イノシシの出産の話
さて、冒険者ギルドである程度欲しいものを手に入れた私は拠点を一旦実家に戻すことにした。
当時拠点にしていた町のギルドでは私の悪評の方が先行してしまい、ついには誰も組んではくれなくなってしまったのだ。
これでも私は学者であり、本職の冒険者ではない。
前に立つ剣士達が居て初めて安全を得られるし、十分な仕事ができる。
危険とわかって一人で行動するわけにもいかないのだ。
それに、少し前に手に入れたゴブリンの子を宿したイノシシを飼うにはそれなりの檻が必要だったし、これから生まれてくるゴブリンの子供の事を考えるとどうしても飼育に十分な場所が必要となってくる。
私は実家に手紙を書き厩を改装して檻を作るように指示を出した。
それから手紙を追うようにして実家へと数年ぶりの里帰りとなった。
実家に着く頃にはイノシシの腹は異様に膨れ上がり、今にも破裂しそうなほど膨らんでいた。
ギルドの報告ではゴブリンが生まれるには種付けをされてからひと月程だとあったのでもうニ、三日で生まれる。
私は十分な飼料と水、それと寝床の藁をイノシシに与え、出産の時をワクワクしながら待つことにした。
出産の兆候が見え始め、今日か明日にでも始まろうかという時、屋敷を訪れる者があった。
どうやら私に用があるらしく、人の相手をするのも煩わしかったが対応することにした。
庭師の息子ハックスに破水があったら直ぐに呼びに来るように言い含め屋敷の応接間へと向かった。
私を待っていたのはブラワ王立学術院の学者で後の学院長となるトレヴァー・ローバー博士であった。博士は時折大学で教鞭を執っているいることから教授と呼ばれる事を好み、私もそう呼ぶことにした。
教授はぜひともゴブリンの出産に立ち会いたいと、恐らく父から私のやっていることを聞いてやってきたのだ。
「教授のような知見のある方がご一緒下さるならばこれほど心強いものはない」
教授の目的が分かると私はすぐに連れ立って厩舎へと戻った。
教授はまさにゴブリンの子を産み落とさんとするイノシシの姿に痛く感動したようで、私の元を訪れた理由を語ってくれた。
教授は魔物の、特にキメラに関する研究も行っているそうだが、現在はバイコーンの交配に関してとある貴族の依頼を受けてそれを専門にしているそうだ。
ある時、放牧できるかどうかの試験を行っていた際、一頭のバイコーンのメスがゴブリンを生んだという。
「格上の魔物にまで種を付ける魔物となれば、これは驚嘆に値する出来事だ。これを研究せぬ手はないだろう」
トレヴァー教授は出産の始まったイノシシを視界に収め、仔細を逃さないように目を見張っていた。
生まれてきたゴブリンの赤子は都合三十匹ほどもいた。
通常の群れの数を考えると異常なまでに多いが、その理由の一つが見えた。
生まれたゴブリンはよろよろと立ち上がったイノシシによって数匹が踏み潰され、同時にゴブリンどもは死んだ死骸を食らい始めたのだ。
共食いと見ればそれまでだが、彼らは生後の栄養を得るために互いに食い合う。
そして、ある程度栄養を付けたゴブリンはイノシシの為に設けておいた餌桶にまで集る始末だった。
その頃にはゴブリンの数も十匹程度にまで減っていて、産みの親であるイノシシは乳を与えようともせず無関心に藁の中で眠りに落ちていた。
確か、以前見た犬の出産では生まれた子の羊膜などを舐めとりかいがいしく世話をしていたと記憶しているが、獣であってもゴブリンには情というものが沸かないらしい。
むしろ、まとわりつく子蟲を払うが如く踏み潰してゆく。そしてゴブリンは、イノシシの体に取付き、歯を立ててゆく。
おぞましい光景だった。あたかも自らの食料だとでも言わんばかりに歯を突き立てるが、結局のところ分厚い皮を食い破ることもできず脱落してゆく。
「これは、実に奇妙な事ですな」
トレヴァー教授は眉根を潜める。
教授の話では、バイコーンがゴブリンを産み落とした際の話は馬丁からの報告のみでその目で見た訳ではなかったとのことで、産まれたゴブリンはすぐに居合わせた兵士が全て殺してしまったのだという。
「ええ、もしかするとこのイノシシには子を産んだという自覚がないのやもしれませぬ。獣であっても親子の情はありますから」
私と教授は互いに感想を述べあい、結果、ゴブリンの子を産んだという人間から話を聞くのが一番という結論に落ち着いた。
しかしながら、被害にあった女性の情報というのは決まって秘匿されるものだ。
噂は立つものの、その噂が耳に入る頃にはその人物は雲隠れしており足取りを追う事は難しい。
これには国と冒険者ギルドが深く関わっているためである。
世間的に魔物の子を産んだとなれば、その女性は女として見られなくなる。
結婚も出来なければ仕事にありつくことも難しい。人としての尊厳すら危ぶまれる。
故に様々な理由から被害者の情報は秘匿されてしまうのだ。
だからギルドへ紹介状を用意してほしい旨を伝えても相手にもされない。
私は何度かこの旨を認めた書状を送ったのだが、危うくギルドを追放される破目になるところであった。