1・山田樹実(やまだいつみ)迷い込みました。
チチチチチチ・・
チチチチチチチ・・
耳に心地よい鳥の声
むっとした草の香り
背中がジワリと暖かい
柔らかい風が瞼、鼻、頬をなでる
瞼の向こうが明るく赤い
うっすらと目を開けてみる
眩しい光が目に飛び込んできて
それから視界いっぱいの青空
しばらくぼーっと眺めていたが
ハッと気づいて顔を起こすと
どうやら私は外で、大の字になって寝転がっていたようだ。
モゾモゾと起き上がる。
まだはっきりしない頭を、右へ左へ動かしてみる。
辺り一面、草原のようなところだ。
遠くには緑の生い茂った、森のようなものも見える。
とりあえず立ち上がって、服についた草を払う。
もう一度辺りを見回す。
風景は先ほどと変わらず
頭上をチチチチチチチ・・と鳥が飛び交っている。
「えっ・・・?」
キョロキョロ
「え??」
キョロキョロキョロ
「・・えええええーーーーー?!」
ようやく覚醒した。
ここはどこだろう?
私確か、今葬式が終わって・・・
ハッと気づいて、家族の名前を呼ぶ。
「なりちゃーん!・・しょうちゃーん!」
・・・何の反応もない。
私、葬儀から家に戻ったはずなんだけど・・・。
樹実は夫の葬儀を済ませて家に帰り、奥の部屋で休ませてもらおうと移動していたところだった。
まだまだやるべき事はあったが、挨拶を済ませて娘と一旦家にもどったら、疲れと悲しみが押し寄せてきた。
夫の山田正一はまだ49歳。
早い死だった。
死因は、原因不明の突然死。
会社で勤務中に体調の不調を訴えて急にそのまま倒れたと聞いている。
連絡があった時はとても信じられなかった。
でも、娘の成子と病院へ行って、夫に会って・・・
「う・・・」
現実を思い出して悲しみで涙が溢れてきた。
「しょうちゃん・・」
夫の務めていた会社からは、お悔やみを言いながらも、会社の労働基準なんたらかんたら不備はなんたらかんたらと言われたけど、どうでもよかった。
今その話必要?
娘は隣で怒って何か言っていたけど、私は話を聞いていなかった。
耳に何も入ってこなかった。
しょうちゃんとは高校の同級生で、卒業間近の冬から交際を始めて、それから5年ほどの恋愛をして、しょうちゃんの誕生日にプロポーズをされた。
2年後には娘にも恵まれて、その娘ももう結婚している。
そういえば部屋に入る前に、ものすごい目眩を感じた。
ぐるぐると部屋が回るような、強い目眩だったわ。
それから記憶がない・・
「もしかして死んだのはしょうちゃんじゃなくて、私なのかな?」
再考する。
「それか、しょうちゃんと同じように私も死んだのかな?」
涙で目を潤ませながら、ふとその考えに至った。
その方が、今自分が置かれている状態に説明がつくような気がしてきたのだ。
近くに冠婚葬祭用の黒いショルダーバッグが落ちていた。
中を開けると、
ハンカチ
ティッシュ
数珠
いつも持ち歩いている裁縫セット
そして・・夫の指輪
内側には、入籍した日付とイニシャルが彫られている。
しょうちゃんとお別れする時に、形見にとっておいたものだった。
ジワリ・・と涙が溢れてくる。
指輪をバッグにしまい、紐を肩から斜めにかけ直して、顔を上げる。
とりあえず、ここにいてもしょうがないし・・・
樹実は辺りを再度見回し、森が見える方に歩き出してみた。
何もない方に歩くより、なんとなく目印がある方が進みやすかったのだ。
少しヒールのある靴が、歩きにくい。
ほっぺをつねってみる。
「たっ・・・」
ヒリヒリする。
私は死んでないのかな。
スマホもバッグに入れておけばよかったな・・・
しばらくぐるぐる考え事をしながら歩いていると、前方に何か見えてきた。
緑の草原の上に不自然な、赤色っぽい丸みがある。
近づいてみると、その赤いものは膝の高さまであった。
なんだろう・・・?
キョロキョロと見回すと、手にちょうど握れるくらいの太さの棒切れが落ちていたので、拾って赤いものを突いてみた。
むにゅっと柔らかい。
見たことない物体が気持ち悪くて、ぎゃっと小さく悲鳴をあげながら、手をとっさに引いた。
すると、赤く丸まった物体が動いて・・・目?
樹実と目が合った。
「!?」
突然ガバッ!と大きな口を開けて、牙むき出しの顔?で飛びかかってきた。
「きゃっ!!」
とっさに棒切れで身を庇い目を強く閉じると、衝撃がぶつかってきた。
後ろに強くしりもちをついて、おそるおそる目を開けると、手に持っていた棒切れが砕かれている。
ばりっ
ばりっ
目の前の生き物が木のようなものを噛み砕いている。
「!!??」
木屑が生き物の口から崩れ落ちる。
ジッと樹実を視線で捕らえる。
やばい!!
樹実はとっさに起き上がり手に残った棒切れを投げ捨てて最速で駆け出した。
なにあれ、なにあれ!!!!
「きゃあああああーーーーーーーっ!!!」
ぎぎーっと、うなり声のようなものが後方から聞こえてくるが、確認できないっ!
そうして息が切れてきた頃に後ろを振り向いて見たら、何も見えない、広い草原が広がるだけだった。
いや、よく目を凝らしてみると、ポツポツと赤いものが点在している。
樹実は、心臓をバクバクさせながらも息を整えつつ注意深く辺りを見回す。
赤い生き物らしきものが見当たらない方向を見定め、そろり、と再び駆け出した。
少しでもこの場所から離れたかった。
頭の中は少しパニックになっている。
見たことない生き物がいた。
口がやたら大きくて、牙がじゃみじゃみ生えていて・・・
なにあれ?・・なにあれ!?
樹実が反対方向へ駆けて行く頃、先程襲いかかった生き物は、投げ捨てられた残りの棒切れにぶつかり、命を刈り取られて横たわっていたのだが、樹実の預かり知らぬことだった・・
しばらく進んで行くと、テントらしきものの集まりが見えてきた。
誰かいるかも!
希望を膨らませて、テントの群れに向かってスピードを上げて駆けて行く。
近づいて行くと、人らしきものも見えてきた。
見えてきた・・・が!
「日本人じゃない・・・」
走りをやめて立ち止まり、しゃがみこむ。
身を隠す場所もないので、なんとなくしゃがんだけど、なんの効果もないよね。
しかしそのまま、身を隠すような気持ちでテントの群れの方を観察する。
大人数でキャンプだろうか?
女の人も子供もいるから、危ない集まりって感じはしないけど・・
外国人かな?
このままじっとしていてもしょうがないし、せめて電話貸してもらえたらいいよね。
しばらく逡巡していたが、思い直して近づいてみることにした。
仮設でマーケットみたいなイベントでもやってるのかな?
テントの中には、お店のようにディスプレイされていて、お客さんと売買のやり取りをしていた。
お客さんの数は多くないけど、まあまあ賑わっている。
時折、いらっしゃいませー!だとか、まいどっ!とか聞こえてくる。
でも人々は外国人みたいだけど、髪の色とか、ありえない
コスプレの集まり?すごいカラフルな頭。
でも服は・・服もちょっと日本とは違うなあ。
どこの国の人なんだろう。
すれ違う人が、ちらっと樹実を見てくるが何も言わずに通り過ぎていく。
キョロキョロと見ていくと、恰幅のいいおかみさん風の女性が呼び込みをしていた。
「うちの宿で休んでお行きよー!当店自慢のスープ付きだよ!」
パンパンパン!手を叩く。
「よってお行きよー!」
あ。
目が合った。
「お嬢さん!旅人かい?泊まるならうちへ寄っておいきよ!」
おかみさん風の女性が声をかけてくれる。
お嬢さん・・・もう45にもなってお嬢さん・・・
少し引く、が、気を取り直して、
「あの〜」
樹実は良さそうな人柄のこの女性に聞いてみることにした。
「泊まるかい?」
「いえっ、あの・・・」
何から言えばいいのだろう。
あ、とりあえず電話借りよう。
「すみません、道に迷いまして・・。お手数おかけいたしますが電話をお借りできないかと思いまして。」
「・・・デンワ?」
「ええ、スマホでもいいんですけど、・・あっ、お礼はしますので。」
「・・・スマホー?」
「・・・あのー・・・?」
「なんだい、お嬢さん!おばちゃんには難しい話は分からないよ!」
ガハハハっと豪快に笑う。
難しい話・・・なんだろうか?
「家族に連絡とりたいんですけど、方法はありますか?」
「あんた、旅人だろ?じゃあ、ギルトカードから伝言メモ入れてお願いすればいいんじゃないかね?」
「ギルトカード?」
「・・・ギルトカード、持ってないのかね??」
「すみません、それ・・・なんですか??」
樹実もおかみさん?も、顔中にクエスチョンマークを貼り付ける。
「あんた、どっから来なすったね?」
おかみさんが営業用の声のトーンを落として、普通の音量で聞いてくれた。
「私も分からないんです。ここ、どこなんでしょうか?」
「・・・大丈夫かい?」
おかみさんは眉をしかめながら、心配そうに樹実の顔を凝視する。
「ここはレーヌ平原のキャラバンだよ。町と町の間にある休憩所みたいなところさ。」
呆然とする。
レーヌ平原。
聞いたことない名前だ。
私が知らないだけで、そういうところがあるのかも。
「どこらへんのレーヌ平原なんですか?」
「・・・リクドルア国の南にあるレーヌ平原だよ。・・・あんた大丈夫かい?」
「リクドルア国・・・」
ぽかーん。
もう、ぽかーんとするしかない。
全くわからない。
どうなっているのでしょう。
「あんた・・・ちょっとこっちおいで。太陽にやられたかね?ちょっと休みな。」
おかみさんが心配そうに、テントに招き入れてくれる。
「あ、ありがとうございます。」
おかみさんに背中をそっと支えられながら、テントの中に入る。
「ミリ!ちょっと代わって。お客さんの相手するから」
おかみさんは、受付っぽいところに立っていた女性に声かける。
「はーい!!」
赤髪の三つ編みに、太陽のような元気な笑顔。
「娘だよ。」
おかみさんが話しながら、奥の部屋に進んでいく。
「さあ、ここにお座り。今飲み物を持ってくるからね。」
そう言って隣のテントに入っていく。
勧められた椅子に腰掛けながら見回すと、意外に広いテントで、部屋もいくつかある。
こんなテント初めて見た。
もう家みたい。
「さあ、テイ茶だよ。落ち着くからお飲み。」
戻ってきたおかみさんにもらったカップを見ると、赤い飲み物が入っている。
「テイ茶?」
甘い香りがする。
「もしかしてそれも分からないのかね?」
可哀想な子を見る目になっている・・・
「まあ、飲んでみなよ。テイ茶を飲めない子はあまりいないよ。」
「・・いただきます。」
こくっ
「・・甘い」
あまくて爽やかな、イチゴみたいな感じ。
「テイ草ってハーブから作った飲み物だよ。ちょっとお茶する時とか、疲れを取る効能もあるから旅のお供に持ち運ぶのが一般的・・・って、本当に知らないのかい?」
「・・はい。初めて飲みました。美味しいです。」
「そういえば身なりも旅人には見えないねえ。どうやってここまできたんだい?そうだ、名前はなんていうんだい?あたしはサーラだよ。」
こくっ
樹実は、テイ茶をもう一口飲んでからテーブルにカップを置き、
「山田樹実と申します。」
「ヤマ・・なんだって?」