3. 逃げたい背中
「なんかごめんねぇ~。恥ずかしかったでしょ~? 」
「いいよ、このくらい。まあ、恥ずかしかったけど」
俺は、日間さんに肩を貸しながら保健室を目指した。
教室を出て行く時に、階下先生が「変なことするなよ」
なんて余計なことを言うから、思わぬ恥をかいた。
俺の中で、何か音を立てて階下先生に対する信頼度が下がった気がする。
「本当に、だいじょうぶ? 」
声をかけるも、彼女はぐったりした様子でかろうじて歩いている。
何か、今年の親戚の集まりで何て言う名前だったか、酔いつぶれた
おじさんを思い出していた。
保健室まで、案外道のりがある。
まず、校舎が違う。別棟目指して、3年の校舎は3階で階段も下りないと
いけない。外廊下も道のりが長い。
校舎の1F最奥から順に校長・来客室・総合職員室・そして保健室である。
入り口左手に美術室・準備室、入口正面が階段、トイレ、保健室である。
「ゴメン、どっかで一休み……」
力なく、日間さんが言った。
と言っても、一休みできそうな場所なんてない。
校舎の入り口か、美術室か、階段しかなかった。
ふぅ――、大きく息を吐いて、覚悟を決めた。
「日間さん」
「ハイ」
「今休めるところないから、準備室前まで行こう」
「ムリ」
もう一度、大きく息を吐いた。周りに誰もいないのを確かめる。
「おんぶする」
「ムリ」
「ですよね」
「うん、恥ずかしい」
「大丈夫、今は誰も見てないよ」
「そう、誰も見てないの……しょうがないね。変なことしたら……」
「うん。明日から学校に来れなくなるね」
「うん」
妙な沈黙と、緊張が襲う……俺は大きく息を吐き、しゃがんだ。
背中に、彼女が体を預けた。
「う……」
思わず、声がもれてしまった。
「重かった? 」
「いや、全然。むしろ、心構えより軽くて。
おんぶなんてろくにしたことなくて」
しどろもどろながら、いたって平静を装う。
「そう。あ」
「アイタ! 」
「ゴメン、歯が当たっちゃった……私も、おんぶなんてされるの初めてで」
「いいよ、大丈夫」
初めて異性をおんぶしたが、あまりいいものではなかった。
歯が当たったとかではない。俺は、彼女が体重を預ける瞬間、
なぜか親戚の集まりの――あの酒臭いおじさんの介抱をした記憶を
思い出していた。どうも、あのことが強烈に印象に残っているらしい。
無論――彼女には、言わないことにした。
「走るよ、ちょっとガマンしてね」
「ゆらさないでね。ゆらすと、出ちゃうかも」
「ヒエッ」
背筋に悪寒が走った。
と言っても、ゆっくりしてもいられないから、一気に行くことにした。
10、20……何歩走っただろうか? 全然スピードが出ない。
息を大きく吸い込み、止めて足に集中させるも、思っているほど進まない。
わずか10秒も経たないうちに、足がガクガクだ。
ハッ! ハッ! ハハ! ハファフ!!
何か、犬のように走っている。いや、そんなにかわいいもんではない。
何か変な笑い声も溢れた、必死で気持ち悪い息遣いだった。
陽射しがやや強いだけで涼しいはずなのに、シャツと肌の隙間には、
嫌な汗が流れてくる。多分、背中に接している彼女は、もっと心地悪いに
違いない。
「アイタ! 」
「ゴメン、また歯が当たっちゃった」
「…………」
2度目だった、揺らし過ぎた物理的な、はたまた彼女の抗議か。
彼女は、うぅっとうめき声のようなものをあげたが、その後は何も
言わなかった。
無事、目的地に着き、階段に座らせてあげる。
「とりあえず、ここで少し様子を見ようか」
足も心臓もガクガクだ。必死で息を殺す。背中も確認しておく。
よかった、嘔吐はしていないようだ。
「うん、ありがとう」
彼女は、目を開けるのもしんどそうにしていた。
俺は、手で自分の首を拭いた。少し、血がついた。
1度座ったら立てないだろうな――と思いつつも、彼女の隣に座った。
「ゴメンね。いつもこうなの。私、虚弱体質でさ、朝とか苦手なの」
彼女は、顔をもたげている。
「いいよ、このくらい。困った時はお互いさまだよ」
……とはいえ、このままよくならないと保健室までどうしようか?
保健の先生を呼んで、担架で手伝ってもらうか。
彼女が、何かもぞもぞ探し物をしている。
何か、舌打ちみたいなものが聞こえた。
「水筒持ってくるの忘れちゃった。カバンの中だった」
何か怒ったような、低いトーンだった。そのトーンに、何か好感を持った。
「持ってこようか? 」
「ううん、後でいい」
彼女は、何やら独り言を言っているようだったが、全く聞こえなかった。
「ちょっと、話いい? 」
彼女が話しかけてきた。
「うん」
「柊さんって、去年、いたじゃん? 不登校の。あのコも、朝苦手なんだって」
「いるよね、たまに。僕の友達の佐久間って知ってる? 」
「うん。さっくーって呼ばれてる子でしょ? 卓球部の」
「そう、さっくーが同学年の内山ってのと友達らしいんだけど、
不登校で見たことないんだよね。やっぱり、不登校の理由が朝苦手だからとか、
夜遅くまで起きてるからとか、そういう理由らしいんだよね」
「うちの学年の、不登校数しってる? 」
「10人くらい?」
「ううん、6人。私もさ、朝つらいと学校来たくなくてさ~。
でも、将来の進路的には、来た方がいいじゃん? 」
「何か、やりたい夢でも? 」
「そういうわけじゃないんだけどね、私、頭悪いしさ~。
とりあえず商業高校に入ってればいいか、って感じなんだよね」
「進路の悩みってやつ? 」
「うん、そうなるかな~。それで、せめて自由研究とかさ、
ああいう特技で推薦でもねらえるかな~って」
「ああ、なるほど。何か協力できることがあったら、協力するよ」
「本当? 」
「うん、保健委員だし。僕も成績よくないけどさ、頭使うのは無理だけど、
調べ物くらいは手伝えるよ」
「本当? やっぱり、持つべきものは隣の席だよね~。
ハァー、少し気分が良くなってきた。早速、お願いがあるんだけど」
「うん? 」
「保健室まで連れて行ってもらえると、うれしいな」
「うん……」
「それからね? 」
「うん? まだほかにも? 」
「水筒持ってきてほしいな。カバンごとお願い」
「……ごめん、もう無理。動けない」
「……変なことされたって、言っちゃうよ? 」
「いや、もう僕の背中もさ……ほら、外れて逃げたがってるんだ」
……俺は、昔、シャツの中に手を入れて「腹からエイリアン」と
同じ要領で、ビヨンビヨンと背中からシャツを押し出していた。
「……陽当くん? 」
「良好です」
「寒いから」
「スミマセン」
俺は、必死で2度と立ち上がれないであろうと思った足腰で
立ち上がり、彼女を保健室に送り、その後カバンも届けに行った。