「狩り」
――ルクルド村に来て数日後のとある日――
僕は狩りに行くことにした。
何日かお世話になるだろうし、元気になったアーニャちゃんにお腹いっぱい美味しいものを食べさせてあげたい。
そこでアリシャさんにこのあたりの狩りで捕れる大物を聞いてみた。
ずばり、イノシッシとブラックバースだそうだ。
ふざけるなって?
決してふざけていない。僕もアリシャさんから名前を聞いたときはふざけてるのかなと思ったが、真顔だったのでつっこむのを止めた。
日本で言うところの猪とブラックバスがそれぞれ近場の山と湖でとれるらしい。
ちなみにこの2匹に関しては分類上モンスターにカテゴライズされていない。
また、狩りは道中でモンスターに出会う可能性を踏まえ、通常パーティを作って行くのだとか。
僕は適当に誤魔化して1人で狩りに出た。
パーティー組んだら山分けになっちゃうじゃん。
それに能力も試しておきたかった。今のところ【回復魔法】しか能力を使用しておらず、あと4つの能力が未知数だ。
【魔法解除】、【剣豪】、【召喚魔法】、【生活魔法】
動物相手に【魔法解除】や【生活魔法】は試せないだろう。
そこで、召喚魔法から試していこうと思う。
召喚するのは猟犬である。
猪を狩りに行くとしても、まずは探索から始めなければならない。時間がかかればそれだけモンスターとの遭遇の可能性が高まる。
効率面で考えても、猟犬に獲物を探して貰うのが得策だろう。
ついでにモフモフする。
さっそく僕は召喚したい対象の猟犬をイメージする。
「【召喚】:柴犬!」
目の前が一瞬光ったかと思うと、そこには柴犬がいた。
「ワンッ!」
「よ……よ……」
僕はそ~っと手足を震わせながら柴犬に近づく。
「ワンッ!」
僕と柴犬がゼロ距離になる。
「よーしよしよし!! よーしよしよしよし!」
僕は盛大にモフモフした。目的が前後したが、何も問題はない。モフモフをしないでいられようか、いやいられない。
しばらく柴犬と戯れた後、狩りを開始する。
「よしっ! コタロウ! イノシッシの匂いを辿ってくれ!」
コタロウとは言わずもがな柴犬の名前である。
僕がそう命令すると、ワンッと一吠えして駆け出した。
僕もそれに続くように走る。
小高い山に入っていくと、コタロウは山道を苦にすることなく駆け上って行く。
ちなみに柴犬は、日本で古来より狩猟のために飼育されてきた品種であり、日本の急峻で下生えの多い地形にも対応できる体躯と、飼い主に極めて従順な性質が特徴である。
獲物の対象は鳥から大型哺乳類まで多岐に渡り、訓練によっては猪や熊などの大型動物とも対等に渡り合える勇敢さも秘めている。
――閑話休題――
山に入って30分くらいした頃、コタロウは急に立ち止まり、正面を見据えて唸っている。
ヴ~ワンワンワンッ!
よく見ると前方の草むらからイノシッシと思われる体が見えた。
「よくやったぞ! コタロウ!」
僕は1人だと心もとないので、コタロウを出したまま剣を握る。すると、こちらの殺気が伝わったのか、イノシッシがこちらを睨んだ。
フゴッ!ブヒィイイイイイイイイイイ!!
イノシッシは一頻り吠えると猛烈な勢いで突っ込んでくる。
まさに猪突猛進。
ドドドドドドドドッ
真っ直ぐ俺の方へと大地を揺らし、樹木をなぎ倒しながら――
「で、でかくね!? なんで木をなぎ倒せるんだよ! あんなのに撥ねられたら交通事故どころじゃないっ! ミンチじゃんっ!」
僕とコタロウは、逃走本能に従ってイノシッシの直線距離から外れ右へ逃げ走る。
すると、あろうことかイノシッシが方向転換をし、こちらへさらに勢いをつけて向かってくる。
「まじかよっ!? イノシッシ!! 曲がれるのかよ!?」
もう逃げきれないと思い、剣を強く握り直してイノシッシに相対する。
まさに手に汗握るとはこのことだ。
怖い。
死ぬほど怖い。だが、イノシッシの速度と僕の今の逃走スピードではどうあがいても逃げきれない。
覚悟を決めろ!
僕は剣をさらに強く握りしめて構えに入ると、とめどなく流れていた冷や汗がピタりと止まった。
目をつぶって呼吸を整える。
すると、自分の呼吸と鼓動以外、音という音が掻き消える。
【剣豪】
神経が研ぎ澄まされる。
いつの間にか心眼で場を俯瞰していた僕は自分の間合いを作っていた。間合いにさえ入ってくれば、どうにでもできる確信があった。
ふと突進して来ているイノシッシに目を向けると、まださっきと同じような位置にいる。まるでスローモーションのような速度だ。
ゆっくりとイノシッシが僕の間合いに入ってくる。動きを完全に見切った僕は、剣を引っさげて駆ける。上体をしならせ、上段に構えた剣から繰り出される強烈な一太刀をイノイッシの眉間に浴びせた。
イノシッシは断末魔を上げると、ズドンッ!と大きな音を立てて倒れ、絶命した。
「生きてるよ、僕……」
全長5mはあろうかというイノシッシを討伐し、現実感が戻って来る。
「……さ、さて、このどでかい図体を村まで運び出すか」
僕はコタロウの召喚を解除し、新たに2体の動物を召喚する。
「【召喚】:イノシッシ!」
目の前の獲物であるイノシッシと同程度大きいイノシッシを2頭呼び寄せる。
どうやらイメージができる動物やモンスターであれば召喚できるようだ。
だが、召喚魔法で召喚できるものは生き物だけではない。
「【召喚】:大繩!」
召喚した頑丈な大繩を使い、イノシッシ2頭と仕留めた獲物を結び付ける。
召喚したイノシッシ2頭に村まで獲物を引っ張っていってもらおうという算段だ。
「イノシッシ1号、2号! 君たちには、このイノシッシを村まで運んでもらう。同胞の死は辛いかもしれないが、弱肉強食の世界。許してくれ」
そういって僕はイノシッシ1号に乗り、村まで移動した。
さすがイノシッシ。木をなぎ倒しながら猛烈な勢いで森を駆け抜けていく。
僕はイノシッシ1号の上でしばし移動を満喫していたが、道中暇になったので、魔力がどのくらいもつか試す意味も込めて、さらに2匹の召喚を試した。
「【召喚】:ミサゴ×2!」
すると、バサバサっと肉食鳥類のミサゴが2体召喚された。
「「ピョピョピョ!」」
「君たちは湖へ言って、魚を取ってきてくれ!できればブラックバースがいいな。捕れた獲物は村までもってきて」
「「ピョピョピョ!」」
僕の命令とともに、2匹のミサゴが飛び立って行った。
山から抜け、イノシッシ1号と2号は獲物を引きずりながら村まで一直線に進む。
「止めれ!」
村と目と鼻の先まで近づくと、僕はイノシッシ2頭の召喚を解除する。
そこには、すでにミサゴたちが捕ってきたであろうブラックバースとその他多種多様な魚が山積みされていた。
ミサゴに1匹ずつ魚を食べさせると、ミサゴの召喚も解除した。
――――
「獲ったどー!!」
僕はアリシャさんの家に入ると、手に持った大きめのブラックバースを見せびらかす。
「あら、マサキさん! 大物じゃない! すごいわっ!!」
えへへっ。
「いや、実はこれ1匹じゃないんですよ。ちょっと家に入りきれそうにないので、外に置いてあります」
「入りきれない??」
アリシャさんは何を言っているのか分からないといった顔だ。
「ちょっと獲りすぎたので、村の人たちにもおすそ分けしようかなと思いまして」
僕がアリシャさんを外へ連れ出し、今日の収穫を見てもらった。
目の前には全長5mのイノシッシ。
そして、ブラックバースをはじめとする多種多様な魚が100匹近く山積みにされている。
「……」
「どうです? 村の人たちに行き渡るくらいありますかね?」
「……」
「アリシャさん?」
口を開けて絶句していたアリシャさんが再起動する。
「え、ええ! そ、そうね。これだけあれば。っていうか、こ、これどうしたの……?」
「狩ってきましたっ!」
キリッ。
「……私の質問に対する答えは、それだけ?」
「はいっ! みんなに喜んで頂ければと思いましてっ!」
「……そ、そう。マサキさんが規格外だっていうのはよく分かったわ」
どうやら喜んで頂けたようだ。
「あっ、やっぱりおすそ分けじゃなくて捨て値でいいから売ろうかな。お世話になっているアリシャさんの家にお金を入れたいですし、僕も身銭がないと困るので」
「これだけの量なら相場的に我が家の半年分くらいの生活費になるわよ……」
「おっ! じゃあ家計的にも助けになりますね! ただ、やっぱり相場だと悪いので、10分の1の値段で村の人にお譲りしましょうか」
村の人も決して裕福じゃないだろうし。
獲ってきた魚を安く売ることで恩を売り、アリシャさんとアーニャさんに対する心象を良くしておくのも悪くない。
「も、もう一度いいかしら。どうやったら、たった半日で、この恐ろしい量の狩りができるの?」
目の前に広がる異様な光景を見ながらアリシャさんは恐る恐る聞いてくる。
あまり神様からもらった能力を露見させてはまずいかなと思い、無難に誤魔化す。
「そうですね……。神のお導きですかね」
「……」
――
それから、獲ってきた魚を1匹鉄貨5枚で売り、鉄貨5枚×100匹=銀貨5枚を得た。
また、『イノシッシの肉はサービスです』と言って大盤振る舞いをしたため、季節外れのお祭り騒ぎになってしまった。
イノシッシの肉の半分は村人の胃袋に入り、残り半分のうち4分の1は狩った本人の関係者ということでアリシャさんの家に貯蔵された。
そして残りの4分の3は冬に向けた蓄えとして干し肉にされ、村の蔵に奉納された。
僕はイノシッシを無料で振る舞うにあたり、『どうかアリシャさんとアーニャちゃんをよろしくとお願いします』と念を押して村人に配った。
選挙活動じゃないよ?
お節介かもしれないが、女手1つで娘を育てなければならないのだ。村人のサポートがこれからも必要になるだろう。
そして、売って得た銀貨5枚のうち、4枚はアリシャさんの家に入れた。これも壮絶なバトルの末にこちらの言い分を無理くり通したかたちだ。
「頂けませんっ!」
銀貨4枚の受け取りを強く拒むアリシャさん。
「いや、でもアーニャちゃんもこれから大きなるし、何かと必要になると思うんですよ」
なんとか受け取ってもらおうとする僕。
「それでも、頂けません! 私とアーニャはマサキさんにまだ大恩を返しきれてない身です!」
なおも拒むアリシャさん。
どうすれば受け取ってもらえるだろうか。
恩を着せるようで悪いが、こちらの言い分もちょっとは正当性があるはずだ。
「じゃ、じゃあ! 僕、これからしばらくアリシャさんにいっぱい甘えますんで! その前金ということで!」
「っ!?」
頬を赤らめてもじもじし出すアリシャさん。
「あ、甘える? そ、それは具体的にはナニを……。でも、そ、そういうことなら……。し、シてあげなくもないというか……。えっと……ちゃんと甘えてくれるのよね?」
「ええ! それはもう、甘ったれってくらい甘えまくります。もう甘っ甘の、甘々です!」
しばらく泊めてもらう間、炊事洗濯にその他家事を全て任せるという意味で他意はない。
『なに』の発音が『ナニ』ぽかったのは気のせいだ。
「甘っ甘の、甘々……」
途端、惚けだすアリシャさん。
「ママ! 抜け駆けだめっ!」
そこへアーニャちゃんがアリシャさんへ突っかかる。
「お兄ちゃんもママばっかりに甘えてないで、アーニャにも甘えてよっ!」
「ええー。僕がアーニャちゃんに甘えるのはちょっと…。人としてどうかと」
大の大人が子供に炊事洗濯その他家事をさせて怠けるとは何事か。
「……ぐすっ」
「あー! ごめんっ! ごめんっ!……じゃあこうしよう! 僕がアーニャちゃんに甘えるんじゃなくて、アーニャちゃんが僕に甘えるといいよ!」
「アーニャが、お兄ちゃんに甘えるの?」
「そうそう」
「ママとお兄ちゃんみたいに?」
「そうそう」
「甘っ甘の、甘々?」
「そうそう」
「毎日一緒に寝てくれる?」
「そうそう……ん?」
まんまと誘導されたような気が――
なんだ?公明の罠か?
「じゃあ、お兄ちゃんに甘えるっ!」
そういって泣き止んだアーニャちゃんは僕の膝の上を陣取り、イノシッシの肉を頬張った。
「おいしいね、このお肉!」
「そうだね……」
女の涙ほど恐ろしいものはないのだと知った。
そこに年齢は関係ない。
「甘っ甘の、甘々……」
一人帰ってこない人アリシャさんのことは取り合えず放っておこう。