー……?」


 からりと笑った。陰湿さの一切ない、底抜けに陽気で明るい笑顔だった。


「そういやあ、自己紹介がまだだったね。あたしはアイリーン・ソクラフォス……ディンブルゲン自警団の団員で、あんたがここにいる間の面倒役をすることににゃってる」

「私は、寺門綾と申します……どうぞよろしくお願いします。ソクラフォスさん」

「テラカド……変わった名前にゃまえねぇ。アヤの方が名前なのかにゃ?

 後、私の事はアイでいいよ。そっちのほうが馴染み(にゃじみ)があるし」

「あ、わかりました……えっと……アイさん」

「うーん。できれば呼び捨てのほうがいいんだけどにゃー」

「にゃ、にゃー……?」


 口にしてから失礼だったかもと、はっとなる綾。アイは気にする様子もなく返した。


「あたしらの方言みたいにゃもんよ。あたしって雷獣の血が混ざってるじゃにゃい?」

「にゃい? って言われても。そもそも雷獣っていったい……」

「にゃんと!? ……って、そういや、記憶喪失ってはにゃししてたっけか」


 にゃーにゃー言っているのに一切の媚を感じさせないのは、アイ自身が身に纏った精悍さと、甘さのない引き締まった声が揃っているからか。良く見ればその肉体は細く鍛え上げられていて、綾が持つような弱さとは程遠い力強さがある。


「……いろいろと不安はあるだろうけど、大丈夫よ。

 ここには優秀にゃ医者が沢山いるし、きっとよくにゃるって!」


 すぐさま返された答えに自分を思いやるアイの気遣いを感じ取り、綾は表情を歪ませた。自分は、この気遣いや大鬼の団員が見せてくれた親切を、偽って踏みにじっているのだから、当然だ。

 綾の表情を、記憶がないことに対する不安と受け取ったのか、アイは笑った。


「ここがだめでも、王都がある! 王都にたどり着けさえすればにゃんとかにゃるわよ」

「――!?」


 ぱたぱたと、わざと茶化すように振りかざされた右手に、綾は信じがたいものを見た。


 肉 球 だ。


 動物好きの人を魅了してやまないぷにぷにの物体が、アイの右手の平にしっかり張り付いていたのだ! それも傷が一つもない極上品が!


「に、肉球……」

「にゃ?」

「肉球、あるんですね」

「そりゃ、雷獣の血が混ざってるしね」

「触っていいですか? っていうか、触ります!」

「へ?」


 余計な気遣いや異世界に対する不安など、綾の脳裏から消え去っていた。鍛えられているはずのアイの間合いの中にするりと入り込むと、綾はその細腕からは連想しがたい力でアイの手を引っつかんで……ぷにぷにぷにぷにと、人差し指で突っつき始めた。

 綾の青かった表情が、あっと言う間に喜悦に染まる。


「あああああああああ~~~~♪ 柔らかい! 柔らかいです~!」

「ちょ、あん……にゃにしてんのー!?」

「ぷにぷにですぷにぷにぃ~♪」

「肉球大好きにゃのかあんた! あんた、それ危にゃいから! 危険だからはにゃ……って、力強いよこの子!」

「ぷにぷにぃ~」


 アイが手を振り払えないことに驚愕してもぷにぷにぷにぷに。


「おーい、飯だぞー……ってなんだこの光景は」

「はぁ~♪ 肉球~♪」

「バリー! た、助かった! この子にゃんとかして頂戴!」

「……新手のセクハラか、これは」


 大鬼の団員が食事を持ってきてもぷにぷにぷにぷに。


「よし。良い事を考えたぞアイリーン。お前、その子の見事な胸を揉め」

「いきにゃりにゃに言ってんのあんたはー!?」

「何って……目には目を、歯には歯を。セクハラにはセクハラを。そうすればこの子も正気に戻るだろう」

「ぷにぷにぷにぷに……♪」


 セクハラ発言されてもぷにぷにぷにぷに。


「自信満々で断言してじゃにゃいわよこのド変態!」

「変態ではない! 僕はおっぱいが好きなだけだ! というか男はみんなおっぱい大好きだ!」

「言い切るにゃ! ってか、あんた取り調べのときも変な文化捏造してたわよね!? あたしは胸見られながら話された事にゃいんだけど!」

「いや、だってお前胸ないし」

「焦がし殺すわよクソ大鬼」


 なにやら物騒な宣言がなされてもぷにぷにぷにぷに。

 寺門綾。異世界を訪れて始めて味わう至福の時である。


「それに捏造じゃないさ! 僕の中ではおっぱいを見て話すのはマナーだ! それがたわわなおっぱいの持ち主ならばなおさら!」

「単に胸を凝視する理由が欲しかっただけでしょ!」

「いやまぁ、冗談はさておき……別に良いんじゃないか? 顔色もよくなってることだし肉球くらいは」

「顔色云々以前に! 危険にゃんだってば!」

「……あっ!? そ、そうか! この子、知らないんだった!」

「あ、アヤー! あたし達雷獣の肉球は刺激すると――」


 なにやら辺りが騒がしいが、そんなことは気にしない。

 彼女にとって肉球は正義であり正義は肉球なのだ。このぷにぷにの感触に勝る幸福はないと綾は信じている。子供の頃、捨て猫の肉球をぷにぷにして遊んだものだ。

 そう。あの人懐っこい猫は、肉球を強く突っつくと喜んで擦り寄ってきた。

 その頃の習慣が、綾の中に残っていたのか。

 綾の人差し指が、強く強くアイの肉球を押した。




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