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その男はハゲだった  作者: 清河 桂太
ガゼロット編
10/89

ハゲ、お披露目。


 アメリカ某所にある寺門修一郎の巨大地下施設には、『ポート』と呼ばれている。

 最終的には、数多の異世界への流通を可能とする、文字通りの港として機能するだろう、という修一郎の夢とも言える発想から名づけられたのだ。

 並ぶベンチに、不味いコーヒーが入った自動販売機……『港』の休憩所は一見『事件』以前と何一つ変わらないように見える。

 違うものがあるとすれば、それは空気だろう。

 研究者の楽園だった施設は、今や政府の軍人達が闊歩する要塞へと姿を変えつつあった。事態に追いつけない研究者達は軟禁され、そうでないものも軍の監視が張り付いている。

 ベンチに腰掛ける寺門隼の眼前を、武装した兵士が三人通り過ぎていく。こちらへ視線すら向けないその様子に、隼は舌打ちをしてコーヒーを含んだ。

 いつもは平然と呑んでいた安さと引き換えの不味さが、酷く不快に感じられた。


「――ジャップ」


 明らかに不機嫌な隼に声をかけたのは、ヤングだった。

 ひょろ長い体を白衣に包んだ成年は、隼の隣に腰掛けて、


「気持ちは分かるが、少し落ち着け」

「分かる!?」


 ぎろり、と充血した両目がヤングを睨みつける。その下には黒い隈があり、彼が一切寝ていない事を示していた。


「お前に何が分かるってんだ! 尊敬していた父親が最低最悪の売国奴だった、妹を得体の知れない世界に売り払って恋人にまで引き金を引いた男の気持ちが! お前に分かるのか!?」

「…………」


 謂れの無い、軽蔑すべき逆ギレだったが、ヤングは無言で受け止めた。

 この施設内にいる同士の中で、最も功績をあげながら最も深い傷を負ったのは、この男なのだ。ヤングなどはその尻馬に乗っただけの、『でくのぼう』である。

 八つ当たり位受けてやろう。例え間違っていても、ヤングはそう思うのだ。

 しばらく人が殺せそうな目でヤングを睨みつけていた隼だったが、目線をそらして深く深く呼吸し直すと、「すまん」と謝罪をした。


「気にするな。実はイエローモンキーの気持ちなど全く分からん」

「抜かせ」

「奴は見つかったか?」

「見つかっていたら俺の手で縊り殺しているよ」


 隼の父親である修一郎は、施設が軍によって制圧されると同時に姿を消していた。

 国家に反逆した凶悪犯として全国に指名手配しているが、未だに足取りはつかめていない。


「……こんな事になるんだったら、綾を放り出すべきではなかったな」

「おいおい。今さらだろそりゃあ。あの時、それしか手段が無いって、お前が言ったんだぞ!」

「ああ、言った。今でも、そうだと思う。殺すよりはマシだと思ってな。だが状況が変わってきた……奴なら、綾を迎えに行く事ができるんだぞ?」

「――っ!」


 ヤングは息を呑んだ。その通りだ。

 彼らの認識する『寺門修一郎』という人物は、それが可能な男なのだ。


「かくして切り札は奴の手の中に……」


 飲み干した空き缶を、


「そんな事をさせるものか」


 握りつぶした。


「ふざけるな。ああふざけるなよ売国奴め。

 貴様の妄想のために、この国の、世界の、綾の未来を潰されてたまるか。

 ヤング、お前は仲間を連れて大統領に事態の説明を。

 俺は、ここで待つ」


 そうさせないための手段は、もう打ってある。

 後は、結果の報告を待つだけであった。




 町の城門における手続きは思った以上に簡単だった。簡単すぎた。

 名前と荷物の有無を聞かれ、答える。たったそれだけで城門をくぐる事が出来てしまった。

 受付の字形団員に不審者を見る目で見られたが、特に何も言われなかった。

 あるいは、綾を一刻も早く厄介払いしたい所長が、何か手を回したのかもしれないと、ぼんやりと思いながら、綾は手続きを完了し、外の世界に歩み出る。

 外。

 町ではない、街道――自分の常識が通用しない異世界の空の下を自己責任で歩く。着の身着のまま、荷物らしい荷物も持たず、一人で。

 野宿用のテントもなければ、食料もありはしない。不審者どころか、正気を問われても文句の言えないような状況にあるのが、今の綾だった。

 草原が広がっているだけだった森からのルートとは違い、王国側への道は石畳でしっかり舗装されていた。アイリーンいわく、人の足なら一週間も歩けばたどり着けるらしいが……こんな装備では大丈夫じゃないし、問題しかない。

 前後の事情を把握したものが見れば、状況に絶望し、町から逃げ出そうとしているように見えるだろう。

 だが、彼女は逃げ出すつもりなど欠片もない。むしろ、状況に対して前向きに立ち向かう腹積もりだった。

 目的は、王都に到着する事ではない。


(こうやって一人で歩いてたら、接触してくるよね)


 綾が町を出て、こんな場所で独り歩きしている理由は、ずばり『自分を追ってくる連中に捕まる』事にある。

 この世界の文明レベルは、街並みからもわかる通りヨーロッパの中世レベルだ。この程度では、近代的な機械の類など手に入らない。『世界間航行装置』など夢のまた夢だろう。

 あるいは、話に聞こえる魔術ならば不可能ではないかもしれないが……そこに至る伝が存在しない以上、考慮に入れるべきではない。そんな博打にかけるより、連中をおびき出して捕まった方がよほどスムーズに元の世界に帰れると考えたのである。

 帰りの手段も用意せず異世界までやってくるなど、ただの阿呆である。彼らの手元に、元の世界――アメリカが存在する世界への帰還手段があると考えるのが、道理であった。

 連中の目的は不明ながら、綾の命を奪おうという意図はないようだった。でなければ、フリーズコールからのスタンガンまでの流れの説明がつかない。

 ひょっとしたら、あの連中は修一郎が綾の為に派遣したのかもしれないという、楽観的な予想もあった。

 ――異世界への侵略戦争が目前に迫っているのなら、一刻も早く帰らなければならない。

 綾はそう考えていた。

 戦争そのものを否定するつもりは無い。自衛の為に必要な行為ではあるのだろう。日本の隣の国もかなりきな臭い空気を漂わせているし、無防備宣言などという戯言を信じるほどマヌケではない。

 ただ……純粋な欲望に基づいた侵略の為の戦争に、正当性など認められなかったのだ。


(元の世界に帰って……非常停止キーを使って止めれば……!)


 ぎゅっと、綾は右耳のイヤリングを握り締める。

 皮肉にも、綾が一連の騒ぎに巻き込まれた元凶である非常停止キーが、文字通り状況を打破する鍵となる。

 捕まって連中から情報を収集し、何とかして故郷の世界に帰り、非常停止キーを使って装置を止める。これが、現在の綾の行動指針である。

 計画性もその後の展望がまるで無いが、綾の立場からすれば、他に選択肢は無かった。恐怖が無いわけではないが、それ以上にある種の錯覚が彼女を駆り立てる。

 この事態を解決するのは自分しかいないという、英雄願望交じりの義務感だった。

 何より。

 嘘をつく自分を本気で心配してくれた自警団員の人々を巻き込みたくない。

 彼らは確かに強いのかもしれないが……相手は、近代科学で武装した、軍隊という純粋な暴力機構だ。無事に済むとは思えなかった。


(うーん……そこらへんで野宿してれば普通に来るかな……?)


 街道の先が森に吸い込まれているのを見て、綾はそこで一旦休憩しようと決めた。

 のんびりしていれば、相手の方からアプローチをかけてくるかもしれない。

 森を切り開いて道を作ったのだろう。灰色の石畳が生い茂る森の緑を区切るように伸びているのが見えた。


(木陰に座ろーっと♪)


 危機的状況なのに、綾はなんだか楽しくなってきた。

 生まれも育ちも東京都心である綾にとって、このようなむき出しの大自然は未開の領域だった。心の中に眠っていた童心が鎌首をもたげ、未知の高揚感がその胸を満たす。

 森の入口の木陰に座り込み、大木にその身をゆだねる。木陰の涼しさと、肺を満たすフィトンチッド芳香に、安らいでいたその刹那、


「……お前、本当に正気か?」


 頭上から、物凄い失礼な声が降ってきた。

 背にした大木を見上げれば、生い茂る葉の向こう側、人期は太い枝の上に、黒い人影が見えた。トレンチコートに、Tシャツジーパンをまとったその姿には、見覚えがあり……


「――!?!?!?」


 否、人影の正体以上に。

 綾にとって衝撃的だった事実がある。


「と、とぅーくさん……!?」

「…………」


 頭頂部を追い隠していたバンダナが、今はない。

 そして、丸出しになった男の地頭は――


「ま、まさか、その頭……私のせいで……!?」


 信じがたいものを見るような、なんというか、ショックを受けたような……如何とも形容しがたい表情で固まる綾に、男は嘆息した。


「元からこういう髪型だ、俺は」


 男は己のバーコードハゲを気にしていない。

 だが、周囲の反応に、うんざりさせられることが多いのも、事実だった。

 そんな男を笑うように、木陰に止められた馬車から馬の嘶きが聞こえた。




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