Tale 5 赤狼の大群(5)
深紅の瞳の持ち主はゆっくりと前進し、二人の前に立ちはだかった。
その姿を見てアルマはさらに血相を変えた。
「あ、あいつは……クリムゾンウルフ! しかも、隻眼持ち……」
全長三メートルの巨大な狼は二人を威嚇している。
さらにアルマの言う通り、右目は潰れていてバツ印がついていた。
ライは聞きたいことがいくつかあった。まず、クリムゾンウルフとは何なのか。そして隻眼持ちとは何を意味するのかだ。
それを尋ねる前に、アルマが独りでに語り出した。
「クリムゾンウルフは突然変異で巨大化してしまったレッドウルフのことです。突然変異の原因は体内の魔力が増大したことだそうで、レッドウルフとは異なり魔術を使って来ます」
「隻眼っていうのは?」
「クリムゾンウルフは体が大きいこともあって、他の個体と共生できないのです。そのため、縄張り争いが頻発します。その結果生き残ったものが片目を失うことがあるのです」
クリムゾンウルフ同士が争った結果、目を失わない場合も、ましてや両目を失う場合だってあるだろう。
極論を言えば、誰かが故意的にその目を傷つけることも可能だ。
隻眼というのは強さを強調するためのレッテルに過ぎない。それも強い可能性があるという絶対ではない指標だ。
目の前の怪物に不要な先入観を抱かないよう、ライはそのことを念頭に置いた。
「つまり精鋭ってことか」
「はい。でもこんなところにいるなんて……。クリムゾンウルフの討伐となれば、ゴールドランク相当です。依頼内容からは外れるので、逃げても問題ないと思いますが……」
アルマはそう言って撤退を進める。
しかし、
「丁度良さそうな相手じゃないか! 俺はやるぜ。アルマはどうする?」
ライは乗り気だった。フォレストバイン以上の強敵である可能性も否定できないが、それが返って彼のやる気を触発していた。
相手が一体ならばアルマに気を配りながらも戦うことができそう。ライはその余裕からアルマに戦闘を提案した。
「私もお手伝いします!」
「いい返事だ。……行くぞ!」
二人は距離を詰めるため走り出した。
丁度良さそうな距離に辿り着くと、まずはライが数発射撃してみた。
今も走っているアルマの進路を妨げないように放たれた矢は、真っ直ぐ深紅の瞳を持つ巨大狼に向かっていく。
相手方はどっしりと構えている。闇雲に突っ込んでは来ないことから、知能レベルがレッドウルフよりも高いことは明らかだった。
巨大狼は遠吠えた。その後で、狼の顔を円形に囲むように赤い魔方陣が数個展開される。
その魔法陣からは先の火球が放たれた。それらは向かう矢を焼き払い、火の粉を散らした。
一方、火球はアルマの方にも飛んでいた。
アルマはその火球を剣で一発ずつ切り裂いていく。
(これくらいなら何とか……!)
火球の中心を捉えて剣を振れば、相殺が可能だった。
何回も何回も剣を振る。
しかしアルマの余裕も最初だけだった。火球を捌く度に小さな爆発が生じ、視界は不明瞭になっていった。
(くっ……)
アルマは完全に煙に包まれている。走るのをやめても視界が遮られているのなら、防御にも徹することができない。
故に走り続けるしかなかった。しかしそれでも視界が悪いのは一緒だ。
それが災いして、ついにアルマは火球をその体で受けてしまった。
アルマは体勢を崩し地面を転がる。何度も体を地面に打ち付け、擦り傷と火傷の跡が見えていた。
「アルマ!」
遠目で様子を窺っていたライの目にも、その姿は映っていた。
「大丈夫です。私はっ……!」
アルマは膝をつきながら咳払いをしていた。そして剣を地面に差して何とか立ち上がる。
クリムゾンウルフとアルマの距離はまだ遠かった。
しかし巨大狼は彼女との間を詰め始めた。強い者と弱い者、どちらから倒すかは明らかだった。
ライは急いで巨大狼を攻撃しようとした。
(ヤバい……!)
【雷の蒼球】で生成した雷球をただ一直線に向かわせる。
その結果、それらは弾かれた。
「なにっ!?」
巨大狼を守るように紫色の護法陣が合わせて展開されていた。
「防御系の魔術か!」
次にライは弓を絞って、天高く射出した。
(【百万の放射矢】ならどうだ!?)
アルマが近くにいることからあまり範囲を広げることはできなかったが、狼の上方から全体を狙ってしまえば守りも手狭になる。
そう判断したが、今度は障壁はドーム状に展開され、矢の一つも通さなかった。
「そ、そんな……!」
まさか攻撃一つも通らないとは、ライも思わなかった。
肝心の巨大狼はライが騒ぎ立てていた事にも気が付いていないとでも言いたげに、既にアルマの正面に立っていた。
「アルマ、逃げろ!」
アルマは逃げることができなかった。
狼の鋭い前足の餌食になりかけていた。
退けば裂かれる。そんな恐怖に彼女は掻き立てられ、前足を剣で何とか凌いでいた。
ライは分かっていた。小さいレッドウルフのパワーと同等の彼女が、それよりも強大な力に勝てるはずがないことを。
何とか巨大狼の意識をこちらに引きつけなくてはいけない。それを分かってはいるが、どれだけ攻撃を繰り返そうと結果は同じだった。
戦況が悪化するのはもう時間の問題だった。
巨大狼が体重を前足へかけると、アルマは体勢を崩してしまう。
「くっ……」
アルマは体勢を立て直したいが、どうしようもできない。最後に一矢報いようと、魔術をかける。
「【拘束】」
魔法の縄が巨大狼の前足を掬いながら縛り上げる。巨大狼は見事バランスを崩した……ように見えたが、それは一瞬だった。
拘束は一瞬で解けてしまい、狼は後ろ足でカウンターを放つ。
その一撃を腹に食らってしまったアルマ。巨大狼の爪が服を切り裂き、皮膚の一部は抉られていた。
宙を舞ったアルマはそのまま背中から地面に落ちた。
最後にはその衝撃で血を吐き、呻き声を上げた。
「アルマ!」
「ラ、ライ……」
アルマはライに向かって手を伸ばす。しかし二人の距離はその手が届かないくらいには離れている。ものの数秒で彼女の手は脱力し、地面にばたりと落ちてしまった。
「くそっ!」
ライは、相手がアルマよりも格上なのは承知の上で、彼女の成長のためならばと共闘を許した。
そんな自分を責めたいが、先にやるべきことがある。アルマが気を失った以上、時間をかけてはいられない。
アルマを今の状態にまで追いやった巨大狼はというと、まだ彼女の前に立ちはだかっていた。流石は隻眼種。息の根まで止めなければ、安心はできないということだろう。
最後の一撃を食らわせるべく、大きく前足を振りかぶった。
「お前の相手は俺だ!」
ありったけの魔力で生成した光の矢を放った。
その勢いが障壁に阻まれながらも少しは伝わったのだろうか、クリムゾンウルフは向きを変えて駆けて来る。
ライはその突進を間一髪で躱した。
(あぶなぁっ!?)
体勢をすぐ立て直すも、
「【双対の破壊矢】!」
二本に分岐した矢は障壁に打ち払われた。
ライはすぐさま距離を取り直す。
(前衛相手には魔法主軸の遠距離戦で、後衛相手には物理主軸の近距離戦ってか? 戦闘スタイル最悪すぎだろ)
まるでゲームで対人戦をしているような気分だ。
「全部壊して終わらせてやる!」
障壁が頭にちらついたが、それを破壊できるだけの強攻撃を繰り出せば問題はない。狼の注意を引けたということは、そういうことだった。
ライの手元が光り、【雷の蒼球】で生成した雷球が現れた。それを握りつぶすように拳を丸める。
すると彼の右手全体に雷が纏った。
その手で矢に触れると、矢に雷が遷移した。
バチバチに弾ける矢を放つと、それは丁度軸合わせを終えた巨大狼目掛けて進んでいった。
ところが、その矢はクリムゾンウルフには届かなかった。
矢が途中で破裂してしまったのだ。
「なっ……!?」
ライは自分の魔術が不発だったと思い込んでいた。しかし矢筒に手をかけたところで思い出した。
今ライが撃った矢はフェイズがお試しでくれた、黒煌鉄を使っていない矢だったのだ。つまりは矢が魔力干渉に耐えられずに破裂してしまったわけだ。
「あの時のやつかっ! くじ運悪すぎだろ!」
悔やんでいる時にはもう遅かった。クリムゾンウルフは既に眼前まで迫って来ていた。もう回避は間に合わない。
「一か八か、やるしかない!」
ライは矢筒からもう一度矢を取り出す。今度はしっかりと黒煌鉄製の矢だ。
「いっけぇーっ!」
急いで同じ工程を踏んで、再度矢を放つ。
気合十分に叫んで放たれた矢は急激に雷を蓄積し、ほぼゼロ距離のクリムゾンウルフに突き刺さりかけた。予想通り、狼の頭部の前方に奇妙な紫の障壁が現れ、雷の矢を受け止めていた。
「頼む! いってくれ……!」
ライはこの一瞬の残り時間で祈ることしかできなかった。
その祈りが届いたのか、纏う雷は次第に色濃く輝き、障壁を貫通した。
激しい蒼白い雷撃は矢から狼の巨体全体に移っていく。この時点で既に動く力を失っていたクリムゾンウルフは、遠吠えにも似た悲鳴を上げていた。
やがて矢に込めた魔力全てが消費されると雷撃も収まった。その頃には巨大狼は焦がされ尽くしていた。
「はぁ……。危ない所だった」
緊張から解放され落ち着こうとしたライだったが、大事なことを思い出す。
「アルマ!」
お手柄だろうが、目の前の狼はどうでもよくなった。
致命傷を負っているアルマの方へと走った。
「大丈夫か!?」
声をかけては見るものの、返事はなかった。体からは血が流れていて、酷く発熱していた。
「ごめん、俺がおごってたばっかりに……。まだ脈はある」
ライは安堵するが、放置していれば死んでしまうのも時間の問題だった。
自分の身に着けていたスカーフで止血を始める。だが流血場所は腹部だったため、スカーフなんかでは縛るのにはサイズが小さすぎかつ、生地が薄すぎた。だから止血はそこで諦めた。
「そうだ……。ポーション!」
ライはアルマのポーチの中を探り、薄緑色の薬瓶を取り出した。
しかし相手は意識のない人間。ポーションを安全に飲ませることは不可能だった。
それに生命力の補充はポーションでは間に合わないだろう。
「肺に流れるといけないよな……」
ライは悔しそうにポーションを見つめ、それを元の場所に戻した。
結局、ライがこの場で施せる応急処置はなかった。
彼はアルマを担いだ。
アルマの体が弓とぶつかり合って運びづらいが、そんなことを言ってる場合ではない。
ライはできる限りのスピードで、グリュトシルデの街へと帰還を目指した。
2021/12/24 戦闘シーンの一部に変更を加えました。




