16 八艘跳躍
八幡丸が四天王を撃ったことを、義経は静かに聞いていた。
「なるほど、そのようなものが平氏にもいたとはな。なかなかに見どころのある若者ではないか」
「どのようになさいますか、義経様」
身の回りの世話をする女官が静かに尋ねた。
「所詮は、ただの使だ。平氏に義理立てしているつもりもなさそうだ。ならば、このまま戦い、必要とあれば引き込むまでよ」
義経はともされた火をじっと見つめていた。もし、戦うことになれば、その時は敵となるか味方となるか、それは誰にも想像がつかなかった。
「四天王も残り一人か」
八幡丸の報告を聞いていた出雲が驚きつつも、どこか納得したようにつぶやいた。誰もが戦うことができなかった相手を一人で乗り越えてしまうものだから、中には日上の目を八幡丸に向ける者もいた。あるいはうわさに聞いて身に来る者達もいた。
「あぁ、俺が噂の八幡丸だが、何か用か?」
噂を聞きつけてやってきた者達は八幡丸のあまりにもみすぼらしさに同様にがっかりして出ていった。どこかの剛力の物を想像していたり、怜悧な人間だと思い込んでいた者達は、八幡丸の凡庸な見た目やぼろをまとった身なりにがっかりして出ていった。八幡丸は勝手に想像していく人間たちに一言も言わなかった。
「お前のうわさを聞きつけてやって来る者達も結構減ったな」
「まぁ、な。ところで、ここにはいつまでいるつもりだ?」
「さあ、知盛様が力を盛り返すまでだから、相当な時間がかかるだろうね。最早平氏に頼りとなるものはほとんどない。あるとすれば、帝様ぐらいなものだ」
「帝か」
そこら辺の事も、八幡丸にはよく分かっていない。八幡丸は、なんとなくもうただの農民には戻れないということは分かっていても、ならば何になれるか、とも思えなかったのだ。ここまで名が売れてしまった以上、故郷に戻っても、親や兄弟が迷惑を被っては仕方ない。
「帝さまはまだ幼い。旅の疲れもある。不安で眠れぬ日も続くと聞くし、食事もあまりとられていないとも聞いた。可愛そうなことをしたものだよ」
出雲が同情の言葉を漏らした。
「祖父の力で帝となったものの、その祖父もすぐになくなってしまったのだからな。そして、まだ分からぬままに戦に巻き込まれている。仕方のない事とはいえ、あの幼さで人々の恨みを背負うのはつらい事だろうよ」
「そうか。人の上に立つ者は、それなりのものを背負わないといけないのだな」
確かに、思ってみれば知盛はいつも忙しそうに部下に声をかけていた。それに、出雲も最近はいつ寝ているのか、いつ食べているのかもわからないほどだ。それがどんなに体をむしばむ行為か、八幡丸には分かっていた。しかし、それほどまでに平氏が追い詰められているのだと八幡丸は察することができた。
心のどこかで、平氏が負けるわけがないと思っていたせいなのかもしれないと八幡丸は思った。あれほどまでに栄華を誇った一族がそんなにあっさりと負けることはあるまいと思っていたからだ。たしかにやり過ぎた面はあったかもしれない、だが、それも含めて世の趨勢を担うというのはそういうことなのだと何となく理解していた。
「八幡丸、お前に命が下った」
書状を持って諏訪が入ってきた。諏訪も長旅で疲れているのだろう、目の下に真っ黒なものが浮かんでいた。
「八幡丸、お前と俺で四天王の最後の男を倒すということがここにかいてある。四天王を倒さねば、平氏の勝利はないということだ」
あぁ、と八幡丸はうなずいた。きっとそう来るのではないかと、なんとなく思っていたからだ。しかし、それはほとんどまぐれのようなもので、決して一人だけの力ではなかった。継信の時は敦盛が、そして、この間の時は浅間がいたから乗り越えられたのだ。
一人でいたら、きっと倒せなかった。
八幡丸はその夜、一人で波打ち際に来ていた。寄せては返す波を見ていると、やはりここは故郷ではないのだ、という思いが迫ってきた。海を見たのは、故郷を出てからだ。そして、使となり各国をめぐるようになってからだ。故郷にいればよかった、などと思うつもりはもうない。使となるのは己の天命だと、半ば思っていたからだ。
「俺はどうなるべきだろうか」
きっと故郷にいたときには思いもしなかった事だろう。生きることに必死だったあの毎日では、そんな事を思う暇がなかった。それに、学が無いから、どのように抜け出せばよいのか分からなかった。
しばらく日がたったころ、八幡丸は仲間たちとともに船に乗っていた。壇ノ浦、と呼ばれる海原は大きな波がうねり、まるでこれから起こることを否定しているかのようだった。
「荒海と聞いていたが、これはうわさ以上だね」
出雲が時折かかる水しぶきをぬぐいながら言った。船酔いでもしたのだろうか、顔色が青白く、気分が悪そうだ。
「お前は平気なんだな、諏訪」
「俺は漁師の子だ。船は幼い頃から乗っていたさ。船を揺り籠に、波の音を子守唄に聞いて育ってきた人間だ」
今更ながら、この男の事をあまり知らなかったことに気が付いた。だが、改めて聞く気にもなれず、そうか、と短く返した。互いに何も知らなかったが、奇妙な縁だろうな、ということは分かっていた。
「八幡丸、来るぞ」
「あぁ」
八幡丸は源氏の船に跳び移った。
「小太刀の赤毛! あいつだ!」
源氏の兵が口々に八幡丸に向かって叫び声を上げた。将を撃ってきたのは向こうも知っているようで、何度もその声を聞いた。八幡丸は太刀で兵士たちを倒していきながら、四天王を探した。
ひときわ大きな船を見つけて跳び移ると、そこには影のような狼を従えた少年が立っていた。年のころは八幡丸とそう変わらない。
「八幡丸、そいつが四天王に違いない!」
後から追いついてきた諏訪が声を上げた。諏訪の言葉に、少年はうなずいた。
「あぁ、俺こそが四天王の一人にして長。義経だ」
義経と名乗った少年が太刀を抜いた。大鎧を身に着けた体は銀色に輝き、どこか人を引き付けるような気配を漂わせていた。間違いない、奈良で声を張り上げた人間だ。
「諏訪、後ろは頼んだぞ」
八幡丸破たっと駆けだし、義経に斬りかかった。義経はそれを交わし、何度もつばぜり合いを起こした。諏訪は義経に向かって矢を放つものの、それを義経は切り払っていく。何かの兵法を学んでいるのは間違いなく、そして天賦の才能が義経にはあるのではないかと八幡丸は思った。
だから、八幡丸とは違って将としての名声を預けられるし、何よりも髪を受け入れるだけの器を得ることができるのだ。
「俺の部下を倒したことは敵ながらにしてあっぱれだ! だが、お前が望んでいるのはそのようなことではなかろう!」
「なんだ!」
「お前はただの民だ。それなのに、なぜこのような場所にいるんだ?」
「俺にだってわからない、ただ、これ以上の戦は意味がないってことは確かだ!」
「戦が無意味だと、笑わせるな!」
義経が気を放ち、八幡丸を吹き飛ばした。船の柱に背中をぶつけ、八幡丸は大きく咳き込んだ。なにせ、ここは船の上。遠くから怒号や悲鳴が聞こえてくる。今まで少ない人数で戦ってきた八幡丸にとって、ここが初めての戦場だった。
「聞こえるだろう! これこそが平氏がおごった結末だ! 滅んだあとの世は我ら源氏が引き継ごう!」
「そのようだな! 生憎俺には関わり合いの無い話だ!」
八幡丸は太刀を握りしめ、義経に向かっていく。諏訪も八幡丸の動きに合わせて矢を放っていく。諏訪の方でも何か考えがあるのか、話に関わろうとはしなかった。
「影の狼は使わないのか?」
「それを使うには、影が足りないからな!」
「お前の神の名を暴き、そして、この戦を終わらせてみせる!」
「神の名、か。できるものならやって見せろ!」
義経が声を荒げて八幡丸に向かってきた。八幡丸は戦っていくうちに、もしかしたら、という思いを抱いた。
義経もまた、乱世に踊らされているのではないか、と。神を取り込み、将となったとしても、この戦を率いているのは別の将だと聞いている。功名心の高い人間であれば、それに対して思うところはあるだろう。
「平氏が悪だと、本当にそう思っているのか?」
「当然だ! ならば、父上が死ぬ必要はどこにもなかったからな!」
八幡丸は、そうか。と思った。八幡丸が生まれて間もない頃にあった戦の被害は、こんなところにも表れているのか、と思った。戦の影響で八幡丸の兄になるはずだった赤子はみな死んだ。
八幡丸でさえ、死ぬ目に何度もあったと母が言っていた。物心ついたころには、戦の爪痕は大分なくなっていたが、それでも危なかった日は一度や二度ではなかった。
八幡丸は刃を交えつつ、同情というものを抱いた。この義経という少年と、自分はどこか似ているのではないかという思いだ。
「お前、もしかして戦うことに迷いがあるのか?」
言い当てられ、八幡丸の手が一瞬止まった。その隙を狙って義経が八幡丸の腹を殴った。
「がはっ!」
「戦に迷いなど不要! 迷ったやつから死ぬぞ!」
八幡丸は言い当てられ、よろめいた。
「八幡丸!」
「いい、諏訪! お前は攻撃の手を止めるんじゃねえぞ!」
「分かった、八幡丸。次が来るぞ!」
義経の攻撃を転がりながら避け、八幡丸は体勢を整えた。すぐに立ち上がるものの、そのとたんに大きく揺らめいた船体に体が大きく傾いてしまった。
「うわっ!」
「すきあり!」
と、義経が大きく刀を構えて突撃してくると、急にその動きが止まった。
「な、なんだと?」
義経がまるで蝋で固められたかのように動かなくなった。八幡丸はふと目を開け、すぐ目の前にある切っ先をじっと見つめた。八幡丸もとっさに立ち上がろうとして、その体が震えることなく固まってしまっているのに気が付いた。
「なんだ?」
八幡丸が上を見上げていると、その原因がすぐ姿を現した。
「夷神か!」
大きな魚の様で、うろこの無い滑らかな表面。そして、三日月のように反り返った尾の先。それは八幡丸たちの船の上を飛び越えた。ばしゃん、と大きな音を立てて鯨の姿をした神が海へと潜っていった。
「ここで荒御魂か!」
八幡丸が言うと同時に、急に空が暗くなり始め、大きなうねりを伴った雨が降りつけてきた。夕立ちかと思われたそれの温度は氷のように冷たかった。
「荒御魂を排除しなければ戦うこともできまい。おい、貴様!」
「八幡丸だ!」
太刀を収めた義経が嵐の中央、夷神がいるあたりを指さして命令した。
「荒御魂を鎮めてくるがいい! それまでは待ってやろう!」
「ふざけるな! お前も来るんだよ!」
八幡丸は激昂したまま、義経の首をつかまえた。そして、共に海へと跳びこんだ。墜神の力のせいか、義経は沈むことなく水中にいることができた。そして、使である八幡丸には長い間潜っていられる力を得ていた。
潜ってきたはいいが、どうやって鎮めよう、と八幡丸は思った。おそらく、この場に沈んでいった多くの兵士たちの恨みや怒りをすって荒御魂になったのだと思う。神は血を嫌う。戦で流れた血をよく思わないのは確かだ。
八幡丸は神をおびき寄せるようにわざと腿のあたりを切った。血をかぎつけた神は赤々とした目を向けながら八幡丸に迫ってきた。
それを義経が太刀を振るい、追い払った。水の中であるせいか、気も上手く使えないようで、八幡丸は一人で神と向きあうことになった。鯨の神は、八幡丸を飲み込もうとやってくるが、それを避け八幡丸は体に張り付いた。その隣には義経もいた。義経はふと八幡丸に上に上がるように指を上に向けた。
「なんだ?」
「俺が墜神を取り込んでいなければ、死んでいたぞ!」
起き上がる途中で兜を落としてきたらしい。そして、その顔を見たとたん、八幡丸たちは目を見開いた。
「どういうことだ?」
先に口を開いたのは八幡丸の方だった。髪の色や口元のほくろの違いはあれど、ほとんど似ていたからだ。まるで双子のように。
「お前……」
義経が声を上げると同時に、荒御魂が八幡丸たちを海中から弾き飛ばすように浮上してきた。空中に投げ出された二人は、身をひるがえし、そして跳んでくる水の塊を切り払っていった。
「夷神は海の神だ。お前達、一回船に戻れ!」
諏訪が矢を放ちながら叫んだ。八幡丸たちはその言葉にうなずきあうと、船の上に飛び降りた。
「荒御魂がやってくるとは思わなかったぞ。お前達、本当に役目を果たしていたのか?」
「西国の神にはあまり触れられなかったのだ。そこを攻められるいわれはないな」
諏訪に言われ、義経がぐっとつばを飲み込んだ。顔をゆがめたその顔は、どこかまだ幼さを残していた。
「八幡丸、それで荒御魂をどう鎮めるか分かったか?」
「あぁ、この船に乗せようと思う」
「なっ!」
こともなげに言った八幡丸に義経が詰め寄った。
「正気か貴様! この船にあの巨体が載るわけがないだろう! 沈むぞ!」
「あぁ、だが、水中にいてもあの紙の勇利は変わらない。陸にあげるにも、時間と人数が足りない。ならば、ここしかないだろう」
ぐぬ、とうなりだした義経をほったらかしにし、八幡丸は荒御魂が暴れている方を見た。まさかここで荒御魂がやってくるとは思わなかったのは、他の者達も同じようで恐れ慌てふためき、逃げていく様子が分かった。
「荒御魂を増やしたのは、平氏だ」
「そうかもしれないな」
義経の言葉に、八幡丸は答えた。
「だが、ここにいるのはすべて人間だ。平氏だから、源氏だから、という意味ではなさそうだぞ。俺は、人と神のかかわりをずっと見てきた」
幼い頃は、何も知らずに神を信じずにいた。目に見えないものだから、何をしてもいいだろうと思い、禁忌を犯した。その罰が今でも身を縛っている。使として神々と向き合うちに、神とはただ恐れ敬うものではないということも分かった。浅間のように、親しみを込め、愛着をもつこともあるのだということを知った。
八幡丸も、時に神の我がままや無茶に振り回されつつも、それをどこか憎めずにいた。なぜ、と言われても不思議に思う。
古来より、神はそのような繋がりではないか、と八幡丸は思いはじめた。
「神の力を得ようとしたことがそもそもの誤りではないかと思う」
八幡丸は誰にも聞こえないようにつぶやくと、空を駆けた。それは同時に、飛び跳ねた荒御魂の真正面だった。
「夷神よ! 鎮まりたまえ!」
八幡丸は太刀を構え、思いっきり振りかぶった。着られた荒御魂は頭から血を流し、また海へと沈んでいった。そして、最後のもがきでもあるかのように、八幡丸を海水の柱へと閉じ込めた。
「八幡丸!」
諏訪がとっさに水柱を射抜いて砕いた。水が飛び散った中、八幡丸が剣を構えたまま飛んできた。そして、その切っ先は義経の方を向いていた。これで終わらせよう、という意志に溢れていた。義経は向かってくる八幡丸に刀を引き抜いて受け止めた。
「仕切り直しだな!」
うれしそうに話す義経に、八幡丸は無言で返した。傾く船の上で二人が切り結んでいく。かん、かんと高い金属の音が響き渡る中、一呼吸を奪い合うような戦いが始まった。しばらく続けていくうちに、平氏が負けたことを告げる銅鑼の鐘が鳴った。それでも、二人はまだ戦を続けていた。互いに、目の前の敵を倒さねば、次へと進めないのではという思いにとらわれているからだった。
八幡丸が上段にないだ太刀を義経が身をかがめて避ける、そして掬い上げる様に切り上げようとする。それをさらに八幡丸が身をそらして避ける。飛び上がった義経は空中で身をひねると、八幡丸の背後に着地し、切っ先を向けて突き立てようとする。背後をとられた八幡丸は慌てて半身をとって交わした。
互いに動きを読みあうからこそ、互角のようになっていた。戦うにはあまりにも違いのある二人だが、戦いにおいては平等だった。
その思いを受け、八幡丸はもしや、と思った。義経もまた、戦の神を取り入れているのではないか、と。刃を交え、互いに傷だらけになりつつ、考えたことだ。もし、同じ器を持った者同士ならば、神の力が丁度半々になってしまうのではないか、と。八幡丸は、太刀を握りしめ、義経の刀を受け止めた。義経の刀にも、同じように気がまとってあった。そして、体中から八幡丸と同じような気が立ち上っていた。同じ戦の神、それを抱いているから、先程反発しあい、動きが止まったのではないか、と八幡丸は思ったのだ。
八幡丸は義経の刀を避けると、短剣を投げた。
「ぐつ!」
短剣が義経の大鎧の右わきのあたりに突き刺さった。べちゃり土地が船に飛び散った。見れば、八幡丸の体にも大小の傷が浮かんでいる。八幡丸は額のあたりがいつの間にか涼しいと感じるようになった。血が流れているのかを確かめるつもりはなかった。ただ、一つの確信をもって、義経に近づいて、叫んだ。
「八幡神よ!」
義経の体がびく、と震えた。
「鎮まりたまえ!!!!」
八幡丸は太刀を振り下ろし、義経の体を切りつけた。それと同時に、己の体から、何かが抜けるような気がした。荒御魂は確かに鎮めるもの。しかし、それは同時に荒御魂ではない方の魂も鎮めることに他ならない。
八幡丸は、四天王の最後を討つとともに、使の力を失った。




