6.平氏の凋落
平家の凋落は、当主である平清盛の死去によるところが大きい。清盛の死にざまはかなり奇妙になものと伝わっている。
清盛は熱病で死んだとあるが、水が蒸発するほどまでの高温だったという。多くの人々の恨みの声にさらされた人間だから、そのような死に方をするのだという意見が多いのである。史記にありがちな誇張した表現ではあるものの、熱病で死んだことは間違いないようである。
平家の没落と源氏の大頭が現れ、いよいよ末世も極まったり、と人々は思うようになった。
神祓ノ寮もまた、平家の守りとして戦いに赴かねばならなくなった。それを不平に思うものは少なくなかったが、表だっていう者は一人もいなかった。今更言ったところで、平家の没落は避けられまい。それならばついて行かねばならぬと思ったものが多い。使となるときに名を捨てたのだ、元より帰るとこなどない者たちが集う場所、詮無きことではなかろうか。
「八幡丸、あんたも行くんでしょう」
まだ傷が治りきっていない八幡丸は宮中の医療室で寝ていた。使になっていた状態で斬られたので、大したことはないだろうが、念のためにと出雲が八幡丸を押し込んだのである。出雲は即座に行くと言っていたが、八幡丸には決心がつきかねていた。
「あぁ」
八幡丸の視線に気づいた浅間が腕を組んだ。
「あたし? あたしは行くわよ。実家に戻るなら、こっちの方がいい」
「だが、実家から文が来ていたはじゃないか」
浅間宛に実家からの使いというものが何度かやって来たのを出雲から聞いた。前に山賊の娘と言っていたのだが、実は嘘で元は堺の酒造の娘らしい。なぜうそをついたのかは問いただそうと思ったが、何か事情があるのだろうと思い、八幡丸は言うのをやめた。使になってからわかったことの一つだ。村で育った自分にとって、親と子は切っても切れない縁があるのだと思っていた。だが、それも形はそれぞれなのだということだ。
子殺し、親殺しとまではいかずとも、親が子を見捨てる、子が親を見捨てる、こんなことがまかり通っていた。都とは、そういうものだと八幡丸は思った。
使いがくるたびに浅間は怒り、使いを追いかえしているとも聞いた。浅間は女だ、実家が取り戻したいと考えるのは当たり前ではないだろうか。
「あんたには関係ないわ」
浅間は家のことが話題になるたびに言葉をつぐむ。何を言っても話そうとはしない。実家が嫌いなのだろうか。縁が切れているわけではないだろう。こうして使いがやってくるということは、浅間のことを心配しての行動だろうと八幡丸には思えるからだ。浅間の家がどのような場所かは知らないが、心配しているに違いない。
「あんたに心配されるほどの事じゃないわよ」
「心配するって?」
「あんたこそ、どうするのよ」
「俺は……」
数日前の光景がまだ頭に残って離れない。神を飲み下した男は、きっと浅間が語っていた四天王で間違いないだろう。もう一人いたと言うが、あれの気配もなかった。戦なんてまっぴらごめんだ。なんで、俺たちが神ではなく人と争わねばならないのだろうか。だが、村に帰ってしまえば、何のこともない一日が待っている。
日の出とともに起き、田畑の世話をやき、牛馬の世話をし、そして、日の入りとともに眠る。そんな毎日だ。
使として生きてきたのはほんのわずかな間だ。今まで10数年生きてきた中のほんのわずかな年月でしかない。でも、その中で出会った人々や、神々のことを思えばあの村の中で何でもない一人の耕作人として生きていくのは耐えられないと思った。
八幡丸は考えをまとめるように頭をかいた。どうやらこの頭は深く考えるのに向かないようだ。
「なぁ、浅間」
「なによ」
「あれは四天王だったのか?」
言葉を投げかけても、ただ刃を振り下ろすだけの存在。あれを人として認めたくなかった。
「間違いないでしょうね。あんたも大分やられたみたいだし。神を喰らうっていうことがどういうことか、分からない奴じゃないでしょうし」
「神の力を手に入れようとした人間がいる、ということだな」
「ええ。源氏の中にもいるでしょうね。使はなにも宮中だけにいるものじゃないわ。何人も帰ってきていない使だって少なくないって、出雲が言っていたでしょう」
浅間の言う通りだ。何人か、いや100人ほど連絡のつかない者がいると、出雲が手を尽くして慌てているのを聞いた。何も落ち目の平氏にすがって、この先を真っ暗にするより、行方をくらませて落ち着いたころにふらりと戻ってこようと算段する者もいたっておかしくはない。八幡丸だって最初はそう思ったのだ。だが、出雲が残るというし、浅間も残るといった。
「戦わなければならないのか?」
「あたしたちは何も前線に立てってわけじゃないわ。そんなのは武士の役目よ」
そうだ。
「行くことにしたのね、八幡丸」
「あぁ。あのしゃべらなかった武士のことも気になるしな」
何らかの力によってそうなってしまっているのかもしれない。だとすれば、またどこかで会えるかもしれない。その時こそ、前回の屈辱を果たすまでだ。
あの鳥の神は、最後まで助けを求めていた。それなのに、俺は何もできなかった。助けてやることができなかった。
八幡丸は小太刀の立てかけている窓際を見た。刃は届いた、けれどそれをうまく扱うことができなかった。
何が足りなかったのだろうか。使の力は間違いなく作動していた。やはり鍛錬が足りないのか。思い立ったら吉日、さっさと行かねば。
「鍛錬に行くか」
「ちょっと! この馬鹿!」
浅間が立ち上がろうとする八幡丸の首根っこを押さえて、寝台にたたきつけた。盛大に背中を打ち付けた八幡丸は寝転がったまま恨めし気に浅間を見上げた。腰に手を当てた浅間が堂々と八幡丸を見下ろしていた。
「まだ傷が治りきってないのに、そんなことしていいと思っているわけ?」
「………」
「完全に治るまで動かない、いいわね」
「あぁ」
そういって、八幡丸は視線をそらした。
その日の夜、八幡丸はなかなか寝付けなかった。傷が治りきっていないとはいえ、これくらい使の力を使えばすぐにふさがる。だが、八幡丸にはそれをするのをためらうことがあった。できれば、自分のためではなく、誰かのために使いたいからだ。
ふと、外を見上げるとぼんやりと月がかかっていた。まだ満月になっていない月は、故郷にあったそれと同じだった。神を救うためには戦わなければならない、けれど、それはよくわからない政の道具に成り下がってしまうことと同義でもあった。
「俺は、どうすればいいんだ?」
八幡丸はここにきて、しばらく考えてみることにした。今まで考えてこなかった頭では、あまり良い考えは浮かばず、結局八幡丸は寝台に寝っ転がってしまった。八幡丸は少し体を伸ばしてそばに立てかけていた小太刀を手に取った。誰かが手入れをしてくれていたのだろう、八幡丸が触っていなくても、その刃紋は月明かりにきらめいていた。
「俺にはこれしかないのだな」
何も知らず、何も知らされず、だが、刃ならばわかる。
八幡丸はゆっくりと寝台から立ち上がった。周りには何人かのけが人や病人がいるが、みな眠りに入っていて、八幡丸に気づく者はいなかった。
「この戦、やってみようか」
八幡丸は相違を決すると、窓から飛び降りた。すぐそばの庭で、八幡丸は刀を振り回した。まだ腹が痛むが、かばいながらでも戦うことはできるだろう。神を食らったものを倒さなければ、またどこかの名もなき神が食われてしまう。




