願うのはただ一つの永遠
『カラン、カラン。』
カウベルの音を響かせ店内へ足を踏み入れる。
いつもの席。いつもの珈琲。
他の席と比べ幾らか薄暗いその場所は、あまり人気がないのか常に空いていた。腰を降ろしたタイミングで、低く穏やかな声がお決まりの台詞を告げる。
「今日は何にしますか?」
「サンドウィッチを。」
いつも同じメニューしか頼まないのに、店主は律儀に尋ね、僕も同じく返して短い会話は終わる。
程なく運ばれて来たモーニングセット。僕はいつもの癖で、薬指のリングに触れながらぼんやりとしていたらしい。
「あの……。」と控えめに落とされた声に、ハッとして机上に投げ出していた手を膝の上に退ける。
「すみません、ぼんやりしていて。」
「いいえ。」
店主はサンドウィッチの盛られた皿と珈琲カップを僕の前に並べると、カウンターの向こうへ引き返しかけ、足を止めた。
「今日は、お仕事はお休みなんですか?」
向けられた疑問は分かりやすく、僕も気軽な気持ちで「ええ。」と答える。いつも出勤前に立ち寄る喫茶店。それが、いつもより遅い時間に、平日にも関わらずラフな格好で訪れたから。不思議に思う気持ちは分かるような気がした。
「ご結婚されていたんですね?」
そんな些事まで指摘されるとは思わず、僕は苦笑する。
「すみません。不躾でした。」
「いえ。……結婚はしていないんですよ。」
プライベートな時間にしか身に付けない指輪を指先で弄びながら、誰にも言ったことのない話をする。そんな心境に陥る自分を、僕は自覚していた。
「恋人に先立たれまして、これはその形見なんです。」
そう言いながら、向かい合わせた空席に置いた、白と青とで構成された抑えた色調の花束に目配せする。
「今日は命日なので、これから墓参りに……会いに行くんです。」
店主は沈黙し、カップに手を伸ばした僕に会話の終わりを察して自らの役割へと戻って行った。
勘の良いひとのようだから、指輪を共有出来る恋人が同性なのも理解した事だろう。それでもいい、と思った。
軽めの朝食を済ませ、花束を手にレジへと向かう。いつもアルバイトの女性が立つその場所には、珍しく店主そのひとが待ち受けていた。
モーニング代はワンコイン。僕はいつものように小銭入れから五百円硬貨を取り出すと、革製のキャッシュトレイに置く。その上に重ねられた店主の手の温もりや意味に、心臓を冷たい指で撫でられたような気がした。その感覚――。
何か言いかけた彼を眼差しで黙らせ、「もう来ません。」と、何ひとつ変わらぬ表情で告げると、レシートも受け取らず店を後にした。
『カラン、カラン。』
カウベルの音が僕を見送る
駐車場に向かう道をひとり歩きながら、形見の指輪にくちづける。
幸福な記憶が僕の全身を甘やかに包み込み、不安は彼方へと消え失せた。
願うはただひとつの永遠。
君との約束。
初出 2018.05.16 Twitter