死亡税
死亡税
磯貝は職務として、村熊武彦を目覚めさせた。
村熊武彦は、とても長い眠りから覚めたばかりなので、まだベッドに仰向けに寝ていて、酸素吸入を受けたり、呼吸心拍数を監視されている。
磯貝は、村熊武彦の担当医師らしい人物から、患者の状態に大きな問題が無い等の説明を受けながら、多少の体の不快感に苦しんでいる村熊武彦を冷静沈着な眼で見つめている。
覚醒してから一時間くらいは経過したので、村熊武彦は目を開け、おそらく医療機関内の処置室であろう白い部屋の天井を見つめながら、何となく現在の自身が置かれている状況を理解し始めていた。そして、長い眠りに入る前の記憶も、また微かに蘇って来るかのように感じていた。
磯貝は、鞄の中から小さな昆虫のようなロボットを取り出し、それを空中に放り投げた。そのロボットは瞬時に、ヘリコプターのように空中で静止飛行を開始し、搭載している超小型カメラで磯貝や村熊武彦の言動を撮影し始めた。ロボットは全自動で磯貝と村熊武彦の本人確認を完了すると、磯貝の目の前に立体的な映像ファイルを幾つか映写した。
磯貝は、村熊武彦のファイルに軽く眼を通しながら、いかにも政府役人らしく事務的に、ベッドに横たわる村熊武彦の横顔を意識しながら、業務上の対話を始めた。
「村熊武彦さん。この場所が何処だか分かりますか?」
「……何となくは理解できています」
「現在の、あなたが置かれている状況を把握できていますか?」
「……もう少しで、眠る前の記憶が戻りそうな感じがしています」
「覚醒状態は良いようですね。それでは、認識能力には問題は無いと判断して、これから村熊武彦さん、あなたへの通告を始めます。最初に、あなたは村熊武彦、本人に間違いは無いですね?」
「…………」
村熊武彦の頭脳は今、再起動を完了し、長い眠りに入る前の、三十五年間の『半生』の記憶の読み込みに成功したところだった。
村熊武彦が、まず思い出したのは少年時代のことで、小学生高学年や、中学生低学年の頃の、思春期直前の頃の記憶が多かった。次に思い出したのは、なぜか、もう三十歳くらいの事で、五歳下の妻、陽子との出会いの記憶だった。
そして、ようやく、この長い眠りに入る直前らしい記憶を取り戻した。それは彼の人生にとって重大な事件が起こる日の、その前夜、村熊武彦の三十五歳の誕生日を、妻の陽子、二歳の娘と三人で祝っている情景だった。村熊武彦は、陽子が納得するまで、三十五歳の自分の姿の立体映像を保存させた。陽子は、村熊武彦に愛しさを込めて語りかける。
「あなた三十五歳に成って、少しだけ中年太りしてきたわね」
「村熊武彦さん。本人に間違い無いですね?」
と、質問を繰り返した磯貝は、返答しない村熊武彦の横顔を見て、
「酸素マスクで声を出し辛ければ、頷くだけでもいいですから」
と指示し、村熊武彦が頷いたのを確認すると、話を続けた。
「村熊武彦。2062年5月26日生まれ、五十五歳。住所、2117年、本日現在は不定。以前の職業、医学博士。以上、間違いは無いですね?」
過去の記憶の大部分が蘇ったからと言って、やはり村熊武彦の頭脳は、まだ正常な状態に比べると思考速度が遅く、磯貝の事務的な早口の言葉を全部、完全には理解できなかった。特に、その言葉の、数字の部分が、すぐには認識できないでいる。
「…………」
磯貝は、村熊武彦が質問への応答を示さ無いので、催促するような口調で益々、早口になった。
「間違い無い、と言う事で良いですね?」
「あっ……はい」
「私は、本案件を担当する死亡税管理局、死亡税徴収執行官の磯貝です。今、私の身分証を、あなたの目の前に提示しますので、確認して下さい」
村熊武彦の目の前には、空中に静止飛行している小型ロボットが映し出した、磯貝執行官の身分証の立体映像が浮かんでいるが、そんな物には関心を向けずに、村熊武彦は先ほどの磯貝の質問を反芻していた。
「……五十五歳?」
磯貝にも、この村熊武彦の独り言が微かに聞こえていた。
「村熊武彦さん、いま何と言いましたか? この面談の内容は、全て録画録音されているので、発言する時には、できるだけ聞こえるように御願いします」
村熊武彦は、全自動医療機器の解除操作方法が分からないので、自らの手で酸素マスクを外した。
「……私は確かに村熊武彦本人に間違いは有りませんが、先ほどの質問の中の、私の年齢には誤りが有ったことに今、気づきました」
「ああ、そうですか」
「それと……、もう一点いいですか?」
「はい、何ですか?」
「……磯貝さん、でしたね。あなたは私への質問の中で、現在が2117年だとか言ったような気がしましたが、あれは、」
磯貝は、村熊武彦の質問を最後まで聞くのが面倒臭くて、強引に割り込んで業務遂行を急いだ。
「分かりました。いいですか村熊武彦さん。今のあなたのように、死亡税徴収の為に長い眠りに入って、その後、何十年か経過してから覚醒させられた人の中には、全く記憶障害の無い人もいます。また、あなたのように意識回復状態は良さそうなのに、思考や記憶の断片が、一部欠落した状態の人もいて、すぐには自身の置かれている現状を理解でき無かったり、死亡税還付通告の内容を聞いても把握できずに戸惑う事も多いようです。
何十年もの空白期間が在ったのですから、頭が混乱するのも当然ですが、まあ、とにかく、私からの通告を最後まで聞いてから、その後、一人でじっくりと、その内容を考えてみて下さい。私には時間が無いのです。次の案件の面談時間までに、あまり余裕も有りませんので」
「……今は本当に、2117年なんですか?」
「だから、そうです」
「……私が五十五歳?」
「そうです。何十年後かに覚醒されられた人は、みんな突然に、目の前に突き付けられた現実に驚くでしょう。あなたの最後の記憶は、いつですか?」
「たしか……2097年。あれは……私の三十五歳の誕生日でした。なぜだろう、それ以降の記憶が、まったく思い出せない」
「思い出せ無いのが当たり前です。あなたは、その誕生日の翌日に、死亡税法に基づいて死亡したのですから」
「私が死亡した?」
「そうです。まあ、死亡していた、と言った方が正確ですね」
「そんなのは嘘だ!」
「村熊武彦さん、落ち着いて下さい。さあ、しっかりと自身の現実を直視して、死亡税還付執行の速やかな完遂に協力して下さい」
磯貝は、惑乱している村熊武彦に全く同情も示さず、機械的に、自分の目の前の空中に表示されている立体画面を操作している。
「今、録画中の村熊武彦さんの映像を、あなた自身に見せますから、これで事実を認識して下さい」
目の前に自分が五十五歳になった姿の鮮明な立体映像が浮かんでいる。その映像を見て、意識的にはまだ三十五歳である村熊武彦は驚愕した。
「……これが、現在の私」
「死亡とされたあなたの肉体は、実際には、まあ、動物の冬眠のような人工仮死状態で、低体温保存されていた訳です。それで、死亡期間中も確実に、あなたの体の老化は進行しています」
「…………」
「認識を改めて頂けましたか? いいですね、村熊武彦さん。それでは死亡税還付通告を先に進めます。村熊武彦は生前、つまり本死亡の前に、人間寿命医学博士として、人間が自然に苦痛なく、しかもより正確に七十歳で脳死する遺伝子の改善および寿命遺伝子への組み込み技術を飛躍的に向上させた。その事により、地球人口削減計画の熟成において、重要な役割を担い、全人類存続への貢献度が顕著に高かった、と再評価された。よって、死亡税法に基づいて三十五歳で死亡とされた村熊武彦に、特例措置として蘇生権の行使を認め、死亡税の還付として五十五歳から、十五年間の追加寿命を与える事とする」
「……五十五歳から、十五年の追加の寿命?」
「そうです。訳が分からず混乱している、とは思いますが、死亡税法に基づき三十五歳で死亡、まあ厳密に言えば人工仮死状態で低体温保存されていたあなたは、二十年後に蘇生されて、今日から再び十五年間の人生を送れると言う訳です。そして、七十歳の誕生日の翌日には、あなた自身が貢献した寿命遺伝子医学の技術によって、今度は本当に安楽死する事に成るのです。すぐには受け入れがたい皮肉な運命だとは思いますが」
「……いいえ。それは、もう分かったのですが」
「え?」
「今、瞬間的に、自分が三十五歳で死亡した経緯や、死亡直前の気持ちを思い出しました。私が二十年間の人工仮死状態から生き返ったことや、死亡税についても、現代社会を生きる一人の地球人として、不可欠の義務であると言うことなども、ほぼ全て理解できています」
「そうですか。それならば話は早いです。後は還付の手続きを完了させるだけで、」
「待って下さい、磯貝さん。私は生前の功績により蘇生権の行使を認められて、いま蘇生し、追加寿命十五年が与えられたことは分かりました。しかし、そんな事よりも、私の娘は今どうなっていますか? 私の妻、陽子は?」
「そう言った事は、死亡税徴収執行官である私の管轄外なので、私から、あなたに告知する義務は無いのですが、このあなたの死亡税徴収管理ファイルには一応、あなたの家族状況が記載されているので、お伝えしましょう。あなたは、娘さんが生まれた二年後に死亡しましたから、娘さんは今、二十二歳。ここから遠く離れた都市に健在で、残り十三年間の人生を最大限有意義に過ごそうと懸命である、と言ったところでしょうか。
社会の全ての人は、何とかして死後に、蘇生権と追加寿命を得られるように、人類全体に少しでも貢献しなければ成らないのです。だから、わずか二年間だけしか一緒に暮らしていない、しかも、二十年も離れていた父親のあなたが、今更、娘さんの前に現れて、彼女の短い人生に混乱を与えるのは止めた方が良いでしょう」
「いや、私は直ぐにでも娘と陽子に会いに行きます。陽子は今どこにいますか?」
「あなたの言っている妻、陽子と言うのは、赤星陽子さんの事ですか?」
「そうです。村熊陽子、まあ、戸籍上は赤星陽子のままですが」
「あなたは生前、赤星陽子さんとの正式な婚姻届を出して無いですね」
「たしか死亡税法でも、三年以上の内縁関係は、正式な婚姻とみなす、と定められていたはずです。私たちは五年間、一緒に暮らして居た事実があります」
「それが、あなたの死亡期間中に死亡税法の改正が有りました。内縁関係が、正式な婚姻とみなされる事は無くなったのです」
「なんですって?」
「他にも色々と、あなたの死亡期間中に死亡税法の改正箇所が有るので、あなたの法律認識と違うところが多々あるかも知れません」
「そんな……」
「あなたの内縁の妻であった赤星陽子さんは仕事を辞め、三十歳の時に一人の子供を出産して育てました。あなたとの間の娘さんですね。死亡税法では、子を産んだ母は、その子が二十歳に成るまで養育する義務を負い、子の二十歳の誕生日の翌日に、母の保留とされていた死亡税の徴収が執行される。つまり、陽子さんは、あなたが蘇生される二年前に、死亡税を納入したのです」
「死亡税を納入した……?」
「お判りでしょう。全人類の過剰増加の削減のために死亡とされたのです」
「…………」
「さらに、これも改正項目だった、と思いますが、単身で人口を一人増加させる行為は、全人類にとっては貢献度として大きな減点対象と成りました。正式な夫婦であれば、人口を一人増加させた責任は、夫婦それぞれ半々と成ります。
しかし、あなたと陽子さんは、死亡税法上は、夫婦と認められず、陽子さんは単身で人口を一人増加させた責任を一人で負うことに成ります。もし、陽子さんが子供を産まない選択をしていれば、追加寿命が与えられたかも知れませんが」
「磯貝さん。陽子は二年前に亡くなって、それで今後どうなるんですか?」
「それは、あなたも御存知でしょう。今、私が言ったように、陽子さんの、単独での人口を一人増加させた行為は、全人類の存続にとっては減点対象で、」
「人類存続への貢献度とか、減点対象とか、そんな事はどうでもいいんです。陽子はどうなるんですか?」
「あなたが今、想像している通りだと思います」
「…………」
「未来の人口増減にも多少は影響されますが、減点の有る陽子さんには、ほぼ間違い無く追加寿命は与えられ無いでしょう。当然、蘇生権も与えられず、七十歳まで人工仮死状態で低体温保存された陽子さんの肉体は、そのまま、」
「磯貝さん。私も、死亡税法の知識として、例えば、夫婦が子供を二人以上産んだ場合、人口を増加させ過ぎたことにより夫婦共に蘇生権が与えられることは無いなど、そんなことは知っています。しかし、陽子に蘇生権が与えられ無いことには納得できません」
「それを、一人の死亡税徴収執行官に過ぎない私に言われても困ります」
「…………」
「あなた程の知識階級の人が、死亡税法に関して、そのような事を言うとは意外ですね」
「……それでは、磯貝さん。どうか執行官と言う立場を離れて、一人の人間として、私と話してくれませんか?」
「それはできません。私は今、公務執行中ですから」
「お願いします。どうか聞いて下さい。何か死亡税の課税査定、その減点とか、蘇生権に関しての裁決を変える方法を教えてくれませんか? 何か方法が有るはずです。必要な物は何ですか? お金ですか? 私の医学博士としての人脈や、特権階級としての家柄なんかが役に立ちませんか?」
「いいですか。村熊武彦さん、いや村熊博士と御呼びしましょうか」
「それで駄目なら私の命は? 私の追加寿命の内の十年と引き換えに、陽子に蘇生権を与える措置を御願いできませんか?」
「待って下さい」
「磯貝さんの権力で、私の追加寿命を陽子に分け与える工作ができませんか? ぜひ私の残りの寿命の半分を陽子に」
「そんな事はできません」
「一年でもいいんです。駄目なら一週間でいい、いや一日、たった一日!」
「村熊武彦さん、黙って! 私の話を聞いて下さい」
「…………」
「この死亡税法は、万国共通の国際法、いや地球上に増え過ぎた人類全体の生存が懸かった、言わば全ての人間による決死の血判書なのです。全ての人間が公平な法の下、人類全体の存続の為に自らの身を犠牲にすると誓って制定施行されているのです。どんな人間にも非合法的な行為は許されません。未来の人類全体の存続が係っているのですから」
「……私は、二十年間、この世界に不在でしたから分かりませんが、死亡税法は、本当に厳格に施行されているんですか?」
「当然です。死亡税法は、各国の憲法にさえ優越する、人類にとって絶対的な最高法規なのです。死亡税法に基づいて一度、下された裁決は決して覆りません。死亡税法が施行されてから、全世界で、ただの一件も不適法な措置は許されていないのです」
「不正は無い。できない、と言うことですね」
「その通りです。不正は絶対に許されません。陽子さんのことは諦めるしか無いのです」
「……陽子のいない人生なんて意味が無い」
「何ですって?」
「……三十五歳だった私が突然、五十五歳で生き返って、住所は不定、無職で、私を記憶していない娘には二十年ぶりに会えるかも知れないが……。やはり、陽子のいない世界を、あと十五年も生きることは、私には何の意味も無い」
「しかし、村熊武彦さん、あなたには、二十年分の利息が付いた高額な銀行預金などの金融資産と、何よりも人間寿命遺伝子医学博士としての名声が残っていますよ」
「それが無価値だと言うんです」
「それならば、あなたも陽子さんの後を追って、再び死亡しますか?」
「……仕方が有りません。そうする他は無いようです」
「死亡税法の特例措置によって、人類存続あるいは人口削減に大きく貢献した優秀な人物のみが対象となる死亡税還付を、あなたは拒否する、と言う事で間違い無いですね」
「……はい。間違い有りません」
「それでは、村熊武彦本人の意志表示に基づいて、本案件の還付を取消します。すぐに、死亡管理技師に連絡し、あなたは本日中に安楽死とされます。以上、了承しますね?」
「……了承しました」
磯貝は、眼の前の立体映像に、素早く機械的に指示入力作業を実行した。
「今、あなたの担当の死亡管理技師へ、本日中の死亡税還付の取消執行指示、つまり、本日の蘇生の取消指示を送信しました」
「…………」
磯貝は、面談および証言を記録し続けていた空中の小型ロボットに、撮影の終了と、コンパクトな鞄の中への自動収納を指示しながら、最後に少しだけ人間的な発言をした。
「私なら、二十年間の仮死状態後の五十五歳からでも、もう十五年さらに生きたい、と思います。たとえ、孤独な老後になってしまうとしても……。
誰もが皆、喉から手が出るほどに欲しい追加寿命を拒否するなんて、惜しい事をしましたね。それでは、再び死亡する村熊武彦さん、私はこれで失礼します。さようなら」
磯貝が足早に部屋を出るのと同時に、村熊武彦の蘇生も担当した死亡管理技師が部屋へ入って来て、これまた手早く、今度は蘇生処置ではなく安楽死処置の準備をしながら独り言を始めた。
「あの磯貝とか言う執行官は、死亡税管理局の役人の中でも特に冷酷そうで、感じが悪いな。全人類の為に亡くなってゆく者に対して、永眠されるとか、御冥福を御祈りするとか、それくらいの言葉を使えないのかね、まったく」
突然、村熊武彦は、死亡管理技師の腕を掴んで、その手を止めさせた。
「技師さん。私と取引しませんか?」
「何ですって?」
「技師さんなら、死亡税管理局の指示書が無くても、例えば私の妻を蘇生させたり、私の追加寿命を少し操作する事もできるでしょう?」
「何を言うんですか? もしそんな事をしたら……。あなた、死亡税法違反の罰則規定を知っているでしょう?」
「私が即時死刑を恐れると思いますか? 既に今日の朝まで死んでいたんですよ?」
「…………」
「もちろん、無償で操作してくれ、とは言いません。あなたとしても大変な危険を冒す訳ですから。……不正が発覚すれば即時死刑」
「恐い事を言うのは止めて下さい」
「技師さん、今あなたは何歳ですか?」
「……三十歳です」
「それでは、あと五年で死亡税法が適用され、三十五歳以降の人生が全て徴収されて、それで人生が終わりですね。蘇生権や追加寿命なんて不確定な訳だし」
「…………」
「私の特例措置を使って、さらに五年、長生きしたくは有りませんか?」
「えっ?」
「今あなたが現実的に、五年の追加寿命を確保してはどうですか? と訊いているんです」
「……さらに五年、長生きできる?」
「そう。私は、ただ妻と娘に会いに行きたいだけなのです。どうか私を助けると思って、お願いします。私の追加寿命十五年の内、五年を妻に与え、蘇生して頂けたら、あなたにも追加寿命の五年を差し上げます」
「五年!」
「あなたは三十五歳から、死亡税管理局に摘発されないように注意して、さらに五年間、四十歳まで長生きしたらどうですか? 私も陽子も今から五年、長生きして、技師さんも、さらに五年、長生きする。これどうですか?」
その取引は即決した。言うまでも無く、死亡管理技師も、追加寿命の五年を、喉から手が出る程に欲しかったのだ。
死亡管理技師は、取引成立の感謝を述べたあと、こんな告白をした。
「村熊武彦さん、実は今まで私は、この処置室の様子を監視モニターで、ずっと見ていました。あの磯貝執行官は、死亡税法に関する不正は絶対に無い、と言っていましたが、あれは嘘です。追加寿命の売り買いや、不正譲渡なんかの遣り取りは、一部の特権階級の間などでは、割と頻繁に行われているようです。磯貝執行官自身も、当然それを知っている、と思います。私も、買収とか、そんな機会が有れば乗っかって、ぜひ追加寿命を得たいと、ずっと思っていました」
磯貝は、村熊武彦が追加寿命を返上して再び死亡する事に決まり、それで案件が終わった時、特に何も感じ無かった。それどころか、次の案件でも、絶望的な状況で蘇生した死亡税還付対象者を、無慈悲な話術で誘導し、その人に追加寿命を返上させた。そして、さらに、その人から再び死亡すると言う了承を強引に取り付けて、仕事の達成感を感じながら、意気揚々と死亡税管理局へ戻るところだった。
実は、磯貝の死亡税徴収成績は、この死亡税管理局支部では常に第一位なのであった。さらに、磯貝は、村熊武彦の案件のような死亡税還付の取消による追加寿命削減成績も、常に第一位であり、死亡税徴収における彼の敏腕ぶりは、その冷徹で非情な手段と共に、局内でも有名だった。
地球全体において膨大に増え過ぎた人口と、医療技術や遺伝子医学が超高度に進歩したために、人々の寿命が延び過ぎてしまう事が、自然資源の枯渇と共に人類全体の死活問題と成っていた。
人類は、その解決策として、まず、すべての人間の寿命を七十歳とする事に合意した。さらに、その十年後には全ての人間が三十五歳で一旦死亡する事によって、人類存続への義務を果たす、と言う概念を取り入れざるを得なかった。その概念を具現化した死亡税法は、地球上の全ての人の、三十五歳から七十歳までの間の死亡期間等を定めた強行法規である。
死亡税法は、人類史上の偉大な人物たちは大方、三十五歳までには顕著な偉業を達成している、と言う確率統計の考えに基づいている。三十五歳までに政治、経済、社会、学術、芸術、娯楽、競技など、それぞれの分野で人類貢献度が最高位と判断された者は、なんと死亡せずに、そのまま生存し続ける事ができる。そのような特別措置も有り得るが、それでも、寿命の七十歳は固定である。
死亡税法制定当初は、人類社会への貢献度、功績、納税額等に応じて、さらに人口増減の推移を考慮し、死亡税管理局が、蘇生権の行使の可否、追加寿命の年数等を裁決するとされていた。ある人は四十歳から三十年、ある人は五十歳から二十年の追加寿命が与えられる事に成ってはいた。しかし、法律が施行されてから、この裁決基準は、どんどん厳しく成っていった。今では追加寿命が十年も与えられる人は極少数で、追加寿命零年で蘇生権の行使不許可の人が、人類の大多数を占めるまでに成っている。
そんな時代に、磯貝は死亡税徴収執行官として生きているのだが、彼自身は、死亡税を一年でも多く徴収し、人々の寿命を一年でも多く削減する事で、人類存続の為に最大限に貢献しているはずだった。しかし、無感情、無慈悲で、人々の共感を呼ばない磯貝の仕事ぶりは、この時代においても高く評価されてはいなかった。
ある日、事務室で仕事中、三十五歳の誕生日を目前にした磯貝は、不意に死亡税務処理の手を止めた。そして、死亡税管理局の極秘情報管理システムに不正侵入し、自分の死亡税の課税査定および蘇生権の許認可を確認しよう、と思った。
これだけ、死亡税徴収や追加寿命削減に貢献してきた自分には、当然、蘇生権の行使が許可され、追加寿命は二十年、あるいは、もっと、三十年!付与されているかも知れない、と磯貝は考えた。もしかしたら、死亡税徴収執行官第一位の成績により、自分は人類貢献度最高位とされて、特別措置により三十五歳で死亡とは成らず、そのまま七十歳までの生存が約束されているかも知れない。心臓が止めどなく高鳴っている。磯貝は、大きな期待を寄せて、自身の死亡税査定記録を見た。
『磯貝義光。死亡税徴収執行官。特例措置対象外の為、三十五歳で死亡と決定。減点項目等は特に無いが、人類存続等への貢献度に顕著な加点項目等も特に無く、追加寿命は、零年で確定。よって、蘇生権の行使も不許可』
死亡税管理局内に、磯貝の狂乱の絶叫が響き渡った。