11 洛中炎上
八幡丸は洛外のはずれ、白河のあたりを散策していた。この辺りは、元は多くの貴族の別荘が軒を連ねていたというのだから、かなりの名勝地ともいわれていたのだが、今はその面影はどこにもない。
八幡丸はどこかの屋敷の残骸の中に入っていった。鑓水は枯れ果てていて、草が茂っていた。中島の方へと目を向けてみれば、何もない。むしろ草が生えすぎていて、中島へと続く橋すらも見えなくなっていた。
「おや、お前は八幡丸ではないか」
「その声は、継信か?」
八幡丸は傾きかけた屋敷の中から呼びかける声に歩み寄っていった。継信は旅装束のまま、廂の下で足を延ばしていた。捨てられた猫が数匹継信の周りでじゃれている。ここに住み着いている猫なのだろうか、八幡丸が近づいて行っても逃げようともしなかった。
「とても懐いているな」
「干した魚の切れをやったらこうなった」
当たり前だ、と八幡丸は思った。この辺りに猫の餌となるような物はなさそうだ。だから、懐かれてしまっても仕方のない事なのだろう。それに、継信は武士のくせに武士に見えない。その温厚さが猫たちの警戒心を解いたのだろうか。
「お前は以前東国にいたのではないか?」
「まぁな。俺の主が上洛しようとしているからな、その供だ」
この時期に上洛しようとする武士はなかなか酔狂だ。源氏がやってきて、戦をしようかという時なのに、呑気な主もいたものだ。
「今更、帝に謁見したところで何もないだろう。幼い帝と聞く」
「幼かろうが、女性であろうが、帝は帝だ。かの神の血を継ぐ帝に謁見したとなれば、その価値は計り知れない」
そういうものだろうか、と八幡丸は思った。神には上下はないと聞くし、そもそも人間の祖が神というのもなんだか不思議な話だ。
「それはそうと、八幡丸。あれから倒れてはないか?」
「な、それは問題ない!」
顔を赤らめて八幡丸が叫ぶものだから、継信は声を上げて笑った。まだまだだな、と継信が笑うので八幡丸はやりづらそうに目を向けた。
「そう睨むな。誰しも失敗はあるものだ。特に、お前のように年若ければそれほど失敗をするものだ」
「継信もか?」
その問いに、継信はひた、と口を閉ざした。そして、はぐらかすかのように猫の頭を軽くたたいた。
「八幡丸。ここにはお前の狙いとなるような物はないと思うが、なぜ来た?」
「俺は洛中よりも、洛外に出た方が落ち着くからだ」
「そうだろうなぁ、俺もそうだ」
そういうので、八幡丸は意外そうな目を継信に向けた。武士というのは功名心で命を捨てるようなものだと思っていたからだ。
「何もそこまで睨まずともよいではないか、八幡丸。俺とて、苦手なものくらいある。まして、噂に聞いた京の都があのように荒れ果てていたと知れれば、憐みの情さえ浮かぶものだよ」
「そうか?」
八幡丸にとっては、故郷の村が大きくなった者としか思っていないのだが、継信にとっては違うようだ。
「俺達坂東の武士は、京の都を極楽浄土だと思って育ってきていたんだ。あまりの違いに、仲間の中には自分の目を疑うものまでいたんだよ」
「そういうものか?」
「まぁ、知らないものというのはその分、存外幸せなのかもしれないな」
どこか馬鹿にされたように感じて八幡丸はため息をついた。どうせ、継信に訴えたところで軽く流されてしまうに違いない。
「継信はどうして供を離れているんだ?」
「俺の主は恐ろしく強い。わざわざ守らずとも、一人で行かれる。俺が供についているのは、少しでも格好をつけるためだ」
「そういうものか? 確かに、京に入ってしまえば野党もいなくなる。だが、それではあまりにも不用心じゃないか?」
「まぁ、そうだろうなぁ」
頭を掻いて継信が言った。継信が言うのだから、その主というのもかなりの実力者であるのは間違いないだろう。だからと言って、今の状態の京の都に入ったところで何もないだろう。
八幡丸はかける言葉が見つからず、ただ何となく継信の隣に座った。すると、ぶち柄の猫がのそりのそりと八幡丸の膝に乗ってきた。そのままくるりと丸くなってしまった。
「気に入られたな」
八幡丸とて、年貢米を鼠から守ってくれる猫は心強い味方だ。嫌いではない。どこかの屋敷から逃げてきたという黒猫を一匹家で飼っていた。飼っていた、というよりも居ついてしまったと言った方が正しいかもしれない。妹が山へ捨ててしまうのはかわいそうだと駄々をこねるものなので、皆で話し合って飼うことに決めたのだった。
「手慣れているな」
「家に猫がいたからな。うちの猫は黒色だった」
顎の下を撫でてやると、気持ちがよさそうに喉を鳴らした。まったく、呑気なのもここまで来るとかえって立派に見えてしまう。八幡丸は、猫を持ち上げ軽く振ってやる。この猫は反撃するどころか、寝てしまった。
「ここで飼われていた猫の子孫だろうな。やけに人間に懐いている」
「八幡丸、分かるものなのか?」
「そうだ。野生のは、もっと気が立っている」
八幡丸はそのまま猫を下に下ろし、背伸びをした。このままいてもよいが、急に依頼が来るかもしれない。そろそろ戻った方がいいかもしれない。
「継信、また逢えるといいな」
「ああ、分かったよ」
手を振る継信に手を振り返し、八幡丸は屋敷を後にした。継信がやってきているのは不思議だと思ったが、近くまでやってきてくれたのは面白かった。
「お、今日はただ働きはしなかったのね」
団子屋の所で浅間が塩大福を食べていた。浅間とはしばらく会っていなかったが、西国の方へと出向いていたというのだから、仕方ないことかもしれない。
「西国もひどい物だったわ」
浅間は八幡丸に荒魂が多く出現していた、ということを語って聞かせた。清盛が死んだことにより、厳島への信仰も薄れ海の神の加護が得られなくなってしまったと言っていた。それは何とかなったものの、西国に渡るには荒れ狂う海を越えなければならないということを浅間は語って聞かせた。
「西国に向かうことがあるのだろうか」
「さぁ、私は出雲に言われたことをただこなしているだけよ。あんただってそうでしょう」
そう言われ、八幡丸は口を閉ざした。確かに、何が起ころうとしているのか分からない。
「それにね」
聞こえるか聞こえないか、といった小さな声で浅間が呟いた。
「太郎坊と二郎坊が最近おかしいの」
「おかしい?」
「何かに怯えているような感じがするの。荒御魂にもひるまない子たちなのに」
「それはおかしいな」
怯えることがあるのだろうか。そういえば、村の老人たちが大きな災害の前触れに犬や猫が騒ぎ出す、と言っていたような気がする。だが、災害など起こったためしはない。確かに、荒れ果てた土地ではあるものの、そんな災害が起こることはないだろうに。
「注意しておくに越したことはないな」
「そうね。八幡丸、あんたも気をつけて」
八幡丸はその場で頷くと、浅間を通り越して家へと向かった。
八幡丸が異変に気づいたのは、その日の子の刻を過ぎた頃だった。月が上っているはずの時刻なのに、月が全く見えないのだ。今日は新月ではなかったはずだ。それに、何やら焦げ臭いにおいがする。八幡丸は枕元に置いてある小太刀に手をかけた。
八幡丸は薄く開けていた目を開き、長屋の戸を開けた。周りを見ても、静まり返っているばかりで、何もない。八幡丸は逸る心のまま、高い所へと行こうとした。とりあえず、八幡丸は大路の方へと駆けだしていった。
「なんだ。これは……!」
八幡丸は大路の先が明るくなっているのに気が付いた。大路の先は、一条屋に情、御所の方へと続いている。そこがまるで昼間のように煌々と明るくくなっているのだ。
「八幡丸!」
大路の先から駆けてきた浅間がやってきた。
「しくじったわ!」
「なにがあった!」
荒く息を繰り返す浅間はその場に倒れこんだ。とっさに受け止めて抱き起すと、浅間は息を整えた。
「御所に火が放たれたの!」
「付け火だと!?」
「そうよ、しかもあたしたちが奈良であった四天王。あいつらまでやってきたの。あたし、何とか抜け出してこれたんだけど……。ちょっと!」
浅間の制止を聞かずに八幡丸は駆け出した。八幡丸の全力で風のように跳んでいく。八幡丸が駆け抜けていくのを諏訪が見つけた。
「あいつ、まさか御所に行く気か?」
諏訪はしばらく考えるそぶりを見せ、それから八幡丸に近づいていった。
「とまれ八幡丸!」
いつの間にか背後から追ってくる諏訪に八幡丸は振り返った。
「御所が燃えたんだぞ! それに、浅間が四天王が来ているって!」
「だからって、お前ひとりで何とかできる相手じゃないだろう!」
「けど、御所には!」
「落ち着け!」
「落ち着いてられるか!」
「知盛さまが、洛外に出られた! 俺たちもそれに続くぞ!」
「洛外に?」
八幡丸の足がようやく止まった。荒く息をした諏訪が何度もうなずいた。
「知盛さまが帝さまと武士を連れて、西国へと向かわれた。俺達も行くぞ!」
「なに言って……」
八幡丸が足を動かした途端、頬に何かがかすった。諏訪が目を見開いて八幡丸の背後を指さした。
「あいつ、何者だ……」
八幡丸が気づいて、小太刀を引き抜く。がちん、という鈍い音とともにあの時の大鎧の武士が八幡丸に襲い掛かってきた。
「諏訪! こいつも四天王だ!」
「こいつが!」
八幡丸が距離を取り、諏訪の方へと下がっていく。大鎧の武士は太刀を八幡丸に向けた。まるでこれ以上先には進ませない、とでもいうように。
「戦う気はない、って事かよ!」
八幡丸は吠えた。だが、言の葉を持たない武士は肯定とも否定ともいわない。ただ八幡丸に白い刃を向けるだけだ。
「なにをしている! 行くぞ、八幡丸!」
「ち、ちくしょう!」
八幡丸は声の限り叫びながら、洛中を後にした。
八幡丸が去った後、大鎧の武士は刀を地面に突き立てた。すると、禍々しい気配が消え、武士は兜をとった。どこか人のよさそうな表情を浮かべる男は、継信だった。継信は刀を鞘に納め、一息ついた。そして、周りをゆっくりと見渡した。そして、上を見上げた。
「良かった、この場で殺めた人間はいないようだ」
継信は安心したように燃えさかる御所を眺めていた。




