ゴブリンは不味いという話
世に魔物の研究を行う者が居ないか、と問われれば居ないというわけではない。
大抵は生物学者が行う研究の中に含まれる。
有益な家畜の飼育、病気、交配による質の向上など、様々な目的で研究されている。
それと同様にワイバーン、バイコーンなど人にとって有益になり得る魔物は同様に研究されるのだ。魔物に関しては主に軍事関係の研究が多いため、元々の専門というよりは家禽の類の研究者が引き抜かれるパターンも多い。
現在は大学に学部を設けて専門家を育成する動きもでている。
先に挙げたワイバーン、バイコーンの研究に関して少しばかり例を挙げると、ワイバーンを用いた空戦部隊の編制、同時に安定供給できるように飼育法の研究や与える餌でどのように発育に関わっていくか、そういった事をやっているそうだ。
戦場で空戦部隊があるかないかでは軍事力に歴然の差が生まれる。
故に様々な国で研究されており、最も資料の多い魔物だろう。
その資料の殆どが機密扱いで一学者が目を通すことは叶わないが。
さて、バイコーンに関してだが、これはどちらかというと貴族が金を出して研究させているものだ。
貴族には戦争が一たび始まれば戦場に赴かなければならないという義務がある。
領地と戦場の場所の兼ね合いなどもあるらしいのだが、ともかく一度は戦場に赴くことになる。時には軍馬に跨り、馬上で指揮を執ることも必要になってくるのだ。
ここまでくれば想像するのは容易いだろう。
戦場はなくとも大規模演習は三年に一度は行われる。
貴族は見栄を張る生き物であり、平和の続いた今治世では演習などが軍馬のお披露目会のような場と化しているきらいがある。
勿論、仕立てた鎧や剣で飾るというような風潮もあるが、今回の話題はバイコーンである。
気性も荒く、攻撃的な性質を持つバイコーンを手懐け乗り回すことで一種の箔付けを行っているのだ。どこかの貴族がやりはじめ、皆も真似始めた。今では毛並みや体格を良くするために学者を使うようにまでなったのだ。
因みに、バイコーンには不純だとか男を食い荒らすだとかの良くない伝承があるのだが、戦場においては容赦なく敵兵を蹂躙する方向で好意的に解釈を捻じ曲げ捉えているそうだ。
このように何かしら人々にとって、主に力のある人々にとって有益と捉えられた魔物だけが研究されるのだ。
ゴブリンの研究? ふん、そんな事よりもワームの研究をした方が領地が潤う。
私の事を聞きつけた学者は見下すようにして吐き捨てた。
ワームもそこそこ知られた魔物の一種でゴブリンと並んで人に害を成す。
ゴブリンが街道を行く商人や放牧中の家畜を襲い被害を出すとすれば、ワームは主に農民に深刻な被害を与える。
冒険者ギルドによれば同程度の脅威度とされる魔物にもかかわらず、人々の生活に直接つながる場所に被害が出ることからこちらの研究も盛んである。
農地の被害は、つまるところ多くの食卓に影響するし、貴族の懐具合にも関わってくる。
当たり前の話だ。
比べてゴブリンは、確かに街道で人を襲う事もあるが大抵は護衛の冒険者が退治してしまうし、家畜の被害もあるにはあるが、ゴブリンの小さな体躯で大型の家禽は手に余る事の方が多い。案外手痛い反撃にあったゴブリンの死骸が牧場の端っこに転がっていることもある。
世間的に重要な脅威とみなされていないのだ。
学院でゴブリンの研究をしたいと学長に上申すれば鼻で嗤われた挙句、同じ植物の研究を行っている者達からは遠巻きにされるようになった。
しかしながら冒険者は違う。
彼らはゴブリンが危険な種だときちんと認識している。
際限なく数を増やし時には人すら増えるための道具として利用する。
生物として危険なのだ。
数年ほど前から、冒険者ギルドから定期的に送ってもらっているゴブリンに報告書では満足できなくなった私は、他の学者との埋めがたい認識の差もあり、学院を一時的に離れ冒険者となることにした。
学院で植物学の他、医学、薬学を修めたとなれば冒険者としてすぐに受け入れられた。
野営も、もともと年に何度もフィールドワークに出ているため問題はないし、身を守る為の攻撃的な魔法の心得もある。
どんな冒険者と組んでもさして問題はないように思われた。
「おい、アンタ何しようってんだ」
引きつった顔で髭面の冒険者が私を睨む。
私の目の前には数体のゴブリンの死体が仰向けに並べられている。
「何? 見ればわかるだろう」
革製の道具入れの中から小型のメスや管子、のこぎりを取り出す。
それからゴブリンの胸元から切り開いていく。
「い、いかれてやがるぜ……」
男は顔色を悪くしながらうめいた。
ゴブリンは、基本的に討伐報告として左耳を切り落として持ち帰る。
それ以外の部分は使い道が無いため穴をあけて埋めるか、燃やす。
どうも人型の魔物の場合は忌避感も手伝ってか必要以上に手を付けることはない。
今の私の行為は彼の目には奇異に映ったに違いない。この依頼を終えた後、その冒険者たちは私と仕事するようなことはなくなった。
さて、ゴブリンはこう見えて皮下に特殊な油を蓄えているため一度燃え始めると勢いを増す。故に燃やす際の油の節約になるのだが、これはちょっと奇妙な事だ。
ゴブリンの皮の下、筋肉との間にある油は脂肪とはまた異なり特に餌の取れない事態に備えて栄養を蓄えるといった目的であるわけではない。
この油は非常に高カロリーでかつ吸収効率がよく、体を動かせば恐らくはすぐに体に吸収されてしまう。
幾つかゴブリンを調べてわかったのだが、この油を蓄えているゴブリンと蓄えてないゴブリン二種類のゴブリンが居た。
その理由は分らないが、ゴブリンの群れというのは基本的には親を同じくする兄弟であり、個体間で大きな差はないとされている。
ゆえに皮下の油は非常に気になる事だった。
ある時の事、イノシシのメスを襲って種付けをしているゴブリンを見つける。
その時組んでいたPTのメンバーはそれを早く退治したがったが、私はそれを押しとどめる。
それからすべての行為が終わったのちにゴブリンの討伐を行った。
その時になってようやく一つの推測がなった。
討伐されたゴブリンは皮下油が存在しなかった。いや、あるにはあったが、非常に量が少なかったのだ。
その点、イノシシを大人しくさせようとして命を落とした個体を調べてみた所、豊富な皮下油があった。
恐らく、ゴブリンはどこでも繁殖しようとするが故に、ことが終わればすぐに行動できるように体内にすぐに吸収できる栄養が脂肪とは別に蓄えられるようになったのだ。それが偶々油だった。
この時の仕事は非常に得る者が多かった。
ゴブリンの子を宿した生きたサンプルに、皮下油の意味。
たった二つと言われるかもしれないが、私にとっては十分に意味のある成果だ。
所で、試しに皮下油を集めて飲んでみたところ、二日ほど寝ずに活動ができた。困ったことに股間も二日間テントを張りっぱなしで出かける際には常に前かがみを余儀なくされたのは問題だろう。
それと、味も問題だった。溝の匂いに魚の生臭さが加わり、味は苦く腐った魚の内臓のような複雑な苦みでそれが酷く口の中に残る。こんなもの、誰も好き好んで口にはしないだろう。
とはいえ、栄養剤としての一面、ゴブリンというのは非常に有益な生物になり得るかもしれない。
そんな事ばかりをやっていたからだろうか、半年もすると私とパーティーを組んでくれる冒険者は居なくなっていた。
もしかすると、ゴブリンの解体のついでに心臓と肝臓を味見したのが問題だったのだろうか。あれも非常にまずかった。
「ゴブリンは食用には適さないので気を付けた方が良い」
様々なパーティーに同道する度にゴブリンを調べながら教えてやるのだが、
「誰もそんなことしねーよ」
と馬鹿にされたこともあった。
人の親切を無下にする奴の多い事よ。