Tale 8 小村の一家族(1)
眠りから目覚めた時とは異なる、突然意識が引き戻されたような感覚で少女は目覚めた。
「私は……。ここは……?」
少女はその場に立ち尽くしていた。
けれどもそこはグリュトシルデではない。そんな大きな街ではなく、もっと小さい長閑な村だった。
記憶がはっきりしていないのか、少女はぼんやりとその光景を眺めていた。
しかし心は温かく、どこか安心した気分になる。自分はこの場所を知っているのか。
少女は自然と歩き出した。
歩幅は小さく、なかなか前に進まない。
周囲では村民たちが他愛もない話をしていた。少し顔を動かせば、今度は一生懸命に畑を耕している男性の姿が見えた。
快晴の夏場のような外気だ。健康的な汗が滴り、男性の顔は充実に溢れていることだろう。
特段、魅入るものはなかった。景色は平和な村そのものの連続だったからだ。
しばらく進むと少女は声を掛けられた。
「あらアルマちゃん、一人でお散歩?」
少女ことアルマは声のする方を向いた。自分よりもずっと大柄な女性。
「こんにちは、おばさん」
アルマは無邪気かつ礼儀正しい声を発し、ぺこりと頭を下げる。
「あんまり遠くに行っちゃ駄目だよ。ママが心配するだろうからさ」
「う、うん」
アルマは弱々しく答えた。
自分はそんなに遠くに行っていたのだろうか、それは分からない。今のアルマにはその記憶がないからだ。
そして次の瞬間、視界が回転した。
頬に硬くざらついたものが押し当てられる。
熱い。
顔が熱い。
そして体も熱い。
着ていた半袖のシャツもいつの間にかびしょ濡れで、その冷えた汗のせいで複雑な感覚になる。
彼女の真白な肌も焼かれ、ヒリヒリする。
アルマの意識は朦朧としていった。
「アルマちゃん!?」
女性がアルマの体を触った。「熱い」という声は聞こえた。
しかし意識はそこで途絶えてしまった。
目を覚ますと、見慣れた天井があった。
体にはまだ少し熱が籠っていたが、それでもだいぶ抜けきっていた。
身体に優しい肌感触のものが当たり、そこで自分は今ベッドに寝かされていることを理解した。決して高級品ではなかったが、それでも寝心地は十分だった。
「アルマ、目が覚めたのね」
天井を眺めていると、優しい声の女性が近づいて来た。
どこか温かい、唯一無二を感じさせる存在。近づく人影の方を、首だけを回転させて確認した。
アルマと同じ髪色、瞳の色を持ったその人は優しく笑っていた。
自分はこの人を知っている。それは今のアルマにも断言できた。
「お母さん……どうして」
小さなアルマは悲しそうに母を見つめた。
そして彼女を慰めるようにアルマの母は頭を優しく撫でた。
「どうしてって……アルマが倒れたからでしょ。もう……今日は炎天下だから外には出ないようにって言ったのに……。本当に悪戯っ子さんね」
母は怒っていなかった。娘の無事に安心していた。
「ごめんなさい……」
可愛いアルマの声が空しく響く。
「これに懲りたらもうしないことね。分かった?」
「はい……」
そして母は立ち上がった。まだまだやらねばならないことがあるのだろう。
遠ざかる母の背中をアルマは寂しく眺めていた。手の届く場所に置いておきたい気持ちだった。
母が部屋の扉を開ける。すると、丁度その付近を誰かが通っていた。開かれた扉から中を垣間見るなり、指をさして大声を上げた。
「あーっ!」
アルマよりも少しだけ背の高い黒髪の少年だ。アルマを見るなり走って来た。
「姉ちゃん。起きたのかー!」
圧倒的に元気に満ち溢れた少年の無垢な笑顔がアルマを覗く。
目が合うと、ベッドのシーツが濡れた。
その原因は汗なんかではない。
アルマの顔からは涙が零れていた。
「アレ……ク?」
ぽっかりと空いた心の隙間が満たされた感覚だった。
「なんだよ姉ちゃん。俺の顔が別人に見えるか?」
アレクは顔を膨らませ、それを見たアルマは笑ってしまった。
「ぷっ……」
「良かった。元気そうならいいや」
「アレク! あんまりアルマに近づかないでね。風邪が移っちゃうわよ」
二人のやり取りを入り口で見ていた母が注意した。
「はーい……」
アレクは渋々納得し、部屋を去ろうとする。
そんな彼を見て、アルマはまた思ってしまった。このかけがえのない時間を失いたくないと。自分の手中に収めておきたいと。
「アレク!」
アルマは出せるだけの声で呼び止めた。不意に小さな手を伸ばしていた。
「ん……何?」
「……何でもない」
何も言えなかった。
言いたいことが浮かんでこなかったのだ。
仮に伝えたいことがあっても、それをうまくまとめることはできなかっただろう。
それでもアルマはアレクを呼び止めたかった。その一心で一声かけたのだ。
「何だよ……。まあいいや。早く風邪治してね」
アレクはそれだけ言い残すと、母と一緒に行ってしまった。
扉が閉まり再び独りになると、
「私、どうしちゃったんだろう……?」
アルマは夢を見ている気分だった。
状況の整理が追い付かないまま、彼女は目を瞑った。
2021/12/27 全体的に少し修正しました。




