9. 吸血鬼の食糧事情
「イタダキマァース」
「うわあああぁぁぁ~っ! 」
俺は思わず、力いっぱい彼女を押し飛ばしてしまった。
ザアァーッとレインコートは音を立て、彼女は静止すると、顔を打つ向いてしまった。
「イ、イタタ……」
彼女が、悲痛の声を上げる。
「ご、ごめん。つい」
その後は、俺は何と声をかけたらいいか、わからなくなってしまった。
「ふ、ふええ……あんまりだ、あぁんまりだよぉ! 」
彼女は顔を上げず、泣きだしてしまった。
「私だって、私だって、好きでこんなことしてるわけじゃないのに。それでも、血を見たりすると衝動が来て、しょうがないだけなのに」
「ごめん! そうだね、本当にごめん! 」
「あ~あ、泣~かした。いけないんだ~」
「うむ、とっさとはいえ、今のはいただけないな。少年」
2人が駆け寄ってくる。
「本当にごめん、もうしないよ」
「……本当? 」
彼女が、顔を上げる。
「本当だよ」
俺は、彼女に手を差し出す。彼女がにこりと笑う。
「ありがとう、やさしいんだね」
俺も笑顔を返す。仲直りの握手だ。
「じゃあ、イタダキマァ~ス」
「うわあああぁぁぁ~っ! 」
豹変した彼女が、腕を抑え、首にむかってゾンビのように噛みついてくる。
「ちょっと、アンタ……なにどさくさに紛れてんのよ! それはあたしの血だ」
桃さんが日間さんを、後ろから羽交い絞めにする。
いや、桃さんのじゃないし。
「いいや! それは私の血だ。少年よ、共に大学受験に燃えようではないか! 」
俺関係ないし、甲子園球児か。
「いいえ! 陽当くんは私の運命の人なの! 今年も同じ席なの! 私の輸血袋よ! 血いぃをヨ! コ! セえェ……」
あ、もう正気をお保ちでない。一番ひどいな、このコ。
3人はギャアギャア騒いでいるが、ここで逃げ出そうものなら、3人に一斉に襲われそうだ。
「あの、事情は分かったんで、文明人同し、話でもしません? 俺の体1個しかないし、その1個を食べ尽くすわけにもいかないですよね? 」
「……、それもそうだな」
桃さんがピタリと止まる。
「うむ。少年の言うとおりだな。ここは一つ、アゴを割って話そうではないか」
あごは割らなくていいし、腹割る必要なく、本性も本能もムキ出しだし。
「私の、輸血袋になってくれるよね? 隣の席君」
このコ一番ヤバいな。
まずは何を話したらいいものか、ふーッとため息をついた。
とにかく、もう疲れてさっさと帰りたかった。できれば関わりたくなかった。
「あの……」
口を開いた瞬間、桃さんが割って入ってきた。
「よし! 良くん、アタシの物になりなさい」
「はい? 」
「アタシはこの3人の中で一番優秀だ。魔物退治、日常生活、その他望みの物ならなんだって叶えてあげられる。例えば、ほら……」
……桃さんが俺の腕をとり、両胸を押さえつけてくる。
「こういうことも、ね? 」
(確かに……この3人の中じゃ一番まともだよな。一番いい匂いするし……)
「はい、誘惑禁止! 」
師之神さんが手をパン! と叩く。
「ハッ、僕は何を」
「てめぇ……」
「相変わらず、ワンパターンだな、桃よ」
「じゃあ、あんたは何ができるってんだい? 」
「うむ、少年よ。私は家具から家電までおなじみの、師之神グループの御曹司だ」
「3男でボンクラだけどな」
「桃、話の腰を折るでない。自分で言うのも何だが、イケメンだ。雑誌モデルもやっている。その私にも欠点がある。が、それは血で補えるのだ。その顔を立ててくれるならば、将来相応の地位を約束しよう」
「その、雑誌モデルっていうのは? 」
「フム、これだ」
どこから取り出したのか、ファッション雑誌にしおりがあり、隅のページの赤丸を指す。
「ん~……? 」
俺はそれを細目で確認し、ため息をついた。
「ん? どうした? サインが欲しくなったか? 」
「ええ、とっても」
「信矢さんが出世するのに、何十年かかるのよ。最後は私の番ね、陽当くん! 」
「……」
みんな迷惑そうな顔で見ている。
「さっさと終わらせろよ~、真昼ぅ」
「黙って血ぃよこせ~は、もうなしだからな」
疲れ顔で2人は書店の壁を背にして、その場にしゃがみ込んだ。俺も、2人に続いて同じ目で見上げた。
「2人は黙ってて! 陽当くん。確かに、私はあなたにできることはないわ」
「ほらな」
「いいから、黙って聞いて。でもね、3年隣の席ってすごいことだと思うの……」
「すごいか? 」
「さあ」
2人は呆れ顔だ。
「これって運命だと思うの。これから1年間、同じクラスで過ごすのに、一方が学校に来るのさえ苦しみ、かたや一方は健康で暮らすっていうのがあっていいと思う? それって、不公平だと」
「思わないです」
「2人で分かち合う気は? 」
「ないです」
「もう、それくらいでいいでしょう。そもそも、その美血って何なんですか? そんなにいないものなんですか? 」
「うむ、少年よ。美血とは、どの時代でもそれだけ珍しいのだ」
「何でです? 」
「昔は人類が食糧困難だったろ? 栄養状態が悪くて、吸血鬼にとっても粗悪で、深刻な事態だったんだよ」
「ダーウィンの進化論て知ってる? 日本じゃまともに習わないけど」
俺は首をかしげた。俺の成績は……ご覧のとおりだった。
「要するに長い首をもったキリンが今生きているのは、環境に適応したんじゃなくて、そういう種類のキリンが残ったって考え方よ」
「じゃあ、今生きてる吸血鬼は、飢餓時代の粗悪な血液で残った種類ってこと?」
「そういうことだ。だが、今は飢餓時代じゃない。少なくとも、日本ではな。飽食という逆が起きてしまったのだ」
「じゃあ、飽食の吸血鬼が生き残ればいいだけですね」
「少年。それは人権、いや、吸血鬼権侵害だぞ」
「良くんの言いたいことも分かるよ。でも、その2つも違うんだよ。要するに飢餓時代の血は栄養価が低く、飽食時代の血は余計な成分が多いわけ。アタシたちも吸血鬼って言っても、血は薄いからね。人間とほぼ変わりない。そもそも、最初の吸血鬼もどのくらいの物なのか不明だ。極端な話、脂肪分やアルコールが高ければ、ダイレクトに影響を受けるわけ」
「血管も詰まるし、酔っぱらいもするってことですね」
「そうなの。で、最終的に行きつくのが健康な血を得るってことだけど、近年のチェックでは、その全ての基準を満たすのは稀で、それを美血と呼ぶの」
「そう。私達吸血鬼は、健康な人間が減って食糧困難なの! 」
3人が口々に言う。
何だこの人達? 毎回こうやって勧誘してるのかな?
「とにかく、朝に僕の首かんだよね? その時は気づかなかったの? 」
「あれくらいじゃわからないわ。水筒も、輸血用の血液よ」
「効果は? 」
「加工食品と同じくらいね。とてもじゃないけど、日中活動するには足りないわ」
「ハアーァ、話は一通り済んだけど、どうする? 今日はもう出ないと思うけど、アタシ達はまだ見回りがあるし」
桃さんが準備運動を始めている。
「うむ。随分長い時間が経ってしまった。私も、銀の杭の回収もせねばなるまい」
信矢さんが持ち物をチェックしている。
「それじゃあ、今日はここで解散ね」
日間さんがパタパタとレインコートの汚れを払っている。
みんながお開きモードになっている。
「あの……」
「ん? 何か? 返事はすぐじゃなくていいから」
「いえ、何で協力することが前提なのかわからないんですけど、結構遠くまで来てしまって、僕はどうしたら……」
「解散! 」
……この後、全力疾走で家に帰った。