2. 隣の席の貧血さん
チャイムが鳴った。まだ、担任の先生は来ないようだ。
「ねぇねぇ、この教室の新しい先生って、誰かな? 」
日間さんが話しかけてきた。まともな会話で安心した。
「さぁ、この先生がいいっていうのはある? 」
「私は、国語の雪原先生かな。宿題出さないし、優しいし」
「なるほど。僕は理科の緑先生が良かったかな。今いないけど」
「ミスター・グリンか。人気あったもんね。マンガとか詳しかったし」
「お子さんいたから、一緒に楽しんでるって……」
そんな話をしていると、先生が入室してきた。技術の、階下先生だった。
「階下先生だったね」
「うん」
教卓に立つと、何やらプリントやらを整えている。こちらに目を向けた。
「ちょっと遅れて来てすみません。
まずはあいさつから始めますので、ちょっと静かにしてください。
では、おはようございます」
「おはようございます」
「じゃあ、早速、第1回目のホームルームということでね、
まずは先生の自己紹介から。もう知ってると思うけど、
階下年之です。先生の担当科目は技術。
そのため、皆さんとは科目では少ししか接する時間はありませんが、
その代わりに他の時間はたくさん作れると思うので、
クラスみんなと仲良くなれたらいいなと思っています。
え~、中学3年を受け持つということで、今年は高校進学の大事な
時期ということで、しっかりその方面のサポート、それから、他のことでも
相談、何でもしてください。
それじゃあ、今年1年、よろしくお願いします。
先生の紹介は以上で、廊下側から順に、自己紹介お願いします。
名前と、今年の簡単な目標……がいいかな。部活を頑張るとか、
何でもいいです。
早寝早起き頑張るとか、遅刻しないとか、忘れ物しないとか。
本当に何でもいいので、じゃあ、廊下の席から順にお願いします」
(頑張ることか、何かあったかな? )
「はい、波多田君ありがとう。今年の目標が海に行って思いっきり
日焼けをするということで……先生も去年海に行ったんだけど、
潮焼けで皮はむけるし、痛いわって思いをしました。
頑張って、皮がむけないように……ん? どうしたの? 日間さん? 」
「いぃ~……」
日間さんが両手を頭でいや、ハンカチを広げ両手で頭を抑えて、
いぃ~……とか言っている。
「ごめんなさい、カーテンを……」
「ああ、まぶしかったのね。てっきり、先生の話が長くて
聞きたくないかと……じゃあ、前の西脇さん。ちょっと悪いんだけど、
カーテン閉めたげて。後ろは、先生が閉めようか」
サアァ――ッとカーテンが閉まる。
「大丈夫? 」
西脇さんが、声をかける。
「うん、目が痛んだだけだから。ありがとう、もう大丈夫」
大きく息を吐きながら、彼女が顔を上げる。
「もうダメかと思った……」
彼女が、小声でつぶやいた。
「そうか、気分が悪くなったりしたらすぐに言えよ。じゃあ、次、
陽当くん。陽当良好くん」
「ハイ」
席を立つと、目が合った先生が、何か肩を揺らしている。
「ごめん、ちょっといい?」
「ハイ? 」
「いや、本当にくだらないんだけど、ついさっきまで曇ってたのに偶然、
いま陽当良好でツボに入ってしまって、ハッハッハ! 」
腹から声を出して笑い始めた。
先生につられて、何かクラスも大笑いしている。
……毎年のことだった。毎年、晴れてようと曇ってようと、必ず名前で
ツッコまれていた。クソゥ、こんな目立ち方はしたくなかった。
「ごめん。もう、名前はいいよね。今年の目標は? 」
スッキリした笑顔だ。
「去年、一昨年夏休みの自由研究で入賞したので、今年も入賞したいです」
「あ、そうだ! 君、入賞してたね。じゃあ、次も表彰されるようにハイ、拍手~!」
……なんだろう? このごまかされたような拍手は。
……日間さんの番になった。
「あ~、ムリして立たなくていいぞ、座ったままで」
先生が気を遣う。
「ハイ、日間真昼です。名前は真昼なのに、朝から心配をおかけしました。
目標は、この虚弱体質を改善することです。頑張りたいです、頑張りマス、ハイ」
「はい、よく頑張りました。拍手~! 」
だんだん先生が雑になってくるように感じるのは、気のせいだろうか?
ふと、先生が止まった。
「日間さん、ちょっといい? 確か、日間さんも夏休みの自由研究で
入賞してたよね」
「ハイ」
「何だっけ?」
「吸血鬼の文化研究デス」
「あ~、そうそう、それそれ! きっかけは? 」
「家が造血関係の仕事デシテ、それで……私は年中貧血ですケド」
日間さんはうつぶせになって答えた。
(……造血関係? 製薬会社とかかな? 日間さんてわりとお嬢さんだったのか?
貧血か……鉄分不足とかかな? 体質的に結合しにくいとか)
そんなことが、脳裏に浮かぶ。
「陽当くん、君のは何だっけ? 」
「 ? セルフケア・マネジメントですけど」
「だったよね。そう、先生それ覚えてる! 先生もメタボだからさ。
それでダイエットしようと思ってさ、記憶にすごく残ってる。
去年、海に行って泳いだけど、焼けるばっかで、ウエストも4cm増えちゃってさ。
自由研究が夏休みの前にあったらって思ったもん」
……どういう理由だ。
先生がお腹をつかんで見せる。クラスの人達はそれを見て笑っている。
「日間さん、ちょうどよく隣の席にいたね。虚弱体質、治るかもよ」
「よろしくオネガイシマス」
……なんだこれ? どういう状況だ。
「と、いうわけで陽当くんは保健係に決定! はい、拍手~! 」
先生が笑っている。クラスで笑い声と拍手が送られている。
「じゃあ、陽当くん。早速で悪いけど、保健委員、最初の仕事! 」
……あぁ、もう、なんか全部わかった気がする。
「日間さんを保健室に連れて行ってあげてください」
俺は、一気に階下先生に対する信頼を失った……気がした。