異世界生まれの幼なじみとの異世界旅行に行ってきました
--------建ち並ぶ住宅街。そびえ立つ高層ビル、マンション。行き交う車、バイク、人、人、人……
都会……現代社会は今やコンピューター、機械なしには成り立たない世界となっていた。インターネット社会と言われる今日、ネットがなくなってしまえば世界が混乱してしまうだろう。
野生の動物すらも日々の生活ではあまり見かけなくなり、目にする生き物といえば人、人、人。ひたすら人に便利な社会……それが、彼の日常。いや人々の、日常。
この社会の中で身を流されるままに、子供ならば学校へ通いだんだんと成長し、やがて大人になって仕事をして、家庭を持ち……人生を終える。
--------ただそれだけの世界は、つまらない。
そう思うからこそ人は、娯楽に没頭する。友達と遊ぶ。趣味を見つける。本の世界に入り込む。現実で楽しみが少ないから非現実的なことを自身の楽しみに、日々を過ごしている。
非現実的な物語を読み、聞き、想像する。いつしか自分もそんな体験をしてみたいと些細な憧れを持ちつつも、それはフィクションだと諦めてしまう。
だが、もしもそれが現実となったら……果たして、どうするだろうか? そんな夢みたいな非日常、一度は味わってみたいというのが人の性ではないだろうか。
--------もしそれが本当に叶うとしたら……人は非日常に身を投げ込むのか、それとも日常へと戻りたがるのか。
さて……そびえ立つ建物、行き交う機体、数えるのも面倒になるほどの歩き行く人々。本来ならばあって当然なはずのそれらは、今この場には何一つとしてない。
現代社会にあるべき近代的な要素はなく、見渡す限りの草原。生え揃う木々、整備などされていない道、まるで物語の中のような景色……これらは現代にいてはまず見られないものだ。
ここは都会ではない。ましてや限りないほどの田舎でもない。わざわざ自分から遠出などしないし、したとしてもこんな殺風景なところに来ようとは思わない。ならばここはどこだというのか?
--------そう、ここは……
「……来てしまったな、異世界」
ここは、現代社会ではない。ここは、人々が求めるフィクションのうちの一つ……自分達のいる世界とは異なる世界、いわゆる『異世界』。主に、娯楽としてラノベとかによく登場するアレだ。
ちなみにこれは夢でもなければ妄想でもない。体に感じるこの風も、踏みしめる土も、天に青々と広がる空も……すべてが本物である。
これは、夢見ていた異世界というフィクションの世界に、足を踏み入れることを成功させるに至った少年の物語。
そして……
「さて、と……これから、どうしようか」
「そだねー、どうしよーねー」
異世界の土地へと足を踏み入れ、その世界から元の世界へ帰れなくなってしまった彼、真夜中 百鬼が元の世界へ帰るための手段を見つける旅をする物語。
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……始まりは、ずいぶんと時を遡る。一ヶ月は経っていないと思うが……少なくとも彼、百鬼にとっては時間を忘れるほどに衝撃的な出来事だった。
百鬼は、その日もいつも通りの日常を過ごしていた。一軒家が建ち並ぶその中の一つ……百鬼が住む家の中、そこに百鬼に与えられた部屋がある。
「ふぁーあ……眠い。……おやすみなさい」
おやすみなさいと言うが、今はもちろん夜ではない。カーテンから射し込む光、窓の隙間から入り込む涼しげな風、僅かに聞こえる小鳥のさえずり。
それらは気持ちのいい朝にふさわしい情景で……だからだろうか、百鬼を再びの睡魔に誘うのに最適な状態でもあった。
ベッドから起き上がり、大きなあくび。そして時間を確認することもなく、本能に従うままに再び就寝へと至り……
「こらぁ、起きろぉひゃっきー!」
「おう!?」
……残念ながらそれは叶わない。寝起きにはつらい、きんと耳の奥から頭に響く高い声とともに、腹に衝撃。仰向けに寝ていたため、何かを腹に振り下ろされたらしい。
痛い、わけではない。いやうそ、ちょっと痛い。が、どちらかといえば柔らかに分類される衝撃だ。それが衝突したため、その勢いでとっさに変な声が出てしまっただけだ。
眠りかけていた頭は無理やり覚醒させられ、恨めしげな表情を浮かべ、衝撃を与えた人物へと視線を送る。
「おいおい、人がせっかく気持ちよく二度寝しようとしてたのになに邪魔してんだよ、咲良」
「二度寝しようとしてたから邪魔したんだよこのあんぽんたん」
睡眠を妨げられ、黒髪を揺らしながら百鬼は不機嫌そうに起き上がる。目を擦り、重いまぶたを開く動作だ。
百鬼が眠っていたベッド。その側に立つのは腰に手を当て、柔らかそうな頬をぷくっと膨らませさらに柔らかそうにさせた少女だ。開いた窓から吹き抜ける風に揺れる白髪は、思わず目を引くほどに美しい。
腰まで伸びた白髪は、染めているわけでも色がなくなってしまったわけでもない。生まれつきの、れっきとした地毛だ。
その肌は一般的な人よりも白く、全体的に色素が薄い。それだけで大人びた雰囲気を出しながらも、彼女の口調がどこか子供っぽさを思わせる。
「もぅ、たまには早く起きようって思わないの?」
まるで百鬼のお母さんのように甲斐甲斐しく告げる少女。全体的にスレンダーなその体は同性から羨ましがられる。女性として細身の容姿は望ましいとのことなのだが、本人としてはあまり嬉しくない。
もちろん細身の体に不満があるわけではない。あるのは……スレンダーな体型が原因か否か、女の子としての主張が現れるはずの胸が、起伏が少なく乏しいのが悩みだ。
いわゆる、年齢に反比例して胸が小さい……それが少女の、年頃の女の子としての悩みだ。
「仕方ねーだろ、咲良。お布団気持ちいいんだもん」
「その気持ちはわかるけど、仕方なくはないからね」
やれやれと起き上がる百鬼は目の前の少女……海星 咲良を見つめ、言う。彼女は、百鬼の幼なじみである。そんな彼女が、なぜ朝早くから百鬼の寝ている部屋にいるかというと……
「咲良姉ー、お兄起きたぁ?」
「あ、沙耶ちゃん」
……二人のいる部屋に、新たな訪問者。ドアをノックすることもなく部屋に入ってくるのは、茶髪をお団子のように丸めた女の子。お団子は二つあり、猫の耳のように両サイドに作ってある。
百鬼をお兄と呼ぶこの女の子は、百鬼の妹、真夜中 沙耶だ。沙耶は百鬼を見たあと軽くため息を漏らし、続いて咲良に視線を向ける。
「毎朝ごめんね咲良姉。この寝坊助バカ兄の面倒見てもらって」
「ううん、むしろこの家に住まわせて貰ってるんだから、私が出来ることならなんでもするよっ」
「おいバカとはなんだバカとは。あと年頃の娘がなんでもとか言うんじゃありません」
「うわっ、スケベ変態アニキ……」
「なんでさ!」
制服姿の女子達の会話というものはなんとも心が和む光景である。制服といっても二人の着ているものは別物であり、さらに沙耶は制服の上にエプロンを着用している。料理中だったのか、手にはお玉を持っている。
エプロンの中にある制服は、中学用のもの。そして咲良が着ている制服は高校用のものだ。これはコスプレとかではなく、単純に彼女らが通っている学校指定のもの。
そして咲良と同じ高校に通う百鬼も、同じく高校指定の制服を着ることになる。そして咲良が起こしに来たということは……そろそろ着替えないと間に合わないということだ。
「はぁ。ったく……バカはバカでしょー、毎朝毎朝何度も何度も咲良姉に起こしてもらって、少しは恥ずかしいとか思わないの? だいたいお兄はいつもいつも……」
「わかったわかった、気を付けるから! ほら、着替えるから出てけっての」
沙耶の小言を聞きたくないと言わんばかりに、あからさまに話題をそらす。沙耶もそれに気がついてはいるが、着替えを言い訳にされては出ていかないわけにもいかない。
彼女に、兄の着替えを覗く趣味はない。
「じゃ、さっさと済ましてよね」
「はいはい」
「ひゃっきー、早くしないとひゃっきの分まで食べちゃうからね、朝ごはん!」
「はいはい」
部屋を出る二人にしっしっ、と手を振りながら見送る。さすがに、このまま寝てしまうという選択肢はないため……仕方ないかと、ベッドから立ち上がり、制服へと着替えを開始していく。
ちなみに……先ほどから咲良が百鬼を『なきり』ではなく『ひゃっき』と呼ぶのは、あだ名のようなものだ。単純な話、百鬼をひゃっきとした方がわかりやすい、とのことだった。
「お、来た来たー」
「もー、遅い」
……制服へと着替え、荷物を持ってリビングへと下りると……そこには、料理の皿を前におとなしく座っている咲良と沙耶。その様子を見るに、どうやら百鬼のことを待っていたようだが……
「なんだ、先に食べてりゃよかったのに」
わざわざ待ってくれなくても……そう思っての発言は、
「はぁ……」
あきれ果てた沙耶のため息によって返された。なんだというのだろう。
「わかってないなぁバカ兄は」
「なにをぅ?」
「お兄が下りてくるまで食べない~って誰かさんの気持ちもわかんないかなぁ。んで、その誰かさんを差し置いて私だけ食べるわけにもいかないし」
「さ、沙耶ちゃんっ」
やれやれ、と首を振る沙耶が言うことを要約すると……どうやら百鬼が来るまで食べないと咲良は待つことにして、そして咲良を差し置いて食べるわけにいかないために沙耶も待っていた、と。
「そっか、悪い。じゃあもうちょい待っててくれ」
「あぁぅう……」
待たせていたのなら、それは悪いことをした。それではさっさと顔を覚ましてくるために、洗面所へと向かう。何やら顔が赤い咲良は、沙耶をぽかぽか叩いている。
「ふぃー……」
顔を洗ってさっぱりし、リビングへ戻る。二人の待つテーブルの席へ腰を下ろすと、用意された料理を見る。そこにはご飯、味噌汁、焼き魚と、ザ和食が並べられている。温かでいい香りだ。
「「「いただきます」」」
三人席に座ったところで、合掌。箸を手に、ご飯から、味噌汁から、焼き魚から、それぞれが食事を進めていく。
「うぅんおいひい~。いつも惚れ惚れするお料理だよねぇ。沙耶ちゃん、私と結婚しない?」
「あはは、ありがと。これだけ喜んでもらえるなら作ったかいもあるよ」
「ホント、料理だけは大したもんだよな」
「あんだと?」
……と、いつものようなやり取りを行いながらも食事を終える。こうして三人で朝食をとるというのもすっかり慣れたもので、大抵は料理当番沙耶、食器の準備、片付けは咲良となっている。百鬼は……お察しの通り。
「ごっそさん」
「はい、じゃあ片付けるね~」
「毎度ありがと咲良姉。誰かさんにも見習ってほしいんだけどね」
「ぐっ……」
「あはは~、いいってこれくらい」
とはいえ、やれと言われればやるはずだ(多分)。だが残念ながら百鬼に料理スキルはないし、準備や片付けは咲良が手早く済ませてしまうから出る幕がないのだ。
だから仕方ないのだ。決して起きられない言い訳も含めているのではなくて。
「この家に置いてもらってる身としては、手伝えることは手伝いたいんだけど……」
「お料理でじゅーぶんすぎるってー。それにそれは言わない約束でしょ」
「そーでした」
そんな会話を続ける二人を横目に、百鬼はキッチンにて皿を洗っている咲良を見る。
今言っていたように、真夜中兄妹はこの家に住まわせてもらっている……いわゆる居候の身だ。この家には真夜中兄妹二人、咲良、そして咲良の母親の四人が住んでいるのだ。
「ん、どしたー、ひゃっき? こっちじろじろ見て」
「見てねーよ」
「うんん、なんかえっちぃなぁ」
「えっちくない、お花畑妹め」
幼い頃からいつも三人は遊んでおり、いつからか沙耶は咲良のことを『咲良姉』と呼ぶようになっていた。咲良も、そんな沙耶を本当の妹のようにかわいがっている。
いつからか……気がついたら一緒に遊んでいる程に幼い頃からの仲だった。それからほどなくしてだ、真夜中兄妹の両親が事故で亡くなったのは。身寄りがなくなってしまった二人は、親戚のあてもなかった。
そこへ手を差しのべたのが、咲良の母親だ。二人は海星家に引き取られ、ここで暮らしている。最初のうちこそ遠慮していたものの、まるで本当の家族のように接してくれる二人に、次第に真夜中兄妹は心を許していった。
今では、本当の家族と言って過言ではない。
「まあお兄には家事とか繊細なことは期待してないから。せいぜい力仕事で頑張ってくれたまえよ」
「悔しいが言い返せない……」
家事は間に合っている……ならば、この家唯一の男でという点を生かした方がいい。それが沙耶の見解であり、百鬼自身も納得させられている。
買い物の度に荷物係させられるのは勘弁してほしいが。
「さ、二人ともそろそろ時間だよー」
「わ、ホントだ」
皿洗いを終えた咲良の言葉により、二人は時計を確認。いつの間にか時間が経っており、登校するにはちょうどな時間だ。
三人揃って、玄関へ向かう。
「そだ。今日お母さんは?」
「うーん、今日は早く帰れるみたいだから、一緒に晩御飯食べられるよ」
「わーい!」
玄関で靴を履きながら、この場にはいない咲良の母親の話題へ。
咲良の母親は、女で一つで三人を育てるために朝早くから夜遅くまで働いていることが多い。幼い頃はわからなかったが、年頃になるとその意味の重さとありがたさをしっかり理解している真夜中兄妹である。
自分達を本当の子供同様に育ててくれる……だからこそ二人は、『お母さん』と本当の親のように呼ぶのだ。
「じゃ、今日は腕をかけてお料理作らないと!」
「沙耶ちゃんのご飯、お母さんも好きだからね~、絶対喜ぶよ」
「だな、うまいの頼むぞ」
「なんで上からなのよ」
そんな会話を続けながら、家を出る。これが、彼らにとってのいつも通りの日常だ。
「じゃ、私こっちだから!」
「うん、いってらっしゃい」
「いってらー」
「いってきまーす」……と元気よく手を振り歩いていく沙耶とはここで別れる。中学校へ向かう沙耶とは道が別れてしまっているため、途中までしか一緒に登校できないのだ。
ここからは、百鬼と咲良の二人だけになる。
「沙耶ちゃん、毎日元気だよねー」
「ま、賑やかすぎてうるさく感じるときはあるけどな」
「えー、楽しいじゃん」
本人がいなくなっても、咲良の口からは沙耶の話が出ることが多い。やはり本当の妹のように思ってくれているからか、その声は楽しそうだ。少しかわいがりすぎな節もあるが。
「けど、元気でかわいくて、料理までおいしいとなればすぐに彼氏できちゃうだろうね」
「……そんなもんまだ早い、ふしだらな」
「ひゃっきって、結構シスコンだよね……」
いつもは憎まれ口を叩きながらも、百鬼はなんだかんだ妹大好きであることを咲良は知っている。沙耶の方も、ああ見えてお兄ちゃん子だから実際に彼氏が、となったとしても受け入れるかはわからない。
それだけ、二人は強い絆で結ばれている。
「いいなぁ……」
「ん、何か言った?」
ただ心の中で思っていたこと……しかしそれは、無意識に声に出ていたらしい。はっと口を塞ぐ咲良は慌てたように、身ぶり手振りで言葉を繋ぐ。
「えっと……き、兄妹っていいもんだなって、思ってさ!」
「そっか? 結構煩わしいけど……って、咲良にはいないんだもんな。隣の芝生は青く見えるってやつだよ」
「ふ、ふーん……そ、そうなの。私、兄弟いないから!」
「? あぁ」
何か口ごもり言い訳のような台詞を吐いているが、咲良に兄弟がいないことは当然知っている。
たまに変なこと言い出すよな、と思う。だが変な奴というわけではなく、面白い奴といった印象の方が正しい。すっとんきょうなことは言っても、だからといって距離をとろうとする人間はいない。
そんなこんな、会話をしながら歩いていると次第に登校中の生徒も増えてきて、学校の姿が目に映る。今日も今日とていつも通りの日常が始まる……そう、思っていた。
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「……異世界?」
「そう、ひゃっきってそういうの好きでしょ?」
「おう、大好きだ!」
昼休み、百鬼と咲良の二人は屋上で弁当を食べていた。いつもならば教室などで、他の友達も混ぜながら食べるのだが……今日に至っては、咲良が二人きりでと言い出したのだ。
場所も教室でなく屋上。いったいどうしたものかと思っていたのだが、食事中に彼女の口から出てきたのはとある単語で……それは、百鬼の愛読書であるラノベによく出てくるものだ。
「いいよなぁ、異世界ファンタジー。魔法とか剣とか使ってさ、冒険したりのびのび暮らしたり。はぁーいいなぁ……って、咲良は俺がそれを好きだって知ってるだろ?」
「うん、そうなんだけど……一応、確認をね」
今さら趣味を確認してくるなんて、おかしな奴……そう考える百鬼とは別に、咲良は何やらしきりに周りを気にしている。周りには、百鬼らと同じく昼食をとっている生徒はちらほらいるが……
「……いい、ひゃっき。これから言うこと、信じれないと思うけど信じてね」
すぐ近くに……少なくとも、会話を聞かれるような距離には誰もいない。それを確認し、そして尚も小声で話しかける。その台詞同様、表情もどこか真剣だ。これからなにか冗談を言うということはないようだ。
「あのね……行ける、って言ったらどうする? 異世界」
「……はい?」
真剣な表情で何を言われるかと身構えていたが……出たのは、すっとんきょうな返事。だって仕方ないだろう、いきなり異世界に行けるなら、なんて言われては。
「あのね、私、ここで言う異世界に行ける手段を持ってるんだ。だから、ひゃっきが行きたいって言うなら連れてってあげる」
「……えっと?」
嘘を言っている顔には……見えない。それに、咲良が嘘をつくときは他人の数倍わかりやすく顔に出るのだ。人が見ても一目瞭然なのに、長年共に暮らしてきた百鬼にわからないはずはない。咲良は、嘘をついていない。
なのに……言われたのは、嘘としか思えないような台詞。なにせ『私は異世界に行く手段を持っているから、一緒に行かないか』と言われたのだ。それをすんなり受け入れるほど、百鬼の頭は柔らかくない。
嘘は言っていないが、そう感じさせないほど頭がイカれたのだろうか。もしや日々の疲労が溜まって?
「咲良……いつも迷惑かけてごめんな」
「なんでいきなり!? 今のやり取りおかしくない!?」
「だって……いや、いきなりすぎてよくわからんくて……もっかい、言ってくれる?」
「私、異世界に行ける手段を持ってるんだ。だから、ひゃっきが行きたいって言うなら連れてってあげる」
何かの聞き違いかもしれない……その考えは、再度の咲良の台詞により砕かれた。先ほどと同じ事を言われては、聞き違いなどではない。
とはいえ、嘘でもない。となると、本当に言っているのだ……そう『思って』いるのだ。これはやはり……
「そっかそっか……いやぁ驚いたよ。咲良ってば妄想癖があったんだな」
「へ?」
なので……『自分は異世界に行けると思っている』と納得することにした。要は、頭のおかしい子認定したのだ。イカれているとはいってもかなり柔らかな表現だと思う。
「わかる、わかるよ……ああいう物語見てると、なんか自分にも特殊な力があるんじゃないか、って思いたくなるよな。俺だってそんな時期はあったさ。けどな、現実とフィクションの違いくらい、見分けられないと……」
「あのー、ひゃっき? 何を言ってるの?」
これはしっかりと、現実を見させてやらなければいけない。それが、彼女の家に厄介になっている『家族』としての使命! ……しかし、咲良に心配するような視線を向けられてしまう。
「え、何その目? 俺が向けるんじゃなくて、向けられてるの? 俺がかわいそうな奴認定されてない?」
「いや、そこまでは……確かにいきなりで信じられないと思うけど、まさか私の妄想癖を疑われるとは思わなくて」
心外だ、と眉を寄せる咲良。そして百鬼に向けてその顔の前に人差し指を突き出し、改めて告げる。
「今私が言ったのは、嘘じゃない。変な奴と思ってもいいけど……正直に答えて。異世界行きたい? 行きたくない?」
「……行きたい、です」
目の前の少女の威圧感にすっかり気圧されてしまった百鬼は、素直に自分の思いを口にするのだった。
……さて、昼休みに衝撃の事実(仮)を受けた百鬼はその後、特に変わったこともなく学校で時を過ごした。授業を受け、友達と話し、そして放課後になり……
部活動に入っていれば、この後はそれぞれの部活動に勤しむのだろうが……百鬼も咲良も、入っていない。部活動強制の学校ではないので、入りたくない人は入る必要はない。
これといって理由はないが……強いて言うなら、生活のためだろうか。基本的に三人で家事をこなす(百鬼は力仕事担当)ため、あまり放課後に時間を取られたくないのだ。咲良の母親は、そんなもの気にしなくていいと言っていたが。
そのため中学校に通う沙耶も、部活動には入っていない。さらに、今日は晩御飯の食材を買う担当は沙耶になっている。なのでいつもなら、そのまままっすぐ家に帰るのだが……
「じゃ、行こっか!」
「……行く? どこへ」
さあ帰ろうと準備しているとき、咲良が話しかけてくる。その様子はどこか機嫌よさげで、しかし周りには聞こえないように小声である。
「決まってるじゃん。い、せ、か、い」
ぱちん、とウインクして告げる咲良は、とても嬉しそう。その仕草だけで大抵の男は落ちてしまうだろう。……対して百鬼は、胡散臭いものを見る目をしていた。
昼間のあれは……真剣ではあったものの、真剣な冗談とか、そんなことはなかった。その可能性を、まだ少しは考えていたのだが。
「マジで?」
「マジで」
急かされる咲良に引っ張られて、教室を……学校をあとにする。過ぎ行く友達に、律儀に挨拶しながら……百鬼は、次第に人気のないところへと導かれる。
やがて、人の気配のない場所へとやって来て……咲良は、百鬼に向き合う。
「ごめんね、急に引っ張ってきちゃって。でも人目につくわけにはいかないし、あんまり遅くなるわけにもいかないし……」
「えっと……うん、それで……ここで、何を?」
連れてこられたものは仕方がない。問題は、こんなところに連れてこられた理由だ。どうやら人目にはつきたくないらしいが……学校を出る前の台詞、異世界に行こっかと言う言葉が本当だとしたら……
……ここに、異世界に繋がる扉のようなものがあるのだろうか。なんて
「なあ、異世界って言われてもまだぴんとこないっていうか……だいたい、そんなもん本当にあるのか……」
「あるよ。何を隠そう、私がその異世界人なんだから」
………………?
「…………は?」
「あ、異世界って言うけど私にとっては元の世界なわけで、私にとっては逆にこの世界が異世界って言うか……」
「待て待て待て待て!?」
どうしよう、頭がついていかない。ただでさえ異世界に連れてってあげるとか言われて混乱しているというのに、咲良自身がその異世界の住人ときたもんだ。
正直、いますぐ逃げ出したい。やだこの子怖い。
「えっと……確認だけど。咲良は異世界人、んでその世界に俺を連れていくことができると」
「イエス、ザッツライト!」
「はっ」
要約したが、これでも訳がわからない。これはもう鼻で笑うしかないだろう。
咲良は咲良で、話を理解してもらえたと思ったのか目を輝かせている。ここまでくると、ただの妄想では済まなくなってくる。
「むぅ、まだ信じてない顔だねぇ。ま、いいか。聞くよりも見ろ、ってねー」
「まあ証拠があるってんなら信じ……て!?」
証拠なんて、何をどうすれば証拠になるというのだ。どうせ決定的な証拠なんか用意できないんだからとたかをくくっていたが、その思いは簡単にうち壊された。
咲良は何もない空間に手をかざし……上から下へと、手を下ろしていく。すると、まるでチャックを下ろすように空間が開いていき……その場に、周りの明らかに風景とは別の空間が生まれる。
「は……え?」
目を擦るが、景色は変わらない。頬をつねるが、景色は変わらない。どうやら夢ではないらしい。空間が割れたように見えるのは……そしてその向こう側に、別の景色が広がっているのは。
「ほい、向こうが私の元いた世界。さ、行こ行こ」
「やっ、行こって、そんなコンビニ感覚で言われても……」
咲良は大丈夫だと引っ張ってくるが、百鬼はもちろんはい行きますとはならない。目の前であり得ない事態が起こり、それをすんなり受け入れられるものか。
だが咲良は、そんな百鬼に対して……
「もぅ、異世界に行きたいって言ったのはひゃっきでしょ! それにここでごねってあんまり遅くなると、沙耶ちゃん心配しちゃうでしょ!」
「え、ここ俺が怒られるとこなの!? あ、ちょっ……」
強めの口調で告げ、百鬼をぐいぐい引っ張っていく。こいつこんな力強かったっけ?と戸惑う百鬼は抵抗することもできず、謎の空間へと足を踏み入れていく。
まるで、開いた扉を潜るように簡単に……すんなりと、世界と世界を隔てる壁を越えていく。そして……
「おい咲良、引っ張るな…………って、ここ……」
「えっへへー。ようこそ、私の生まれた世界へ~」
ここはどこかの建物の中、というのだけはわかる。こんなところだけ見せられても……そう思うと同時、建物の出入口である扉が開かれる。
そこには、現代社会とはまったく違う……物語の中で見る景色があった。近代的とは違う、どこか古代的な建物。歩いているのは人間ばかりとは言えず、動物の顔や耳をした者がそこら辺にいる。
それだけで、わかった……今目の前にあるこの景色は、今まで自分がいた世界とは違うものだ、と。ここは異世界なんだ、と。
「お、お、お……」
「むふふ~、声も出ないって感じだねぇ」
悔しいが、その通りである。百鬼は驚愕のあまり、声にもならない声を漏らし続けていた。なんなんだ、これは。
なんなんだ、といっても、その答えは咲良の言ったとおり。咲良は元々異世界の人間で、自由に世界観を行き来することが可能だと。妄言だと思っていたものが、真実だっただけで。
しばらく景色に圧倒されていた百鬼は、ようやく我に返る。そこで、いくらかの疑問も湧いてくるというものだ。
「えっと……咲良が異世界の、この世界の人間ってことは……つまり……」
「そ。お母さんもだよ。まあ正確には、お母さんがこの世界の純粋な住人で、私は半分なんだけどね」
半分……つまり、異世界の血は半分しか流れていないということだろう。ということは、咲良の父親は百鬼の世界の人間で、異世界間同士の男女の間にできたのが、咲良ということか。
とはいえ、咲良も異世界の血を引いていることに違いはない。これは、十余年の中でも一番の衝撃だ。
それから二人は、近くの町を歩いた。フィクションの中でしか見たことのないようなものがたくさんで、百鬼はそれはもう子供のように目をキラキラさせていた。その様子を、咲良は微笑ましく見ていた。
あまり長い時間はいれないため、少しの時間だ。だが、日を改めてまた来ることだってできるはずだ。だから……
「はぁー、名残惜しい」
「まあまあ、またいつでも来れるから」
クスクスと笑う咲良に言われ、百鬼は次回の楽しみに取っておくことにする。そして、元の世界に戻るため、咲良はなにもない空間に手をかざし……
「……あれ?」
来たときと同じように、空間をチャックのように割ろうとしたが……咲良は、首をかしげて目をぱちぱちさせている。同じような動作を、何度か試している。
その動作を、十を越えるくらいに試したあと、百鬼の方へと振り返り……
「どうしよ……帰れなくなっちゃった」
「……は?」
それは、衝撃的すぎる言葉。なにを言っているのか、わからない……わけはなく、それは悲しいくらいに意味がわかった。
嘘だろと、言うのは簡単だ。だがわかる、百鬼には。咲良のこの表情は、嘘をついているものじゃない。むしろ『やっちまった』表情だ。
「どど、どーすんだお前!」
「はは……どうしようね」
渇いた笑みが、その場に響く。それは、どうすればいいかわからないと言っているようなものだ。
向こうには、妹を残したままなのだ。それにお母さんだって……
「そ、そうだ! お前が異世界に渡れるんだから、母さんも渡れるんじゃないか!? 携帯で助けを呼んで……」
「世界を越えての通話なんてできないよ。どころか、電波も入らない。それに、お母さんは異世界へ渡れない」
「なんで!?」
「お父さんと結婚してから、ね。それからどんどん力が落ちていって……今じゃ、異世界を渡ることはできない」
異世界の人間と結ばれたからだろうか、力は失われて今はないという。……異世界を渡る手段は、咲良しか持っていない。そして咲良は、なぜか力を使えない。
つまり……
「……元の世界に、帰れない?」
「い、イエース」
このまま、異世界から元の世界に帰ることができない……そういう、ことだ。
これは由々しき事態だ……憧れていた異世界だが、まさかこんな状況に放り出されるとは、思っていなかった。
この先、どうなる……なんとか元の世界に、帰らなければならない。なんとかして……どうにかしたって。
……これは異世界に憧れる少年百鬼が、念願叶って異世界に足を踏み入れることができた話。異世界生まれの幼なじみ咲良に、願いを叶えてもらい、自慢話を妹にしてやろうと思っていた。そんな、愉快になるはずだった話。
そして、今日この日この時より、百鬼と咲良は、元の世界に帰るための手段を探し、奮闘することとなるのだが……それはまた、別の話。