4.坂東の武士
何か月も歩きとおし、八幡丸と浅間は東国へ着いた。現地に置かれている国主の館を狩ながら、八幡丸たちは調査をすることにした。とはいっても、特にすることもなく八幡丸は毎日刀の訓練をするばかりであった。
「本当に神を狩る人間などいるのだろうか」
独り言を言いながら、八幡丸は刀を振るっていた。毎日刀に触れていないと、いざという時に体がなまってしまう。刀は我流だ。この当時、剣術というものは確立されていない。ただ、親から子へそれらしい物が伝えられると言った具合だ。だから、武士の子でない八幡丸には師事する師がいない。実戦の中で、覚えていった。
足運び、手さばき、刃の向き、それら一つ一つを確かめながら、八幡丸は刀を一身に振り回していた。
夏の盛りといった具合で、蝉が一斉に鳴きだしている中を八幡丸は動いていく。照りつける太陽の中、じっとりと汗が噴き出すままに八幡丸は鍛錬をしていく。
大狢との戦いで学んだのは、そうやすやすと動かないことだ。足を常に動かせるように、相手の動きを見てから動く事。
「でぇや!」
きらり、と小太刀が光った。
しばらくしていると、八幡丸ははたと手を止めた。
「あ、れ?」
かしゃん、と小太刀が手から滑り落ちた。視界もだんだんと輪郭を捉えられなくなる。頭がずきずきと痛みだした。
「風邪じゃないよな……」
とっさに額に手をやってみると、確かに暑い。だが、風というものは咳が出るものではなかったか。のどもいたくないし、腹だって大丈夫だ。はて。
「体が、言うことを聞かない……?」
八幡丸はそういうと、地面に倒れこんでしまった。
いつまでそうしていただろうか。八幡丸は目をそろそろと明けた。すると、目の前にあったのは木の枝だった。傍で川が流れる音がする。
「気が付いたか?」
はっと、八幡丸は身を起こした。聞き覚えの無い男の声がしたからだ。傍らで釣りをしている男が振り返った。刀を二振り佩いており、その拵えも見事な業物だと分かった。
「武士が、なぜ俺を助けた」
「使と武士は反目し合うものではないぞ、少年」
少年、と呼ばれるのも奇妙な感じがした。釣りをしている男はまだ20を少し過ぎたころぐらいにしか見えず、逞しい領湾からはまだ衰えどころかまだまだ鍛え続けられる余力すら見られたからだ。
使と見破られたのは、八幡丸の紋を見たからだろう。
「お前、こんな暑い中で鍛錬をしていただろう」
「鍛錬をしなければ腕がなまる」
「暑い中で刀を振るえば、毒を吐くぞ」
「どういう意味だ?」
「とにかく、今日のような日差しの下で刀を振るい続けるのは体に触る。お前は見たところまだ使になったばかりなのだろう。刀も、まだ我流が強い」
きょとんとする八幡丸を男はかか、と笑った。おおらかな笑い声を聞くと、どこか故郷の父を思い出させた。父もよく笑っている人だったな、と八幡丸は思った。
「お前、名は?」
「八幡丸だ」
「なるほどな。どうりで刀に力がつまっているわけだ」
「お前は」
「俺は佐藤継信。見ての通り武士だ」
「武士なら、聞きたいことがある」
「なんだ?」
八幡丸は木陰から身を出して、継信と名乗った男の傍に座った。釣果は芳しくないらしく、びくの中には何も入っていない。
「源氏の事だ」
「あぁ。使の伝令はそこまで行ったか」
どこか遠い事を話しているような口ぶりで継信は言った。継信は源氏の武士ではないのか、と八幡丸は思った。もしかしたら、別の家の武士なのかもしれない。
「確かに、源氏は平家打倒を掲げ京に舞い戻る準備をしていると聞いた」
「打倒? 平氏が何をしたのか?」
ははは、と継信がまた笑った。嫌味に聞こえないのは、おおらかな性格をしているからか、それとも八幡丸自身が笑われても仕方ないと諦めているからか。
継信は竿を軽く振った。
「かつて源氏の対象源義家さまが平氏に討たれ、その子である頼朝さまは伊豆に流されたことは知っているだろう」
こくり、と八幡丸はうなずいた。すこし前に浅間から教えてもらったのだから覚えている。
「それ以来、頼朝さまは平氏憎しと淡々と平氏を討つ機会をうかがっているのだ」
「平氏を討ったところで、何も変わらんだろう。それに、いまの世は平氏が動かしているだろう。あんたがこうやって釣りができるのも、兵士がいるからではないのか」
継信が竿を引き上げた。だが、何も釣れていなかったので、また戻す。継信は釣りが下手なのか、と八幡丸はぼんやりと思った。今日は釣れない日なのかもしれないな、と継信が小さくつぶやいた。
「平氏はその分、都で大きく振る舞っている。いや、振る舞いすぎたと言ってもいい」
「なぜだ?」
「平氏に不満を持つものを処罰し、地方の土地を所有するだけでは飽き足らず、外国との貿易も手中に収めたであろう」
「禿の事か?」
「あとの二つは知らんのだな。お前は」
あぁ、と八幡丸は素直に答えた。知っているとうそぶいたところで、何の意味もない。
「そればかりか、己の孫を帝に据えたことは、まさに驕りが過ぎたと言ってもいいだろう」
「そうなのか?」
八幡丸にとって、帝とはどのようなものかまったくもって分からない。なんとなく、八幡丸の主の主、ということだけは分かるのだが、見たこともあったこともないのだ。それにどう敬意を払えばいいのか分からない。
「まだ4つもいっていない幼子と聞く」
「幼子が帝になれるものなのか?」
「なれるとも。お前は藤原関白の時代が分からんのだから、知らんだろうが……。あの時代は、赤子でも帝になれた時代なのだ」
「赤子が帝……」
八幡丸は考えるのをやめた。その気配を察した継信がまぁ、そういう時代だったのだ、と付け加えて釣りに戻ってしまった。
「あんたは平家に滅んでほしいと思っているのか?」
「さぁな」
「俺は迷える神を救えればそれでよいと思っている。それではだめなのか?」
ぴた、と継信の手が止まった。
「神を救う、だと? 本気で思っているのか」
低い声だった。
「神を救うだけでいいんだ。俺は。平氏も源氏も関係ない、だが、それではいかんのだろうか、継信」
「…………」
先程までぽんぽんと話していた継信が黙ってしまった。神を救うというのはおかしい事だろうかと八幡丸はつぶやいた。
「いや、おかしくはない。正しい事ではあるよ。だが、お前はそれを平氏のためにするわけではないと言ったな」
「あぁ。俺は昔命を救われたことがあった」
八幡丸は継信に幼い日の出来事を語った。蜘蛛の土地神に襲われたところを使に助けてもらったこと。使の言葉から、土地神は子が欲しがったということ。八幡丸は土地神に己の子と間違われて神隠しに遭いかけていたということを語った。
「なるほどな。それで使を目指したというわけだ」
「あぁ。だから、俺には政なんて関係ない」
「だが、お前は神祓ノ寮の役人で、使でもある。神祓ノ寮が都の役所である以上、お前と政は切っても切れぬ間柄になったのだ」
そう言われても、八幡丸には政が分からない。八幡丸にとっての政といえば、村長の仕事しか分からない。都からやって来る国司の蔵に収める米の量を量って、帳簿に記載するぐらいしか分からない。あるいは祭りの際になにを供物にするのか、考えることぐらいだ。その役割をしたためしがない。
俺と政になんの関係があるっていうんだ?
仕事は神を祓うことぐらいで、内裏に入り込んで何かをしたということもない。そもそも八幡丸に政の言葉が分かるかと言われれば、それもできるわけがない。
黙り込んでしまった八幡丸に、継信は話は終わりだと言わんばかりに立ち上がった。
「お前が刀を振るうたびに、人々は平氏の人間がやって来たと思うだろう」
「俺は平氏じゃない!」
「だが、使は平家の一族が取り仕切っていると聞く。お前がどう言おうと、周りはお前を平氏の人間と思うだろう」
言葉が出なかった。八幡丸は立ち去る継信の背中を黙って見送る他なかった。平氏の人間ではない、それは確かだ。それなのに周りの人間は自分を平氏だと思う、それが不思議でならない。
八幡丸は自分の体に刻まれた紋を見た。
この紋は神を救うために手に入れた紋だ。政など関係がない。
「俺は…………」
果たして、何を悩んでいるのだろうか。
「兄上、少し意地悪だったのではないですか」
釣竿を下げた継信に話しかける声があった。町中に出てきた継信の背後についてくるのは、女物の着物を肩にさげた優男風の男だった。
「忠信、聞いていたのか」
「もちろん。あれがうわさに聞いた都からやってきた使か。どうだった?」
「分からん奴だった」
思いがけない回答に忠信が意外そうな顔をした。この冷静な兄を持ってすら意思を読み取れない人間がいるとは思わなかった。
「面白そうな人間ですね」
兄が見抜けない人間がいるということに興味がわいた。忠信は兄がやってきた方向を見た。
「政の一部になっているくせに、己の位置が分からん男だったよ」
「なるほど」
兄の言葉に納得がいった。使は平氏が用意した手ごまの一つでしかない。それに気づかないとは、哀れに思えてきた。元々そういう人間を集めているからかもしれない。忠信はそうなってしまった男に少しだけ同情した。
「是非、一度手合わせ願いたいものだね」
「忠信、それは分からんぞ」
二人は一つの屋敷に入っていった。そして、その奥に座る主に声をかけた。
「今、戻りました」
義経様、と。