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その男はハゲだった  作者: 清河 桂太
ガゼロット編
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自称・記憶喪失


「……大丈夫か……?」

「うう……は、はいぃ……」


 地面に叩きつけられた少女は、己が感じた衝撃に涙を浮かべはしなかった。悲惨な事になっている服の状態には、ほんのちょっぴり泣きが入った。命の危機が去ったとはいえ血まみれ泥まみれ。花の女子高生が耐えられる状況では、ない。

 鼻腔を満たす血の匂いに、吐きそうになるのを必死にこらえながら、少女は命の恩人の疑問に答えた。


「ちょっと、お尻を打っただけで……けがは、ありません……」

「いや、俺が聞いてるのは、頭の中身の方なんだが」

「…………」


 答えたら、どえらく失礼な事を言われた。

 少女は、改めて己の命の恩人である男を見た。

 赤い、バンダナをまいた若い青年だった。年のころは少し年上くらいだろうか……学校に通っていれば、女子が放っておかないような整った顔立ちをしている。

 が、ハンサムと言われれば連想されるアイドル達のような、アマイマスクでは断じてない、精悍さのある顔つきだった。もっとも、これは、目の前でワイルドな救助劇を見せられた少女の主観も入っているだろうが……

 服装は、灰色のトレンチコートとジーパン。腰には一振りの鞘が刺さっている。そして、手には刀。

 そう刀。

 日本刀。法治国家日本においては、所持には許可証が必要であり、なければ銃刀法違反となる代物が、青年の手に鎮座していた。


「この森に、そんな恰好で踏み入るなんて、何処の自殺志願者だ……?」


(懐紙で刀の手入れ……)


 初めて生で見る光景に、少女は己の頬がひきつるのを感じた。

 まさか、まさかまさか。

 必死になって遠ざけてきた結論が、途端に現実味を帯びてきた。


「……あの……銃刀法……」

「……なんか言ったか?」

「……い、いえ。何でもないです」


 隠す必要などまるでない、とばかりに堂々とふるまうその姿に、疑問を投げかける事が躊躇われてしまった。本来なら、もっと堂々と問いただすべきであるというのに。

 はっきり言おう。少女は緊張して竦み上がっていた。目の前の、バンダナの青年に。

 少女の予測が正しければ――これは、『現地住民』との『ファーストコンタクト』になるのだから。

 自分の一挙手一投足に地球人類の品性が問われるのだと思うと、自然と体もこわばるというものだ。


「とりあえず、その、ありがとうございます……助けていただいて」

「別に、礼を言われるほどの事じゃねえ。おかげで、楽に仕留められたしな」


 勇気を振り絞った謝罪につっけんどんに返しながら、男は刀を鞘にしまう。そして、今度はその鞘ごと刀を抜き取ると、狼の傍らにしゃがみこんだ。

 懐から取り出した縄で狼の足を縛り上げ、その隙間に鞘を通す。その上から更に鞘と足を固く結んで、肩越しに担ぎ上げた。


「……で? お前は何なんだ? 迷子か?」

「……えっと、はい。その通りです。

 ここ、一体、何処なんでしょう……?」


 なにやら勘違いされているようだったが、少女はその勘違いに乗っかかる事にした。今優先すべきは現状の把握……情報収集は密に行うべきだった。


「何処って――エシャロットの森に決まってるだろ」

「えしゃろっと」


 まったく聞き覚えのない地名だ。

 綾の顔色が青くなったのを、この森の事を理解しているからと思ったらしい。


「密猟者拾った事は何度かあるが……迷子の保護ってのは初めてだな」

「密漁……者」

「ああ。これとかな。エシャロットウルフだよ。現物見たのは初めてか?」


 青年は担ぎ上げたエシャロットウルフを、鼻先で指して問う。


「えっと……聞いたことありません……」

「こいつ知らないってお前……」

「あ、あははあはは……すいません」


 エシャロットウルフ。当たり前だが、そんな名前の生物など聞いたことがない。青年の口ぶりからして、存在を知っていて当たり前という扱いの生物のようである。


「笑ってる場合か……お前、この場にいる理由はあるのか?」

「ほへ?」

「無いんなら、俺と街までついてきてくれ。

 こいつを狩った状況を説明してもらわなきゃならんしな」

「あの。状況の説明とか一体何のこと……」

「ディンブルゲンの自警団にだよ。エシャロットウルフは王国法の保護動物……知らないか。

 ようするに、この狼は余程の事が無くちゃ殺しちゃならない動物なんだ。密漁なんてすれば一発でお縄。けどお前が状況を証言してくれりゃあ、無実が証明されるだけじゃなく司法経由の正規ルートで売りさばける」


 自警団。当たり前だがそんなものは少女のいた世界には存在しない。あるとすれば中南米の辺りの治安が悪い地域にポツリポツリと存在するだけだ。

 保護動物。それらを制定するのはワシントン条約であるはずだ。王国法など聞いた事もない。

 未知の森に未知の生物。未知の組織に未知の法……ついでに言えばこちらの常識外れの格好をした青年……これらが指し示す事実は、少女の予想と矛盾しない。

 矛盾しないどころか、ばっちり当てはまってしまうのだ。


「それに、一人で放っとくと道に迷いそうだしな」

「あの、何でそう思うんですか……?」

「勘だ」


 いや、確かに少女は方向音痴だが。


「あのー……」


 自身の最悪の予想が、外れている事を裏付ける為。

 己の立ち居地を確かめる為に、少女がとった行動は……兎に角、目の前の青年から情報を引き出すこと。


「それなんですけど……記憶喪失みたいなんです。私」

「――は?」

「自分の名前以外、何も、思い出せなくて……」


 記憶喪失という、都合のいい症状をでっち上げる事だった。


「寺門 綾。それが、私の、名前です」




 町へ向かう道すがら。

 ぱっからぱっからと景気のいい蹄の音を立てながら、同行者を得た馬車は街道を行く。

 バーコードハゲの男が、記憶喪失を自称する少女を保護してから、一刻が過ぎようとしていた。


「エシャロットの森は『国境跨ぎの森』『楕円の樹海』って呼ばれてる森でな。クレイフィールド共和国とフラグレア王国の国境を突き抜けて、カーウァイ連邦まで広がってる」

「えっと、それじゃあ今私たちがいるのはどちら側になるんでしょう」

「王国側」

「伐採とかはされないんですか?」


 教師の教えを受ける幼子のように、純粋な疑問をぶつけてくる少女……綾に、男は淡々と答えていく。無邪気に見上げてくるその姿は、男の庇護欲を欠きたてる程に愛らしい。胸が大きい事もあり、並の男なら初見で口説くことを考える程の美少女だが、生憎男は異性に対して淡白であった。

 多分に、髪型で引かれることが影響しているのは間違いない。


「伐採な……そんな事しようものなら、領有権の押し付け合いに負けたって事になるな」

「領有権……?」

「環境がやばすぎて、誰も欲しがらない森なんだよ。

 お前に襲い掛かったような狼……まあ、あれは頂点捕食者だが……ま、ああいうのがうじゃうじゃいて、植物はほぼすべてが毒持ちだ。

 奥の方に行くとアグレッシブに動き回る肉食植物が多数……下手な木こりが伐採しようとしたら、逆に食われるだろうな」

「う、動き回る……!?」

「ちなみに、中央部にはかすり傷で死にかねん毒の茨が十数種生息してる」

「……それで私、正気を疑われたんですね……あれ?」


 言葉を交わすうちに、ふと浮かんだ疑問が浮かんだ。ほとんど脊椎反射で、綾はその疑問を男にぶつける。


「そんな森に、貴方は――えっと」

「トゥーク」


 言葉に詰まった綾に、男はぶっきらぼうに名乗った。


「トゥーク・サマーだ」

「トゥークさん。トゥークさんは、何の用があって……」

「ごみ捨て」

「ごっ……!?」


 想像の斜め上を滑空していく答えが返ってきた。


「あの森は動植物もアグレッシブなら生体分解もアグレッシブでな。金物以外のたいていの粗大ごみはほったらかしとくだけで自然に食い散らかされてなくなる。

 近隣都市の連中は、それをいい事にゴミ捨て場にしてるのさ」

「そ、それ……モラル的に……!?」

「ま、いい事じゃねえわな」


 もし事実なら、とんでもない自然破壊行為である。

 思わず、咎めるような口調になってしまう綾に、男はこともなげに。


「それが原因で、森の動植物が繁殖して森が拡大してんだし」

「え゛??」

「ゴミを養分にして、森の浸食が止まらないんだよ。最近じゃあ、社会問題になってるらしいな」


 ……訂正。この世界の自然は人間の悪意に負けるどころか逞しく繁栄しているようである。


「冗談だ……実際は、日雇いの小遣い稼ぎだ」

「小遣い……?」

「今言ったゴミ捨てやら密猟者の捕獲やら――森の境界線のパトロール。傭兵が食つなぐにはかなり気楽な仕事だ」


 ぽん、と男は腰に差した刀を叩いて見せる。

 傭兵――戦時でなければ、最悪盗賊に身をやつす事さえある職業だ。普通ならば、関わり合いになりたくないと思うのが常識である。


「はぁ……成程」


 にもかかわらず、忌避する様子を全く見せないのは、記憶喪失ゆえか、傭兵というものを理解していないからなのか。

 男はこの少女の記憶喪失を信じていなかった。

 当たり前である。いきなり目の前に現れた相手の記憶喪失です、なんて自己紹介を信じるほうがどうかしている。都合よく自分の名前だけ覚えている辺りがさらに怪しい。


「焼いて森を無くすとかって手もあると思うんですけど……」


 だが、寺門綾という少女は、あまりに物を知らない。

 森の近隣はおろか、この世界の大地に住まうものなら当然知っているべき事を何一つ知らないのだ。


「森の木には毒があるのは話しただろ。燃やしたら煙に毒が混じってえらい事になるんだよ。

 実際そういう計画もたてられたが……その時の死者の数、教えてやろうか?」

「……うぅ……嫌な予感がしますけど、後学の為にお願いします……」

「正確な数は不明だが、煙がクレイフィールド首都まで届いちまって一万人は逝ったらしいな。

 しかも煙の毒が農作物にも大打撃を与えて、歴史に残る大飢饉を招いた。飢饉の死者も含めると、一体何人になるのやら。当時王国だったクレイフィールドは一連の騒ぎが原因でズタボロになっちまって、今じゃ共和国さ」

「うわぁ……」


 一連の流れは『大火飢饉』と呼ばれる、習うまでもないレベルの歴史である。目を見開くその姿はどうも演技には見えなかった。本当に知らないのだとしたらそれは……


「生息している獣の毛皮やらなんやらを含めれば、かなりの税収が見込める森なんだがな……実際所有すると、収入以上に厄介な管理責任が伴う。

 じゃあこんなやばい森いらないってなって、森全体の所有権の押し付け合いになってるのさ」

「じゃあ、王国と共和国を行き来しようとしたら、思いっきり遠回りするしかありませんね。

 ……むー……」


 シャクシャクと炭の塊のような物体……アッシュブレッドを齧り、綾は首をひねった。綾のお腹がくーと鳴った時に男が投げた物だ――その瞬間、馬が苦情とばかりに嘶いたが無視した――世界中で作られるポピュラーな家庭料理ですら、綾は知らなかった。

 パンの形をした灰の塊のような物体であり、実際に口にすると食感は灰そのものなのだが……本来感じるはずの吐き気や苦みが全くない。

 それどころか、独特の香りと甘みが癖になるような味のする一品だった。


「なんで、こんな炭の塊が美味しいのかなぁ……」

「炭じゃなくてアッシュブレッドな。職人の前で炭呼ばわりすると、殴られるぞお前」

「あう……気をつけます……ってそう言えば……エシャロットウルフって保護動物なんですよね?

 そういう動物は非常事態でも殺したちゃいけないんじゃあ……っていうか、そんな動物の毛皮が、殺した人間のモノになるって滅茶苦茶だと思います。

 没収されるのが普通……なんじゃないかなー、と思うんですけど。自作自演とかされたらどうするんですか?」

「保護動物としてはランクが低いんだよ。一番の理由はエシャロットウルフが人を食うって事だな。がちがちに保護しちまうと、人間の被害の方がでかくなる。

 殺した奴が毛皮の所有権をって言うのは、ぶっちゃけ利権がらみの駆け引きの結果だ。保護反対派と賛成派が議会で喧々囂々やりあってたら、こうなったって事。

 悪法なのは周知の事実だが、利用出来る時は利用するだけさ」


 綾の表情は芳しくなく、心なしか青くなっているようにも思える。普通の視点で見れば、記憶を失って不安に包まれるようにも見えるのだが……

 癖なのだろうか。余った左手で右耳にぶら下がったピアスをしきりに弄り回している。


「取り合えず、街に着いたら自警団に行く事になるから……まぁ、そこで色々聞いてみろ」


 男は前を向いたまま、励ましともとれないような発言をする。そのまま自警団に預けてしまう腹積もりである。

 視線の先には、ディンブルゲンの街の外壁が聳え立っていた。



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