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    少年、それは手ごわい 7




 それから数日経った、体育祭の日。


 100m走を終え、クラスの集合場所へと戻る俺の頭上には、抜けるような青空が広がっていた。

 じりじりとした暑さに皮膚が焼かれるのを感じる。

 熱中症で騒がれる昨今、学校では時期を早めたり頭上にクラスの待機場所等に網ネットをかかげたりと対策を練ってるが、このけだるい暑さだけはどうしようもない。それだけで体力が奪われるのがわかる。

 もともと汗かきの俺は、額から流れ落ちる汗を拭いながら、あちらこちらに散らばってる生徒たちの間を縫って歩いていたんだが。

 ・・・井上?

 向こうからやってくる、見覚えのある小柄な女子生徒の姿を見つけて、俺は一瞬目を瞬いた。

 なんだか違和感があったからだ。

 井上も俺の姿をみつけると、足を止めた。

「こ、こんにちはー、高橋君」

「・・・ああ」

 ぎこちない笑みを浮かべた井上の元へ歩みながら、俺は眉を寄せてその違和感の元を探す。

 そして、目の前まで来て気づいた。そうか、髪型がいつもと違うんだな。


 髪の毛を頭の後ろで一つに括っている井上の姿はなんだか新鮮だった。

 ゆらゆらと、華奢な首筋で揺れる柔らかな毛先が目を惹く。

 その様はどこかでみたことがある気がした。

 なんだったか、と内心首を傾げていると、井上が何故か慌てた様子で頭に手をやった。

 その挙動不審な仕草を不思議に思ったが、会話を交わすうちに井上の頬も緩んでくる。いつもの屈託ない笑みを浮かべて顔を上げた井上の肩先でふるり、と後ろで一つに纏めた髪が揺れた。

 その揺れるさまに、今度こそぴんと来た。

 ああ。なにかわかった。


「・・・それ」

 と再び井上の頭に視線を向けると、井上が慌ててまた頭に手をやって後ろに飛び退くから、そのちまちました動作にも、うちの暴れん坊を思い出して口元が緩んだ。

「くろすけの尻尾みたいだな」

「く・・・ろすけ」

 呆然としたように井上が繰り返す。

 「黒ネコさんの名前?」と訊ねられたから、俺は小さく頷いた。

 先ほどまでのぎこちなさが嘘のようにぱっと明るい表情が井上の顔を彩る。


「いいなぁ、会いたいなぁ」

 井上の相貌が、へにゃりと緩んだ。

 なんというかまたあの、無防備な笑顔だ。

 見ているこちらまで心を解きほぐすような。

 幸せな、柔らかい笑顔。

 いつもの屈託ない笑顔も井上らしいと思うが、この警戒心のない笑顔を見ると、胸の中があたたかい―――よりも温度の高いもので満たされてざわめく。

 ついこの間まで昼休みに一緒にいた時間のことも思い出し、俺は衝動的に口を開いていた。

「―――会いにくるか?」

「・・・」

 井上がぽかんと俺を見上げてくる。聞こえなかったのか、と思って俺は言い直した。

「アイツに、会いに家にくるか?―――明日の土曜日午後なら、部活も終ってるから空いてる」

「―――」

 言い終えて井上を見下ろすと、円い瞳があちこちと彷徨って泳いでいた。

「―――井上?」

 再度名前を呼ぶと、はっとしたように井上が俺の顔をいったん見上げ、何故だか首をぷるぷると振る。

 それから、いつもの朗らかな笑みが浮かんだ。

「う、うん!ご迷惑じゃなければ是非!」

 その返事に俺の口元が緩む。

「わかった。じゃあ、明日の2時頃、○○駅の改札前でいいか?」

「うん、大丈夫」

「そうか。・・・そろそろ、行かないと不味い。井上も、出番が近いんじゃないか?」

 グランドに響き渡るアナウンスに耳を傾けてそう言うと、障害物競走にエントリーしている井上は慌てて、俺に別れを告げるとその場を去って行った。

 俺はそのくろすけの尻尾みたいな髪の毛が首筋でぴょんぴょん跳ねている、小柄な後ろ姿を見送った。

 そうか、また井上とくろすけで会えるんだな。

 あの穏やかで心地よい空気を思い出して懐かしい気持ちになり、ふっと口元を緩めると、ようやくクラスの待機場所へと戻って行ったのだった。




             ※           ※          ※




  

 その後クラス競技の二人三脚の時に、一緒に組んでいたクラスメイトの女子が転んで足を挫くというアクシデントがあり、抱え上げて保健室へと連れて行ったんだが。


「軽い捻挫ね。二、三日大人しくしていたら治るわ」

 保険医の先生が、椅子に座らせた女子生徒の足に湿布薬と軽く包帯を巻く処置をした後、言った。

「とりあえず今日はもう、ここで安静にしているといいわ」

 椅子に体を預けた先生が微笑みながらそう言う。ぎし、と先生の腰掛けた椅子が鳴った。

「―――なら俺はもう、帰ります。先生にもそう、伝えて置きます」

「そうしてちょうだい。お願いするわ」

 その様子を隣で見守っていた俺はそう言って保健室を立ち去ろうとしたんだが。

「あ・・・りがとう、高橋君」

 しぼりだしそうな声が聞こえてきて、俺は戸口で振り返った。

 ぎゅっと拳を握り締めた女子生徒が、必死そうな表情でお礼を言う姿に苦笑が浮かぶ。

「いや・・・お大事にな」

 軽く手を振って、今度こそ俺は部屋を後にしたんだが。

 同じ状況でも、井上だったら笑顔で礼を言ってくれるんだろうな―――などと考えていたりしていた。




 保健室を出てクラスの待機場所へと戻ろうとした俺は、その前に用を足しにトイレへと向かった。その帰り道。

 全校生徒がグラウンドに出ている今日は、校舎内はがらんとしていて静かだ。靴箱で靴を履き替え、外に出た時身に着けていたハチマキが、たまたま吹いた風に飛ばされてしまった。

 どこへ行った?と首をめぐらすと、校舎の端っこに緑色のそれがぽつりと落ちているのを見つけた。

 相変わらず生温かい空気の中、気だるい気分になりながらハチマキを拾いに行く。ハチマキは割りと飛ばされてしまっていて、校舎の角まであるコンクリート部分から大きくはみ出した土の部分にまできていた。

 土を踏みしめ、身を屈めて砂に汚れたハチマキを拾ったたとき、人の話し声がふと耳に入ってきた。

 丁度校舎の角部分だったので、今の俺の左手方向には校舎の壁と木々のほかに開けた空間が広がっている。 俺が立ったその場所から少し離れたところに、人がいた。

 背の高い男子生徒と女子生徒だ。

 俺と彼らの間には距離があったが、風にのって二人の話す声がその時一瞬、聞こえてきた。  


「氷室君――――だよね?だから―――なんじゃないの―――」

「うるさい―――」

 別に俺には覗きの趣味はない。ただ、その二人の雰囲気がどうにも剣呑な雰囲気だったので、眉をひそめてしまった。それに、男子生徒の方は俺の知ってるやつだった。氷室だ。

 遠目からだとわからないが、苛立った様子に見える氷室はだん、と校舎の壁に手を着いて女子生徒を睨み付ける。

 逢引か喧嘩か?どちらにしても野次馬になるんじゃないかと戸惑って校舎の影に戻ろうとしたとき、女生徒の声が、最後に耳に入ってきた。


「井上さん―――」

「―――・・・っ、いい加減――――ない」

 氷室の言い返す低い声。

 

 俺は思わず、二人から隠れるように校舎の角に戻って、壁を背に預けて立ち尽くしてしまっていた。


 井上?井上って言ったか、今。

 井上ってあの、井上か?


 その場を立ち去ろうとした身体が、動かなくなった。

 聞き耳立てたい気持ちとそれは男らしくないぞと咎める道徳心がせめぎあって、しばらくその場で葛藤するはめになる。

 そんなことをしていたものだから、最悪なパターンに陥ってしまった。


「―――おっと」

 話が終ったらしい氷室が、角を曲がって一人こちらにやってきたところに遭遇してしまったのだ。

 しまった。別に悪いことはしていなかったが、とても気まずい気持ちになる。

 現れた氷室は驚いた表情を浮かべて俺を見た。背の高い氷室は、俺と同じくらいの目線だ。線の細さは全く違うが。


「―――よっ、男前」

「・・・・・何?」

「公衆の面前であんな恥ずかしいことやらかしといて無自覚かよ、相変わらずだなー、アンタ」

 にやっと氷室が笑う。見目良いこの男は、羨ましいくらい爽やかそうな外見をしている。実際は爽やかさとは遠い性格をしているが。

 俺は眉を寄せた。恥ずかしいことって何だ。クラスメイトを運んだことか?それがなんで恥ずかしいことになる。

 不明瞭な顔をしている俺の表情を見て、ぷっと氷室が吹き出した。ぽんぽん、と俺の肩を軽く叩く。

「やっぱりアンタ面白いヤツだよな。おっと、俺はそろそろ行くぜ。またなー兄貴」

 ひらひらと手のひらを泳がせながら氷室はその場を去って行った。

 その後ろ姿を見送りながら、俺の脳裏にこの前井上と三人で話していたときの事が蘇っていた。


 氷室が井上の頭を撫でているのを見たとき、俺の心に何かが過ぎった。

 それは、今まで感じたことのない『何か』としか表現できないものだったが、気持ちのいい感情ではなかった。

 戸惑った俺ははじめ、井上が声を掛けてくれたときいつものように返事を出来なかった。

 心にひっかかったそれは無視するには大きすぎて。

 氷室に頭を撫でられて、髪の毛を乱されたとぷんぷん怒っている井上の姿は、普段なら心和むものだったのにその時は違った。

 むくむくと育つその感情に動かされるようにして、気がついたら俺は井上の頭を手のひらで乱暴にかき回していた。

 その柔らかな髪の感触と、顔を真っ赤にして俺に向けられた言葉に、その後ほっと安心したのを覚えている。




 氷室の後姿を見送る俺の心の中には今、あの時と同じ感情が渦巻いていた。

 氷室が井上の話をしていた、その事実だけで胸の中がざわめく。

 

 なんだか無性に、井上のほわっとした笑顔を見たくなったいた。




 

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