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神祓ノ使~源平争乱絵巻~  作者: 森岸 真鳴
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序 名を捨てし少年


 時は平安末期。末世が近づいたとの人々は、恐怖におののいていた。その理由は、信仰を失い、穢れをまとった神“荒御魂”にあった。荒御魂は炎天、飢餓、疫病、洪水、など様々な害を人々に与え、一晩で一つの村が消えることなど当たり前であった。時の政権を握っていた平清盛は、京都に荒御魂の影響を及ぼすことを恐れ、神祓寮を設立。そこに属する者達にはそれぞれ特徴的な紋が身体上に現れ、神の荒魂を元の和御魂に戻すことを目的としていた。荒ぶる神々を鎮める彼らを人々は“神祓ノ使”とよんだ。


 ――――大和の国、某所。

 暗澹とした雲が、ある村の上空を覆っていた。その中央はまるで野分の様であった。旅装束をまとった男が一人、その村に通りがかった。

「樫丸!」

 女の高い悲鳴が村中に響いた。

「誰か、誰か樫丸を助けて!」

 まだ年若い女が上空に向かい、あるいはその場に居合わせた村人たちに向かって叫んでいる。だが、誰もどうしようもなかった。水の塊が空に浮いていて、その中に少年が一人もがいている。時折、自ら顔を出すも、すぐに水の中に戻されてしまう。水の中に巨大なクモが入っていて、そのクモが吐き出す糸が少年をからめとって離さない。

「おっかぁ! とうちゃん!」

 少年はありったけの声を上げて、母親や父親に助けを求める。しかし、水の中のクモなどどうやって鎮めることができよう。しかも、このクモはただのクモではなく、少年たちの土地の土地神だった。斬ることも、鎮めることもできず、人々はただ茫然と少年がくわれようとしているところを見ていた。

 

 どうして、こんなことになったのだろう。と、少年――樫丸は思った。ただ、池に落ちた友を助けただけなのに。糸から伝わってくる想いは、悲しさしかなかった。久々の贄だと思っていたのに、自分が盗ったと思っているのだろうか。そんなの勘違いにもほどがある、と樫丸は思った。自分たちは、いつも祀っていたではないか。それなのに、どうして自分を襲ってくるのか、樫丸には分からなかった。

 水から顔を上げると父と母の顔が見える。二人とも、必死な顔をしている。二人のもとに帰らなければいけない、と樫丸は小さな体で思った。

 ――――― 悲シイ、悲シイ。

 クモから伝わってくる感情が分からない樫丸ではなかったが、クモにつきあうつもりなどない。早くほどいてしまわないといけない。必死にもがくものの、体に絡みつく意図はよりきつく、複雑になっていく。泳ぎに自信があったとしても、それは川という場所だからだ。水の中に閉じ込められていては、足を動かそうにも足場がない。押し出す水も手の平から抜け出てしまう。

 俺、死ぬのかな。

 樫丸は思った。齢8と、神の国のものではなくなってすぐの事ではないかと思う。だが、ここまで生きて、しかも友を救えたのなら、そこそこ不満はない。できれば、一度この村から出ていってみたかったが、それもできないのなら、仕方ない。

 もがく腕にも力がこもらなくなる。だんだんと体が重くなっていく。目を閉じ、出ることだけしか考えなくなっても、抜け出せるようには思えなくなってしまった。

 ―――― 私ノヤヤ。

 悲シ、という言葉の合間にそのような言葉が混ざって聞こえた。やや、とは子どものことだろうか。

 どういう意味だろうか、と樫丸が思うには、余裕がなかった。

「それは、そなたのややこではないぞ、絡新婦」

 ふっと、体が軽くなった。初めて聞く、知らない声だ。まだ若い、男の声だ。ざばっ、と水面から体が出た。臓腑に空気が入ってくる。

「かはっ!」

「墜ち、記憶も剥がれたか。哀れなものだ」

 樫丸は何者かに抱えられ、地面へと着陸した。樫丸は慌てて体を起こすと、白銀の鞘が見えた。太刀というものを樫丸は初めて見た。濡れた顔を上げると、樫丸を救いだした男は、まだ10を半ばすぎたぐらいだった。

 クモは自ら体を出さず、糸を吐き出した。矢のように降り注ぐ糸を男は引き抜いた太刀で切り裂いていく。大きく右に走り出したかと思うと、蜘蛛の背後へとまわった。

「っ!」

 一閃。

 水の中に閉じこもるクモの幕を破ったのだ。その辺りに水が舞い散った。

「荒ぶる御魂、鎮めたり!」

 男の頬が一瞬光ったように見えた。

 二閃。

 クモの腹が切り裂かれ、緑色の体液が血の様に飛び散り、蜘蛛はその場で倒れこむ。男は呆然と立ちつくす村人には目もくれず、懐から紙垂を取り出した。それを振ると、だんだんとクモは小さくなりそして風に溶けて消えた。それと同時に村を覆っていた雲も嘘の様に掻き消えた。

 助けられたことに気が付いた樫丸は男の前に走り出た。

「あの、俺……」

「勇気と蛮勇を履き違えるなよ」

 男はそれだけを言い、足早にその場を去っていった。

「あれが……神祓ノ使か」

 父の声を遠くきいていた、樫丸はその言葉を繰り返し呟いていた。樫丸の頭の中には、あの白銀の鞘と、それを操る男の姿が離れなかった。神を鎮める彼らの姿を見たのが、これが初めてであった。樫丸は、その姿に強いあこがれを覚えた。


 樫丸は、その後神祓ノ寮に行き、そこで名を捨てた。新たに得た名前は八幡丸。八幡の神の力を誇示するような名前に、樫丸は満足した。


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