ARMMO 『オーグメント・アーク』
流行にあまり敏感でない僕も、ついに始めることにしたARMMO『オーグメント・アーク』。一年ほど前からずっと話題になってはいたが、昨日のニュースでユーザーが全世界二億人を突破したというのでさすがに興味が出てきたのだ。
ゲームの基本は普通のオンラインRPGとだいたい同じ。といってもARものだけあって、カメラで写した景色が画面の中でCGと合成されるのが最大の売りだ。例えば道行く人々を撮ってみる。
するとこのように、一般人に紛れて中世のナイトが甲冑を着、老僧が怪しげなローブを地面にすり、獣人には耳としっぽが浮き出ているのが見えるようになる。それが実際はサラリーマンや女子大生、犬の散歩中のおじいさんだったりするから面白い。
仕組みは単純で、充電式の記録メディアになっているARカードがGPSとリンクしており、それが画面にアバターを映し出すのだ。これがなかなかよくできていて、ジャイロセンサーなどの設定次第では本人と全く同じ動きをさせることもできるという。
しかし、あまり画面に夢中になっていると危ないのが特徴でもある。ちょうどいま聞こえてきたような車の音に気づかないでぶつかってしまう事故が後をたたないのだ。道路から離れながら、僕もこれから気をつけなきゃと思う。
「危ないっ!」
切迫した声に驚いて見回す。近づいてくるトラックとの間に女の人が割りこんできた。まさかここにいてぶつかるはずなんてないのに。
「くっ……。よし、なんとか防げたようね」
彼女は左腕でかかげていたバッグを下げ、すばやく右手の画面をチェックして胸ポケットからペンを出すと、それを矢のように引き絞るまねをした。
「【鮮烈なる閃光の雷矢(ヴィヴィッド・ライトニング・サンダーボルト)】!」
ブロロロ……と去ってゆくエンジン音が、彼女の声をどこかむなしげに響かせる。今のはいったい何だったのだろうか。
「きみねえ、助けてもらったんだから、お礼のひとつでも言ったらどう?」
彼女は制服のブレザーにペンを戻しつつ、あきれたように僕を見ている。そうか……。もしかすると、気づかなかっただけでけっこう危なかったのかもしれない。
お礼を言うと、彼女は腕を組みだした。
「年の頃は十三、四といったところかしら。無理もないわね。まだこの世界に慣れていないとしても」
ずいぶん変な物言いをする人だと思っていると、すらすら話は続いていく。
「今の鉄馬車に【ロストロス】が乗っていたの、気づかなかったんでしょ。あいつらの攻撃でロストすると、自らも【ロストロス】になってしまうわ。おそらくあのトラッ……鉄馬車の操舵者かだれかが過去にロストさせられていたのね。一度【ロストロス】になるともう元には戻せなくて、新しく別の組成で【アーク(大橋)】の向こうから渡ってこなくちゃならない。でもそれは、今までの経験やお金、貴重なアイテムすべてのロストを意味するということ」
よどみなく流れてくる情報の波に溺れそうになり、僕は得意げな彼女に相づちをうつことしかできなくなっていた。
「たしかに、こちら側に来たばかりなら失うものは少ないかもしれない。けれど、【ロストロス】になってしまうと、今みたいに増幅された憎しみによって他人を襲うようになるのよ。……本当はこんなこと、あってはならないことなんだけど。そう、あの時からすべて変わってしまった……」
彼女は電線のかかった空をにらみつけたかと思うと、ときおり僕の方をちらちら盗み見てきた。よく考えたら僕は学校に行く途中だから、このまま長話に付き合っていたら遅刻してしまうような気がする。
「半年前、この世界を統べる王が暗殺されてしまった。管理するものを失った地上に何者かが【ロストロス】の呪いをかけ、人々が互いに争いあうよう仕向けたの。【ロストロス】になると力が何倍にも膨れ上がって、倒した相手の持ち物を好きなだけ奪えるようになるからね」
僕がピンと来ていなさそうなので、お姉さんはあたりをさっと見回してささやいた。
「……アプリが謎のハッカーに改ざんされて、変なシステムを追加されちゃったってこと」
言ってから彼女は何事もなかったかのように装った。この人、思った以上に徹底している。
「それでみんなこう思ったわ。……おのれ、現れたか魔王め! ってね!」
セリフのわりに目がきらきら輝いているのはなぜだろう。
「すでに何千万という勇者たちが、憎しみと欲望に打ち勝ち、正義の心で世界から【ロストロス】の呪いを除き去るために立ち上がったわ。ねえ、あなたもその一人になってくれるんでしょう!?」
ずいぶんと大げさな気がするけど、僕もゲームでずるいことはしたくないと思うのでうなずく。
「私もできる限り協力するわ。あっと、そういえば自己紹介がまだだったわね。私は【アリスフィー】。みんなアリスとかエリーって呼んでる。守護術と弓術使いよ。よろしくね」
本名は何でどこの何年生なのかのほうが知りたかったが、いま聞く勇気はなかった。
「あなたの名前は……そうね、装備を分けてあげるついでに見させてもらおうかな。使ってない装備なら売るほどあるの。さて、あなたの今の装備は、と……」
【アリスフィー】は僕に端末のカメラを向け、ARカードの情報をチェックしだした。昨日始めたばっかりなので、いま映っているのはランダムで当たった最初の武器だけだろう。
「そんな、バカな……。うそでしょ、これ本当なの……!?」
画面を支える彼女の手が震えている。もし、街を歩くのが恥ずかしいほどありえない武器だって言われたらどうしよう。
「……【セイヴ・ジ・アーク】。あなたが選ばれし人……」
うわごとのようにつぶやいたあと、【アリスフィー】は不思議そうにしていた僕に説明する。
「それは予言によって仄めかされていたものの、常に存在が疑問視されていた伝説の剣……。【アーク(大橋)】の向こう側より来たる新たな素体が誕生するとき、極めてまれに【アーク(大橋)】の光が著しく強く照り輝くことがあるというわ。その力を得れば得るほど武器は強力になるのだけど、この【セイヴ・ジ・アーク】が発生する確率は、そう、十億分の一」
まさか、そんなにすごい確率で当たったものだなんて信じられない。でもからかわれているのではないことは態度でわかる。
「世界の人口が十億になるまで、いえ、それ以上まで出会えないと思ってた……。私、あなたのような人に会うために、後方支援の技術をずっと鍛えていたの。その努力がやっと報われる。ついに……ついに出会えたんだ!」
【アリスフィー】の表情は、ここ半年の苦労をにじませていた。半年間もこうだったとなると、たしかに大変そうだ。
「【セイヴ・ジ・アーク】があれば【ロストロス】は敵じゃないわ。お願い、私と一緒に戦って。そしてこの世界に平和をもたらしましょう!」
でも、そんなふうに言われるとなんだかうれしかった。僕にできることがあれば、と【アリスフィー】の差しのべた手をとろうとする。
「ククク……。聞いたぞ。【セイヴ・ジ・アーク】、やっとこの世界に出現したか」
はっと振り返ると、後ろに背の高い男性が立っていた。
「【ロストロス】! 私としたことがうかつだったわ……!」
「ログは取らせてもらったよ。【七色の弓雨 (レイン・ボウ)】の【アリスフィー】。悪いがその少年の【セイヴ・ジ・アーク】はこの【飛翔せし黄昏 (フライト・トワイライト)】の【ハリヴァー】がいただく!」
【アリスフィー】は必死で叫んだ。
「逃げて! この世界をいったん離脱……! えーっと電磁の門をくぐるっていうか、その……要するに携帯の電源切って!」
かなり焦っているらしく、言い方がとても直接的だった。伝わってくる不安で手汗が滑りそうになりながらすぐに電源をオフにする。
「フ、賢明な判断だ。だが、携帯を使わずにいつまでも過ごせるものかな?」
【ハリヴァー】は眼鏡を押し上げる。こぎれいなスーツを着ていて、できそうなエリートという感じだ。この人の言うとおり、すぐにでも学校に遅刻の電話をしたほうがいいのかもしれない。
「たしかに彼は戻ってこなくてはならないわ……あなたを消した後のこの世界にね!」
「面白い! 生身の人間ひとりで【ロストロス】に立ち向かうとはな!」
二人は同時に自分の武器――ARカードが装着された道具を構えた。【アリスフィー】は胸ポケットのペン数本を指にはさみ、【ハリヴァー】は襟から勢いよくネクタイを引き抜く。
「【爆ぜる灼熱の炎矢 (バースト・ヒート・バレット)】!」
さっきトラックに向かってしたように、【アリスフィー】は赤いペンをまっすぐ手前に引き絞った。その後、即座に端末の画面を一瞥して愕然とする。
「効いてない!? そんな!」
【ハリヴァー】は不敵な笑いを浮かべた。
「属性がはっきりわかるよう、色分けしたペンにアタッチメントでARカードを固定する発想はなかなか……。カードを複数枚用意する手間はあるが、画面上でいちいち選択せずとも済むのは大きなメリットだ。センサーが認識する速度が速ければ速いほど、マイクが拾う音声が大きければ大きいほど威力が高まるのは常識だが、ここまでシステムを利用しきっているプレイヤーはそういまい」
つまり、恥ずかしさとひきかえに強くなれるということのようだ。言われてみれば、町なかでこんなことはなかなかできない。
「喰らえ、【畜殺鞭(カラード・スローター】!」
【ハリヴァー】のネクタイが空を打ち、スパン! といい音が鳴った。僕は、昔同じことを父のネクタイでやって怒られたのを思い出した。
「ぐっ!? 【深層貝の腕輪】がもたない!」
防御した【アリスフィー】がバッグに設定していた防具のことだろうか。トラックから受けたダメージのせいかもしれない。
「ハハハ……。その程度か【アリスフィー】。それで世界を守ろうなど笑止千万!」
「なぜなの……。なぜ攻撃が通らないの!?」
「カードを見ればわかること。教えてやろう、なるほど俺は【空中タイプ】。地上の攻撃を受けないかわりに、弓矢などの遠隔攻撃に弱い。しかしだ、【ロストロス】の俺は、本来装備不可能な【属性無効】の効果を持つ【重鎧】を身に着けているのだ!」
「な、なんですって……! なんて卑怯な!」
「これが【ロストロス】の力だ……。【ロストロス】とは失われし敗北。つまり強いということ!」
一連のやりとりを通行人がめずらしそうに見ていく。幼稚園の送り迎えの時間なので、指をさす子供とその目を覆う母親が何組かいた。
「……あなたたちは、どうして【ロストロス】でいようとするの……? そんな異形の姿になり下がってまで!」
【ハリヴァー】は攻撃のさいに乱れてしまったジャケットを正す。
「平和に飽き飽きしているのさ。【移動距離をストックしていつでも好きな時に地図上のアバターを動かせる】とはいえ、ちまちま雑魚を探し出して屠っては経験を稼ぎ、運営のくだらん【ミッション】や【キャンペーン】に付き合わなければ強くなれない、そんな生活にだ。だが、【ロストロス】は刺激的だ! 強さはもとより、お互い狩るか狩られるかの真剣勝負が味わえるのだからな」
【移動距離をストックしていつでも好きな時に地図上のアバターを動かせる】ということは、もしかしてひとしきり電車などに乗っておいて、時間のある時、例えば入浴後などに、実際にその場所へ行かなくても地図上のポイントへ移動できるのではないだろうか。それなら出不精の僕にも続けられそうだ。
「この環境を楽しもうじゃないか、【アリスフィー】。せっかくの遊戯なんだ」
【アリスフィー】は、きっと【ハリヴァー】を見据えた。
「……遊戯ですって? いいえ、違うわ……。これは何者かによる魔王の策略。憎しみを煽るか、平和を愛するか、私たちは試されているのよ、この【拡張された現実(AR)】に!」
「ならば今すぐ、平和を愛するお前の仲間とやらを呼んでみるがよい! もっとも、呼んだところで【セイヴ・ジ・アーク】を前にすれば、醜い奪い合いが始まるだろうがな!」
【アリスフィー】は激しく首をふった。
「そんなことない! そんなこと……絶対に!」
懸命に仲間を信じようとする、その【アリスフィー】の姿勢に僕は心を打たれた。できるかわからないけれども、思いついたことを話してみる。
「……うまくいくか、私にもわからないわ。それに、本当に【セイヴ・ジ・アーク】を私に預けてしまっていいの?」
僕はうなずいた。それが、僕の責任だと思うからだ。
「……ありがとう。今日出会ったばかりの私を信頼してくれるのね」
「悪あがきの相談は済んだかい。それとも、新しいアバターの名前でも決めていたのかな? どちらにせよ、もう会うこともないだろう。おとなしく【セイヴ・ジ・アーク】を渡すんだ」
【アリスフィー】は、すっと立ちあがった。【ハリヴァー】には答えず、決意の面持ちで水色のペンからARカードを抜き取り、僕の財布に入っていたARカードと交換する。
「ハハハ……! 血迷った結果がそれか! いくら【ロストロス】に即死級のダメージを与えるという【セイヴ・ジ・アーク】とて、弓使いが扱える代物ではない。そもそも【空中タイプ】の俺に打撃が届くわけも……」
【ハリヴァー】は、【セイヴ・ジ・アーク】を水平に引き絞った【アリスフィー】と、自分の端末の画面を交互に見て狼狽した。
「バ、バカな! 弓で剣を射るなど、できるはずが……! いや、しかしこの数値は……! なぜなんだ!?」
【アリスフィー】は冷静に的を狙っている。
「……心が汚れきってしまったあなたにはわからないのね。やはり、この世界に拡張されたルールは、【ロストロス】だけじゃない……その相反する力が隠されていたんだわ。信じる心から生まれる、絆の力が!」
【ハリヴァー】は悲鳴に近い叫びを上げはじめた。
「やめろ……。撃つな……! すべてを注ぎ込み、鍛え上げた俺の力が消えるなど、あり得ん……!」
「受けなさい……。【空に架ける大橋 (レインボー・アーク)】ッ!」
「やめろ……やめろぉーっ!」
【ハリヴァー】は、放たれた攻撃を免れなかった。
パァン!
しかし、実際の音がするはずもなく、僕は耳を疑う。気がつくと、【ハリヴァー】の横に大人の女性が立っていた。
「やめてほしいのはこっちよ……。仕事に行くって言って、なんでこんなところにいるの……!?」
頬を平手打ちされた【ハリヴァー】は呆然としている。僕も驚いたが、【アリスフィー】が「あっ、打撃通ってる」とつぶやいたので二度驚いた。
「ずっと我慢してたけど、もう限界。半年前から、あなた変わっちゃったよね。ねえ、仕事いつ辞めたの? そろそろ貯金なくなるでしょ? 知らないとでも思ってた? 全部わかってるんだよ? だいたい何なの、【ハリヴァー】って……。あなた針川でしょ?」
力を失った針川の手から端末が取り上げられる。
「あっ! ちょ、待って! やめて! お願いだから! あーっ……!」
女の人が無言で力いっぱい投げとばした端末は、美しい弧を描いて消え去った。
「さよなら。もう会うこともないわ」
僕らは女性の後ろ姿が見えなくなるまで、言葉を失ったままだった。
「……怖いわね、現実って」
静かに言う【アリスフィー】の横顔を見て、僕は本当にそのとおりだと思った。
(完)