破顔の如く
一、
王子アリクは疲れていた。
完璧な王子としてつくり上げた自分を演じ続ける毎日に。
この頃は、本当にこれでよいのだろうか、と自問に明け暮れる日々だ。
そうして今日も、苦悩で顔色を曇らせ、王子は一人城外のとある花畑に佇んでいた。
「お加減でも悪いのですか」
俯いていたアリクに声をかけたのは、うら若き女だった。
たおやかで凛とした気品を思わせる、美しい女である。
「いや、何もない。気を遣わせたな」
微笑みをつくる王子に、女は柔らかな笑みを返し、告げた。
「いいえ……でも、あまり気を詰めないで下さい。せめてこんな場所でくらい、ありのままでいてよいのではありませんか。つまり……どうかそのように無理して笑わないで下さいと申し上げたいのです」
言われ慣れない言葉に、王子の胸は打たれた。
今までこんなことを言う人がいただろうか。
──自分は何か大きな間違いを犯していたのかもしれない。そう思うと同時、彼女への興味が膨らんだ。
無理して笑わないで下さい。
そんなことを言われたのは初めてだった。
それからというものの彼女のことが頭から離れない。
一体この感情は何なのだろうか。
「……ということがあってな……」
幼き頃よりの友人にして側近のキースに、彼女の話をする。
「彼女は見ず知らずの私に何故そのようなことを言ったのだろうな……どう思う? キース」
「え、さあ……」
思いの外、返答は素っ気ない。
というのも今の彼は趣味の一つである園芸に夢中だったのだ。
ちなみに主に苺を育てているが、これは王子の他に数人しか知らないことで、いわば秘密のようなものだった。何故ならこのキースという人物は、武勇に長け、余計なことを喋らぬ、まさに男の中の男として知られた者であるからだ。よもや人々は、彼が日々色んな苺を愛情深く育て、やたらと土壌と苺に詳しいとは思いもよらぬことだろう。
「そうか、キースでもわからないか。いや、ここはキースにはわからない、と言うべきかな?」
「え、さあ……」
しかしここはさすが幼馴染というべきか、彼女のことなら彼女に聞くべきだと、実にわかりやすく、なおかつ男らしい答えが返ってきた。
「でも、彼女が何者かもわからないのに、どうやって会うというんだ?」
「え、さあ……」
キースは今土いじりに夢中だったため、これ以上期待はできなかった。
そこでアリクは、偉大な予言者リリントスに尋ねることにした。
このリリントス、とにかくよく当たると評判で、とにかくすごいとのことだったので、王子はとにかく彼の元へと向かった。
リリントスはその慧眼をもって、こう告げた。
「花の精が眠るとき、彼女は同じ場所に再び現れるであろう」
「花の精を眠らせよとのことだな?」
「かな?」
「えぇ……」
急に親しみやすい態度を取られると戸惑うのが世の常。王子ももちろん困惑した。
「王子、追加料金があればもっと予言するが、いかがする」
「か、金を取るのか……生憎、持ち合わせていなくてな。支払いは現物でもいいか?」
「よい」
リリントスにブツを渡し、王子は次の言葉を待った。
「王子のラッキーアイテムは、苺」
「ラッキーアイテムとは何だ」
「つまり、苺を持っていればよい」
「苺なんぞでいいのか」
「よい」
王子はそれを聞くと、礼を言って早々と帰った。
そしてさっそくキースに苺を分けてほしいと頼んだ。苺といえばキース。キースといえば苺である。
しかしキールは首を横に振った。彼の苺はまだ実になってからあまり日が経っておらず、摘むには早すぎたのだ。
「そこを何とか」
「できぬものはできぬ」
と言われても、偉大なる予言者の言葉は無下にできまい。それにここで諦めては追加料金分が無駄になる気がした。
その辺の苺よりも、キースの育てた苺の方がいいに決まっている。王子の直感がそう告げていた。
そこで王子は剣を抜き、彼に勝負を申し込んだ。
負けたときは引き下がる。しかし自分が勝てば苺を分けてもらう。と。
キースは王子の勝負を引き受けた。
「しかし王子、もし誤ってあなたを傷つけては私は死んでも死にきれない。勝負は剣ではなく、別のことにしたい」
「いいだろう」
勝負の内容はこうだった。
目印を付けたモミの木に先に触れた方が勝ち、要するに足を競うものである。
開始の合図を決め、二人は位置についた。
絶対に負けられない戦いが、ここにある。
王子はめきめきと闘志の炎を燃え上がらせる。対してキースはいつも通り平静な様子だった。
合図の途端、王子は駆け出した。
我ながらなかなかにいい走りだと思った。
駆ける、駆ける、駆け抜ける。
それは光に導かれた駿馬のように。ただ身体は前へ向かっていた。
そして叩くようにモミの木に手を押し付けた。
──勝った。
王子は勝利に破顔しながら、「どうだキース!」と振り返った。しかし周りに人はいなかった。
見ると後方で、自分の家へ入るキースの小さな姿があった。
彼ははなから勝負などする気はなかったのだ。
それに気付いた王子は悔しさのあまり、咽び泣いた。
しかしそんな話は些細なことである。
王子は翌日、自力で用意した苺を懐にしまい、あの花畑へ足を伸ばした。鼻の下も伸ばしていた。
花畑は変わらず美しい景色を見せていた。
だが、予言では花の精が眠らなければならないという。
ふわふわと花の周りを飛ぶ小さき彼の精は、一人しかいないものの、眠る様子など一向に見せようとしない。
「花の精よ、少しの間眠っていてはくれまいか」
王子の願いに、花の精はこう言った。
「王子。私たち花の精は、眠くないのに寝台に横たわったり、空腹でないのに物を食べたりするあなた方人間とは違うのです」
「そうか。しかし私もこのままでは困る」
「もちろん追加料金を頂ければ話は別ですが」
「ま、またそれか。して、何に対する追加料金だ」
しかしここまで来ては引き下がれない。王子は渋々その追加料金とやらについて話を聞いた。
「追加料金といっても、お金をもらうわけではありません。私たち花の精は、貨幣に囚われ翻弄するあなた方人間とは違うのです」
先程からちくちく嫌味っぽい。と王子は少しばかり不満に思ったが、黙って花の精の話に耳を傾けた。
「頂きたいのは現物です。そうですね、今の私は何かの実……果物がほしいのです」
そこで王子は、リリントスの予言を思い出した。
苺を持っていればよい。
なるほどこういうことだったのか。
「では苺などどうだろうか」
「いや今は苺の気分じゃないんで」
「えっ」
懐から取り出した苺に、花の精は欠片の興味も示さなかった。
「そうですね、今だとヤシの実なんかがいいです。さあ王子、私にヤシの実を」
「ここは南の島ではないぞ。そんなものがあるわけがない」
「まあ妥協してアイスの実でしょうね」
「何だそれは」
いずれにせよ、今すぐそれらを用意することはさしもの王子とて無理なことであった。
こうなれば残る手は一つ──。
「仕方がない、諦めよう」
こうして王子は城に帰った。
二、
「今度こそヤシの実を持ってきたぞ」
数日後、ヤシの実を用意した王子は、花畑にいる精に向かって言った。もちろんラッキーアイテムの苺も懐に入れてある。
「王子、わざわざありがとうございます」
「いや」
これで眠ってもらえる。
だが安堵した彼に告げられたのは思いもよらぬ言葉であった。
「でも私、今日は甘いものの気分じゃないから」
「えっ」
「今日は焼きイカの気分」
「そんな」
話が違う。
憤怒の思いに駆られた王子は、低い声で詰め寄った。
「花の精よ、これは約束の破棄ぞ。その罪は重い」
「ひゃあ怖い」
花の精はアリクの怒りの表情に恐れをなし、逃げようとした。
王子もすかさず追いかける。
「こら待て! あっ」
しかし思わぬところで躓いた王子は、倒れた拍子にヤシの実から手を離してしまった。
そして宙に飛んだヤシの実は、花の精の頭に直撃した。
「し、しまった」
慌てて駆けつけるも、もう遅い。花の精は意識をなくしていた。
まさかこんなことになろうとは。
──このままでは、撲殺王子などと異名がついてしまう……。でもちょっとかっこいいかもしれない……。
そのときだった。
足音がして振り返ると、王子が切望していたあの乙女の姿があった。
この状態を知られてはならぬと焦った王子は、花の精を土に埋めた。
「あら、あなたは先日の……」
王子の姿に気付いた乙女が先に口を開いた。
「やあ」
「こんにちは。その手、どうかなさったのですか?」
土で汚れた手を目敏く見つけた彼女に、王子はしどろもどろに返した。
「いや、あの、これは……土いじり?」
「まあ素敵」
──なんてことだ。土いじりが意外にも女子に好感触。朗報だぞキース。
王子は彼女と再び会えたことに喜びを隠せなかった。
「お召し物に染みができていますよ」
「あ、本当だ……苺が潰れてしまったんだな」
「えっ、苺を持ち歩いてるんですか? しかも裸の苺を? え、何それ、なんで……」
ラッキーアイテムの所持が知れた途端、何やらすごく引かれた。
しかしここでめげる王子ではない。本題に切りかかった。
「実は、あなたに会いたくてここまで来たんだ」
「私に?」
「ああ。あなたの言葉が忘れられなかったものだから」
乙女はきょとんとして王子の言葉を待つ。
「教えてくれないか? 私に無理して笑うなと言ったあなたの……その胸の内にある気持ちを、どうか」
「それは……」
乙女は恥じらうように視線を伏せ、ためらいがちに言う。
「あなたの笑顔は見ていて……いえ、見ていられないのです」
「私の笑顔が? 何故だ?」
「き……」
続く言葉はとても短く、はっきりしていた。
「見ていて不吉だから」
「……え?」
何を言われたかすぐには理解できなかった。それほど彼女の台詞は王子に衝撃をもたらした。
「何だって……?」
「不吉だから」
「…………」
「不吉」
三度も言ったぞ、この女……。
一国の王子に何たる発言か。無礼にも程がある。
王子は腰にある剣に手を伸ばしかけたが、何とか理性で押し留めた。
「大きなお世話でしょうけど、あんまり人前で笑わない方がいいと思いますよ」
乙女の言葉は、剣よりも鋭く王子の胸に刺さった。
三、
王子アリクは悩んでいた。
理由はもちろん、先達の女の忠告……いや暴言である。
笑わない方がいいなどと言われるとは夢にも思わなかった。
「王子、どうしたのです? ここのところ浮かばぬ様子だが……」
「君が暗いと、私たちも気が沈んでしまう」
気心の知れた友人たちにも心配をかけてしまう有様であった。
──彼らなら私の悩みによい答えを授けてくれるかもしれない。
「君たちに聞きたいことがある。真の友として、どうか嘘偽りなく答えてくれるか?」
「もちろんだとも」
「我らが王子に嘘などつくものか」
まっすぐな目を見て、王子は心から安堵した。
「そうか、では聞こう」
「何なりと、王子」
「……私の笑顔というのは、傍目に見ると危なげなものなのか?」
その途端、彼らの顔から表情が抜けた。
口を閉ざしたまま、皆、探るように視線を交わす。
沈黙がその場を満たした後、乾いた声で皆が話し出す。
「は……ははは、何を言ってるんだい王子」
「そんなはずないではないか」
「と、突然おかしな話をしないでくれよ」
──なんてあからさまなんだ。
嘘のつけない友人たちをどう評価すべきか、やや純真な王子は答えに詰まった。
しかしこれでわかった。あの女の言葉は真実なのだと。
「一体どういうことなんだ。どうして誰も言わなかった?」
城に長く仕える重鎮のひとり、オパヤヌーに問い質すと、彼は神妙な態度で答えた。
「お許し下さい。これは他でもない王様の命なのです。アリク王子の笑みについては誰も触れてはならぬと」
「なんと……それでは私だけが知らなかったというのか……」
「どうせあと二、三十年はわかりゃしないだろうと踏んでいましたが、さすがは王子、お気付きになるのもお早い」
「落として褒めた……? 何様……?」
オパヤヌーは一切動じない。
家臣たるもの、冷静沈着でいなければならぬものだ。
「だが本当に私の笑みは見るに耐えないものなのか? まだ信じ難いのだ」
「それについては記録がございます」
オパヤヌーが手を叩くと、部屋の窓から、ひとりの妖精が降りてきた。
「この者が王子のお姿を記録しております」
その姿にはよく覚えがある。
「うむ、確かハルコンといったな?」
「光栄です、王子。ただの一度だけ挨拶をした私の名を覚えていて下さるなんて」
ひらりと妖精は踊るように足を進めた。
「王子の噂は我ら妖精にも聞こえております。王様の賢さと、王妃様の美貌を受け継いだ、誠実なるアリク王子! ああ、天上の神さえもあなたの美に驚嘆し、嫉妬をなさることでしょう! たとえ笑顔がどのようなものであろうと、あなた様の名声は確固たるものでございます! ですが真実を見るときはお覚悟を」
「さ、最後に恐ろしげなことを」
妖精の目は真剣だった。
「では、流動の記録をこの部屋に映し出しましょう。さあ、お二方、こちらにご注目……」
妖精の目から光の線が伸び、ぐうんと広がった。
そしてそこから浮かび上がったのは、そっくりそのまま過去のアリク王子の姿であった。まるで過去の世界からそのまま飛び込んできたかのようだった。
「では私が解説を……まず今から流れる記録は、王子が微笑んだときのものです」
オパヤヌーが語るのを聞きながら、王子は、目の前にある過去の自分に目を凝らした。
「な……!?」
そこ映りこんだ己の顔を確認すると、驚愕に声を漏らす。
「こ、これはっ、このときの私は笑っているのか……!?」
「左様にございます」
「だ、だが……!」
流れる記録にある自分を指差しながら、王子は叫んだ。
「この私は、舌を出しながら唇を突き出しているぞ……! これではまるで変態……じゃなかった、変人の相ではないか!」
「しかしそれが真実なのです」
真実は時に人を殺す──。
古い叙事詩の中に出てきた台詞が、王子の頭を過ぎった。
凍らせたバナナは時に人を殺す──。
この言葉も頭を過ぎった。
「次は、歯を見せてにっこりと笑われたときのものでございます」
記録の王子は、歯茎を異様に見せ、「にっこり」と笑った。
「うわっ」
声を漏らしたのは、記録を流し続ける妖精のハルコンだ。
「今、うわ、と言ったな……?」
「久々に見たもので……」
「人の笑顔を虫のように言いよって……しかし共感してしまうこの気持ちは、戸惑いは、一体何だ……?」
「恋でしょう」
「違う」
記録は次に移った。
「さてこれは、ああ……どうぞご覚悟を。王子が声を出して笑われたときのことでございます」
「覚悟はできている」
「はい、じゃあ再生っと……」
三人の前で、過去の王子は快活に笑い声を上げた。
『ささささささっ!』
「うわっ」
今度はハルコンではなく、王子の口から漏れた声だった。
言葉も出ない王子に、オパヤヌーがそっと告げた。
「恐らく王子は『はははははは』とお笑いになっているおつもりではないかと」
「それが何故『ささささささ』になるというのだ」
「ほんとにね……」
最後の言葉はハルコンからであった。
「続きましては、王子が笑いを堪えながらもついつい声が出てしまっているときのものです」
『じゅじゅっ』
「…………」
目の前の自分の醜態に、王子は黙って堪えた。
「もうよろしいので? あまり我慢などされず、もっと反応されても……いい感じの反応を」
「……もうよい。いちいち驚いていては身が持たない」
オパヤヌーは気遣わしげな視線でこちらを窺う。正しくその姿は家臣の鑑であった。
「お次は、お王子が吹き出されたときのものです」
映し出された記録の王子が、思わずといったふうに吹き出した。
『わっふるっ』
「……ワッフル!?」
「おお、お元気になられた。やはり王子は静かでいるよりそのようにされている方がよいですな」
オパヤヌーの言葉も耳に入らない。
ワッフル。何故ワッフル。
「更にございますのが、小さく吹き出されたときのこちら」
『すこーんっ』
「……スコーン!?」
二度目の美味しそうな響きに目を見張った。
まるで自分が常々甘いもののことを考えているようではないか。女子どもじゃあるまいに。
「極めつけがこちら。珍しく王子が嘲笑ったときです」
「き、極めつけ」
確かに、流れた記録の王子は、目に冷たさを宿していた。
そして声に出して嘲笑いを見せた。
『あざっす』
「……嘲笑い? 今のが?」
「間違いありません」
「わけがわからん……」
一体どうして自分だけこのような有様なのか。
「では真実をお伝えしましょう。……しかしそれは残酷なものです。お知りになるご覚悟はおありですか?」
「どのような事実であろうと、私は慌てぬし、嘆きも怒りもしない。ただ受け止めるだけよ」
「さればお教えしましょう」
オパヤヌーは語った。
話は王子が生まれる前にまで遡る。
王子の母、すなわち王妃は誰もが驚くほどの美貌を持ち、人の世ばかりか神々にまで評を轟かせていた。
それに嫉妬した美の女神は、王妃がアリクを身ごもったとき、彼女の前に降り立った。
「お前が噂の美の人か」
「はい。まず間違いなくそうでしょう」
王妃は凛として答えた。
「では問おうではないか。私とお前、どちらが真に美しい者だ? 偽りなく答えよ」
「うーん、五分五分」
その返事に女神は怒った。
「お前は愚か者である。次に私が問うたときは正しく答えよ。さもなくば罰が下る」
女神は憤怒の声で言うと、王妃の前から去った。
そして王妃がアリクを産むと、再び女神が現れた。
「問う。私とお前、どちらが真に美しい?」
「では今度こそ正しい答えを申し上げます」
王妃は毅然と告げてから、言った。
「うーん、やはり私」
その言葉に、女神は怒り狂った。
「真の愚か者とはお前のことだ。お前が誇るその美をこうしてやろう」
女神は罰の光を王妃の顔に晒そうとした。
「危ない」
その光を避けんと、王妃は抱いていた赤子のアリクを顔の前に持ち上げた。
罰の光は王子に注がれた。
「私の顔は何人たりとも侵してはなりませぬ。たとえ神であろうとも」
「よかろう。だがお前の子は生涯呪われる。醜い笑顔という美の対極にある呪いである」
「よくはないだろう」
話を聞き終えた王子は、怒りに声を震わせた。
「何故女神はそこで納得するのだ。私の方は全く納得できないが」
「お気を鎮めて下さい王子」
「何を言う。全て母上が引き起こしたことではないか」
「王子……」
「全く、許せん。怒りが止まらぬ」
王子は感情のままに王妃の元へ向かった。
「母上、私の呪いのことを聞きましたよ」
「王子よ、何を言うのですか。母はあなたの言っていることが何のことなのかわかりませんよ」
「あなたは私を身代わりにしたのだ」
「何を言っているのかわかりません」
「女神に逆らって愚かなことをしたと御自分でおわかりでは?」
「わかりません」
「私の醜い笑顔は、あなたが美に執着した果てのものだとお気付きになっているはずだ」
「わかりません」
「あなたは実に美しい」
「その通りです」
「ほら! そういうところですよ! それ見たことか、ほらほら!」
しかし王妃どのように問い詰めても口を割ろうとしなかった。
我が母ながらとんでもない女人だと王子は憤慨した。
「許さん。このままにはしておけぬ」
王子はキースに詳細を語った。
今や彼の怒りは頂点に達していた。
「罰をくれてやる。いかに王妃といえど大罪だ。刑に処してやろう」
「どのような」
「決まっていよう。ご飯抜きだ!」
今晩の夕食は丸ごと抜きである。
更に、本人が非を認めるまでは明日以降食後の甘味を全て凍ったバナナにしてやると告げた。
「もちろんカチカチに凍ったものだ。それ以外はならん」
「本気ですか」
キースの目が冷え冷えとしていた。
母に対する仕打ちとしては酷い、という非難故のものだろう、と受け取ったアリクは、少し考え直した。
「いや、やはりそれはやめよう。代わりに半解凍したものにしよう」
「……お好きにどうぞ」
キースは自分で育てられる果物以外は興味が湧かないらしい。
四、
「もはや女神に呪いを解いてもらうしかない。私は女神へ会いに行く」
覚悟を決めた王子は、まっすぐな眼差しと共に宣言した。
「お伴します、王子」
こうして王子たちは、神に会うべく壮絶壮大な旅をするが内容は省略する。
なんだかんだでようやく最後の場所に辿り着いた二人は、女神の前に立った。
「人の子よ、何故ここに足を踏み入れた」
「美の女神よ。私はあなたがもたらしたとばっちりを無に返すよう求めよう」
王子は子細を話し込んだ。
女神はどうやら記憶にないようだった。神が神たる理不尽さである。
「美しき王子よ。お前の呪われた笑みとやら、興味がある。見せてみよ」
そこで王子は渾身の笑顔を浮かべてやった。
女神はしばらく黙った後、低い声で言った。
「げに醜きものよ。見るに堪えぬ。去れ」
「見せよと仰せられたのはそちらである!」
「去れ。母より受け継いだという美も台無しだ。まさに呪われた者よ」
「呪ったのはあなたではないか。女神よ」
しばらく沈黙が続いたが、女神が渋々ながらにこう言った。
「よかろう。私がそのような奇なものをつくり出したと思うとぞっとする。呪いを解く影をお前に授けよう」
王子の前に手を掲げる女神。
「影よ、この者を呪いから解き放てーーあっ」
黒い影が王子の顔を覆う。
やがてそれは萎み、辺りの景色は元に戻った。
「……人の子よ、もうお前の呪いは消えた。あるべき場所へ戻るがよい」
「わ、私はもう笑ってよいのか……」
「よい。だから帰れ」
「本当に……ああ、私はようやく成し遂げたのだ。人生の喜びとはこのことよ」
「早く帰れ」
「皆が待っている。さあ戻ろうではないか、キース」
「そうだ帰れ」
そして王子はキースと共に神の地を抜けた。
「王子、悲願が叶ってようございました」
キースがじっとこちらを熱心に見つめながら言った。
「ああ、これもお前がいたからこそだ。ありがとう、共に苦難を乗り越えた友よ」
キースはそっと前を向いた。
アリクも同じようにした。
城の入り口では、仲間たちが二人の帰りを待っていた。
「王子! ……御帰還をお待ちしておりました!」
「ああ、待たせてすまないな」
仲間たちは何故だか互いの顔を見合って首を傾げていたが、歓喜するアリクには小さなことだった。
苦難の道をどのようにして超えたか語っていると、オパヤヌーが現れた。
「おお、オパヤヌーよ。私はもう呪いから解放されたぞ」
「お、王子、何ということでしょう……!」
その台詞は感激に満ちた驚きというよりも、悲観する爺の嘆きに聞こえた。
「どうしたオパヤヌー」
オパヤヌーは黙って手鏡を渡し、自身の顔を見るよう言った。
王子が鏡を覗いたとき、真実がそこにあった。
「な、何だこれは……!」
注目すべきは額だった。
アリクの眉毛は恐ろしく太くなり、その毛はもはや額半分を覆っていた。
「ば、化け物……っ、眉毛お化け!」
鏡に向かって叫ぶ王子に、オパヤヌーは沈んだ声をかける。
「お気の毒に、王子」
「くっ、女神め、私を謀ったな。許せぬ、神といえど許せぬ。よくも私の顔を」
奇しくも母と似たような台詞を吐きながら、王子は地団駄を踏んだ。
無論いくらそうしたところで、刻まれた眉毛は消せないとわかっている。
神の理不尽さという呪いに、剣を突き刺してやりたいほどに悔しかった。
「女神の元に戻りますか、王子」
キースが顔色一つ変えず申し出る。
アリクはぐぐぐ、と歯をくいしばるようにしてから、叫んだ。
「もういい! 今日のところは寝る!」
【完】