研究バカが説教される話
さて、引き取った娘だが、名前をシスティといった。
元は違う名前だったのだが、ギルドから別の名前を名乗ることを勧められて、私と件の女性冒険者と三人話し合ってそう決めたのだ。
女性冒険者は名前をアンリと言い、このような時の護衛を任されているのだというが、普段はギルドの職員として働いているそうだ。
システィは三人で暮らし始めた当初ふさぎ込んでいたのだが、女性冒険者アンリが親しみやすい人物であったため徐々に笑顔を見せるようになって行った。
それに加えてシスティは家事も得意で、研究に没頭する私に代わりアンリと共に家事を行ってくれた。
ただ、私の研究室、と言っても納屋を改装したものだが、には近づこうとはしなかった。
何せここにはゴブリンが数匹飼育されているからだ。
「被害にあった娘の傍にこんなものを置くなんて神経を疑う」
アンリは隙あらばゴブリンを殺そうと狙っていたが、檻から決して出さない事を条件に納得してもらった。
そも、出すつもりも毛頭ないが。
三人の生活に慣れ、落ち着いてきた頃、トレヴァー教授が私の元を訪ねてきた。
本来の約束であれば、ここには来ないという事になっていたのだが、好奇心には勝てなかったらしい。
教授の来訪を受け、アンリは嘗て見ない程に不満を爆発させていた。
「私が教授の立場なら同じことをしていただろう」
と、私が説得にかかったのだがその言葉がいけなかったようでアンリの怒りを買う事になり私と教授、二人して長々と罵られ、説教をされる破目になってしまった。
ともあれ、トレヴァー教授はただ手ぶらでやってきたわけではなかった。
教授はその広い伝手を使い、当時では数少ない女性の医師を連れて来ていたのだ。
医師の名をクレール・エメスと言う。
私の記憶が確かなら、中央貴族のハネッ返り娘と耳にしたことが有る。まぁ、娘と言ってもクレール女医は既に三十路を越えていて娘と言うのは憚られるが。
クレール女医は折を見てシスティの診察を行う事、出産に際して立ち合いその周りの世話をすることを約束してくれた。
その話をしていた際、ゴブリンが生まれる際の経過の観察に私とトレヴァー教授もぜひ立ち会うと主張したのだがアンリは私達の立ち合いを頑として認めなかった。
そのうえ、また長々と説教を食らう羽目になった。
研究のための貴重な体験を逃してしまい私とトレヴァー教授は酷く落胆した。
そんなこんなで日々は過ぎていく。
トレヴァー教授はあれこれと理由を付けては私の所にやってくるため、その度にアンリは嫌な顔をして教授に文句を言う。
直接教授本人に文句を言うあたりアンリという人物は直接的な人物である。
システィはシスティで、教授から色々と踏み込んだ質問をされるものだから、アンリと一緒でないと教授の前に出ないようになっていた。
アンリが居れば教授も下手な質問はしないからだ。
システィ、アンリらと暮らすようになってからひと月程が経過した頃、システィが腹部に何かが動く感覚がすると訴え始めていた。
システィの腹は既に臨月を迎えた妊婦のように膨らんでいて、経過を見守っていたクレール女医は非常な驚きを持って診察し、間もなく生まれるだろう事を告げた。
思えば、このころはクレール女医はシスティのカウンセリングもしてくれていたようだ。
システィが不安を必要以上に表に出さなかったのはそのお陰であった。
診察があって一週間もしないうちにシスティは腹部の痛みを訴えた。
遂に始まったのだ。
私はシスティの事をアンリに任せ、市の宿に逗留しているクレール女医を慌てて呼びに行くことになった。
システィの待つ家に付くが早い、クレール女医は急ぎ足でシスティの居る部屋に飛び込む。
取り残された私は、堅く閉ざされた扉をただ見守る事しかできなかった。
生まれてきたゴブリンは、すべてアンリの手で始末された。
私はどうしても一匹だけでいいからサンプルとして手元に置いておきたかったのだが、これもアンリによって跳ねのけられてしまった。
システィの事を思えばこのようなものは早々に殺してしまうのが良いのだ、それは分っている。しかし、今後の研究に使えるかもしれないと思えば心を鬼にする。
それが研究者であろう。
が、それを理解してくれる者はそこにはいなかった。
クレール女医は多少の理解を示してくれたが、やはり女性、アンリの味方である。
やんわりとした口調で私に諦めるように告げた。
さて、産後の処置を終えた後、日を置いてから私とトレヴァー教授、クレール女医は納屋を改造した研究室で顔を突き合わせていた。
「それで、システィの中にもあれはありましたか」
「ええ、こちらがそうですわ」
私の言葉に、クレール女医はペトリ皿に乗せられた半透明のブヨブヨとした組織を机に置いた。
それは、白みがかったゼラチン質の塊であった。
「これは一体……」
トレヴァー教授は初めて目にしたようで、興味深そうにその物体を睨む。
「これは、言ってみればゴブリンの卵、その残りカスといったところでしょう」
「卵、とはどういうことです? もしやクロード殿は何か知っていたのですか?」
クレール女医は私を見て咎めるように言う。
知っていたのなら、何か打つ手を持っていたのではないか、という非難が込められていた。
「残念ながら、大したことは私にもわかりませぬ。……このことに気が付いたのはごく最近で、そして幾つかの事実を聞いて、実験を経て確信した次第です。これは少し前、システィと話をしている際に気が付いたことなのですが、進行具合の割に妊婦のような食の変化もなく、また、他の複数の家畜で実験した際の妊娠期間との差違がない。もしかすると、ゴブリンと言うのは他生物のメスを孕ませているわけではないのではないか、と」
「その推察には根拠があるのかね?」
トレヴァー教授はペトリ皿から目を離し、私を見る。
「これをご覧ください」
と、私は研究室の保温用の仕掛けの施された棚からガラスの瓶を取り出す。
この瓶の中は特殊な薬品で生物の胎内と同じ環境が保たれるようになっている。
また苗床としてゼラチンを加工したものが敷かれている。
実験の為にある程度環境を作ったとはいえ、どの程度が必要なものかは、まだまだ考証の余地はあるだろう。
その上にはペトリ皿の上にあるものと同じものが乗せられており、そのサイズは幾分か小さい。
これは、直接ゴブリンから取り出したもので、何よりそれと異なるのは小さく黒い粒が透けて見える事だろう。
最初はただの白濁した粘性の液体だった。
しかし、条件を整えた環境に置くと、次第に胚が形成され、瓶の中のような黒点が生じたのだ。
「瓶の中は弱アルカリ性に保ってあります。言ってみれば生物の子宮の中の状態を再現してあります。そして、あの棚の中は生物の体温に合わせて温度を保つように知り合いに頼んで魔術を施してあります。経過は観察中ですが、このままいけばこれらの胚は成長し、我々の良く知る生物となるでしょう」
「……システィは言っていました。最初は痛みがありこそすれ、話に聞くような子供を産んでいる感覚がしなかったと。ただ、体内から何かが這い出している感覚だけがあった、と」
クレール女医は深刻そうに言う。
「これで、問題の一つは何となく見えてきましたな。つまるところゴブリンとは、この生物は、世に言われるように単に性欲の限りを尽くすような、それだけの生物ではなかったと……」
トレヴァー教授が呻くように言うのを背に、私は取り出した瓶を再び棚に戻す。
「……もう一つ問題がありますわ。実は、ゴブリンを産んだ女性、いえ、もう排出と言った方が良いかもしれませんね、を診たという医師から聞いた話なのですが、そういった女性はもしかすると二度と子供が産めなくなっているかもしれない、と。その医師は調査の為に再び件の女性に会おうとしたのですが、それもかなわず真偽のほどは分らなかったそうです」
クレール女史は固い声で語る。
「つまりシスティはもう子を産めない、という事ですか?」
「端的に言えばそうですわ。私は以前聞いたその話を思い出して、システィさんには悪いと思いましたが、診察の際に彼女の子宮の状態を簡単にですが調べました。恐らくはゴブリンの種のせいでしょう、子宮内の環境が変化していたのです。そのせいで彼女が子を授かることはもう、ありません」
言われてみればこれまで実験に使った家畜、獣は、教本通りの適切な処置を施したにも関わらず子を産むことはなかった。
試験に協力してもらった酪農家からも未だ種付けに成功した報もない。
恐らくは生物として子を産むための機能が狂わされてしまったのだ。
私は言葉を失った。
これが終われば、システィはいずれ新たな日常へと帰って行くものだと思っていたからだ。
「まだ若いというのに、何と……」
トレヴァー教授は惜しみ、本宅の方を振り返った。