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その男はハゲだった  作者: 清河 桂太
ガゼロット編
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罪深きガラクタ


 その機械は、大きかった。

 一寸した建造物程度の大きさがあるキングサイズである。正面から俯瞰すると、町のビル街にいるような錯覚を覚える程だ。ボディ本体にいくつも取り付けられたモニターの光が、ネオン代わりというわけだ。

 擬似的なネオンの灯りに照らされて、数人の男がせわしなく動いていた。

 機械の動きを表示するモニターに横付けされた、お粗末な業務用デスクの上が、彼らの仕事場である。

 表示される数字をコンソールのキーを叩いて微調整し、手元の資料と見比べて、誤差が現れればメモを記す。一通りの動作確認を終えたら、次の資料を手にとって同じ事を繰り返す。

 男達の仕事といえばたったそれだけの事なのだが、それらの仕事が山となった結果か、デスクには大量の紙束が散らばっていた。


『――テラカド、少し休憩しよう』


 隣の席の同僚に呼ばれた男、寺門隼はあぁ、と頷いてペンを置いた。中肉中背、栗色の髪を短く纏め、白衣に身を包んだ美丈夫だ。

 英語に対して英語で答える。ここに来た当初は違和感を抱いていたやり取りも、随分と慣れた。

 携帯コンソールにパスワードを入力し、接続端子の読み取り口に指を置いた。電子音が生体認証を終えた事を伝え、コードが引き抜かれる。

 この巨大な機械には備え付けのコンソールが存在せず、全ての入力及び操作はスタッフが所持する携帯コンソールからでしか行えない。接続及び取り外しには個別のパスワードは勿論の事、指紋と指先の静脈、それらからの生体反応が要求される。

 正規の手続きを踏まずに……たとえば、死体から切り取った指で認証を潜り抜けようとすると、警報と同時に致死量を越えた、対象者が炭化物に変わるほどの高圧電流が流される。

 部外者による操作を防ぐ為の処置であった。

 やりすぎと批判する人間はいない。『機械』の重要性を考えれば、この処置ですら生ぬるいという意見が大半だった。

 折りたたんだ携帯コンソールを白衣のポケットにねじ込み、隼は立ち上がる。

 軽く背筋を伸ばすようにして空を仰ぐも、陰鬱とした気分が晴れることはない。見上げた空は雲の泳ぐ星空ではなく、鋼と蛍光灯で彩られた人工の空だ。風情も何もあったものではない。

 地下三百メートルに広がる人工施設……それが隼の勤務する仕事場であり、生活の場であった。

 面積が東京ドームの比ではない……等と連想してしまうのは、隼が日本人だからか。壁一枚を隔てた向こうには、東京ドームを丸ごと飲み込める空間が広がっているのだ。

 休憩スペースには三つの自動販売機が並び、備え付けのベンチに腰掛けた白衣の研究者達が、思い思いの姿勢で談笑をしている。自動販売機の傍では作業員が大量の段ボールを並べて缶ジュースの補充を行っていた。

 隼は先客達に軽く会釈をしてから、安くて不味いと評判の缶コーヒーを購入した。

 ベンチの隅に座って不味いコーヒーをすすり、故郷に残してきた妹を思い出す。

 彼女の入れたコーヒーは格段に美味かった……最後に彼女のコーヒーを飲んだのは、何年前だったか。


『ヘイジャップ! 相変わらず不味いコーヒーばっかり飲んでるんだな』

『――どれも妹のコーヒーより不味いからな』


 陽気な声で放たれた蔑称に、隼は苦笑しながら振り向いた。

 声の主は、くすんだ色の金髪をオールバックに纏めた、白人の男だった。体格はひょろりと細長く、身長は2mに少し足りないくらいか。

 ジョン・ヤングというのが彼の名前だ。隼とは『機械』に関わって以来の腐れ縁であり、親友とは行かないまでも悪友と呼んでいいぐらいには親しい間柄だった。

 日本からの出向組である隼と違い、生粋のアメリカ人である。


『同じ不味いなら、安い方が経済的にいい。どーせ眠気覚ましなんだからな。

 ……後、ジャップはやめろ』

『ジャップは相変わらず合理的だねぇ』


 言葉だけとれば嫌味にしか思えないのに、欠片も嫌味に聞こえないのはヤングの長所だろう。陽気に笑いながら隼の隣に座る。


『どーせジャパニーズはお前だけなんだから、硬い事言うなよ』

『親父殿がいるだろう』

『ああそうだな。ただし奴は全ての責任者、雲の上の人間だよ。

 どーせ、あっちも陰口叩かれてる事は百も承知さ。お前だってそうだろう?』

『……あぁ、まぁ、な』


 陽気で気楽な口調から一転し、汚いものでも吐き捨てるように飛び出した言葉に、隼は曖昧な返事しか出来ない。

 『奴』。

 寺門隼の父親であり、『機械』を中心に据えた大プロジェクトの総責任者であり、少しでも科学に携わる男なら知らぬものがいない天才科学者、寺門修一郎の事である。

 アメリカ政府から莫大な国家予算と共に一大プロジェクトを任された男……この巨大な地下施設は、全て彼が作り上げたものだ。

 ヤングは、その天才科学者に対する軽蔑と嫌悪を隠そうともしていない。

 寺門修一郎の立場を考えるなら、尊敬と親愛の情を向けるべきなのだろう。

 この場にいるという事は、修一郎の得意とする分野を専攻する研究者という事であり、修一郎の理想に惹かれプロジェクトに参加したという事である。

 それらの経緯を考えれば、ヤングの発言は許容の範囲を踏み越えていた。聞く者も多いこの場所でそんな発言をすれば、必ず弾劾の矛先を向けられる筈だ。

 実際には、ヤングの言動を咎める者はいない。

 ヤングの発言を聞いていなかったのではない。聞いて、理解して、その上で黙認しているのだ。

 周囲で談笑する研究者の数は十数名。彼ら全員がヤングと同じ感情を寺門修一郎に抱く、研究所内でも少数派の集まりだった。


(それも無理なからぬ事、か)


 彼等も寺門修一郎を尊敬して『いた』。過去形である。

 その感情は、無垢な信者が神に向ける崇拝であっただろう。野球好きの子供がメジャー選手に対して抱く憧れであっただろう。

 修一郎が施設の研究者に尊敬されている事は間違いない。現に、隼がここに来た当初は、『寺門修一郎の息子』というラベルの影響で、しなくてもいい苦労を重ねたものだ。

 彼等もかつてはそうだった――だが、今は違う。今の彼らにとって寺門修一郎とは周囲の期待の全てに背を向けた、唾棄すべき売国奴に過ぎない。


『……それで、『奴』から何か連絡はあったか? ジャップ』

『何も……親父殿も、俺がお前たちとつるんでいる事は、気付いているからな』

『完璧に敵扱いって訳か? 面従腹背で尻尾振ってスパイ役にでもなってくれりゃあよかったのによ』

『お前と同じだよヤング。今の親父殿に振る尻尾は持たないさ。

 だが、嬉しいお知らせもある』

『ほぅ?』


「……妹の身柄を確保した」


 施設内に存在する少数の……今休憩所で談笑している十四名で全員である……反寺門修一郎勢力。その首魁は、冷たい日本語で言い放った。

 急に言語を日本語に切り替えた隼に、ヤングは相貌を引き締め自身も日本語で語りだす。

 研究員の大半が英語しか話せないこの施設で、日本語は密談に最適だった。


「ほぅ。奴はそれに気付いているのか?」

「気付いていたらもう騒ぎになってるさ。

 今日の『実験』でフライトしてもらったからな。もうこの世界にいないよ」

「フライトって……『おいおい! まさか……!』


 吐き出された単語の羅列の一語から、尋常ではない未来予想図を描き血相を変えた。ヤングは密談用の日本語を忘れ、母国語で口走ってしまう。


『お前……! もし敵国側に行っちまったら……!

 俺達の計画が台無しになるぞ!』

「落ち着け。座標はきっちり変えてある。俺も妹を殺したいわけじゃないからな」


 ヤングを落ち着かせてから、説明に繋ぐ。英語で会話すれば、仲間以外の研究者に聞きとがめられるとも限らないのだ。

 何とか冷静さを取り戻したヤングは、すぐさま日本語に切り替えて密談を再開した。


「……本当だろなジャップ」

「ああ。比較的安全な場所を選んである。心配するな」

「……なぁ、本当に彼女はこうするしかなかったのか?」

「今更だな」


 隼の顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。ヤングが言うような事は、とうの昔に隼自身が求め、挫折した後なのだから。


「親父殿自身が、俺とあの子の接触を妨害してるようでな。説得どころか、ここ一年は手紙の返事さえない。書いてはいるが、妹の手元には届いてないだろう。

 妙な事を吹き込まれては堪らんと思ったんだろうよ……いや、むしろ親父殿の方が妙な事を吹き込んだのか。妹も親父殿と同じ主義主張で固まってると見るべきだろう」

「……おいおい、勘弁してくれよ。

 俺は嫌だぞ。あんな可愛い子が、奴みたいな妄想狂になるのは」

「俺も見たくないから、避難してもらうのさ」


 隼は立ち上がった。そして自動販売機の作業する作業員の傍まで歩み寄ると、缶コーヒーのラベルの入った段ボールに手をかけて、


「さてと。時間だぞ諸君……よっと」


 体重をかけて段ボール箱を倒した。尋常ではない重みを隼の手に残して地面に横倒しになり、開けられた口から中身があふれ出す。


 中から転がり出てきたのは――黒光りする、銃器弾薬の数々だった。


 十数名の仲間達は、偶然休憩所に終結していたわけではない。事前に示し合わせ、これから始まる祭りの為に、この場に集っていたのだ。

 談笑していた男達はおろか、コーヒーの補充をしていた作業員までもが表情を引き締め、地面に散らばった銃器を手に取る。がちゃがちゃと重なる金属音をバックミュージックに、ヤングは愚痴を吐き出す。


「コーヒー臭いアサルトライフルだぜ……っつーか、よくこんなに運び込めたな」

「この手の施設は持ち出すのに苦労はすがるが、持ち込むのには苦労しないからな。そもそも、こちらには政府が後ろ盾にいるんだ。このくらいは軽い。

 ……ああそうだ。コーヒーが嫌なら、パインジュースもあるぞ」

「パインジュース、っつーよりは、『パイナップル』そのものだな」


 隼から投げ渡された物体――俗称でパイナップルと呼ばれる手榴弾に、ヤングはやけくそとばかりに齧りつく。


「美味いか?」

「鉄の味がするね」


 その瞬間、二人の軽口を掻き消すような轟音が、広大な地下施設に響き渡った。タイミングのよさ故に凍りついたヤングを残し、隼とその仲間達は涼しい顔で歩き出す。

 政府の諜報員が施設の各部に取り付けた爆弾が、一斉に爆発したのだ。


『今更ですが……僕達で銃撃戦なんて出来るんですか?

 配属時に何度か訓練受けただけですよ』


 仲間の一人が、英語で緊張と恐怖を吐き出す。隼は不敵な笑みを浮かべ、


『安心しろ。相手は俺達と同レベル、同じ能力なら武器の有る無しが決定的な差だ』


 正確には、隼達より強いとされる施設の正規ガードマン達は、政府の手引きで配置を弄くられ、施設の外で銃撃戦の真っ最中だ。

 隼達が内部から行動し、排除するのはガードマンではない。


『俺達は親父殿……あの、厚顔無恥の薄汚い売国奴が装置をいじくらないように制圧すればいいだけだ。マヌケな自爆さえしなければ成功するよ』

「お、おい!!」


 上ずった声で制止されたのは、丁度その時だった。

 いくら爆発でパニック状態になっているとはいえ、完全武装で闊歩する白衣の集団が、目立たないはずが無い。見回せば、数人の研究者たちが、逃げ腰になってこちらの様子を伺っていた。

 理解できない事態に対する恐怖で凝り固まった研究者達の中から、一人の研究員が毅然と歩み出て、集団の前に立ちはだかる。

 眼鏡をかけた、ぼさぼさの金髪を乱暴にまとめたその女性研究員の事は、隼もよく知っている。この研究施設では一般的な、寺門修一郎を崇拝する優秀な研究員だ。

 頭がいいだけではなく弁舌も立ち、その鋭い舌鋒には隼達も幾度と無く苦い思いをさせられたものだ……個人的なレベルで親しい間柄でもある。


『て、テラカド!? あなた達何を――』

『失礼』


 眼鏡をかけた女性研究員に、隼は歩みを止めず、慇懃無礼に一礼し……


 何のためらいも無く。

 恋人に向かって、手にした拳銃の引き金を引いた。


 乾いた音と共に放たれた弾丸は、女性の太ももに吸い込まれ、弾ける。自分が隼に打たれたという事実が理解出来なかったらしく、しばし呆然と傷口からあふれ出す血を眺めた後に、傷口を押さえ膝をついた。


『な、何を……! 正気、なの……?』

『正気さ。そして本気でもある』


 呻く女性研究員を見て、研究員達は恐慌状態に陥った。我先にと逃げ出すその背中に、追いついてきたヤングが陽気に声をかける。


『Jap! あの糖分の足りてない連中に、パインジュースをお裾分けしていいか?』

『やめとけ。そいつは本命へのプレゼントにしつらえたものだ』


 隼は取り返しがつかない所まで来た……とは思わなかった。

 今更の事である。この場で銃を取った彼ら全員が、自分たちが既に後悔の余地の無い場所に立っている事を、とうの昔に自覚していたのだから。


 隼とその仲間達は、打ち合わせどおりにこの施設で最も重要な場所……先程まで隼が作業をしていた、中央コンピュータールームを制圧する為に走り出した。



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