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    少年、それは手ごわい 15

  


 それから数日経って。

 橘のおかげでだいぶと俺は落ち着いたが、状況は更に悪化していた。

 あの日からさらに、井上が俺を徹底的に避けるようになったのだ。

 こうなってくると橘が言う『気持ちを伝えて粉砕』どころの話じゃない。むしろもう粉砕して、立ち直れない。

 決定的だったのは、先ほど井上と久しぶりにすれ違った時のことだった。

 井上は、顔さえ上げてくれなかった。

 俺の存在なんてそこにいないかのように、顔を伏せて拒否し、ちらりともこちらを見ずに行ってしまった。

「・・・たかはしー」

 井上が通りすぎた後、隣を歩く橘が、さすがに同情した顔で俺に呼びかけてくる。

「今日、クラブの後俺ん家来っか?」

 橘が来た翌日から俺は普段どおり部活に出てる。

 あの時言ってた『慰め』のことを言ってるのだと気づいて、俺はふっと口元をゆがめた。

「要らん」

 まだ、俺は伝えてない。

 そんな機会なんてもうほとんどゼロに近い状況なのに、俺は未練がましく、井上の瞳に再び自分が映ることを願っていた。


 ―――そうしてそれは、最悪な形で叶えられることになる。

 その日の、昼休みのことだ。



「高橋君!」

 次の授業が移動教室のため橘と一緒に教室を出て歩き出したところで、隣のクラスの扉から見知った姿がひょいと身を乗り出してきた。

 すらりとした身長の、大人っぽい顔つきの女子生徒には見覚えが会った。

「・・・って、工藤さんじゃん。おまえ、知り合いか?」

 こそっと橘が耳打ちしてくる。俺はちらりと橘に視線を放った。

「・・・井上の友達だ」

「へぇー、そういえばいつも一緒にいるもんな。相変わらず美人だなー」

 橘の感想に、俺は軽く首を傾げる。

 美人?そうなのか。

 あまりそういうことに関心のない俺はそんなこと考えもしていなかったが、橘の態度から想像するに井上の友達はそこそこ人気があるらしい。そう意識すれば周りの男子生徒からのちらちらという視線を感じる気がする。


 何故だが開け放った教室の扉から一歩後ろに下がったところで待つ、彼女の所まで歩いて行くと、にっこりと微笑んだ工藤が俺を見上げてきた。

「なんだか久しぶりな気がするね。元気?」

「・・・ああ」

 それは井上が俺を避けているからだ・・・必然的に一緒に居る工藤も俺の前に姿を現さないことになる。

 ぐさりと鋭いものが胸に突き刺さったのを無表情で押し隠して短く頷くと、工藤が首を傾けて口を開いた。

「そういえばあの時の仔猫ちゃん、飼う事になったんだよね?元気してる?」

 何故だがその、くっきりとした二重の瞳の奥が一瞬意味ありげな光を宿した気がして俺は目を細めた。

 気のせいか。だいたいここでそうする意味がわからないしな。

「・・・ああ」

 今更の話題だとも思ったが、そういえばあれから顔を合わせたことはあったものの話すのは久しぶりだったかと言葉少なに頷けば、大げさな様子で工藤がほっと息を吐いた。

「そっかぁ、よかった。愛那もずいぶん気にしてたし、心配してたんだぁー。」

 と言いながら視線を開け放った扉の向こうの教室内に走らせる。

 自然と俺もそれを追って―――身体が固まった。


 井上の姿が、そこにはあった。

 だが、それだけじゃない。

 長身の氷室が、身を屈めて井上の額に自分のそれをくっつける瞬間を、俺は見たくもないのにしっかりと視界に入れてしまっていた。

 

 どくん、と心臓が跳ねる。

 逸らしたいのに目を逸らせなくて、見つめる自分の顔がだんだん強張っていく―――とその時、間の悪いことに顔を真っ赤に染めた井上が、氷室と何かを話しながら視線をこちらに向けた。

 一瞬交わる、井上との視線。驚愕に目を見開く井上の表情。

 先に視線を逸らしたのは俺で、「高橋君?」と目の前でのほほんとした雰囲気の工藤が不思議そうに俺を見上げてくるのに軽く首を振った。

「・・・いや。仔猫は、元気だ。・・・井上にも、そう、伝えておいてくれ」

 彼女の名前を唇に載せるとき、胸が喩えようもなく痛んだ。

 表面上には普通に振舞い、俺はその場を去った。

 ひどく心をかき乱されていて、いますぐひとりになりたかった。


「―――高橋、おい高橋?どこ行くんだ」

「・・・わるい。次、さぼる」

 事情を読み取った橘が静かに俺を追いかけてくる。

 次の教室に向かうため階下に向かうはずの俺の脚が、上に向けられるのを見て訊ねてきた声に、俺は表面上は無表情に答えた。 

 それが精一杯の俺の虚勢で、俺にとっての産まれて初めてのさぼりだった。


 そうして俺が向かったのは、屋上だった。さぼるのには定番の場所。

 出入り口の扉のための、四角いコンクリートの建物があるだけで他にはなにもない。

 さすがにこの季節、直射日光に当たるのは自殺行為だ。唯一の日陰、コンクリの壁に背中を預けて俺はそこに座り込んだ。そのままぼんやりと空を眺める。

 憎たらしいほどいい天気だ。雲ひとつない。

 夏の淀んだ空気が、俺の身体に纏わりついて、気持ちが悪い。 


井上に触れる氷室の姿が脳裏に散ちらついていた。

 井上の屈託のない活き活きとした瞳。今は俺に向けられることのないその眼差しが氷室に注がれていたのを思い出して、目を瞑った。

 しかし残像はなかなか消えてくれない。

 恥ずかしそうに顔を赤く染めた井上の、小作りの顔。

 氷室がその、井上の色づく頬を間近で見たのかと考えるだけで胸が熱く焼けてくる。

 井上にそんな顔をさせるのは自分だけでいい、と傲慢な思いが胸を衝いて、その感情の激しさに目を固く瞑って耐えた。

 井上は俺のものじゃないのに。どうにか宥めようとしても苛立ちは消えない。


 馬鹿じゃないのか。今や声を掛けることも視線を合わすことさえもできないのに、ひどい独占欲が湧き上がって自分でも抑えが効かない。わけのわからない感情に振り回されて、苦しくて、俺は頭を壁に凭れかけた。

 

 井上の顔が見たい。今すぐ微笑んでくれたら、こんな気持ちすぐに吹き飛ぶのに。

 そう思うものの、それが叶えられる状況ではないことに胸がきりきりと痛む。


 ―――どれだけそこで座り込んでいたのだろう。

 授業終了のチャイムが鳴り響いてしばらくしてから、俺ははあと重いため息を吐いた。

 終ったか。

 この後はクラブだ。・・・このもやもやを発散するにはちょうどいい。

 気だるい空気を振り払うように、俺は重い身体を叱咤して身を起こした。。


 階段を降り、教室に帰る。井上のクラスの教室の前を通るとき、ちらりと無意識に中をうかがったが、もう彼女の姿はなかった。

 が。

 自分の教室に目をやると、扉の前に見覚えのある男女が二人、立ちふさがるようにして話をしていた。

 あれは・・・工藤、と橘?


「おー高橋」

「・・・高橋君っ!」

 俺の姿を認めると、待ち構えていたかのように工藤が俺の方に近づいてきて、俺は不審げに眉を寄せた。

 工藤の表情には焦りが滲んでいて、その姿に俺はデジャ・ビュを覚える。

「愛那が、教室に戻ってこないの・・・!」


※※※


 どん、とすれ違い様人にぶつかった。

「―――すまん!」

 振り向く時間さえもどかしく短く謝ると、俺は再び前を向いて走り出す。

 先ほど工藤に言われた言葉が頭の中で蘇る。

 ―――さっきね。愛那が、クラスメイトの女の子に呼び出されてたの。

   それからずっと戻ってこなくって・・・。

 それはよくある普通の出来事なのではないのかと、はじめ俺はそんな風に考えていた。

 だが、工藤は小さく首を振って言った。

 ―――その女の子、氷室くんが好きなの。


 どくん、とそこで心臓が大きく鳴った。

 氷室の名前に、先ほどまで自分を苛んでいた感情を思い出てしまって、思わずぎゅっと眉間に力が入った。

 ―――愛那、氷室くんと仲、いいでしょ?だから、嫉妬されて、呼び出されたみたいなの。

 

 どくん、どくん、と更に心臓の音が響く。嫉妬。そうか、俺は氷室に嫉妬していたのか。

 ―――お願い。視聴覚教室に入っていたのをみたの。高橋くん、愛那を助けにいって―――

 きゅっと唇をかみ締め、工藤が切羽詰った表情で俺を見上げてくる。

 冷静に考えれば、おかしいことはすぐに気がついたはずだ。

 現にその時俺は、一瞬違和感を覚えたのだから。

 どうして彼女が呼び出されるのを止めなかったのか、とか。どうしてその時工藤も一緒に行かなかったのか、とか。

 工藤が以前俺を呼びに来た時は彼女は慌てて一緒に校舎裏まで走っていったのに。

 だいたい、落ち着いてその時工藤の隣に立つ橘の顔を見れば一発でわかったに違いない。

 何しろ奴はにやにや笑いを隠さず俺達を見守っていたのだから。


 しかし俺はこの時頭に血が登っていて、周りを見る余裕がなかった。

 俺が氷室に感じるような暗い感情を、井上が晒されるのが我慢ならなかった。

 俺は一言、わかった、と告げて、ただ視聴覚教室に向かって走りだしたのだった。


 

 

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