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二〇一九年、八月十五日。

「あ、来た」

 コンクリートのツンとした匂いが漂う駅の改札近く。

 人混みの中から近しい面影が浮かび上がって近付いてくる。

 この前、インスタグラムで着ていたのと同じグレーの半袖ワンピースだ。

 ああ、またか。私は敢えて被らないように彼女のインスタグラムでは見掛けなかった水色の半袖ワンピースにしたのに、服の型といい、淡い色合いといい、やっぱり二人で似通った服装になった。

 そこにいつもながらの軽い失望と奇妙な安堵を覚える。

「こっちだよ」

 手を振って呼び掛けるこちらの声に相手も眼差しを向けた。

「お久し振りです」

 キャリーケースを転がしながら近付いてきたアニタは微笑んで私と母に告げた。

「久し振り」

 目線の高さもほぼ同じ相手にこちらも笑い掛ける。

 香港人の彼女は二十歳、日本人の私は十九歳半。

 祖母同士が一卵性双生児なので血縁としては再従姉妹はとこに当たる。

 しかし、たまにこうして顔を合わせると、年子の姉妹か双子の片割れのようにもっと近しく感じられるのだ(年子や双子の姉妹はいないけれど)。

 ――ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン、ヒュウウー。

 ホームのある上階では新幹線がまた新たに発ったらしい。

 *****

「本当はこちらからも行かなければいけないのにすみませんね」

 母は並んだ三つの湯飲みに緑茶に注ぎながらふと奥の間に目を走らせた。

 そこの仏壇前にはまだ額縁も真新しいお祖母ちゃんの遺影と今からほぼ四十年前に撮られた一葉の写真が並んで置かれている。

 その写真に笑って映っているのは、朱鷺とき色のワンピースを着た私のお祖母ちゃんと臙脂えんじ色のチャイナドレスを纏ったアニタのお祖母ちゃん。

「お祖母ちゃん」といっても当時は二人とも四十歳。豊かで艶やかな黒髪に大きく円らな瞳の風貌が並んだ様は白牡丹と緋牡丹のようだ。

 そんなことを思う内にふわりと柔らかな緑茶の匂いが鼻先を過ぎる。

 振り向くと、母はもう私とアニタの前に湯飲みを置いて自分の湯飲みにも口を着けようとする所だった。

「揃って初盆ですからね」

 一口含んだ母は微かに苦い面持ちになる。

 去年の秋の暮れ、アニタのお祖母ちゃん、私にとっては大伯母になる周麗チョウ・リー、日本名「山口うらら」は香港の自宅で倒れてそのまま亡くなった。

 当日まで元気だったので周囲の誰もがその急死に驚いた。

 二日後、夏頃から入院していた私の祖母、森さくら、旧名「山口さくら」も息を引き取った。

 享年七十八。一緒に生まれてきた二人は連れ立つようにあの世に旅立ったのだ。

 古い写真の二人並んだ顔は造作としては瓜二つだ。

 しかし、五歳で満州から両親と共に帰国し日本で育った「さくら」は肌白く穏やかに優しげな目をしている。

 一方、ただ独り大陸に残され、長じて香港に渡った「うらら」の肌は幾分浅黒く、鋭い眼差しには日本人の感覚からするときつい印象もなくはない。

 これは四十歳で三十五年ぶりに再会した時の写真だ。

 私の覚えている「福島のお祖母ちゃん」と「香港のお祖母ちゃん」(正確には『大伯母ちゃん』だがうちではそう呼んでいた)はどちらも優しく穏やかな銀髪の老婦人だったが、それでも後者の方がもう少し意思表示の強い印象が残っている(もっとも、香港で話されている広東語だと普通に話していても日本人の感覚ではしばしば喧嘩腰に聞こえるのだ)。

 四十歳で香港からはるばる双子の妹「さくら」を探し当てて訪ねてきた「うらら」は長患いが予想された妹の手を引いて勢い良く冥府に旅立ったのだろうか。

「気にしないで下さい」

 アニタはいつもの人懐こい笑顔で片手を横に振るが、ふと思い出した風に目を落とした。

「香港は今、危ないですから」

 ネットの写真や動画で目にしたデモや警官隊の物々しい光景がふと蘇ってきて胸を刺した。私にとってはまだメディアの中の事件だが、彼女には生活そのものへの亀裂に違いない。

「中国にかえれば遅かれ早かれこうなると思ってたってママも言ってました」

「サミーが?」

 従姉の名を口にする母の目に一瞬、懐かしげな光が通り過ぎた。

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