Tale 19 小村の業火(2)
村の裏手までは十分もかからなかった。それだけに小規模なのだ。しかしそれが災いすることとなる。
魔王軍は村を取り囲むように潜伏していた。用意周到に周辺の野に火を放ち、脱出路を潰していた。最初から逃げ道などなかったのだ。
アルマたち三人の目の前にも、悪魔が立ちはだかっている。
母は二人を庇うように立つ。そして二人に背中を見せたまま、「逃げなさい」と言った。
躊躇している場合ではないのは理解していた。同時に武装の一つもない母が彼らに太刀打ちできないことも、子供の力ではどうにもならないこともだ。
目の前の生ける恐怖に、アルマは足が動かなかった。彼女の判断力は機能していなかった。
そんな姉の手を、弟は強く引く。
「姉ちゃん、行くよ!」
否定する隙もなく、アルマと母は引き離された。
火炎による熱気と火の粉が頬に当たり、気分が優れなくなる。視界の揺れる中で、遠ざかる母を実際よりも遠くに感じた。
二人は子供の小さな歩幅でできるだけ逃げ回る。想定していた脱出路が使えないため、行き当たりばったりの行動となっているのだ。
「アレク、ちょっと……待って」
一酸化炭素を小さな体に取り込み、咳込んでは苦しむアルマ。彼女ほどではないが、同じ状況下に置かれているアレク。彼らが進むことができたのはここまでだった。
体力の限界でもあったが、それよりも二人の行く手を阻むたった一人の悪魔が睨み下ろしていたからだ。
その悪魔は突如現れた黒い靄の後に、それを全身に纏うように姿を見せた。
人間と同じ骨格をしているが、背はかなり高く、優に二メートルは超えている。背中からは象徴的な黒翼を生やし、その身は同じ漆黒に包まれている。
「こんな所まで鬼ごっこを続けるなんて、気概がありますね」
「あ、悪魔……!」
道中で出会った悪魔とは明らかに別格の存在に、アルマはさらなる恐怖を抱えてその場に尻もちをつく。
「そんなに怖がらなくて結構ですよ。すぐに楽にしてあげますから」
悪魔はそう言うと、奥底まで冷徹な眼差しをアルマに向ける。
彼女はその眼に竦んだ。
悪魔は燃え滾る音を遮るように、土道に擦り音を立てながらゆっくりと近づいて来る。
「お、お父さん……お母さん」
力の入らないアルマはその場で縋ることしかできない。
「ああ、あなたのご両親ですか。大丈夫ですよ」
アルマはそう言われたので顔を上げる。
「村の者は残らず亡者となりました」
淡い希望が深い絶望に変貌する。その言葉で、目の前にいるのは悪魔だということを再認識する。
アルマはすすり泣いた。
「抵抗しなければサッと送ってあげると申し上げたのですが……やはり人間は愚劣な生き物です。あの反抗的な目つきときたら……。彼我の戦力差を考えていただきたいですね」
恐ろしいまでに冷酷な悪魔の台詞に、初めて声の上ずりが窺える。悪魔にとって人間は劣等種。だからこそ、村人たちの態度が気に食わなかったのだ。
「おっと、お喋りはこの辺にしておきましょうか。私も忙しい身でしてね」
悪魔は武器も持たず、片手を挙げる。手刀で首を斬るつもりなのか。
アルマは目を瞑った。しかしその黒い手を振りかざした時、
「ん?」
「やめろ! 姉ちゃんから離れろ!」
悪魔が足元を見ると、アレクがそこにしがみついていた。
彼の目つきは睨むように鋭く、力強かった。
裏を返せば、それはこの悪魔にとっては不快なものでしかないということだ。
悪魔の標的は少女から少年へと移る。
「睦まじい姉弟愛ですね。ですが……」
「その眼はもう見飽きました」
悪魔は片足を上げ、大げさに空を蹴る。するとしがみついていたアレクは吹っ飛ばされた。
焼ける地面に身を打ちつけた弟。立ち上がるのに十数秒かかったが、近くに落ちていた鉄製の剣を拾うと、その剣先を引き摺りながらも懲りずに敵に突進していく。
「はぁ……。しつこいのは嫌いです」
悪魔は一言そう告げると、鋭く伸ばした手を右側にまっすぐ突き刺した。
赤黒い液体が漏れ落ち、破けた内臓と千切れた肉片が散らばる。その被害に遭った小さな本人は目を丸くするが、即座に気を失ってしまう。
悪魔はこの一瞬の感覚と生温かさを愉しみ、腕を振り払った。
その腕を染める血が潤滑油となって、貫通されたアレクの全身は腕を伝うように放物線を描きながら、紅蓮の茂みへと落下する。
「アレク!」
声を荒らげて、アルマは朦朧とする中で弟に近づこうとする。しかし彼を殺めた悪魔はそれを許さない。
「駄目ですよ、勝手に動いちゃ。狙いが外れて苦しむことになります」
アルマは胸ぐらを掴まれ、その悪魔と同じ目線に到達する。
「さようなら」
血で濡れたその手刀は――。
(嫌っ……!)
彼女の首には届かなかった。
その直前で悪魔自身が回避行動をとったからだ。
光り輝く短剣が何十本も悪魔を襲いかけた。不発となったそれらは、勢いを失うと空へと掻き消えた。
悪魔は攻撃の飛んできた方を睨む。そこには白馬に乗った一人の騎士がいた。
「そこまでだ、ゲーリュス!」
「ちっ……王国の騎士か」
襲撃の発覚からは早すぎる救援。しかし馬に跨っているのは、紛れもなく王国の騎士だ。
その証拠に、先ほどまでの不気味なまでの丁寧語を語る魔王軍の幹部ゲーリュスの姿はどこにもなかった。余裕が緊張で埋められ、切迫した空気が流れ始める。
遠方を確認すれば、倒壊し全焼寸前の建物群を前に、彼が引き連れて来たであろう他の騎士たちが悪魔の掃討と、形骸を残している村人たちの救命に徹していた。
「まあいい、お前も殺してやろう」
「させない……はあっ!」
騎士の男は大剣を振り下ろすが、ゲーリュスは軽々と跳躍して躱す。
「ふっ……【不死なる漆黒】」
ゲーリュスは黒い全身の上からさらに黒々しい闇を纏う。その後で、流石に素手では騎士の大鎧は貫けないのか、片手に青黒く燃える炎を構えると、それを彼に撃ち飛ばした。
騎士は大盾を合わせて防ぐ。普通とは色の異なる炎という、外見だけではそれだけの差異しか見受けられない炎だったが、一つ一つが重々しく、彼の下半身に入る力の踏ん張りようや盾との衝突の轟音は、ゲーリュスの力量を物語っていた。
村の至る場所で建物が延焼し黒煙が発生するように、彼らの視界も同色の煙に遮られる。
その鎮まりを待つ前に、輝く魔力短剣がゲーリュスに浅く傷を付ける。
煙のせいで油断を誘われ、不覚にも反応が遅れたゲーリュスは翼を羽ばたかせ、煙たさを吹き飛ばすと同時に飛翔した。
「飛んだか……」
騎士は面倒そうに、自分を蔑む悪魔を睨む。しかし彼の攻撃が届かなくなるわけではない。彼は戦法を遠距離主体へと変更した。
「【攻撃付与・空刃】」
騎士でありながら、多角的な攻撃手段を持ち合わせる実力。それがこの騎士、王国騎士団長ファルクスがその地位まで上り詰めた要因だ。
ファルクスの持つ大剣が空色に包まれる。そして覇気と共に、剣を振るう。剣は空を斬るばかりだが、その度に剣先から真空波が発生する。
「小賢しい真似を……」
ゲーリュスは絶え間なく生成する青黒い炎で真空波を相殺する。
一方、ファルクスは高速の剣舞で真空波を作ると同時、巨大な仮想の剣を作り上げていた。魔力操作にも長けていた彼は、それを鋭利に仕上げると、適切な角度で放った。
「ぐああああぁっ!?」
羽ばたく悪魔の胴体を抉り貫いて、その先へと直進する仮想の巨剣。
痛手すぎる傷を負ったゲーリュスは残る気力で滞空するのがやっとだ。
「お前たちの行動は騎士団に筒抜けだった。それがお前たちの敗因だ」
ファルクスは得意気に、実体のある剣先を向けて言う。
「ふっ……馬鹿な。これだけの被害を出しておいて己が勝利を語るか」
「黙れ!」
ゲーリュスは悪魔特有の黒い粉を発し始めている。その命が虚空へ還ろうとしていた。
「こんなところで魔王様の野望が……我が野望が断たれるとは……。ならない……決してならないっ!」
歪んだ顔で叫ぶ悪魔の下方より、地面を影のようなものが這ってくる。
「何だ、これは! ……何をした!?」
ファルクスの足は拘束され、やがて全身が縛られる。
「ふっ、ふふっ……せめて相打ちだ」
「ぐっ……ぐぞぉ……」
最後に満足したように呟くゲーリュスと、濁った発音で上方を睨むファルクス。
窒息に悶え苦しみ絶命してしまった死に際の顔を見て愉悦に浸る悪魔は、それから間もなくして不敵な笑い声を上げるとともに何処へと姿をくらました。
アルマはというと、自分から注意が逸れたことを利用し、物陰に身を潜めていた。しかし猛炎に身を熱されたことと家族の死という対峙したくない現実により意識を失い、直後に駆けつけた騎士たちの発見によって身を保護されたのであった。
2022/1/15 魔王軍幹部の名前の誤記を修正
2022/4/16 全体的に少し修正。
2022/4/17 能力【加速】との混乱を防ぐため、魔王軍幹部の名前を変更:
『アクセラード』→『ゲーリュス』




