3 東路にて
暑さで溶けそうになりながら、八幡丸は東路を歩いていく。足元に群がるのは浅間の飼っている犬たちだ。それぞれ太郎坊、二郎坊という。
「浅間、少しは躾けてくれ」
「この子達はあんたが気に入っているんだから、馬鹿言わないでよ」
「東国に行くって、なんでだろうな」
「やだ、あんた何も知らないのね」
水筒から水を飲んでいた浅間が吹き出しそうになった。横にいた八幡丸はとっさに避ける。地面に飛び散った水を踏まないように、大股で歩いた。元は堺の商人の出だという浅間には、しとやかさなど皆無だ。そこがよい、という仲間もいるのだが、八幡丸はどうも男がもう一人いる様にしか感じない。
「源家が最近動きが活発化しているのよ」
「源家?」
浅間が思いっきりため息をついた。どこかわざとらしいその仕草に、少し八幡丸はいらついた。
「そんなことも知らずに都に来てたのあんた。そんなんだから、田舎者って馬鹿にされるのよ。いい、私達が仕えている平家と双璧をなす武家の事よ」
「武士の集団なのか」
武士はそもそも、貴族の周辺を守る者ということから発している。それがだんだんと力をつけ、政治にまで進出した。それが藤原関白の世が去ってからしばらくたってのことだ。清和天皇の血筋である源氏、そして桓武天皇から発生した平家、それぞれは互いに拮抗しあい、先だっての戦で源家は東国へと追いやられた。それがほんの数十年前の話だと言われても、全然関係のない山奥で育ってきた八幡丸には知りようもない話だ。
「源氏の頭領が各地の武家に声をかけて力をためているってもっぱらの噂よ。近々戦になるかもって言われているのに」
「関係ないだろう。俺達には」
ごふっといい音がして、八幡丸は地面に倒れこんだ。浅間が太郎棒と二郎坊をけしかけたからだ。
「関係大ありよ。戦になったら祭りがなくなるのに」
そのまますたすたと行ってしまう浅間に、八幡丸は歯ぎしりした。祭りがなくなる、ということがどういう意味を成すのか八幡丸には分からなかった。八幡丸の村では、毎年春と秋に祭りをする。たしかに、都に来てからは祇園祭ぐらいしか見たことがなかったが、都とはそんなものだと思っていた。
「祭りは私達にとっても大切なものなのに、やっぱりあんたは全然ね」
「俺は……」
「あんた、ただ力を使えるからっているでしょう。それじゃ務まらないって、そろそろ気づいたらどう」
「…………」
浅間の言うことはもっともだった。浅間の背中を見つめながら、八幡丸はどうしようもない気持ちを抱えていた。幼い頃に助けてもらったから、同じように人を救うだけではいけないのか。
ふと、何かに呼ばれたような気がした。
「浅間、すまん」
「なによ?」
そのまま森の中に消えて言った八幡丸に浅間は大きなため息をつき、二郎坊に後を追わせた。
「いい加減ただ働きに懲りたらいいのに、ねぇ太郎坊」
返事をするように太郎坊がわふん、と大きく鳴いた。
「ここだな」
いつの間にかついてきた二郎坊に案内してもらいながら、八幡丸は森の中を突き進んでいった。けもの道のようになっているが、元はこれが道だったのだろう。小さな祠があった。
「おい、誰かいるか?」
祠の周りで声を張り上げるものの、風しか通り過ぎるものはなかった。草に覆われ、見えなくなってしまっていた祠を手早く元通りにした。すると、祠の石段の上に小さな神がいた。獣の姿をしている神で、おそらく道祖神の一柱だろう。
「かたじけない、そなたは使のものだな。いつぶりだろう」
しわがれた老人のような声を上げたものだから、八幡丸は目を点にした。片手に乗る程度の神なので、おそらく幼い神だと思っていたのだが。
「ここの道祖神殿で間違いないだろうか」
「ああ、それでよい。わしは、京の都の方位神殿の分霊のようなものでな。ここで長らく人を見守っておったのだよ」
「ここはもう使われなくなって長いように見受けるが」
「あぁ、そうだよ。人が馬に乗るようになってから、ここは狭く足場が悪いからの」
麓の方が土地が平らだから、そちらの方に人が移ったのだ、と神は語った。神は髭をちょこっと動かすと、八幡丸に黄金色の瞳を向けた。
「して、そなたはいずこに行こうとしているのだ?」
「東国へ向かうつもりだ」
「さて、東国とな。何やら嫌な予感がする。使殿、悪い事は言わぬから引きかえした方がよかろう」
「無理だ。俺は、東国に向かわないといけない」
はっきりと言われ、神は戸惑いの視線を向けた。縁もゆかりもない人間を心配するところは、まさに道祖神、道を司る神らしいと八幡丸は思った。
「なにゆえか?」
「東国で荒御魂が活発化していると聞いた、それの調査に向かわねばならないのだ。道を司る道祖神なら、何か知っているのか?」
「あぁ。かつて方違えが行われていた昔ならいざ知らず、今のわしの神通力でははるか遠くの東国のことまでは見ることはできぬ。じゃが、不穏な気配が漂ってきている事だけは分かる」
方違えとは、占いによってその日に行く方角の吉凶を調べるというものだ。もし、凶と出ればその方向には出ないというものだ。その占いにはこの方位神が祀られ、信仰を集めていたと聞いた。
「不穏な気配とは、荒御魂の事か?」
「おそらく、じゃが……いや、わしからは何も言えぬ」
八幡丸はとっさに腰の入れものから饅頭を1つ取り出した。それを神の前に出した。
「むむ、これは菓子か」
「これでどうか、聞いてはくれないか」
はぐ、と神が饅頭を飲み下した。
「穢れた神を狩っている人間がいると聞く」
「狩っている?」
ふと、脳裏に諏訪の姿が浮かんだ。穢れた神を狩る、というのは穏やかではない。神とはその土地の自然そのものだ。いくら穢れていたとしても、狩ることは許されない。
「あぁ、神の内に宿る万物を操作する力、それを得ようとしている人間がいると聞いた」
「…………」
使とて神の名を借り、力を操ることはある。だが、神を越えようとは思わない。それは矩を越える行為だからだ。己の魂につけられた名をとり、神の名を代わりにつけ、その力を借りる。それが使であって、神通力を奪うなど、できるわけがない。
「穢れた神を狩り、力を得ることはできるのか」
「できよう。なにせ、穢れた神には身を守る神通力すら残ってはいまい。いくばくかの術を用いれば、神を身に宿すこともできよう」
「それは……」
「もちろん、かようなこと恐れ多い事だと分からねばならぬ。人は人、神は神。互いに住まうべき道というものがある」
東国にいるのは、そういう者達なのだと暗に伝えてきているのだと、八幡丸は思った。荒御魂が活発化しているのは、その何某かのせいかもしれないのだ。
「誰か分かるか?」
ぐいぐい、と二郎坊が八幡丸の着物の端をつかんだ。これ以上離れるといけない、と思ったらしい。
「東国に近くなれば、詳しいことが聞けるであろう」
「あぁ、そうする」
「久方ぶりの供え物、美味であったぞ」
ぱたぱたと尻尾らしきものを振り、道祖神が八幡丸を見送った。八幡丸は小さく手を降り返し、道祖神の祠を後にした。
「何やってたの?」
途中の河原で足を休ませながら浅間が言った。浅間に道祖神から伝え聞いたことをまとめて話すと、浅間は考え考え聞いていた。
「なるほどね、神を狩る人間か」
「ありえるのか?」
「ええ。あまり、気分のいいものではないけれど」
そういって浅間は手にしていた筆を宙に向け、くるりと円を書いた。すると、炎になったところから桜の花が咲き、浅間の掌に落ちた。
「私達はこうして神の力を借りて役目を果たしている。あんただって、八幡神の力を借りて戦っているでしょう」
小太刀に目をやり浅間が言った。
「神の神通力が枯れる、いわゆる穢れの状態になれば、扱えるようになる、そんな考えは許したくないわ。もし、そのような人間がいるなら、私は許さない」
浅間の言葉に反応するように二匹の犬も鳴いた。小川のせせらぎを聞きながら、八幡丸はどこか遠い所にいるような感じがした。
俺、なんで何も言えないんだろうか。
「あんたは、って聞かない」
そんな心を見透かしたのか、浅間はさっさと歩いて行こうとする。慌ててついて行く。
「神様をどう思うかなんて、所詮は人次第だもの」
「俺は……」
幼い頃に自分を襲ってきた神の恐ろしさは今でも身についている。けれど、あちこちの祠や社で出会う神々の事を嫌いにはなれない。浅間は自分なりに神との向き合い方を知っているのだと思った。では、己は? そう問われても、八幡丸には言葉がない。学が無いから、と言えれば簡単かもしれないが、それだけではない気がした。ただ、漠然とした思いしかないのだ。それを言葉に変えようと思っても、ぴったりとあてはまる言葉が思いつかないのだ。
腰に佩いた小太刀は神の名を借りたときに授かったものだ。
「さっさと行かなきゃ。今日中に宿につくわよ」
「あぁ」
浅間にせっつかれ、八幡丸は足を動かした。
あの道祖神が語っていた気配は何なのだろう。もし、神を狩る人間がいるのならばやめさせたい、八幡丸はそう思った。
ふと上を見上げると、大きな入道雲が広がっていた。そろそろ夏が来るのだろう。故郷ではもう田植えをしているころだろう。そろそろ故郷にあてて文を送ろう。故郷を出るときに字を書けないし、読めない者同士一つの取り決めをしたのだ。
満月の日に、元気であるならば丸を描いて寄越す。
丸ならば、八幡丸にでも描ける。それだけでは味気がないだろうと最近では八雲が細かなことを書いて一緒に送るようになった。八幡丸が書きたいことを代筆してもらっているのだ。確か村には何人か読める人間がいたような覚えがある。村長であれば読めるだろう。金子も一緒に送っているので、困ることはあまりないだろう。
「こういう時、字が書けたら便利だろうな」
どこにいても、夏は来るのだと思った。思い出すのは故郷の風景ばかりだ。まだ故郷を出て二年しかたっていないからだろうか。だんだんと故郷の日々がおぼろげになっていく。それがよい事なのか悪い事なのか八幡丸には分からない。
滴り落ちていく汗をぬぐいながら八幡丸は足を進めていった。気の早い蝉があちらこちらで鳴いている。今年は長雨が続いたから、目覚めが早くなったのだろう。不穏な気配が漂ってきているとはいえ、道は平和そのものだった。
八幡丸と浅間はそれぞれ宿につくと、それぞれの部屋に入った。
「都から、使の方がこられるなんてよっぽどなのでしょう」
そう、店番をしていた男が語った。八幡丸の布団を出しながら、この辺りの事を教えてもらうことにした。
「荒御魂は出ているか?」
「へぇ、まぁ。ですが、そんなにひどいものではありませんよ。すぐにいなくなってしまいますから」
「すぐいなくなる?」
いなくなる神などいるのだろうか。何か伝えたいことがあって彷徨っている神ではないだろうか。
「この間、武士がいらっしゃって祓ってくださったんですわ」
「武士が?」
使以外に、神を祓うことができる人間など聞いたことがなかった八幡丸は目を丸くし、男に近寄った。
「武士といっても、ありゃあ名のある方でしょうな。ふぃふつと矢を放って祓ってくださいましたよ」
「矢? そいつは諏訪という男か?」
「諏訪……はて、存じませんが」
八幡丸は少し考え、紙をとると絵を描いた。記憶に残っている諏訪の顔を書いた。
「こんな男だったか?」
「まさか、こんなに細くはなかったですし、目だって細くありませんでしたよ。確か……。源氏に仕えているもの、と名乗っておりましたよ」
「源氏!」
八幡丸が叫んだので、男がびっくりして八幡丸を抑え込もうとする。男になだめられ、八幡丸は上りかけた頭の血をおさえた。
「源氏が怪しい動きをしていると、仲間が言っていた。神を祓っているのにそれがおかしいのか?」
使える主は違えど、使と同じようなことをしているのならばおかしくはないはずだろうが。なぜだろうか。
「使の方は平家にお仕えしているのですから、仲が悪いとは存じ上げますが、ここはどうか」
「いや、俺は別に平家に属しているわけじゃ……」
へぇ、と男が素っ頓狂な声を上げた。
「都にいらっしゃる方はみな平家についているのではないのですか?」
「確かに……俺の主は知盛様だが……」
いや、主といっても単に祓ノ寮の頭が知盛だからではないだろうか。別に故郷の土地が平家のものであったわけでもないし、仕えているという自覚はなかった。
「ならば、平家の方でしょう」
「そう、なのか……?」
こういうところが世事に疎いと浅間から怒られる要因なのだろう。だから何だと八幡丸は逆に言い返したくもなる。自分には刀しかない。頭がないから、誰に仕えているという自覚もないし、兵士と源氏のいざこざなんて知らない。源氏の頭領が平氏に負けて死んだのだって、都に来て初めて聞いた。そして、その頭の子どもが伊豆に流されたのも、遠い遠い話のように聞いていたのだ。都にいるからと言って、何もかも知っているわけじゃない。
知らないと、いけないのか?
八幡丸は時折そういう感覚に襲われる。おそらく知らないといけないことなのだろうが、どこかで諦めている自分がいる。所詮は雲の上の話だからだと、逃げ回っているのだ。
「東国にいかれるのであれば、お気を付けくださいね。最近は東国からやってくる人も少なくなっていますから」
「それは、伊勢参りの人間もか?」
こくり、と男がうなずいた。珍しいな、と八幡丸は思った。この事もきっと何か関係があるのだろう、八幡丸はそう思った。とりあえず、明日も歩きどおしだ。その時にでも浅間に伝えてみるとしよう。