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新しい依頼人 (画材屋探偵開業中!)

全4話の短編ミステリ☆彡最初の依頼人、女高生の来海さんを助手に画材屋探偵が謎を解く!

「HPにその旨、記載されていたと思うのですが――謎解き専門の探偵業をなさっている画材屋さんはこちらですか?」

 絵の具――オ-レオリン、目の覚めるような黄金の黄色!――を買った老紳士にそう言われて、刹那、僕、桑木新(くわきあらた)凝結(フリーズ)した。

 今春、美大を卒業して家業の画材屋を継いだ僕が、ミステリ好きをいいことに店のHPに〈画材屋探偵開業中\謎解き専門です〉とこっそり書き加えたのは事実だ。とはいえ――

「あ、いえ、その、あれは洒落(シャレ)というか、ジョーク……ちょっとしたPRの一種でして」

 慌ててモゴモゴ言い訳する僕に来店客は真剣な眼差しできっぱりと言い切った。

「ぜひとも依頼したいことがあるんです」

「!」

 老紳士は、僕より背が高い。ウェーブの掛かった豊かな白髪、ネイビーブルーの麻のジャケットに白いパンツをお洒落に着こなしている。こんな見るからに地位も名誉もある人物がおふざけ探偵に過ぎない僕に本気で依頼の言葉を吐くとは! 

 光栄を通り越して恐縮してしまう。とはいえ、僕はすぐさまゴッホの椅子――依頼人用に用意してあるのだ――を指し示した。

「どうぞ、お座りください」

 腰を下ろした紳士はジャケットの内ポケットに入れようとした手を止めて照れ笑いをした。

「おっと、いけない。もう名刺は持っていないんだった。引退したと言うのにどうも長い間の癖は抜けきらないものだな」

 改めて言葉を継ぐ。

「私は高遠馨(たかとうかおる)と申します。東京で弁護士をやっていたのですが今年八十歳になったのを潮に引退しました」

 やはりな、僕の推察通りじゃないか。その元弁護士(・・・・)が、未認可のお遊びに過ぎない探偵に一体どんな用があるのだろう? 困惑を隠せない僕をよそに元弁護士は続ける。

「東京の弁護士事務所は甥っ子に譲って故郷に戻って来たんですよ。学生時代の唯一の趣味、油絵を描きながら悠々自適の毎日を過ごしています。最初はそれで満足するつもりだったのですが……」

 ここで高遠氏は口籠った。暫く黙りこんだ後で顔を上げる。

「解いてほしい謎があるんです。あれは六十二年前、私が高校三年生の夏でした。私は一通の招待状をもらったんです。これがそうです」

 高遠氏は今一度胸ポケットに手を入れて色褪せた水色の封筒を取り出した。それを僕の方へ差し出す。

「そうだな、お読みいただく前にもう少し当時の状況を説明した方がいいかな? 昭和32年、西暦では1957年のその年がどんな年だったか。前年『もはや戦後ではない』が流行語になった、そんな時代です。安倍総理の祖父の岸伸介内閣が成立、ソ連が人工衛星スプートニク号を打ち上げ、ソニーが世界最小のトランジスタラジオを売り始めた。富士精密工業が国産車〈スカイライン〉を作り、トヨタは〈コロナ〉、日産は〈ダットサン210〉を発表。そうだ、コカ・コーラーが日本各地で買えるようになったのもこの年だ。東海村で原子の火が灯り、東京都の人口がロンドンを抜いて世界一になった……」

 法廷闘争で鍛えたどっしりと落ち着いた声で元弁護士は六十二年前の世界を説明してくれた。

「季節はちょうど今と同じ時期――夏休みを前にした七月末の出来事でした。当時私は朝夕、市電で通学していたのですが、その日の帰路、市電を下りようとしたひとりの女子学生が突然私の前で足を止めこれを差し出したんです。その人は身を翻して電車を下りて行きました。あまりのことに吃驚して、呼び止めることもできず、家に帰って読んだのがこれです」




 馨さま


 私の夏の夜のお茶会へ、ぜひお越しください。

 この季節だけ とくべつの通路(みち)が開きます。

 下車したら、まず△ この△は右で止まる△です。

 さあ、止まったその場所から地図に従って。

 但し、私の地図は目を閉じなければ見えません。

 見えない道案内をたよりに、

 どうぞ、いらっしゃって!

 夏の間中、私は毎夜お待ちしています。

 

 

「ね? 謎でしょう?」

 読み終えた僕の顔を見つめて高遠氏は静かに首を振った。

「当時、私はこの手紙をくれた女学生の名さえ知りませんでした。通っている高校が違った。顔は知っていました。ほぼ毎日、登下校時に同じ市電に乗り合わせていたので。いや」

 ここで老弁護士は眉間に皺を寄せる。

「この言い方は正確ではないな。正直に話します。私は、その女学生の名前は知ってはいませんでしたが、恋をしていました(・・・・・・・)。毎朝、毎夕その姿を目にするだけで満ち足りた気分になる――そんな淡い恋心です。その人はね、何と言おう、いつも光を(まと)っていた。光り輝いていました」

 実際、僕の前に座る老弁護士は眩しそうに目を細めた。六十二年前の光を見るように。

「だから、この手紙を受け取って天にも昇る心地でした。でも、残念なことに、私は遂にこの謎を解くことができなかった。勉強の方は、自分で言うのもなんですが、それなりに優秀だったのに謎の解読となるとサッパリだ。自分の推理力の無さ、頭の固さをどんなに恨んだことか」

 心から悲しそうに老紳士は言った。

「結論から言うと、期限の夏の間に私はここに書かれている謎を解くことができませんでした。以後二度と彼女に会うことはなかった――」

「二度と?」

「ええ。謎を解けなかった私に失望したのでしょう。彼女は登下校の時間をずらしたようです。新学期が始まっても僕はその人と市電で顔を合わせることはなくなりました」

 以上がたわいのない初恋の思い出です、と高遠氏。微笑みながら簡潔に話を締め括った。

「私は猛烈に勉学に励み、第一志望の大学に合格しました。大学では法学を学び希望通り弁護士になりました。やりがいのある仕事で自分の人生に満足しています。でもこうして引退してのんびり過ごしていると日に日に、解けなかった謎について考えずにはいられなくなりました。人には寿命があります。生きているうちにどうしてもこの青春の日の謎を解き明かしたいと思い立った次第です。お力を貸していただけませんか?」

 僕は咳払いをして、言った。

「お察しの通り――ああ、あなたはその道の専門家でしたね? ならば言うまでもありませんが、僕は未認可の自称探偵に過ぎません。ですから、報酬はいただけません。が、あくまでも自分の趣味としてこのご依頼、承ります!」

「おお、ありがたい」

 高遠氏は即座に応じた。

「では、その御礼に、この先一生、私は画材を〈桑の木画材屋〉さんで調達させていただきます」

「商談成立!」

 握手を交わすと高遠氏は椅子から立ち上がった。ドアへ向かったその時、ちょうど入れ替わりに来海(くみ)さんが入って来た。そう、僕の最初の依頼人、あの(・・)城下来海(しろしたくみ)さんだ。

 例によって学校帰り。白い半袖のセーラー服にグレイの格子柄のスカートという夏の制服も物凄く似合っている。元弁護士はドアを押しとどめて、まず先に女学生を通すと颯爽とした足取りで去って行った。

「素敵! ドアを開けて支えてくれるなんて……こんな風に扱われるのは私、初めてよ。ビクトリア朝の貴婦人(レディ)になった気分」

 頬を染めて来海さんが僕を振り返る。

「どなたなの? あのダンディなおじさまは?」

 僕は鼻高々で答えた。

「元弁護士で、引退後は絵を描くのを趣味としていて、我が桑の木画材店のお得意様で――何より、僕の最新の依頼人さ!」


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