第三話 さようなら
二回目。
それから一年半後。
私は妻の実家に入り、前回の病院は逆に遠くなったと言うことで妻のかかりつけである大学病院で行うこととなった。
前同様、妻は注射を打ち、私は禁欲。辛かった。
そして当日。
こちらではトイレではなかった。
ちゃんと部屋が容易されていた。
なんか、病院関係者の宿直のところ。的な?
「じゃ、こちらでお願いします」
白い部屋は落ち着かなかった。
内側からカギがかかるとはいえ、スリッパのパタパタと言う音が聞こえるとドキリとする。
それも仕方がない。
と言うことで、今回はこぼさずに採精。さすがに院内の部屋を汚すわけにもいかん。
そんな緊張もあった。
この広い病院の中で邪な想像をして一人採精。
決してこれは間違った行為ではないと自分に言い聞かせ。
不妊治療の男性の心情というのは結構その場その場で気持ちの切り換えが必要なのだ。
割り切りというか。
それを提出。
そして、今回は無事、妻からも卵が一つだけだが採卵出来たのだ!
私達夫婦は期待でいっぱいだった。
しかし。
「すいません。受精しませんでした」
そもそも、体外受精は狭い容器に卵子と精子を入れて子宮のような状態を作る。(のだと思う)
結局精子が卵子に入り込まなくては受精はできない。
結果、失敗した。
◇
三回目。
これも一年半ほどたってから。
当初から4年半の月日が流れていた。
後から結婚して子供ができていく友人夫婦たち。
心から応援し、おめでとうと言う、我々夫婦。
「まだなの?」
「仲良さそうだもんなぁ。薄いんじゃねぇか?」
「作り方教えてやろうか?」
なんて心ない言葉なんてのはお構い無しだ。
彼らなりに気を使ってのことなのだ。
──あの人の体と、私達の体にどれほどの違いがあるというのだろう。
──あの人の一日と、私達の一日にどれほどの開きがあるというのだろう。
──あの人の一年と、私達の一年は……。
だが私達にはまだまだチャンスがある。
他の不妊の人達よりも運がいい。
なにしろ“体外受精”から挑戦出来る。
人間万事塞翁が馬だ。
妻は体を壊したかもしれない。
だがそれよって与えられるはずもないチャンスが20代前半から与えられた。
三回目の挑戦はすでにアラサー近かったが、それでもまた子宮は健康。
勝ち味はいくらでもある。
手慣れたものだ。
今回は、卵胞が数個確認された。
そして、取り出され、健康なものがなんと二つ!
それが──。
受
精
した。
今回は受精した!
妻の子宮に戻し、着床を待つ!
ここまでに軽自動車が二台変えるほど医療費を使っていたが関係ない。
出来ればいいのだ。
赤ちゃんが出来れば……。
数週間経った。
妻は待ち切れず、妊娠検査薬を使用したが、反応がでるわけもない。
早すぎる。
それだけ期待していたのだ。
そして、検査の日。
妻も私もドキドキしていた。
「赤ちゃんができましたよ」
という言葉を聞ける。
ここまで長い道のりだった。
私は仕事だったのでその日は妻だけ。
PHSにショートメールが入るのを待った。
午前中に妻からメールが来た。
「残念でした」
赤ちゃんは──。
出来ていなかった。
その日、二人してドライブをした。遠くの山を走ってグルリと回る。取り留めのない話しをした。バカ話は気を紛れさせる。
二人でなんでもない、人生でなんの役にも立たないバカ話をしながらドライブをした。
忘れることが一番だ。
たまたまだ。たまたま……。
車内が少しだけ静寂になる。
妻だって言いたくない言葉なんだろう。
だけど言ってしまいたかったんだろう。
それでスッキリしたかったのだろう。
「あーあ。こなかったね。赤ちゃん」
そう言って、みじめに笑った。
耐え切れなくなって二人で路肩に車を停めて大泣きした。
日本に一億二千万人の人口がいて、その日に泣いた人なんてたくさんいる。
もっともっと辛いことがあって泣いた人だって……。
もっともっと辛い人だって……。
その人たちに比べれば、私達にはまだまだチャンスがあるんだ。
ただその日が伸びただけだ。
ただ運がなかっただけなのだ。