三話
扉を開けた先に広がっていた職員廊下に、オレの心が張り詰めるのを感じる。
いつものボロボロながらも可愛く飾り付けられた廊下とは異なり、職員廊下は健康の注意喚起ポスターやカレンダーなどがある、事務に専念する大人の雰囲気だ。
前世の小学校の頃も、教職員室の廊下は雰囲気が違ったよなぁー……
静かな職員廊下に、そんな感想を抱きながらオレは廊下の出口に向かう。
今日は火曜日だから、五歳の子供は朝に教室でお遊戯の時間の筈。
職員廊下の出入り口の扉を開け、いつもの見慣れた廊下に出ると、そこには子供達が走り回るいつもの見慣れた景色が広がっていた。
「おい待ってよー!」
「待たねーよー!」
「私も駆けっこは苦手なの!」
辺りに響く子供達の声。
皆が皆、それぞれ好きに遊んでいる光景を見て少し落ち着いた気分になる。
「ちょっとー! 少しは加減してよぉー!」
「そうだそうだっ!」
「はははっ! 嫌だねーっ! ……っと! すまんぶつかるとこ…… っ!?」
廊下を駆けずり回り、駆けっこをする男女三人組、その先頭を走るヒョウの獣人族の男の子と目が合う。
男の子は目を見開きながら立ち止まり、オレを見つめながらピタリと止まった。
「はぁ…… はぁ…… やっと追いついた。って、どうしたの?」
後ろからヒョウの獣人族の男の子に追いついてきたキツネの獣人族の女の子が、不審そうにヒョウの獣人族の男の子に声をかける。
声を掛けられても返事をしない男の子。
女の子は不思議そうな顔で男の子の視線の先、オレを見た。
「……!! 凄い奇麗…… じゃなくてっ! ごめんなさい!」
何故かキツネの獣人族の女の子に謝られる。
謝られる理由がわからず首を傾げるオレを他所に、女の子はヒョウの獣人族の男の子の手を握り、男の子を引っ張る様に廊下の隅に立つ。
どうしたんだろう?
廊下の隅に立つ二人を眺めるオレを他所に、後ろから様子を見ていた駆けっこの最後尾を走り追い付いてきたパンダの獣人族の男の子も、キツネの女の子の横に並ぶ様に廊下の隅に立った。
……ん? ああ、なるほど。道を譲るって意味なのかな。
三人組の行動の理由が解らなかったが、何となくだが意味を理解した。
このままじっと突っ立っていたら三人組も迷惑するだろうなと思い、オレは廊下を歩き始める。
廊下を歩くオレの後ろから聞こえてくる、先ほどの三人組の、
「まじかぁ…… マリナちゃん、まじで使徒の民様だったのかぁ」
「凄いよねっ! お洋服奇麗だったなぁ」
「マリナちゃん、奇麗だよねぇ……」
という会話に少し恥ずかしさを覚えながら、それなりに長い廊下を歩む。
向こう側から来る子供達が、皆が皆オレに廊下の道を譲る所を見るに、オレが寝ている間に何か先生達からお勉強の時間があったのだろうか?
そんな疑問を抱きながら廊下を進み、教室の扉を開けた。
まだ誰も居ない教室を見渡し、長椅子が並べられた教室の窓際の最後尾に座る。
「朝は涼しいなぁ……」
そんなつぶやきを口にしながら、オレは窓を見た。
窓の中で駆けっこや砂遊びをする子供達は、みんな生き生きとしていて、そんな子供達の様子を見ながらオレは時間を待つのだった。
●●
「今日の紙芝居は…… 皆が大好きな『罪の物語』だよー!」
「「「わぁーい!」」」
また『罪の物語』かよ……
先生の言葉に大喜びをする園児達だったが、オレは今月で数回目の『罪の物語』の紙芝居に、内心うんざりする。
まあ、この世界では数少ない『戦い』やら『正義』やらの物語だから、人気なのは分かっているけどさぁ。
そんな事を思いながらも、先生の持つ紙芝居の世界を眺める。
「やったー! マリナちゃん、今日は『罪の物語』だよ!」
いつの間にか横に座っていたルルポンがオレに声を掛けてきた。
楽しそうに青い瞳を輝かせて紙芝居を持つ先生を眺めているルルポンにオレは「そうだね」と頷く。
「では始めるわね!罪の物語…… 昔々、とある国に悪い事を企む『闇の扇動者』が居ました――」
罪の物語の紙芝居が始まると、子供達は静かになる。
やがて物語が進むにつれて、子供達は楽しそうに合いの手を入れていく。
今日の朝食は何だろうなぁ……
子供達の合いの手が響く中、紙芝居を見ながらオレは今日の朝食に思いを馳せていた。
そして罪の物語の紙芝居が進み、終盤に来た頃には子供達の興奮は最高潮。
皆して「悪の扇動者をやっつけろー!」などと言っている。
「『打ち取ったぞー!』悪の扇動者を切り裂いた精霊人の青年は、その剣を高く掲げました!」
「やったー!」
「うちとったぞー!」
「正義が勝ったね!」
喜ぶ子供達。
先生が持つ紙芝居の絵には、左手に悪の扇動者の首を持って剣を掲げる、精霊人の青年の絵が描かれている。
子供達の皆が喜んでいるが、精霊人の青年が手に持っている悪の扇動者の首から血が滴る様子も描かれた紙芝居の絵に、オレは心の底から悪趣味だなぁと思う。
こんな絵を幼少期から見せて正義と道徳を教え込むのだ。
子供達の死生観や、様々な命に対する思いやりの心が欠如しそうだとオレは思うが……
まあ、この世界は決闘なり何なりが平然と行われる世界な事を考えれば、この血生臭い物語が褒め称えられるのが、この世界の普通なのかもしれないな。
初めて孤児院の外に出た時、真っ先に聞こえて来たのは、
『先日の貴族の間で起こった政治闘争! 裁判になったは良いが決着が付かない! ならば白黒つけよう己の力で! 結果は男爵の首を刎ね飛ばし伯爵の勝利! これで先週の法案は――』
という、政治で揉めた貴族が裁判官立ち合いの下で決闘を行ったという、なんとも野蛮な報道を街頭で演説しているおっちゃんの声だった。
この世界は戦う力が強いかどうかが、人としてのステータスなのだろう。
事実、裁判官が立ち会う決闘は正式な紛争解決の手段として認められていて、裁判で決着が付かない場合は決闘を行う事が多いみたいだ。
でも政治に決闘を持ち込むのは、流石に理解に苦しむがな……
おっと、考え事をしていたら、紙芝居がラストのシーンだ。
「『世界中の種族が一丸となって『忠節の民』となろうぞ! 神々と神々に仕える『使徒の民』に忠節を尽くす為に!』こうして世界の種族は忠節の民となり、一丸となって使徒の民に尽くす事を誓うのでした。おしまい……」
「よかったー!」
「ボクぜったい立派な忠節の民になるぞぉ!」
「私もー!」
ラストのお決まりのセリフを先生が読み上げ、紙芝居が終わると子供達が拍手をする。
皆各々感想を述べながら、友達と話しをしだす。
そんな子供達を見ていると、横のルルポンが語りだした。
「楽しかったー! 私達もぜったいに立派な忠節の民になるぞぉー! そうだよねーマリナちゃん!」
ルルポンの言葉に遠目で見ていた先生が慌てだす。
オレは何か言うべきなのか考えて居ると、周りの子供達がケラケラと笑いながらルルポンに声をかけ始めた。
「もしかしてルルポン知らないのかー!?」
「マリナちゃんは使徒の民様なんだぞ!」
「人間って言う、特別な種族なんだよねー?」
周りの子供達の言葉に、ルルポンは慌てた様子で子供達を見回した後、驚いた顔でオレを見た。
オレの全身を驚いた表情で見るルルポンに苦笑いを浮かべる。
「私も昨日初めて知ってね、私自身も戸惑っているよ」
オレの言葉を聞くとルルポン静かに止まり、俯く。
大丈夫かな? と心配していたオレだったが、突然顔を上げたかと思うと、その青い瞳をキラキラと輝かせながらオレを見ていた。
「すごぉーい! マリナちゃん使徒の民様なの!?」
ルルポンはそう言いながらオレを舐めまわす様に全身を見回し始めた。
オレはルルポンに答える。
「そうみたいだね…… 私、立派な使徒の民を目指すよ」
「私も、立派な忠節の民になってみせるから!」
オレが言った言葉に、ルルポンは熱の籠った瞳で言葉を返した。