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神祓ノ使~源平争乱絵巻~  作者: 森岸 真鳴
13/18

12 人間五十、下天の内

 洛中から逃れた平家が向かうのは、西国の方だった。東から攻めてきた源氏の力から逃れるには、西へと向かうしかなかった。そこでもいくつか転戦をしたのだが、その中に四天王はいなかった。

「八幡丸、この先の神はみな怯えて姿も見せんな」

「そうだな、諏訪。お前は少し休んだらどうだ?」

 八幡丸は先ほどから足元がおぼつかない諏訪を気遣って後ろを振り返った。諏訪は余計なおせっかいだとばかりに八幡丸を睨んだ。諏訪は折れてしまった弓の代わりに薙刀を掲げ持っていた。

「帝がおられるのだ。そう手は出せまい」

「なぁ、諏訪。そんなに帝というものは力があるのか?」

「滅多なことを言うな。一門に聞かれればどうなるか」

 口を抑え込もうとする諏訪に八幡丸はすらりと交わした。

「四天王もあれから姿を見せていないとなれば、ここまでやってきてはいないのかもしれないな。洛中の中で力をためているに違いないだろう」

「だといいんだけれどね」

 二人の隙間から口をはさんできたのは浅間だった。浅間は、旅装束にしては鮮やかな衣をまとっている。浅間は逢坂での一件以来四天王をひどく嫌っている。

「浅間、この先の道はどうなっている?」

「特に問題はなさそうだよ。それに知盛さまが陣を敷くのにいい場所を見つけたっておっしゃっていたわ」

「やっと休めるな……」

 諏訪がため息をついた。たしかに、このところ歩きとおしだ。本体は先へ行ってしまい、八幡丸たちは平氏の下っ端の武士の一団に紛れて移動している。武士の一団というのに、中には女子どももいて、八幡丸は驚いた。

 女子どもも巻き込むのが戦というものなのか、と八幡丸は形容のし難い感情を抱いた。浅間のように力を持っているというのならば、まだ納得のしようもあるのだが、そのような人間はいなかった。普通の人間だ。

「そう言えば、出雲はどこに行ったんだ?」

 諏訪が浅間に尋ねた。

「出雲? 出雲は知盛さまに報告に行くって言って、それっきりよ。ほら、見えたわ。あそこよ」

 浅間は少し速足で八幡丸たちを追い越して、森の開かれたところを指さした。そこは崖がほぼ垂直になっており、前方には海が広がっていた。

「なるほど、攻めにくい地形を選ばれたのか。さすがは知盛様だ」

 諏訪が感心したようにうなずいていた。八幡丸には確かにたどり着くには少々手がかかる場所だな、という感想を持った。

「さぁ、少し早めに動いて日暮れまでには陣につくわよ」

 浅間が諏訪と八幡丸の腕を引いて歩きだした。足元の二匹の犬たちも大きな声を上げて二人を急かした。


 八幡丸は出雲に出会ったのは、その日の夕暮れだった。山の向こうに夕日が沈んでいくのを見届けていると、出雲の方から声をかけてきたのだ。

「や。八幡丸、今日もたそがれているじゃないか」

「俺だって好き好んでたそがれているわけじゃない」

「おや、お前はそういう性質だと思っていたんだが、違ったのかい」

 少し驚いたように八雲が言うので、八幡丸は苦い顔をした。

「まぁ、お前は戦うか神と語るくらいしかやることがないからな」

「まぁな。この辺りの神に事情を話していたところだ」

「それは殊勝なことだ。八幡丸、お前のそういうところが好ましいよ」

「普通じゃないか。ここが火の海になるかもしれない、と伝えておいて何が悪い」

 かか、と出雲が大きな声で笑った。

「まぁ、そういうことにしといてやろう。八幡丸。ここで陣を敷いたのは船を使うためだよ」

「船?」

「あぁ、この先は海しかない。知盛さまは四国、もしくは九州の豪族の力を借りようと考えていらっしゃるのだよ」

「ふむ」

「まぁ、お前に言ってもしようのない事だがな。四天王が今まで出てこなかったのも気になる。お前はどう思う?」

 そう言われ、八幡丸はあまり動かさない頭を動かした。ふと空を見上げると、だんだんと薄暗くなっていく空が見えた。ごろんと寝転がると、土の匂いがより強くなった。遠くで陣を張っている人足の掛け声が聞こえてくる。そろそろ炊き出しの時間になっていくのだろう。

「四天王、な」

「お前や浅間の言葉が正しければ、やつらは戦を知らない者達といってもいいだろう」

「そうなのか?」

 八幡丸は身を起こさずに出雲に聞いた。出雲はそうとも、と答えると八幡丸のすぐそばに座った。

「都に火を放つなど、それに人々が住まう場所に戦を仕掛けるなど、まともな武士のすることではない。知盛さまも大層お怒りだったよ」

 そういうものだろうか。

「お前は、神としか戦っていないだろうから分からないだろうが、本来武士は武士同士で戦い、民に手は出さないものだったんだ。それなのに、源氏は戦を仕掛けるときには周囲の村を焼き払うではないか」

「…………」

 農民の子である八幡丸にとって、そのやり方には疑問どころか怒りを覚えている。なぜ、戦だというのに関係のない民を巻き込むのだろうと思った。せっかく育てた田畑が踏み荒らされ、火をつけられてしまっては意味の無いものになる。巻き込まれた民には申し訳ないが、実家がそうならなくてよかったと八幡丸は思っている。

「八幡丸。お前には辛い光景だろうな」

「お前はどうなんだ? 出雲」

「私は、もう家族と呼ぶべき人はもういないからね」

 遠くを見て出雲が言った。そういえば、出雲が己の事を語るのは初めてではなかっただろうか。出雲はいつも寮にいて、寮に住んでいるのではないかというぐらい居座っている。八幡丸が知っている出雲の事といえば、元は篳篥弾きであるということと、古株であるということ、そして知盛から信頼されているということぐらいしか知らない。

「俺はお前を家族だと思っているのだが、それは違うのか?」

「それはどういった風の吹きまわしだい、八幡丸」

「同じ釜の飯を食った者は家族だというのが、俺の村の決まりだったからな」

「なるほど、そういう考えか。だから、お前には貴賤などないのだな」

 笑われた。だが、馬鹿にしている笑いではなかった。

「お前はまるで太公望のようだよ」

「誰だそれは」

「つりでもしていれば、そのうち分かるのではないか? お前に勉学を仕込む気はとうの昔に消え果たからね」

「余計なお世話だ」

「お前はある意味、天才、というわけか」

「はぁ、俺は馬鹿だと思うが」

「天才というのにもいろいろ種類があるのだよ。勉学ができることも確かに天才の一人かもしれないが、中には勉学とは違う意味で頭の回転が速い者がいるんだ。そういう者も、天才というんだ」

「意味が分からん」

「まぁ、そういうことだ。さて、そろそろ夕飯の時間だな。八幡丸、お前はどうする?」

「俺はもう少ししてから行く」

「そうか」

 と、出雲が立ち上がり、陣の方へと歩いていく。それを見届けて、八幡丸は改めて空を見上げた。そよそよと海風が肩を通り抜けていく。海の風はどこか塩のにおいがする。故郷とも都とも違うにおいがする。

 ほう、ほうという笛の音が聞こえてきた。この音は確か、以前に聞いた音と似ていた。あの敦盛という男の笛なのかもしれないな、と八幡丸は思った。

「近くにいるのか?」

 八幡丸は、笛の音のするほうへと歩いて行った。すっかり日の落ちた海辺で一人たたずむ敦盛がいた。

「お前は、あの時の」

「あんた、本当に笛が好きだな」

「何かおかしなことなどあるのか?」

 八幡丸はいや、と口を閉ざした。敦盛の姿を見ると、いつでも戦に行けるように大鎧の姿をしていた。兜はつけてはいないものの、すきのない形で八幡丸は平氏の人間なのだ、とあらためて思い知った。八幡丸と一緒についてきた兵士たちは、ここまでの防具は揃えていなかった。ほとんど身に着けていない人間だっていた。

「それで、お前はどうしてここに来た?」

「笛の音が聞こえてきたからな。あんたじゃないかと思ったんだ。戦になるかもしれないというのに、暢気なものだな」

「それを言うならば、お前とて同じではないか。小太刀を持ってはいても、鎧がないではないか」

「俺は使だからな、そんなおもっ苦しいものをつけなくってもいいんだ」

「なるほどな。知盛様がその力を使いたがるのも分かった。八幡丸、お前は源氏をどう思う」

「どうといわれても、源氏は都を焼いた。俺よりも強い。俺は、これ以上戦をしないでほしいと思っている」

 そういうなり、敦盛の顔が呆けたようになった。

「お前は、そんなことを考えていたのか」

「あぁ。俺は正直、この戦にどっちが勝とうかなんてどうだっていいんだ」

「そうか。お前は己のために戦っているわけではないと知って、安心した」

「どういう意味だ?」

「凡庸なものは、己のために戦うものだと教えられてきたからな。お前はそのようなものだと思っていた」

 言葉は分からなかったが、なんとなく馬鹿にされているような気がして八幡丸は渋面を作った。

「じゃあ、敦盛は何のために戦っている?」

「私は、誇りのためだ。平氏の力を世に知らしめるのだ」

「誇りか。あんたたち武士はそういう。だが、それも結局己のためではないのか?」

 八幡丸たちの上に、大小の星がきらめき始めた。八幡丸は小太刀を握る手をもう一度強く握った。まっすぐに敦盛の顔を見る。敦盛はなぜか都の女房たちのように、おしろいをつけた顔をしていた。男のくせにおしろいを塗るなんておかしなものだと八幡丸は心のどこかで思った。

「お前にはまだ分からないな。家を、一門を背負うということがどういうことなのか、分からないのだな」

 敦盛が目じりを吊り上げて言った。家がどうとか、血筋がどうとか、そんなものとは縁のない生き方をしてきたのだから、分からないのは当然だ、と八幡丸は思った。だが、黙っているというのもなんだかきまりが悪いの八幡丸はわざと茶化すように言った。

「あぁ、俺は武士じゃないからな」

「だが、ただの農民の子というわけでもなさそうだな」

 意外な言葉に、八幡丸は首をかしげた。

「俺は農民の子だ」

「いや、ただの農民の子であればお前のようなことは考えはしまい」

 そういう敦盛の言葉がなんだかわからなくなり、八幡丸は問い返した。

「どういうことだ?」

「お前は戦が嫌だと言ったな。それはなぜだ?」

 その問いかけに八幡丸はすぐに答えた。

「戦になれば、神の力が弱まって荒御魂になるかもしれない。それは嫌だ」

 そうだ、と敦盛がうなずいた。

「お前は人ではなく神の目を持っているのだろうな。清盛さまもそのような方だと聞いている」

 敦盛から出てきたのは意外な言葉だった。

「神の目だと?」

「たまに現れるのだ。人よりも一手先、二手先を見ることができる者を神の目を持つ者だと。清盛さまも、そのような才を持ち、戦を導いてこられた」

「俺は戦などしたことないぞ。それに、俺は……」

 そこいらの荒御魂には負けはしないが、最近は負け続けだ。

「なにも戦に勝てれば才があるというわけではなかろう。そのようなことは言っていない。お前は先を読む神の目を持つものだと思うのだ」

 ふぅ、と敦盛は息をついた。波打ち際の方へと二、三歩歩きそして八幡丸の方を見ずに、西の方を指さした。

「戦などは、できれば避けなければならない。清盛さまも、それを願っていた。厳島に祀られている女神もその証だ」

 敦盛は、八幡丸に厳島についての事を語った。海外との貿易を盛んにするために、海原の平安を願ってのことだという。そして、女神を祀ったのは万が一荒御魂になっても、甚大な被害にならない様にという思いもあったのだという。

「よく聞くな。厳島の女神には会ったことがない」

「使ならば、いずれ会うかもしれないな」

 そのまま敦盛が笛を構えなおそうとしたとたん、急に茂みが大きな音を立てて揺れた。獣が飛び出してくるかもしれない、ととっさに八幡丸が身構えた。

「下がれ敦盛!」

 がつん、と何かが八幡丸に向かって振り下ろされた。それは大きな禍々しい気を放つ太刀だった。間違いない、言葉の無いあの武士に違いない。

「四天王!」

「な、そ奴がお前が奈良であったという奴か!」

「あぁ!」

「ならば、助太刀しよう!」

 すらり、と敦盛が太刀を引き抜いた。矢幡丸は、短刀を投げて武士の気をそらし、その隙に敦盛の肩をつかんだ。

「なにをする!」

「あいつに今の俺達はかなわない、すぐに戻って仲間に知らせるぞ!」

 八幡丸は浅間が持たせてくれた笛を思いっきり強く吹いた。甲高い叫び声のような音が暗がりで響いた。これで太郎丸か二郎丸かが気づいて浅間に知らせてくれるだろう。

「あんたは下がってな! 生身の人間で奴と戦えるわけがない!」

「いや、これは大きな手柄になる!」

 八幡丸の手を振り払い、敦盛が武士に向き合った。いままでの落ち着いて、ともすればおれそうな弱々しい感じはどこにもなかった。むしろ、強敵を前に熱気をはらんだような目をしていた。

 これを倒せば、大きな手柄になると踏んだ敦盛が先に仕掛けた。

「墜神を取り込み、人の業を外れた者よ! この敦盛が成敗してくれる!」

「よせ! 敦盛!」

 八幡丸は敦盛の援護に向かった。浅間と二人が借りでも叶わなかった相手だ。普通に向かっていって戦えるわけがない。それに、敦盛は平氏の将だ。ここで倒れれば、平氏の士気は下がってしまうかもしれない。

 敦盛が武士と切り結んでいる間を縫って、八幡丸は気の薄い所を探った。あの武士は墜神の神気を鎧のようにまとっている。見えない壁がもう一枚あるのと同じ事だ。ならば、その薄い所に己の力を切り込むことができれば、勝機はあるかもしれない。

 どこだ、奴の隙は!

「八幡丸! ここは私だけで十分だ!」

 武士と間をとり、敦盛が八幡丸に叫んだ。八幡丸はすぐに違うと叫んだ。

「これ以上は本当に危険だ! 俺に任せて敦盛、お前は逃げろ!」

「逃げろだと?」

 向かってきた武士の県を避け、背中に向かって太刀を振り下ろし、敦盛は叫んだ。

「平氏の将たるもの、敵に背中を向けられるか!」

「それはどうでもいいって言ってんだよ!」

 八幡丸は、もう一本の短剣を武士に向かって投げた。これは弾かれたが、それに気をとられた武士に敦盛は追撃のために太刀で右腕を貫いた。しかし、これは神気のせいではじかれてしまった。

「そう簡単に腕はとらせぬか、武士の鑑よな」

 にやり、と敦盛が笑った。どこか狂気じみた笑い方だった。無理をしているようにも見えた。八幡丸は次の策を練ろうと思った。笛を鳴らして、いまどれだけ立っただろうか。浅間たちは気づいただろうか。そして、この場所が分かるだろうか。

 これだけの打ち合いと、使の力が発揮されているのだから、異変に気づいていてもおかしくない。しかし、今はみな疲れを癒しているところだ。それに、四天王が一人でいるのはおかしい。東国の時も、奈良の時ももう一人いたはずだ。

 そいつの姿が見えない。どこにいるのだろうか。まさか、浅間達はそれに向かっているのではないだろうか。

 だとしたら、この四天王との対決はすぐに切らなくてはいけない。だが、どうやって決着をつける?

 ふと、考え込んでいる時に武士が八幡丸に向かって太刀を振り下ろした。それを跳びあがって避け、その勢いのまま武士の頭部の方へ蹴りを食らわせた。やはり、この程度では神気にひびを入れることはできなそうだ。八幡丸のけりと同時に、敦盛が武士の左足に斬りかかった。すると、みり、みり、と左側の神気にひびが入った。

「かかったぞ!」

「あぁ!」

 どうやら、この神気は波紋のように常に揺れ動いているらしい。だから、厚い所と薄い所の差ができる。その隙をつけば、普通の太刀であっても割ることができるようだった。

「八幡丸! 神気を見よ!」

「わかった!」

 八幡丸は身をひるがえし、敦盛と並んだ。使ではないが、敦盛も相当な使い手と見た。敦盛が武士の気を引き付け、その間に八幡丸が短剣で楔を討つ、という戦術を知らず知らずのうちに実行していった。

 しかし、そう上手く行くものではなかった。なにせ、相手は何も語らない。痛みも呻きも何も言わないのである。呼吸するかのように、兜の奥の光る赤色の瞳が揺れるだけである。そのせいで、どれだけの手傷を負わせているのかが全く分からないのだ。

 ぶん、と武士が横凪してきた太刀を二人で受け止めようとしたが、勢いが強すぎて二人とも弾き飛ばされてしまった。

「くっ! やりづらいなぁ!」

「そう、上手く、行くもの、ではないな……」

 刀を支えに、二人は荒い息を繰り返した。敦盛は膝をつき、八幡丸は地面に四つん這いになってしまった。だが、それで手を緩めるわけではなく、武士は追撃しようとやってきた。それに気づいた八幡丸がとっさに敦盛を庇うように前に出た。

「いっつ!」

 ぎぃ、と八幡丸の小太刀にまとわせた神気が音を立ててきしみ始めた。それを押し返し、八幡丸は右、左へと小太刀を振るった。それを武士は受け止めながら後ろへ下がっていく。敦盛から遠ざけなければ、と八幡丸は思った。幸い、八幡丸は使だからか、普通の人間よりは体力がある。今度は自分が囮になる番だ、と八幡丸は思った。時間を稼いでいれば、敦盛の体力が回復するだろうし、もしかすれば仲間が駆けつけてくれるかもしれない。八幡丸は小太刀を構えなおした。

「かかって来い! だんまり野郎!」

 武士はその言葉を聞き流したようで、何も反応を示さなかった。

「あんた、戦う以外に何もかも捨ててきたみたいだな!」

 武士の攻撃を避けながら、八幡丸はあることを思いついた。奴らも同じ、神の力を持っている。それも、墜神を。穢れを吸い続けて払えなくなった神々であるならば、もしかすれば祓えるのではないだろうか。

「あんたが取り込んだ神の名は何だ!」

 それを答えることはない、と武士の目が一瞬強く光った。あるいは弱点を言い当てられ、激昂しているのかもしれない。

 八幡丸は思いつく限りの神の名を考えた。今まで自分が聞いてきた中で、このような神はいただろうか。そして、墜神になるように、ひっそりと人の願いを吸い上げてきた神はどの神だろうか。八幡丸が八幡神の加護を受けているのなら、この武士もまた、何かの神を取り込んでいるに違いない。

「春日の神よ!」

 八幡丸は、声を上げて祓いの力をためた小太刀を武士にふりあげた。しかし、それはあっけなくかき消された。武士は、まだ赤々とした瞳を八幡丸に向けていた。

「春日の神ではない、だと」

「何を言っているんだ? 八幡丸」

 体力が戻ったらしい敦盛が八幡丸の方へと駆けてきた。武士は敦盛には目もくれず、八幡丸の方へと太刀を向けてきた。そして、また刀の神気をためて八幡丸を吹き飛ばした。八幡丸は空中で体勢を立て直し、深く息をついた。

「こいつらは、神を取り込んでいるんだ!」

「あぁ、そういっていたな」

「もしかしたら、祓えるのではないかと思ってな」

「禊ぎ、だな。神の名を当て、その力を削ぐつもりか」

 八幡丸たちが本来の名を隠しているのと同じように、この者達も己が取り込んでいる神の名を言い当てられるのは弱点なはず。

「それしか、こいつらに勝てる道がない。敦盛、俺は学が無いから神の名を知らない。お前が知っている、神の名を俺に教えてくれ」

「なんだと! お前は使ではないのか!」

 かちん、と八幡丸の頭の中で何かが外れた。八幡丸は敦盛の顔をのぞき込んで叫んだ。

「学が無いから、書物が読めないんだ! 神の名なんて、俺の八幡神とさっきの春日の神しか知らない!」

「それでよく、使が務まったな……! 清盛さまが作った神祓ノ使を何だと思っているんだ!」

「書物が読めなくとも、神は祓える!」

「武士の神といえば、八幡の神だろう?」

「それは俺の神だ! だから、違うと思う!」

 武士の攻撃を避けながら、二人はああでもないこうでもないといい合った。神の名を当てるというのは、簡単なようで、そうもいかない。なにせ、この武士は普通の荒御魂とあまり変わらないからだ。荒々しい神々と言ってしまえば、それこそいくつでも当てはまるからだ。取り込まれているのはきっと名のある神であるのは間違いないのだが、肝心の名前が出てこない。

「ここに紫式部がいれば、変わったかもしれんな!」

「誰だよそいつは!」

 苦し紛れに冗談を言った敦盛に八幡丸はつっこみを入れた。

「記紀の坪根と呼ばれた女房だ。彼女であれば、隠された神々の名すら当てることができたやもしれんな」

「そんな事、言っている暇あるのかよ!」

「ないな!」

 八幡丸の方へ向かっているとはいえ、先程とは違って神気の膜をより厚くしてきた。そろそろ決着をつけないと二人ともやられてしまう。そのためには、一刻も早く神の名を当てなければならない。

「なんの神か、考えてくれ!」

「私に指図するとはいい度胸だ! 八幡丸!」

 武士に太刀を振りかざし、敦盛が叫んだ。その刀を避け、武士はその隙を狙って敦盛の鎧の急所である脇の下に太刀を切りつけた。

「っつ!!」

「敦盛!」

 八幡丸が駆け寄ろうとすると、今度は八幡丸の方へと向かってきた。八幡丸は敦盛から遠ざけられていく。早く手当てをしなければ、脇の下には大きな血の流れる所がある。

「あんたが喋ってくれれば苦労しなくて済んだってのによ!」

 八幡丸は八つ当たり気味に、武士に体当たりをかまし、よろけた隙に足を蹴って武士の体勢を崩した。ついでに神気が薄くなっていた左足の腿の裏に刃を突き立てて傷を負わせることができた。

 敦盛の方へと駆け寄ると敦盛は腰に結び付けていた帯で脇の下を覆っていた。

「よかった。手当の仕方は分かっていたんだな」

「これでも一通りの学問は収めている。お前とは違うんだ」

「なんだと!」

 八幡丸が叫んだ。それを見た敦盛がはっと目を見開いた。

 一瞬だった。

 八幡丸の体が敦盛によって引き倒されたかと思ったときには、その声を聞いた。

「神は布津神、刀剣の神だ」

 八幡丸が次に聞いたのは、金属同士がぶつかり合う高い音だった。そして、どさり、と何かが派手に崩れ落ちる音だった。八幡丸が振り返る前に武士の太刀が見えた。

「あ、あ……!」

 振り返り、正面を向いた時にそれは目に入った。敦盛が倒れている。しかも、正面から武士の太刀を受けたようで、鎧が砕け散っている。

「よくも!」

 八幡丸は小太刀に力を込めて駆けだした。

「布津神! 鎮まりたまえ!」

 八幡丸が叫ぶと同時に、武士の太刀がひび割れた。そして、神気のぶつかり合いで武士の兜が飛んでいった。そして、その下から現れたのは、八幡丸のよく知る人物だった。

「継信!」

「八幡丸? なぜおまえがここに」

「なんで、お前が……!」

「…………」

 ひび割れ、折れた太刀を見下ろし継信は息を吐いた。

「見事だ、八幡丸。布津神は刀剣の神。刀剣こそが本体だ」

 にぃと継信が人のいい笑顔をした。それと同時に、まるで幽霊にでもなったかのように体が透明になっていった。

「なんでお前が四天王なんだ!」

「おかしいか。俺は義経様の配下だ。そして、墜神を取り込んだ四天王の一人だ」

 すっと、先程までの赤い目とは違い、落ち着きの祓った目をして継信が言った。

「荒御魂が発生したのは平氏のせいだ。平氏が神々を侮り、世を動かそうとおごったせいだ。俺達はそれに反旗を翻すために、あえて墜神を取り込んだのだ」

「平氏のせいだと……」

「八幡丸。お前ならばわかるだろう。お前がよい選択ができるよう、期待している」

「待て!」

 まだ聞きたいことがある、という前に継信の姿はまるで陽炎の様に掻き消えた。ふっと光が一筋空に昇っていく。

「敦盛!」

 八幡丸ははっとして敦盛の方へと駆けだした。

「当たってよかったな……」

 鎧ごと斬られたのだろうか、おしろいを塗った顔が血で汚れていた。

「運ぶぞ、立てるな?」

「いや、いい。それよりも、お前は勉学をしないというのは本当だったな……知盛さまが仰る通りだ」

 どこかからかうように弱々しい声で敦盛が言った。

「そんなこと今言っている場合かよ、血を止めるぞ。血止めはもっているか?」

「折角ただの農民の子で一生を終えずに済むというのに、その機会を逃すつもりか?」

「何を言っているんだ?」

 八幡丸が敦盛の意図を汲み取れずにいると、敦盛が咳き込んだ。その咳の中にも血が混ざっていた。べちゃりと白い砂の上に赤い点々がまき散らされていく。

「勉学をするというのは、他の道を知るというものだ。あの武士は、源氏こそが正しいと思っているようだが、墜神を取り込んだ時点で、お互い様というものだ」

 敦盛はじっと八幡丸の方を見た。

「お前は源氏でも平氏でもないというのなら、しかと見届けよ。この世の流れというものを」

「なにを見るっていうんだ」

「さてな。そこまでは私にはわからないが、お前ならばわかるかもしれないな」

 すぅ、と敦盛が息を吸った。

「行け、八幡丸」

 それを言うなり、敦盛は目を閉じた。出雲たちが到着したころになっても、敦盛は目を開くことはなかった。


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