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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)1.8

作者: 柳田喜八郎

挿絵(By みてみん)




 月末・月初は部署間での書類のやり取りが多い。俺は各部署への『お届け物』を台車に乗せ、本部内をぐるりと巡回する。

「お疲れ様です、情報部から書類をお届けにあがりました」

 本日二十二回目の定型文。相手方も、これまた定型文で返してくる。

「ご苦労様です、確かに受領いたしました。こちらからの提出書類は……」

 互いに使い古されたボロボロの封筒を交換し、それぞれの持つ部署一覧表に受領者がサインする。もういい加減新しい封筒に替えたいのだが、誰にどのような申請を出せば交換できるのか、誰に訊いても答えを知る者はいない。大規模組織にありがちな管理者不明物品である。

 どの部署も、この『配達員』には事務担当者を選任する。情報部でもいつもはそうしているのだが、今月はそうできない事情があった。

 最後の配達先の扉をノックし、明るく爽やかな『宅配便のお兄さんボイス』を作って言う。

「お疲れ様でーす! 情報部から書類をお届けにあがりましたー!」

 室内で『ブフッ!』という不思議な音がした。飲みかけの紅茶を吹き出したのかもしれない。

 慌てて立ち上がるガタンという音、扉に向かって駆けてくる足音の後、扉が細く開けられた。

 こちらの『宅配便のお兄さんボイス』に合わせて、相手も芝居を始めている。

「ご苦労様で~す♡ あのぉ、喉乾いてませんかぁ? もし良かったらぁ、中でお茶でもいかがですかぁ~?」

「え、そんな、悪いですよ……」

「いいえ、どうぞお入りになって♡ 主人は出張中だから……ね?」

「い、いけませんよ奥さんっ! まだ仕事が……って、これ、いつまで続ける?」

「ご希望とあらば生挿入まで付き合うが?」

「男相手に立つかよ」

「奇遇だな、俺もだ。まあ入れ」

「ああ」

 招き入れられた特務部隊・隊長室。室内で真っ先に目についたのは、入り口わきのデスクに突っ伏す隊長補佐の姿だった。

「どうしたアレックス?」

「どうしたもこうしたも……これ、笑うところですか? 突っ込むところですか?」

「どっちだベイカー」

「俺に振るのか?」

 隊長補佐、アレックス・ブルックリン。彼は一般から中途採用された事務職員で、特務部隊に存在する数少ない常識人である。いきなり目の前で『人妻AV風小芝居』が始まってしまったため、吹き出さないよう、口を押えて下を向いていたらしい。

 隊長補佐は関係省庁との折衝、他部署への連絡、隊員のスケジュール管理などを行っている。情報部からのメッセンジャーとして事務官以外が訪ねてきたため、部外秘の特殊案件が持ち込まれたと思ったらしい。当然のように作業中の書類をまとめはじめた彼に、俺は先んじて声をかける。

「今日はいつもの事務官の代理で来ただけだ。席を外す必要は無いからな」

「あ、そうですか? では、このまま……」

 ホッとした顔のアレックスに、軽く笑って手を振ってみせた。

 月末・月初は忙しい。ましてや今はクエンティン家のことがある。アレックスを含む一部の本部職員は、『王子様』を迎え入れる準備で連日の残業を強いられているのだ。これ以上彼らの負担を増やすわけにはいかない。

 俺とベイカーは隊長室の奥、休憩用のソファーに並んで腰を下ろし、雑談のような軽いノリで会話する。

「これが先月の解決案件だ。件数だけなら、一応は目標数を上回っている」

「ほう? 本部全体で百件超えか。先月は小さな案件が多かったからな。内訳は?」

「コード・ブルーと特務部隊の案件が62%。数字だけなら圧勝だ」

「数字でない部分は?」

「コード・イエローがマルチ商法の親会社を落とした。解決数は『一件』だが、治安への貢献度は比較にならない」

「まあ、うちは貴族様のなんでも相談所だからな。『下賜された絵皿が割れてしまった! どうしよう!?』という相談でも一件だし……」

「工事現場から古代遺跡が出ても一件。カードゲームで遊んでも一件だ」

「中身が薄い分を数で誤魔化しているようなものだな。他のセクションは順調か?」

「レッドとグリーンは概ね。コード・ヴァイオレットは空振りが続いている」

「ということは、ドラッグのルートも掴めず仕舞いか?」

「いや、それは掴んでいる。だがタイミングが悪い。クエンティン家の爵位継承式典と同日、同時刻に取引が行われるという情報がある」

「式典の日か……警備の人手を減らすわけにもいかないからな……」

「ああ。せっかくラピが『取次役』をテイクアウトしてくれたが、もうあの男には使い道が無い。いるか? 釣り餌くらいにはなるが?」

「いや、けっこうだ。泳がせて釣りたい獲物はいくらでもいるが、今はこちらも余裕がない」

「だよな。うちもだ。おかげで俺が配達員をやる破目になった」

「特務部隊が最後の届け先か?」

「一応は。それがどうかしたか?」

「よければロドニーと遊んでやってくれ。クエンティン家の任務を割り振る前提で調整したら、内勤ばかりになってしまってな。オフィスでくすぶっている」

「内勤で……?」

 俺は首をかしげた。

 特務部隊の内勤はなかなかハードである。任務で外にいる隊員から追加資料の請求があれば、資料室や情報部庁舎、王立図書館に走ることになる。複数部隊が現場入りしていると判明した場合には、他の部隊のトップと指揮系統や任務の優先度について話し合わねばならない。応援に来てくれと言われればその場で武装して飛び出して行くし、貴重な物品を借りるために頭を下げて回ることもある。

 そんな仕事をこなしつつ、自分の次の任務のため、諸々の下準備も進めねばならないのだ。よほど手際が良くなければ、くすぶっていられるような余裕は生まれないはずだが――。

「そんなに有能だったか?」

「隊長補佐がな」

 そう言いながら、ベイカーはアレックスの隣のデスクを指差した。そこはもう一人の隊長補佐、ポール・イースターの席である。誰もいないデスクの上には、『しばらく通信に出られません』というメッセージカードが立てられている。

 通信機が使えない状況として、真っ先に思い浮かぶ場所は資料室や図書館だ。

「もしかして、追加資料の請求に応えているのはポールか?」

「ああ。今もキールからの問い合わせで王立図書館に行っている。ロドニーは調べものが下手だからな。みんな隊長室に外線を入れるんだ」

「それなら、関係各所との連絡役は?」

「あいつは大雑把だから任せられない。俺かアレックスが連絡したほうが確実に伝わる」

「じゃあ、ロドニーはオフィスで何をしている?」

「漫画を読んでいる。名目上は戦闘要員としての応援要請待ちだ」

「……俄然、稽古をつけてやりたくなってきた……」

「だろう? たるんだ性根を叩き直してやってくれ。あいつが手を抜くようなら、もう何人か呼ぼう」

「了解だ。台車はあとで取りに来る」

 苦笑するアレックスに見送られ、俺は隊長室を出た。

 ドアからドアまでダッシュで十秒、同じフロアの特務部隊オフィスのドアを開け、俺は真っすぐ窓辺に向かう。

 前後逆にまたがった事務椅子。その背もたれに上体を預け、日当たりの良い出窓で漫画を読む男。

 俺は突入の勢いそのままに、ヤツの頭に平手打ちをお見舞いする。

 スパーンといい音を立てた一撃で、ヤツはようやく俺の存在に気付いたようだ。

「ファッ!? なんだ!? なにすんだっつーの!?」

「それはこっちのセリフだ。何のつもりだ? 内勤日は漫画を読む日ではなかったはずだが?」

「えっ!? あ、その、これは、えぇ~と……」

「いまさら隠しても無駄だ。表に出ろ。今から戦闘訓練を行う」

「えっ!?」

「貴様に拒否権はない。これは特務部隊長の決定だ」

「そんなあああぁぁぁ~!!」

 俺はロドニーの襟首を掴み、訓練場まで強制連行した。




 特務部隊と情報部が使用する訓練場は事務棟の裏、屋外の砂利の広場である。本部敷地内にはほかにも訓練場が存在するが、そちらは警備部と中央治安維持部隊の縄張りだ。明文化されたルールは存在しないものの、暗黙の了解として住み分けが行われている。

 広場の中央で向かい合い、簡単なルール説明を行う。


 双方が防御魔法《銀の鎧》をかけた状態で戦い、戦闘不能になった時点で終了。

 武器や魔法の使用制限はなし。

 手を抜いていると判断された場合、情報部から次の対戦相手を招集、連戦スタート。


 このルールを聞いた瞬間、ロドニーは言った。

「次の対戦相手って、ターコイズじゃねえよな……?」

「さあな。オフィスにはいるが、誰が電話に出るかは運任せだ」

「マジかよ……」

「次の相手を気にするということは、手を抜くつもりか?」

「い、いや、そういうわけじゃねえけど……」

 言いたいことは分かる。手抜きか否かの判定には、ロドニー本人の自己認識も、対戦相手である俺の体感も反映されない。隊長室から眺めているベイカーの目にどう映るかが問題なのだ。

「ま、やってみないことには始まらない。準備しろ」

「お、おう……」

 自分の身体に《銀の鎧》をかけ、互いに防御魔法の強度に問題が無いことを確認。三メートルほど離れ、武器を構えて向かい合う。


 これは公式戦ではない。

 合図も言葉も不要。

 向かい合った時点で、すでに戦いは始まっている。


 ロドニーの武器は奴専用の特注武器、ブラックカイト。これは片手持ち・両手持ち兼用の軽量ロングブレードである。刃の部分はチタンとオリハルコンを主成分とした合金で、風の魔法を増幅する効果を持つ。見た目は騎士団の共通装備品そっくりに作られているが、魔導式武器であるため、物理と魔法、どちらの攻撃も行える。

 対する俺は通常装備品のナイフ。刃物としての切れ味は悪くはないものの、《銀の鎧》を貫通するほどでは無い。ロドニーとブラックカイトが相手では、物理攻撃を防ぎ、受け流すための道具として割り切って考えるべきだろう。

 武器の性能差は一目瞭然。ならば魔法はというと、互いに風属性・攻撃型能力である。人狼族は広域型の大技が多く、カラカル族は接近戦に特化した技が多い。

 体格はあちらが168cm、65kg。こちらが165cm、55kg。

 条件だけ並べ立てれば、どう見てもこちらが劣る。しかし、実際に戦った結果が数字通りとは限らない。

「はあっ!」

 先に仕掛けたのはロドニーだ。

 胸の高さ、真正面からの突き。何のひねりも無いこの初撃は、こちらが攻撃を避けたあとの『二撃目』を想定した攻撃であろう。

 今は戦闘開始直後、ノーダメージ状態。《銀の鎧》の耐久限界を考える必要は無い。

 俺は迷わずカウンターを選択する。

「はっ!」

 突き込まれた切っ先を躱して懐に入り、左拳でボディに一発。《銀の鎧》で完全防御できると分かっていても、戦い慣れている者ほど反射的に身を引こうとする。その足元に絡めるように自分の足を差し入れ、間を置かずにもう片方の足で地面を蹴る。

 ロドニーの目線で言えば、相手の足に引っかかってバランスを崩したところに、全体重をかけたタックルを食らったような形だ。踏みとどまるのは難しい。

 押し倒すと同時に《衝撃波》を連射し、ロドニーの手足の自由を奪う。

 マウントポジションを取った後は簡単だった。

 首に噛みつく素振りで牙を突きつける。

「……こ……降参……」

 《銀の鎧》越しであっても、首筋に当たる獣の牙の感触が心地良いはずがない。冷や汗まみれのロドニーは、俺に組み敷かれたまま情けない弁明を始める。

「そ、その、今のは手を抜いていたわけじゃなくて、本気でやったけど裏をかかれたって奴で……」

 本気でやって負けたなら、手を抜いて負けた以上に救いがない。が、今のロドニーはそれを気にするどころではないようだ。

「だ、だだ、だから、あの! お願い! ターコイズだけはマジ勘弁!!」

「と、俺に言われてもな。それを決めるのはベイカーで……ん?」

 胸のポケットで通信機が鳴っている。

 俺はロドニーを座布団にしたまま通信に出た。

「はい、こちらシアン」

「ベイカーだ。瞬殺だったな」

「ああ。たるんでいる証拠だ」

「今アレックスが、コード・ブルーオフィスからの内線を受けているんだが……」

「緊急連絡か?」

「いや、ラピが『俺にもヤらせろ』と騒いでいるようだ。監視カメラで見ていたのかな?」

「まあ、見ようと思えば見られるからな。いいんじゃないか? ロドニー本人も『ターコイズだけはマジ勘弁』と言っていることだし」

「ではそう伝えよう。アレックス! シアンからのOKが出たぞ! ……なに? もう切れている? ……シアン、気をつけろ。ラピは今そちらに向かっている」

「そうか。分かった。《防御結界》発動!!」

 俺の判断は正しかった。

 結界構築の三秒後、ヤツは空から降ってきた。

「イイイィィィーヤッホオオオォォォーウッ!」

 ラピスラズリは風と炎の合わせ技、《豪焔穿孔バーニングスクリュー》を使用している。技名の通り、これは炎と風で作り上げた巨大ドリルで対象を焼きながら貫く強烈な攻撃技だ。

 魔法そのものの破壊力も恐ろしいが、それ以上に恐ろしいのは炎の後ろに隠れたラピスラズリの存在である。連続攻撃に持ち込まれたくなければ、盾状の《魔法障壁》ではなく、全方位型の《防御結界》で念入りにガードしておくに限る。

 結界に衝突し、ラピスラズリの攻撃は不発に終わる。

「チイッ! 読んでやがったか!!」

 結界の天面をトンと蹴りつけ、軽い動作で着地した。

 俺は結界を解除せず、安全圏から問いかける。

「いきなりこんな大技をぶちかますとは、いったいどういうつもりだ?」

「どういうって、仲間に入れてもらおうかと思ってさあ? 何気なくモニター見たら、お前らが戦闘訓練始めるところだったから」

「俺が訊いているのは落下の軌道が明らかにおかしい点なんだが?」

「どこが?」

「『戦闘訓練』だぞ? 実戦じゃあないんだ。避け損ねたら致命傷を負うだろうが」

「んなワケねえだろ? だってシアンだし」

「どういう根拠だ?」

 高く評価してもらえたようだが、ちっともうれしくない。

 俺はロドニーを立たせながら、聞くまでもないことを確認する。

「どうする? サシでやるか? それとも、俺たち二人をまとめて相手にするか?」

「タイマン勝負でお願いします!!」

「だったら殺す気で行け。本当に殺しても、俺が事故だと証言してやろう」

「おいおいシアン~? それ、フツーは同僚のほう庇うモンじゃねえかぁ~?」

「は? 俺が庇わなくても殺す気でやるだろ?」

「うん。分かってんじゃん」

「念のため、武器は俺が預からせてもらう。お前らの攻撃は防御魔法を貫通するからな。二人とも、刃物と飛び道具は全部寄越せ」

「はいよ。ちゃんと持ってろよ~」

「これと、これと……あ、ついでに上着もいいか?」

「ああ。ロドニー、死ぬなよ」

「は……はい……」

 顔を引き攣らせるロドニーだが、身体の動きまで縮こまらないのがこの男の強みだ。先ほどの負けで何かが吹っ切れたらしい。ラピスラズリと対峙した瞬間、顔つきが変わった。

「こちらで合図を出そうか?」

「いらねえよ。なあ、ロドニー?」

「ああ……ラピスラズリが相手なら、完全にぶっ飛んでも構わねえよな?」

「あったりめぇだ! 来い!」

「ウオオオォォォーアアアァァァーッ!」

 獣人化し、ラピスラズリに襲い掛かるロドニー。

 通常、人狼族は獣人化しても理知的な思考は失われない。しかしロドニーの場合、かなりの確率で理性が飛ぶ。医務長の話によれば、それは先天性の脳疾患に近いものであるらしい。近親婚を繰り返した貴族特有の問題だと説明されているが――。

「ヴォアアアアアァァァァァーッ!!」

 一気に間合いを詰めて、ジャブに見せかけたフェイントからのジャンピングアッパー。ラピスラズリは《物理防壁》でガードするものの、突き上げの衝撃で両足が浮いた。

 ラピスラズリの足先が地面から離れた瞬間、ロドニーは圧縮空気を炸裂させ、ラピスラズリの身体を宙高く打ち上げる。

「うおっ!?」

 想定外の攻撃法に、ラピスラズリの反応は一瞬遅れた。

「しま……っ!」

「《猛烈爆弾低気圧ハイパーボムサイクロン》!!」

 冒頭から最大技が繰り出された。

 この魔法の効果は周囲の気圧を急激に低下させること。気圧低下のあと何が起こるかは未知数。その場の気温、湿度、気象条件等に左右されるため、巻き起こる現象は毎回違う。

 しかし、ただ一つ確実なことがある。


 それは気圧低下に伴う心身の不調だ。


 季節の変わり目に低気圧が近づいただけでも、頭痛やめまい、倦怠感を訴える気象病患者は急増する。その変化がたった数秒で、通常ではありえない下げ幅で引き起こされたのだ。無事でいられる人間はまずいない。

「う……クソ……頭が……っ!」

 ラピスラズリは頭を押さえながらも、辛うじて宙に留まる。

 離れて見ている俺でさえ眩暈を感じている。直撃したラピスラズリはひどい体調不良に見舞われているに違いない。

 動きの鈍ったラピスラズリを攻撃すべく、ロドニーも風を操って宙へと躍り出た。

「ヤアアアアアァァァァァーッ!!」

「クソがっ! 調子に乗るんじゃねええええぇぇぇーっ!!」

 目にもとまらぬ空中戦。互いに風を操っているため、《猛烈爆弾低気圧》によって引き起こされた低気圧状態はすぐに解消された。しかし、一度崩れたコンディションはそう簡単に戻るものではない。拳の打ち合いも魔法の攻防も、見るからにラピスラズリが劣勢だ。

「《豪焔穿孔》! オラオラオラオラオラアアアァァァーッ!」

 炎のドリルを連射し、いったんロドニーを押し戻す。距離を取って立て直しを図るつもりだろう。

 ただ、獣人化したロドニーはそれを許さない。押し戻せていたのは束の間、ロドニーは炎の隙間を潜り抜けるように再度接近し、次の大技を繰り出す。

「《空中竜巻ファンネルアロフト》!!」

「《急襲旋風ガストネード》!!」

 ロドニーの竜巻に対し、ラピスラズリは真下から塵旋風をぶつけた。

 渦が乱れた箇所に自ら飛び込み、上昇気流を利用して素早くロドニーの頭上を取る。そしてもう一度《急襲旋風》と《豪焔穿孔》を放った。

 地面から巻き起こる塵旋風と、直上から捻じ込まれる炎のドリル。これでは巨大なネジとネジ穴の間に標的を挟み込んで、焼きながら捻じ切って押し潰すようなものだ。実にえげつないコンボ技である。

 ノーガードで食らえば即死確定だが、今は《銀の鎧》を使用している。打撃の大部分は防御魔法で相殺されている。

「こんなもんじゃねえだろ!? なあ!?」

 挑発するラピスラズリ。いつものロドニーなら、ここでムキになって炎を突っ切って殴り掛かってくるところであるが――。

「……あ?」

「ロドニー……?」

 様子がおかしい。

 予想通り、炎でも風でもそれほどのダメージは受けていない。しかしヤツの足元からは、得体の知れない黒い霧が噴き出している。

「ラピ! 一時休戦だ! 何かおかしい!!」

「あ、ああ……なんだ? あの黒いの……」

 獣人化した状態で理性が飛ぶとは聞いていたが、今のロドニーはそれとは違う。何かに必死で抗っているのか、身を屈め、小さな声で「やめろ」「出てくるな」と呟いている。

 こちらに向かって『近づくな』というジェスチャーをしてみせるのだから、理性はある。見た感じの印象では、先天性の脳障害や精神障害といった雰囲気ではない。なによりそういった要因で様子がおかしくなるのなら、目に見えてわかる『黒い霧』なんてものは発生しないはずなのだ。

「あれは……呪詛の類か……?」

 それならば、と、俺は呪詛の浄化に使う《清浄符》を取り出した。ロドニーに何らかの呪いがかけられているのなら、完全浄化は無理だとしても、多少は落ち着けることができるはずだ。

「ロドニー、そのまま動くなよ!」

 声をかけて駆け寄った。

 そう、確かに自分の足で地面を蹴ったはずなのだが――。

「……え……?」

 気付いたときには、俺は地面に倒れ込んでいた。

 膝と胸、顎に痛みを感じることから、自分が転倒し、受け身も取れずに地面に叩きつけられたことを理解する。

(なんだ? 一瞬、意識が飛んだ? なにがあった……?)

 異様な虚脱感があり、身体がうまく動かせない。目だけで周囲の状況を確認すると、風の魔法で宙に留まっていたはずのラピスラズリも、俺と同じように地面に倒れ込んでいる。こちらに顔を向けていないので、意識があるかは分からない。

 ロドニーの足元からは、なおも黒い霧が発生し続けている。

(この霧……毒性があるのか……?)

 俺は自分の手の中に《清浄符》が握られたままであることに気付いた。科学的な毒を分解することはできないが、これが呪詛に起因する体調不良であれば、症状を軽くすることは可能である。

 力を振り絞って、呪符を口元に近づける。

「《清浄符》……発動!」

 呪符に圧縮表記されていた浄化の呪文が解凍され、瞬時に展開されていく。

 ウランガラスのように鮮やかな、けれども眩しくはない柔和な光があたりを照らす。

 これが呪詛の類であれば、光に照らし出された地面に黒い影のような『呪い』が浮かび上がるはずだ。

(どこだ? どこかにきっと……クソ! 視点が低すぎて分からない……!)

 体は動かせなくとも魔法は使える。俺は風の魔法を使い、自分の身体をマリオネットのように持ち上げた。

(呪詛は……あった! あそこか!)

 ロドニーの近くの地面にハッキリと、呪詛特有の黒い染みが浮かび上がっていた。

 問題は、それをどうやって浄化するかだ。

 《清浄符》のおかげで多少は動けるようになったものの、俺に呪詛は浄化できない。呪詛の浄化には専門的な技能が必要なのである。

 超火力で焼き祓うという手法もあるにはあるが、炎の魔法が使えるのは――。

「ラピ! 起きていたら反応しろ! 呪詛を焼いてくれ! おい、ラピ!」

 俺の声に反応して、ラピスラズリは微かに身じろぎする。《清浄符》の効果はラピスラズリのほうまで届いていないらしく、その動きは非常に鈍い。

「ラピ! 《清浄符》を使え! 多少は楽になるぞ!」

 と、呼びかけてみるものの、ラピスラズリは指先だけでこう返してきた。


〈残弾無し/失敗〉


 ハンドサインの意味するところは、「はいゴメンナサーイ。《清浄符》を含む通常装備品を身につけずに飛び出してきましたー。あーあ、やっちまったぜー」といったところか。

 代替手段を講じる必要がある。

 そう考えた俺の耳に、非常に恐ろしい音声が届く。


〈ピンポンパンポーン♪

 特務部隊からのお知らせです。ただいま訓練場にて、実戦を想定した戦闘訓練を行っております。たいへん危険な呪詛を用いておりますので、関係者以外は訓練場に立ち入られませんようお願い申し上げます。

 なお、訓練終了時には《呪詛清浄剤》の散布を予定しております。呼吸器疾患をお持ちの方は防塵マスク、もしくはガスマスクをご着用ください。

 以上、特務部隊からのお知らせでした。〉


 本部内への一斉放送。スピーカーから流れていたのはベイカーの声だ。ヤツはこの事態を『訓練の一環』として収めるつもりのようだ。

 それはまあいい。騎士団本部内に正体不明の呪詛が発見されたなど、大声で触れ回るような話ではないからだ。

 だが、放送で喘息持ち事務員への注意喚起まで行うということは――。

「ラピ! 気をつけろ! 奴らはすぐ来るぞ!」

「クッ……ソ……がぁ~……!」

 申し訳ないが、今の俺にはラピスラズリの面倒を見てやれるほどの余裕がない。

 ゴーグルを装着し、首に巻いたスカーフで鼻と口を覆う。


 間もなく、彼らはやってきた。


「薬剤散布、用意!」

「用意!」

「散布開始五秒前!! 四、三、二、一、発射!」

「発射!」

 対呪詛防護服に身を包んだ二人組。それはもちろんベイカーとアレックスである。

 消防用の放水ポンプを使い、訓練場に緑の液体を大量散布する。

 この液体は呪詛や魔法の効果を一切合切洗い流す薬剤、《呪詛清浄剤》である。人体に悪影響はないというが、本来は粉末状の薬剤を水に溶かして散布しているため、乾くと粉塵が舞う。喘息患者が吸い込むと発作を起こしてしまうことから、使用に際しては細心の注意が必要とされている。

 目をゴーグルで、鼻と口をスカーフでガードし、防水性能のある特務部隊のコートを頭から被ってじっとしていれば足元以外は濡れずに済む。が、地面に転がっているラピスラズリはそうもいかない。

「あばっ! だぼっ、がっ、ぶべっ……オボフッ!?」

 見た目だけは最高に整った脳ミソ空っぽ野郎は、消防ホースからの直接放水を食らって溺れる寸前だ。今は緑色の泥水まみれでドロドロのベチョベチョ、無様にもがいてのたうち回っている。

 ざまあみやがれ、このクソ野郎。

 いや、違う。

 なんてかわいそうに。同僚として、ラピスラズリへの同情を禁じ得ない。

「アレックス! 呪詛は消えたか!?」

「いえ、まだ影が見えています!」

「よし、追加投入だ! 二本目に接続してくれ!」

「了解!!」

 二つ目の薬液タンクにポンプをつなぎ直し、ベイカーとアレックスはなおも放水を続ける。

 様子のおかしかったロドニーは薬剤散布を始めた直後、あっけなく元に戻った。今はスカーフで口元を覆い、薬液の雨に耐えている。

 俺の位置からでは、もう呪詛は浄化できているように見える。黒い霧も発生していないし、あれだけ動かしづらかった体も、今は元通り、何の苦も無く動かせる。

 だが、ベイカーは嬉々として叫ぶ。

「ムム!? なんてしつこい黒ずみ汚れだ! まだ落ちないか! アレックス、三本目だ!」

「え? 三本目ですか……? もう消えているように思いますが……」

「はっはっは! アレックス、眼鏡はこまめに拭いておけよ! もう一度言おう! まだ汚れている!!」

「あ、はい! 失礼いたしました! まだまだ! 大変! 汚れております!!」

「よーし! 汚物は消毒だあああぁぁぁーっ!!」

 ラピスラズリは泥水まみれで咳き込んでいるので、肝心の呪詛が消えたかどうか確認できない。それをいいことに、ベイカーはまだ放水を続けている。

 アレックスは止めない。

 ロドニーも止めない。

 ということで、俺も社会人として空気を読むことにした。


 ああ、なんてかわいそうなラピスラズリ。

 許しておくれ、平民の俺は貴族のベイカーに意見なんてできないんだ。

 友として胸が痛むよ。


 事実、必死に笑いをこらえたせいで横隔膜のあたりが痙攣している。

 まったくもって、いい気味である。




 それから色々とあったものの、一通りの後始末を終えた俺たちは訓練場横のロッカールームにいた。ドロドロになっていたラピスラズリもシャワーを浴び、今はさっぱりとした顔でベンチに腰を下ろしている。

 術者不明の呪詛が仕掛けられていたことについては、情報部の仲間に原因を調べてもらっていたのだが――。

「自然発生?」

「と、判断せざるを得ないのう。故意に組まれた呪詛とは根本的な部分で異なるものじゃな」

 そう答えるのは情報部所属の呪術師、タトラ老師である。彼は俺たちのような特務部隊上がりではなく、一般からの中途採用組だ。以前は呪術の腕を活かして呪い除けの護符を売る生活を送っていたのだが、マフィアに目をつけられ、事件に巻き込まれた。今はマフィアから救い出された孫娘共々、騎士団本部内で保護されている。

 タトラ老師はヨボヨボの手で呪陣を二つ描き、一方を指差して問う。

「これは自然発生する呪詛と、それを真似て作られた人為的な呪陣じゃ。皆が見たのは、こちらの模様じゃな?」

「はい。細部までは確認できませんでしたが、『黒い染み』のおおよそのシルエットはその呪陣に近いものでした」

「これはのう、魔力の特別強い人間が、誰かを激しく恨みながら死んだときに現れるものなんじゃ。普通は死んだ場所か、死体が置かれた場所に浮かび上がるものなのじゃが……はて? あんな砂利の広場で、誰か死んだかのう……?」

「あの場所で死者は出ておりません。砂利の入れ替えも、この数年では行われておりませんし……」

 ベイカーに視線を向けると、ベイカーも頷きながら言う。

「先週の合同訓練では、何の異常もみられませんでした。だよな、ロドニー?」

「はい。俺も意識飛んだりしなかったし……」

「俺とシアンは先週の訓練には参加してねえが、それらしい話は何も聞いてねえぜ?」

「ああ。ピーコックとナイルから、異常報告はあげられていない」

「それならこの数日で何かが起こったことになるが……」

「あんな人目につく訓練場のど真ん中を掘り返して、死体を埋めて、また平らに均したヤツでもいるってか?」

「あっはっは、そんな馬鹿な話があるか。と、言いたいところだが、わざわざ掘らなくても、あの場所の真下ならばあり得る話ではないか?」

「あー……かもな。流れてきちまったのかな……?」

「なんじゃ? 下水道でも流れておるのか?」

 首をかしげるタトラ老師に、ロドニーが説明する。

「訓練場の真下にも古代遺跡の一部があって、水路に水が流れているんです。たまに本部の人間で点検に入るんですけど、どこから水が流れてきているのか、王立大学が調査しても掴めず仕舞いで……。多分、市内の運河と繋がってると思うんですけどねー……」

「ほほう? 謎の水脈とな? 面白そうじゃのう。どれ、わしが調査を……」

「老師、勘弁してください。俺たちでも転ぶような場所なんですから。老師じゃ無理ですって」

「んむうぅ~、残念じゃのう~。一度でいいから、古代遺跡を探索する冒険者チームに入りたかったのじゃが……わしもあと十歳若ければ……」

「冒険者ギルドの新規登録上限、四十歳ですよ?」

「そうか? それなら、あと半世紀若ければのう……」

「はんせいき……」

 まだ二十四歳のロドニーでは、人生二回分でも半世紀に届かない。

 老師は情熱的な口ぶりで冒険へのあこがれを語っているが、ロドニーが老師の相手をしている隙に、俺たちは手持ちのゴーレムを地下遺跡に送り込む。


 それから十五分後、呪詛の発生源はあっさり特定された。


 予想通り、訓練場の真下の水路に腐乱死体が浮かんでいたのだ。

 『普通の変死体』は中央治安維持部隊の担当案件である。ただちに治安維持部隊に連絡し、この件の引継ぎを行った。俗にいう『丸投げ』というヤツだが、この場合は仕方がない。無理に担当違いの案件に手を出しても、捜査能力の不足から、未解決に終わる可能性が高いからだ。

 なにはともあれ、これにて『謎の呪詛』の一件は解決した。


 ただ一つ、ロドニーのことを除いては。


 呪詛の発生源があの腐乱死体としても、どうしても納得できないことがある。あのとき俺たちは、三人同時に『黒い霧』の中にいた。同じように訓練場に立ち、同じように呼吸し、同じように動き回っていたのだ。にもかかわらず、ロドニーだけは、俺たちとは明らかに異なる反応を見せた。

 それはなぜか。

 ロドニーが偶然真上に立ったせいなのか。

 それとも、ロドニーには体質的な特異性があったのか。

 地下数十メートルもの深さから、どうしてあの時、あのタイミングで呪詛が噴出したのか。

 考えれば考えるほど、『何か』があるように思えてならない。

「……なあ、ラピ?」

「あ? なんだ?」

「ロドニーのことなんだが……」

 情報部庁舎に戻る道すがら、俺はこう切り出した。

「しばらくの間、特別監視体制を取りたい。協力してもらえないか?」

「ああ、それは構わねえが、具体的には?」

「まず、これまでに奴が『理性を失った』という案件を調べようと思う。あとはオフィスの監視を強化する。と言っても、モニターに目をやる回数を少し増やすぐらいが限界だろうが……」

「ま、通常任務の一環って言い訳するならな。内部監査ってことで通せる範囲はそんなもんだろ。けど、医務長が『遺伝的な問題』なんて説明をしてるってことは、『何があっても公表する気はない』って話だぜ? 監視して、何か見つけたらどうする気だ?」

「それは状況次第だ。現段階では何も言えない」

「ナイルには?」

「あいつにこういう話はしたくない。顔に出る」

「じゃあ、二人だけの秘密にしとくか?」

「いや、それもできないだろう。ピーコックは必ず勘付く」

「それじゃ、あいつにも話そう。コバルトやターコイズには、最初から言わなくてもいいよな?」

「ああ、無駄に話を広める必要もないからな」

「了解。それじゃあさっそく、明日から」

「ありがとう」

 ラピスラズリに礼を言い、俺たちは何事も無かったかのようにオフィスに戻った。他のメンバーは出払っているようで、オフィスの中はシンとしている。

 ラピスラズリはさっさと自分のデスクに着き、今日の『合同訓練』と『変死体発見』についての報告書を書き始める。こういうところは意外にマメなので、総合的に見れば『優秀な情報部員』ということになってしまうのだが――。

(性癖だけはどうにかならないものか……)

 先ほどの会話も、「二人だけの秘密に」のあたりで耳に息を吹きかけられた。人の嫌がることをして興奮する性癖がよく分からない。俺以外にも被害者は多く、今日のベイカーの言動を見る限り、奴もその一人のようだ。本気で耐えられなくなったら、一緒に『被害者の会』を結成してみるのもいいかもしれない。

(しかし……なにか、こう、重要なことを忘れている気が……)

 この胸騒ぎにも似た感覚はなんだろう。


 ロドニーのおかしな挙動。

 ラピスラズリのハラスメント。

 腐乱死体の身元。

 地下遺跡に流れる謎の水脈。


 確かにどれも、胸に引っかかる事案ではあるが――。

「……あっ!」

 気付いた瞬間、思わず声を上げてしまった。

 その声を聞きつけ、ラピスラズリがニヤニヤしながら言ってくる。

「おおっとぉ~? や~っと思い出したのかなぁ~? いつ気付くかな~って、ずぅ~っと待ってたんだぜぇ~?」

「……くっ……」

 そう、俺は思い出したのだ。

 特務部隊をたずねて行ったそもそもの用件と、その際預けてきた台車の存在を。

「いいねぇいいねぇ~♡ シアンのその顔、超見たかったぁ~♡」

 心底思う。

 この汚物を消毒したい。

 だが、その前にやるべきことをやらねばならない。

「……ちょっと出てくる……」

「えぇ~? ちょっとってどのくらいですかぁ~? 行先はぁ~? 何しに行くのかなぁ~? 情報伝達は正確にお願いしますぅ~♡」

「……っ!!」

 この時の俺の血圧は、おそらく人生最高値だったと思う。もしかしたら、体のあちこちで毛細血管がブチ切れていたかもしれない。

 しかし、ここで声を荒げたら負けだ。余計にからかわれることは目に見えている。

「……特務部隊隊長室に、預けた台車を取りに行ってくる。三十分以内には戻る……」

「りょうかぁ~い♡ いってらっしゃ~い♡」

 満面の笑みで手を振るラピスラズリに見送られ、俺はオフィスを出た。

 この瞬間、俺は本気で考えていた。


 もしものときは、ベイカーに「事故だ」と言ってもらおう、と。

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