王都に転居した話
その日から私のゴブリンへの研究に対する姿勢が少しだけ変化した。
これまではゴブリンの生態と皮下油に対する有効利用の為の研究であったが、それからはゴブリンに苗床にされてしまった人々を助けるための研究へと。
クレール女医の診断により、システィの健康面での問題はないと判断されてすぐ、私は実家へと戻ることにした。
もちろん、システィを伴ってだ。
システィはすぐに屋敷のメイド長によってメイドとしての教育を施されることになったのだが、元々家事全般は得意であり、呑み込みも良かったので作法や言葉遣いも直ぐに覚えた。
今では屋敷の者達から随分と気に入られている様子である。
システィは順調に屋敷に馴染んでいったが、私の研究はそうでもなかった。
今回の件でいくつか焦点は絞れてきたものの解決に至らないのだ。
「余り根を詰めないでください」
研究室に軽食を運んできたシスティは心配してくれるのだが、これも彼女のような被害者を出さないためである。
彼女らの背負った傷に比べれば、少しの苦労も苦労のうちには入らないだろう。
研究は遅々として進まぬまま日々は過ぎていった。
この間、目的となる結果は導き出せていなかったが、別の、新たなゴブリンの側面は見えてきた。
実は、ゴブリンはその殆どがメスであるという事だ。
まぁ、他種族のメスに種付け、もとい産卵するのだから当然と言えば当然である。
ではオスはいるのか、と言うと、実はいるのである。
オス、メスの外見的特徴の差異は無いので見分けることができないが、群れの中に一匹は必ず存在する。
そのオスが力を付けていくとゴブリンリーダーやらロードとなるのだ。
このオスが産ませる子は殆どがオスであった。
この事実は、偶々捕獲したオスのゴブリンの観察によって得られた結果でもある。
また、これまではゴブリンはすべてオスで構成されていると考えられてきたのは外性器が陰茎に見えるためであった。しかし、これは他生物に卵を産み付けるため、と考えればなるほど納得のいく器官である。機能面から見れば昆虫の産卵管と似ている。
さらに、ゴブリンは基本的に単為生殖で増えていくので多くの群れは大抵、大半がクローンのようなものである。
しかしながら、オスが存在するという事は生殖行為も行うという事であり、その対象はどうなのか、と気になるところであるが、ゴブリンのオスは他種族のメスには興味を示さないのである。
ゴブリンのオスは繁殖期に入ると、群れのメスの中から気に入ったメスを選び、交尾をする。その際、ゴブリンのオスはメスの外性器を自らの性器で体内に押し込むようにして行為を行う。
産道と尿道が同じ器官を利用しているという事なのだと、産後死んだゴブリンの解剖を共にしたトレヴァー教授は驚いていた。
ゴブリンは卵生でありつつも卵胎生でもあるのだ。
そして、メスは出産に際して、産道と尿道が同じであるため非常な痛みを伴うのは当然ながら、裂けた尿道が再生せずに一度の出産で死んでしまう。
オスも、一度交尾をすると次の繁殖期までは子育てをして過ごすので滅多にコロニーからは出てこない。
そのためゴブリンが出産するという事は私が調査するまでは全く知られていなかったのである。
因みに育ったオスであるが、ある程度育つと群れを離れ別の群れへと合流すると思われる。
この辺りに関してはいずれ改めて調査を行いたいと考えている。
そんな事実を本に纏めて出版したところ私はブラワ王立学術院へと招聘されることとなった。
新たな発見による功績もあったのだろうが、私の研究の事を知っているトレヴァー教授が王立学術院で副院長に就任したことも大きい。
さらには、当時の院長へとクレール・エメス女医が私を推薦したことも関係しているようだ。
クレール・エメス女医はシスティのことがあってから私とは違う方法でゴブリンによる被害者を救うための研究を進めていて、その共同研究者に私が適任であるとしたのだ。
私は招聘を快く受け、急ぎ王都へと転居することになった。
私に付いてきてくれるのはシスティただ一人である。
本来あと二人は付けるとの父の言葉があったのだが、結局のところ変わり者の私に好んで付いて行こうとする者はおらず、なんやかんや理由を付けて皆断ったのだ。
王都についてからは学術院に通いつつ、クレール女医と共に研究を進めることになった。
その研究とは、ゴブリンの種付けによって子宮内に吸着した卵をどうやって取り除くか、の研究である。
吸着した卵を無理に取り除こうとすると子宮内の組織を痛めてしまう可能性があり、また、残った卵から分泌される液が子宮内の状態を狂わせ妊娠を妨げる。
これまでの、被害者は産後、今では排出後、と表した方が適切であろう、緩んだ産道を特殊な器具で押し広げ、中に残った残滓を掻きだしていたそうだ。後は時間とともに、自然と元の状態へと戻るだろうと言われていたのだが、実際は上の理由から妊娠は絶望的であった。また、この事実は、被害者女性の追跡調査が困難だったため処置を行った医師も知らなかった様子である。
この辺はクレール女医の話からも分かっていたことであったが、今更どうしようもない事である。
ともかくとして、この卵を安全に取り除くことを第一の目標として掲げ、私やクレール女医は研究を勧めていたのだ。
クレール女医は、医師としての見地から、外科的な手法を試した結果、どれもが旧来の方法か、それ以上に悪い方法と結果しか生まなかったため、それらでは駄目だと判断したのだ。
そこで目を付けたのが薬学である。
薬品による除去を目指せないか、と。
そしてクレール女医は私が薬学も修めていることを思い出し、院長に嘆願した。
最初、院長は渋ったのだが、タイミングよく先の出版とそれに伴ったトレヴァー教授の推薦があり、私の招聘を決めたのだという。
このことは私にとって幸運であった。
私は一応医学の心得があるとはいえ、精々簡単な病気の診断と、外傷、骨折等の治療が行える程度のもので、対して薬学は薬草学、植物学の延長としてだけでなく、世間の有象無象の学者共より優れていると自負していた。
クレール・エメス女医とならば求める結果を得られる、私はそう確信した。
私はクレール女医と共に様々な薬品を試した。
様々な酸を用いてみたし、新たに見つかった種々の薬品を用いても見た。
卵を殺すのは簡単で、どの薬品でも一定の効果は見られた。
しかし、残念なことに母体の安全となるとどれも目も当てられない結果が待っていた。
一縷の望みをかけて裏通りにある、まっとうな人物なら利用しないような商人から御禁制の毒薬、麻薬の類を仕入れたこともあったが全く効果がなかった。
そうこうするうちに一年、二年と時間ばかりが過ぎていく。
私たちは完全に煮詰まっていたのだ。
「クロード様、気を落とさないでください」
自宅に戻り疲れと無力感からソファで項垂れている度に、システィがいつも優しく慰めの言葉をかけてくる。
まぁ、そんな彼女にコロッといってしまったのだが、それはまた別の話である。
ある時、ふさぎ込んでいた私に彼女は提案した。
「偶には気晴らしにフィールドワークに行ってらしたらどうですか?」
と。
私はシスティの言葉に従う事にした。
決して彼女に惚れてしまったからではない。
学術院の外にもきっとヒントはあるはずだ、そう判断したからだ。