飛翔体と赤い中年
ドンドンドン!
その時、玄関のドアを強くノックする音が響いた。
「新聞の集金ですか部長?」
部長は首を横に振った。
「こんな時に一体誰だろうか。まさか……。いやそんなはずはない。奴はこの炊飯器の中のはずだ」
部屋の主である部長は、ノックの主こそが運命の神バグーなのではないかと警戒しているようで、出ようとしない。しかし2分経過してもまだノックの音が続く。流石にこれは迷惑である。
「あの俺、出ましょうか?」
俺が玄関に出てドアを開けようとすると部長は慌てて止めに入った。
「待つんだ八坂君!ドアの向こうにいるのはやっぱりバグーかもしれんぞ!何しろあの竜は俺の部屋に来なかった。つまり予言のバグーはあの竜ではないのかもしれん」
ここで柳さんもヒョイっと玄関に姿を現した。
「ドアをノックしてから部長の部屋に入ってくるなんて、律儀な神様ですね。じゃあ私が出ましょう」
部長は慌てて柳さんを制止した。
「待たまえ柳君!バグーだってノックぐらいできるはずだ。運命の神を名乗ってるんだから」
しかし部長の意見には致命的な問題がある。もしも予言通りなら、ドアを開けなければそのまま帰ってくれる……とはとても思えないからだ。
「でもノックを無視しててもなぁ……。どにみち部屋に上がってきませんか部長?」
「恐らくそうだろう。だが私にはドアを開ける勇気がない!やっぱり八坂君。君が開けてくれ」
ウン。開けるしかないな。まあドアをノックするようなご親切な神なら、十分に話し合えると思った俺。恐る恐るドアを開けてみた。するとそこに立っていたのは緑色の神々しい神バグー……ではなく迷彩服を着た大柄な男だった。
「弘崎さんですね?避難命令が出てます。すぐにこの部屋から出てください」
俺の後ろにいた部長がずいずいっと前に出た。
「えっと私が弘崎です。貴方は運命の神バグーですか?遠いバビロンからわざわざ我が家にようこそ」
「私は自衛隊員であります!時間がありません弘崎さん。すみやかに我々の指示に従って頂きたい」
ホッとしたようなガックリしたような。とりあえずこの人物は運命の神バグーではなかったらしい。さっき我々の喧々諤々のやりとりはなんだったんだ……。しかし避難指示だろ?一体どういうことなんだ。外は晴れてるのに。
「悪いんですけどこっちは今、歴史的大発見の最中なんです。それでは失礼」
そう答えて部長はドアを閉じようとしたが、自衛隊を名乗る彼は必死にドアを閉じさせまいとした。
「聞きなさい!この地域に住む人は、貴方達以外は全員避難してるんだ。もうすぐここに核弾頭を搭載したミサイルが飛んでくるかもしれないんだぞ!いや確実に飛んでくる」
「へ?核ミサイルがここに?」
「そう!このアパートに。というか貴方の部屋に!」
部長はまるで話にならないと思ったようで、全力でドアを閉めた。しかし……俺は慌てて部長に訴えた。
「部長、待ってください!これはヤバイですよ」
「おいおい?君はあんな与太話を信じてるのか。うん……実は私もそうだ!八坂君頼む」
俺は慌ててドアを開けた。
「待ってくれ!ちょっとそこの自衛隊員さん!なんですかそれ!?」
「君達、落ち着いて聞きたまえ。今、世界中の核保有国がこのアパートに核ミサイルの照準を合わしてるんだ。それを理解して欲しい」
「はいっ?」
「自衛隊も厳戒態勢でいる。少なくともあと1時間以内に核ミサイルが飛んでくることだけは確実だ」
なんという理不尽な展開だ。なぜ部長のオンボロのアパートを核で狙う理由があるのか。更地にしたいのならもっとマシな方法があるだろう!
「私も詳しいことは知らない。だが古代メソポタミア文明の文献が解読された結果なんだ」
「それってまさか……粘土板の?」
「そう。そこに記された終末予言だ。このアパートには世界を滅ぼしかねない脅威が到来するらしい。世界中の首脳達が予防的措置のための核ミサイル発射を支持した。そしてこの決定は緊急的に国連の理事会も通ってしまっている」
そんな馬鹿な。何かがおかしい。全員阿呆なのか!?俺達だって疑っていたバグーの存在をなんで鵜呑みにしてるんだろうか?何故にそんな前のめりな決定を……?そもそも……あの文章はもう解読されていたのかよ。俺達が最初にやったと思ったのに。
思わず2人と顔を見合わせるが、2人も固まっていた。自衛隊員は腕時計を確認した。
「スマン。もう時間的に限界だ。私も撤退しなければならない。君たちも早く逃げろ!」
「ちょ……ちょっと待ってくれ!おいっ。待って〜」
彼は素早くアパート前に待機していた軍用車に乗って、全速力で退避していった。そのまま蒸し暑い六畳間に残された俺達3人は、呆然と顔を見合わせた。
柳さんがポツリと不穏な事を尋ねてきた。
「もしかして部長の部屋に降臨するバグーって核ミサイルの事なのでしょうか?」
そういうオチかあ〜と感心しつつ、核ミサイルに降臨されては堪らない。そうであるならば絶対に部長の部屋になんて来なかった。
「部長。どうします……」
「馬鹿馬鹿しい。こんな与太話を信じるわけがないだろ……。って言いたいけど、一旦逃げるぞ君たち!」
「あぁ!前もって予言の事を知ってたのに面白半分にここに来なきゃ良かった!俺のバカバカッ」
我々はアパートから脱出するべく大急ぎで靴を履いた。
「私達だけじゃなかったんですね!粘土板No.87795を翻訳してたの」
「だからっていきなり核ミサイル撃ち込むか?バカだぜ世界の首脳達は」
まったく軽々しくミサイルを撃つなよな。部長のアパートをなんだと思ってんだ!部長も逃げる準備をしながら憤ってるようだ。
「訳が分からん話だ!だいたいこれじゃあバグーが降臨する前に、街は壊滅じゃないか。順序が逆だぞ!」
「てか部長!まだその炊飯器抱えたまままなんですか?捨てて逃げた方がいいですって」
「いやオカルト研究会部長として、異界の証拠をだね……」
玄関から出ようとした俺が振り返ると、こんな時に柳さんはスマホ画面を見て突っ立っている。
「なにしてるんだ柳さん!」
「あ、待って八坂さん。たった今、超危険な知らせが届いたんです」
「だったら尚更だ!早く出るんだ」
柳さんは玄関で靴を履きながら、ニュースを読み上げた。
「えっと……。北と西の方角から国籍不明の飛翔体が合計25個、猛スピードで日本海上空を通過中だそうです。どちらからも、あと30秒でこのアパートに着弾するみたいです」
「な……なんだと!?」
25個の飛翔体が2方向から30秒でここに着弾とは……!?
我々の命運はアパート玄関前で突然に尽きたらしい。25回も念入りに核ミサイルが炸裂するならば今更どこに逃げても無駄だろう。すると逃げようとしていた部長が突然、アパート前の道路に仁王立ちした。
「今にして思えば2人を巻き込む形になったのは残念だが仕方がない。もはや是非に及ばず」
部長は炊飯器を投げ捨て、悠然と地面に胡座をかいて座る。炊飯器は蓋が開き、そのまま転がっていく。そして部長はズボンのポケットから再びルーピックキューブを取り出した。
「ちょっ!何やってんですか部長。諦め早過ぎですよ!」
「そうですよ部長!まだ28秒は残ってます。鉄筋の建物の中に逃げましょう」
「君たちは逃げろ!逃げてくれ!私はルーピックキューブと共に、穏やかに潔く核爆発に巻き込まれるつもりだ」
ああこんな事になるなんて。やはり研究テーマなんて河童伝説で良かったんだ。河童研究なら核爆発に巻き込まれることもなかったし。俺のバカバカバカ。
部長がポケットから取り出したルーピックキューブは、すでに上面は赤面で揃っていた。部長は人生最後の局面に、この上面を崩さずに下面を一瞬で青色に揃えてしまった。鮮やかなり。
俺と柳さんはパチパチパチと部長に拍手を送った。もうヤケクソだ。どうにでもなれ!
その瞬間……。部長のルーピックキューブは突如として眩く輝きはじめた。それは強い光で闇夜に現れた焼夷弾の如く周囲の建物を照らした。眩くてとても直視してられない。
「え!?いったいなんなんだ……」
我々一同が目を 手で覆って、呆気に取られていると突然に『コールセンターにつなぎます。イベント一時中止』というメッセージがルーピックキューブ内から発せられた。
「な、なんですかこの音!?部長これなんなんですか!?」
「なんで私のルーピックキューブからこんな音が……」
その時、部長が道路に打ち捨てたはずの炊飯器から突然に人の上半身がウニウニと出てきた。もうワケが分からない。
「せ……狭っ!お客様。今、出ますので少々お待ちを……」
「ええええええ!ちょっと部長。大変ですよ。なんだこれ!」
炊飯器から人が芋虫のようにノソノソと出てきた彼は人間のようだが、もしや……こいつがバグーだろうか!?その人物は、起き上がるとズボンについた砂を払い、我々の想像を越えたセリフを発してみせた。
「はぁ、はぁ。ようやく出れた。どうもお客様。こちらコールセンターから来ました」
炊飯器から出てきた彼は、力士の如き巨大な男だった。しかも赤い帽子を被り、赤ぶち眼鏡をかけ、赤いネクタイをつけ、赤いスーツを身にまとった非常に目立つ中年男性である。パッと見た感じは変態であった。
「部長、誰なんですかこの人!?知り合いすか?」
「知らない知らないっ」
彼は営業スマイル全開の表情で、ノソーっと部長のルーピックキューブを覗き込むと、赤ぶちメガネを上げて直接肉眼で確認した。
「製造番号は合致と。ではお客様、申し訳ないのですけれど、その製品の使用を中止して頂けませんでしょうか?」
「はいっ?」
「簡単に申し上げますと、そちらの商品は我が社のリコール対象商品なんです」
赤男の突然の要求に部長も引き下がらない。
「今そんな事を言われましても。私は不自由なく使っておりますが」
「我々の時空で現在のモノは全て回収したのですが、一部の在庫を悪徳業者が時空の狭間に不法投棄しちゃったらしくて、1個がこの時代に流れ着いたわけです」
赤い巨躯の大男が、満面の笑顔で実にワケの分からないことを言っている。俺はたまらず叫んだ。
「てかそもそもアンタは誰なんだ?ま……まさかアンタがバグー?」
謎の赤い中年男性はこちらに向かって丁寧にお辞儀をした。
「あ、申し遅れました。私、301世紀からタイムスリップしてきたオモチャ製造メーカーのお客様担当のサクラ・花山です」
少し離れた場所にいた柳さんが我々に向かって叫んだ。
「皆さん!井戸端会議してる場合じゃないです!10秒切りましたよ着弾時刻が」
すると謎の中年は柳さんの方をチラリと見た。
「着弾?ああ、核ミサイルの着弾ことですか?となるとお客様、もうスイッチ入れちゃいましたか。では一時イベントをストップしましょう!はいポチっと」
彼は自分の赤い腕時計を触った。何やらスイッチを入れた様子だ。
「これで3分ほど核爆発イベントは停止できますんで。皆様ごゆっくり」
この赤男の言動には唖然とすることばかりだ。しかし驚く我々を気に求めず、赤い中年は部長が握ってるルーピックキューブをチラリと覗き込んだ。
「このタイプの製品ですね~。申し訳ありませんが設定上の欠陥が判明しまして」
部長は怪訝な表情で彼をみた。
「欠陥だと?」
「まあ本来はただのパーティ用の罰ゲーム玩具なんですけど……。不良品はいきなり災厄イベントのスイッチが入るんです。ちょっとしたバグなんですが」
「どういうこと?」
「301世紀では、目隠しして遊ぶんです。こう、適当に回して……」
全ての謎が解けることになった……。実に馬鹿馬鹿しい謎が。