17 神祓ノ使
平氏が滅んだことで、力を盛り返した源氏は四天王という大きな武力を失ったことにさほどの痛手を感じていないようだった。そもそも、人の戦に神が介在することなどおかしい事だと、源氏側の対象は思っているようだった。八幡丸は戦のあと、なぜか鎌倉に呼ばれた。
「お前が四天王を討った男か」
黒い直衣をまとった男が御簾の向こう側から話しかけてくる。八幡丸は丸座に胡坐をかいて座っていた。両側を固める武士たちの目が何となく気にくわないが、八幡丸は緊張するそぶりを見せずに、ただ前を向いていた。
「本来ならば、敵に褒美をやることもないのだがな。お前は戦において手柄を立てたと聞いた」
源氏の対象の声は思ったよりも若く、八幡丸はどこか拍子抜けた気がした。老獪な人物を考えていた八幡丸は、はい、とだけ答え続けていた。あの若さで大将を預かるのだから、油断ならない相手だろうとも思った。それに、ここには出雲も浅間もいない。うっかり話したことで、どんなことになるか分かった者ではない。
「義経は都から不正に官職を賜っていたということを聞いた。それ故、処罰しようと考えていたのだ。だが、お前が討ってくれたおかげで、処罰する必要もなくなった」
「官職を得ることが、処罰になるのですか」
八幡丸は素朴な疑問を口にした。
「当然だ。なばかりであったとしても、官職を得るということはそれだけ力を得るということだ。それに、武士の世になろうとしつつあるのに、宮中とのつながりを深めるとは言語道断だ」
「そうでしょうか」
八幡丸の言葉に、男が息を飲んだのが分かった。八幡丸はまっすぐに前を向き、語りだした。それは、ずっと考えに考えていたことだ。
「たとえ武士が世を治めようが、誰が世を治めようが、この世にいるのは民です」
「民だと?」
八幡丸は前をまっすぐに見据えて告げた。己が農民の子であると何度も繰り返していたことが、こんなところで芽吹くとは思いもしなかった。
「上にいるものが変わろうが、民は変わりません。民にとっては、肝心なのは、生かしてくれるのが誰なのか、ということでしょう」
「生かしている?」
八幡丸の言葉が意外なようで、大将は話の続きを聞きたがった。八幡丸のことなど、単なる田舎の農民の子、ということしか知らなかった大将は、そんな人間から民という言葉が出てきたというだけでも驚きだった。
「税を納める先が変わるだけで、あとは何も変わりません。民は、その日生きていければそれでいいのです。世が乱世であろうが泰平であろうが、民は生きていられればそれでいい。それ以外のことなど、煩わしく感じます」
八幡丸はずっと考えてきたことをつらつらと話した。ここまで話したのはずっとなかったことなので、自分でも驚いた。それに関して、巴や出雲、浅間から教わったことはあながち間違いではなかったのだろうな、と思い始めた。
八幡丸の言葉はまだ無知な部分も多くあるが、それでも本質を射ているのではないかと、周りの武士たちは思うようになった。こんな事を考える民が今までいただろうか、とささやき合った。八幡丸にとっては、自分の意見を言える爽快感だけがあった。
上に立つ者が変わっても、民は変わらない。民は変わらずそこにあるのだ、という言葉は大将の心に何かをもたらした。それをもたらしたのは、何の額もないただの農民の子だというのも、なんだかおかしく思えた。
「よい。八幡丸、お前は何を望む。官職であれば、用意してやろう」
「それでは、故郷の村の税を3年待ってもらいたい」
「なっ!」
その場の武士が絶句した。税を納めずに済むなどという特例を認めるなど、今までなかったことだ。
「なぜだ?」
「俺の村は特段豊かなわけでも、貧しいわけでもない。だが、税があるせいでより多くの実をつける稲を作れないと言っていた。俺の祖父が言っていたことだ」
「税を待つ代わりに、稲の改良を行えということか?」
八幡丸は静かにうなずいた。税をとられなかったら、しばらく村の赤子は育つことはできよう。それに、収穫量の多い稲を作ることができれば、税でとられたとしても、手元に残ることはあるだろう。
「それに、俺の村で多くの実をつける稲を作ることができれば、周辺の村に配ることだってできる。そうすれば、多くの村で多くの稲が作られるようになるだろう」
「ふむ」
大将は八幡丸の言うことには一理あると思った。戦の爪痕がまだ残っている。いたずらに税を取り立てても、決して民はついてこないだろうことは分かっていた。この時代、民が力をつけつつある時代になっていたからだ。民がいつまでも大人しく従うこともないということは、大将には分かりきっていたことだ。
「よかろう。その代わり、収益が増えた分、税を余分に取り立てるかもしれぬぞ」
「それも仕方ない事ではないですか」
「なに?」
「税が無ければ、政は行えぬと、知盛さまが仰っていました。いずれ武士が政を行うようになれば、税を納めるようになるのは必定でしょう。ですが、その裏には民の営みがあることをわすれなきように頼みたいのです。民は、確かに無学ですが、知恵がないわけではありません」
それは八幡丸がよく知っていた。先祖代々伝わってきた知恵が八幡丸の中に流れている。それは天気の読み方から、よりよい道具の作り方、狩りの仕方など多くに及んでいる。書物を暗記できるから、漢詩や和歌を詠めるからと言って学があるというわけではないはずだ。八幡丸は勉学するうちにそう思うようになったのだ。
「八幡丸それでお前はこれからどうするつもりだ?」
「俺は、故郷に戻る前に俺が力を借りた神のもとへ参ります」
「筑紫の国か」
八幡丸は静かにうなずいた。八幡丸の神は筑紫の国に鎮まっていると聞いた。また、あの壇ノ浦を通ることになるのかもしれないな、と心のどこかで思った。戦いながら移動してきた道をたどり、八幡丸は旅をすることに決めた。
故郷に戻る前に、己が最後に鎮めた神のもとに参り、それから人として生きていくことを宣言していこうと思ったのだ。
「お前は人になるつもりか、それとも使であり続けるつもりか」
最後に大将が尋ねた言葉に、八幡丸はしばらく悩むそぶりをして答えた。
「俺は俺として生きていきます」
八幡丸はその言葉を残すと、その場を辞した。
「あの男は、もはや人の視点を持ち合わせておらぬようだな」
大将はひとりごちた。まるで神がその場に居合わせたような、どこか壁を感じたのだ。人間味がないわけではないが、聞いていた話とは違ったから驚いたのか、大将には分からなかったが、八幡丸と名乗った男からはまるで仙人のような気配を感じたのだ。まるでよの裏側まで見透かすようなその言葉に、身が震えたのは間違いなかった。
そして、大将は悔しく思ったのだ。
一匹の虎を、繋ぎ止めることもなく野に放ってしまったことを後悔した。
鎌倉を出て西へと向かう道中、八幡丸はふと浅間の実家へと向かった。浅間はあれ以来実家に戻り、算術にふけっていると聞いた。燃やされてしまった蔵は今は元通りになっており、いまでも浅間様との交流は続いているのだと言う。浅間は八幡丸に家で奉公してはどうかと提案した。それを八幡丸は断った。たしかに、浅間の家に居つけば旅をせずとも住むし、より多くのものが見られるかもしれない。しかし、それはどこか違うのではないかとも思うようになった。八幡丸は巴から授けられた太刀を浅間に渡すと、小太刀を手に西へと街道を渡っていった。
何年物旅の末、八幡丸はついに宇佐の社へとついた。その記録を残した後、八幡丸がどうなったかは分からない。一説によればそのまま宇佐の神宮に仕えたとも、また故郷に戻り妻子を得て往生したとも伝えられている。
それから何百年も経った後、堺の旧商人の蔵から、見事な漆塗りの太刀が現れたことが急きょ、その由来について調べられたことがあった。そして、この太刀は昔戦に巻き込まれつつも自由思想を持った人間がいたということが分かったのだった。いままでの県y級では、自由思想を持つ人間が現れるのは、西洋技術が入るようになってからだというのに、この刀の持ち主は、すでに持っていたことが分かり、時の研究者たちは、躍起になって調査をしたのだった。
しかし、名もなき者は歴史に刻まれない。そこがまた魅力なのだと、調査できなかった研究者たちは語るのだった。




