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    少年、それは手ごわい 4

 



「あれ?高橋、どこ行くんだ?」

 

 それからしばらくたった、ある日の昼休みのこと。

 男子は女子とは違って机をくっつけて固まって食べたりしない。そのまま席に座りながら食べるから、気楽なものだ。

 あの日以来、俺は昼飯の後、頃合を見計らって仔猫のいる校舎裏へと向かっていた。

 これまで特にそんな俺の行動を見咎めるヤツは居なかったんだが、今日は何故か橘に捕まってしまった。

 俺の隣の席に陣取っていた橘は、近くの席に集まったクラスメイト達と談笑していたので、俺はそれを横目に静かに立ち去ろうとしていたんだが、そう呼び止められて足を止めて橘を振り返った。

 好奇心に溢れた瞳が、見返してくる。


「最近飯食うとすぐ居なくなるのな?何やってんだ?」

「・・・・・」

 初めは昼休み終了15分前くらいだったんだが、ここのところ校舎裏へ行く時間が早まってきていた。

 基本的に相手の行動にそこまでつっこんだりしない、からっとした男同士の付き合いなんだが、そのせいで今回は橘の関心を引いてしまったらしい。

 他のクラスメイトも興味を惹かれた様子で、視線が俺に向かって集中した。

 俺は少し考えてから、答える。

「・・・動物鑑賞だ」

「は?」

 橘だけじゃない、他のクラスメイトの目も丸くなる。俺はそんな奴らを置いて、空のペットボトルを手に教室を後にした。

 嘘は吐いていない。全部を言っていないだけだった。 

 

 

 さざなみの様にそこかしこから聞こえてくる、生徒達の笑い声を縫いながら、廊下を通り抜け階段を降りてゆく。

 靴箱で靴に履き替え、水飲み場へ向かうと、俺はまず手に持っていたペットボトルに水を入れた。

 今日もいい天気で、日差しは少し厳しさを含んできていた。初夏の陽気だ。

 校舎裏に向かって歩き出していた俺は、見えてきた角を曲がった。無機質な壁沿いから視界が開けて、校舎裏の風景が広がる。

 少し向こうに、見覚えのある女子生徒の姿が見えた。井上だ。校舎から少し離れたところにある茂みの前で、しゃがみ込んでる。

 木漏れ日が制服姿の井上の肩に模様を作っていて、その肩先で揺れている、ふわふわっとした髪。

 その前では、仔猫が一心不乱にタッパに顔を突っ込んでご飯を食べていた。なんとも心和む風景だ。

 近づいて行くと、くるりと小さな頭が振り返って明るい笑顔が向けられる。

「こんにちは~!高橋君」

「・・・どうも」

 顔を直視するのがどうにも照れくさく、ふいと顔を背けて返事をすれば井上の足元でにゃあお、と仔猫が鳴いて思わず口元が緩んだ。

 あれから、井上が仔猫用の飯を用意してくれるようになった。正直、助かった。主に財布面で。

 高校生に、パン代とは言え毎日の出費は痛い。

 唯でさえ、俺はよく喰う。朝錬の後や、部活帰りに食い物を買うことだって多い。

 なので俺は、その代わりと言ってはなんだが仔猫用に水を用意するようにしていた。井上ばっかり用意してもらうのも悪いしな。

 ポケットから100均で買った白いプラスチックの皿を取り出すと、猫まんまの入ったタッパの横に置く。さっき汲んできた水を注ぐと、さっそく仔猫が顔を近づけた。

 そんな仔猫の姿に、井上は目尻をめいっぱい下げて和んでる。まあ、気持ちは分る。目を細めて気持ち良さそうに髭をそよがせる仔猫は贔屓目なしに可愛らしい。

 木漏れ日の下、俺と井上、仔猫の間に流れる緩やかな空気に、俺はふっと息を吐いて気持ちを解きほぐしていた。

 話が弾むわけではなかったが、特に気詰まりさを感じることはなかった。

 膝の上に仔猫が小さな前足を掛けてよじ登ってくる。胡坐をかいた制服のズポンの真ん中で、くるりと丸まって寝る体勢に入った仔猫の姿に、俺はふっと目を細めた。気持ちが和んで、頭をそっと撫でるとごろごろという気持ち良さそうな喉を鳴らす音が聞こえてくる。

 ふと隣に目をやると、にこにこと満面の笑顔を浮かべて俺たちを見守る井上の姿があった。


 だんだん、だんだん、井上と一緒に居る事に違和感を感じなくなってくる。

 たった数回会っただけで、未だ壁を感じるクラスメイトたちの存在を飛び越えて、親しみを感じ始めている自分がいた。

 そんな気持ちそのままに、初めは昼休み終了15分前にやってきた校舎裏に、どんどん、どんどん早く来るようになり。

 共に居て、安らぎを感じるこの時間がとても心地良いと感じるようになっていた。



       ※          ※         ※

                

 そんな穏やかな日々が終わりを告げたのは、それから数日後のことだった。

 

 俺はその日、いつも以上に早く校舎裏に来て、飯をそこで食べていた。

 興味津々な橘たちが煩かったせいだ。なので、授業が終るとそそくさとこの場所にやってきていた。

 仔猫を膝に載せて、まったりとしていたら何やら慌てた様子の井上がやってきた。

 なんだ、いつもより早いな、と話しかける暇も無かった。そのまま井上に校舎裏の茂みの方に連れて行かれる。 そして、先生たちが仔猫を探していることを聞いた。

 どうやら人に慣れてきた仔猫が授業中もみゃあみゃあと鳴いてうるさく、先生たちは仔猫を追い出すため探しているようだ。

 しかもその後えらくタイミング良く、先生が教舎裏にやってきた。俺たちの近くまで仔猫を探しに来た時は正直ひやりとした。

 咄嗟に井上と子猫を草むらに引っ張り込んで隠れたが、それで、これまでのように学校で仔猫に会うことが難しくなったことがわかった。

 さて、どうするか。

 井上の家は・・・厳しいだろうな、ケーキ屋だし。

 俺の家も、両親は共働きだし・・・昔から、動物を飼うことは禁止されてきたから、無理だろう。

 けど・・・このまま、仔猫を見捨てることは、できない。

 その時、悩む俺の脳裏に過ぎったのは、うちのやっかいな姉貴二人組だった。

 ・・・うううん。あいつらに頼めば、両親を説得することができるような気はする。

 悔しいが母さんからのあの二人の姉への信頼は絶大だからな。特に一番上の姉貴。

 俺が小さな頃から、忙しい母さんの代わりに家のことをして下二人の面倒を見てきたのは茜姉だった。

 だがしかし・・・できればそれは最終手段にしたい。

 あいつらに借りをつくったらめんどうなことになりそうだ。

 とにかく仔猫の飼い主を探すということで話がまとまって、井上と別れたその日の放課後のことだった。


 それはおそらく、偶然の出来事だったろう。

 クラブに行こうと教室を出、廊下を歩いていると見知らぬ女子生徒がどん!と後ろからぶつかってきた。

「ご、めんなさい!」

 女子の割りに背が高い。姉貴くらいあるだろうか。すらりとした体躯の、くっきりとした二重の瞳が印象的な女生徒は、焦ったようにそう謝って見上げたその顔を驚きの色に染め上げた。

「た・・かはしくん?」

「・・・・そうだが」 

 見知らぬ女子生徒に名前を呼ばれ、俺は眉を寄せた。・・・多分クラスメイトではないはずだが。

「よ・・・かったぁ!え、ええっと、私、井上 愛那の友達の工藤 凜と言います。愛那は知ってるよね?」

「・・・・ああ」

 なんだ井上の友達か。

 静かに女子生徒を見下ろすと、井上の友達だと名乗ったその女子生徒は、慌てた様子で早口に言った。

「お願い、ついてきてください、愛那が、ピンチなのー!」

「・・・??」

 疑問符を浮かべる俺の腕を、ぐいぐいと引っ張る工藤の姿に、何事かと周りの生徒達が見てくる。

「氷室君のことが好きな鈴木さんが愛那のこと呼び出して大変なの!」

 体格差のため、細身の工藤が俺を引っ張っても俺が動じることはなかったが、必死なその姿に俺は釣られて走り出していた。

 彼女の説明では全然状況はわからなかったが、彼女の慌てぶりは本物だった。つまり、とにかくよくわからないが、井上が困った状況に居るということだ。

 それだけわかれば、充分だった。

 俺は促されるまま、工藤と一緒に校舎裏に向かったのだった。


 ところが校舎裏に着いたもののそこには、数人の女子生徒と、昼休みにも遭遇した体育の先生の姿しかなかった。井上の姿がない。工藤がきょろきょろと辺りを見渡した。

「あ、れ・・・?愛那は?」

「んあ?なんだ、工藤・・・に、高橋??えらい珍しい組み合わせだなこりゃ。どうしたんだ、こんなところに」

「せ、せんせい!愛那見なかった?!」

「井上ならさっき、えらい勢いで向こうの方へ走っていったぞ。」

「ありがとうございます~!」

 お礼を言うと、工藤はくるりと身を翻して校舎裏を駆け抜けていく。ぽかんとした面々がそれを見送った。

 それを尻目に俺は先生に会釈すると、工藤の後を追いかける。


 そうしていつも仔猫と会うその場所で、しゃがみ込む井上の姿を見つけた俺は、その足元で後足から血を流す仔猫の姿を見つけたのだった。


 すぐ傍で青い顔色をした、井上と共に立ち尽くしている男子生徒を睨みつける。

 背は高いが、見た感じ体育会系とは程遠い体格をしているその男子生徒は、かっちりと白シャツの一番上までボタンをはめていて、黒縁の眼鏡の奥の小さな瞳はどこか、神経質そうな印象を受ける。

 その足元にはこちらを見上げる、よれよれと立ち上がろうとしている仔猫の姿があった。後足を庇いつつのその仕草は哀れさを誘う。近くに石が落ちていて、血がついてる。

 石を投げられたのか!と、自分でもそこで頭に血が登ったのがわかった。スイッチがかちりと入る。

 普段は温厚な俺だが、意外と沸点は低い。

 中学時代、クラスメイトを庇ったついでに喧嘩になったのも実はそのせいだ。


「・・・おまえがやったのか?」

 低い声音で問い詰めれば、青ざめた男子生徒の肩がびくりと震えるのがわかった。

 

 めったに人の来ない校舎裏で、ここに居るのは井上とこの男子生徒だけ。

 男子生徒は青ざめて、おどおどしていて、いかにも後ろめたい様子だった。どう見ても、この男子生徒がやったようにしか見えなかった。視線を逸らし、後ずさるその姿にすっと目を細めた。

 距離を詰めようと足を踏み出したところで、制止が入った。


「ストップ、高橋君!」

 そう叫んで俺の腕にしがみ付いてきた井上の後頭部を見下ろして、正直俺はものすごく戸惑ってしまった。

 どうして。こんな小さな動物を、か弱い仔猫を、苛めるなんて許せることじゃない。

 苛立ちさえ覚えて見下ろした小柄な姿は、けれど怯える様子も見せず、反対に俺のことを厳しい眼差しで見上げてきたのだった。

 柔らかい表情の井上の姿しか見たことのなかった俺は驚いた。こんな表情も、するのか。

 身じろぎもせず、井上が俺の目を見据えてくる。

「暴力は駄目だよ、高橋君!」

 そんなのわかってる。わかっているが、我慢できることと出来ないことがあるだろう?

 自分が思っているよりも完全に血が登った頭でそんなことを考えると、更に井上が言い募ってくる。

「駄目!高橋君柔道部でしょ!」

 ぎゅう、としがみつかれる腕に力が籠った。

 柔道部?だからどうした。反射的にそう思って腕を引き剥がそうとしたんだが、外れない。体格差から考えても、相手の必死さが伝わってきた。あまり乱暴に振り払うと、軽い井上の身体なんて吹っ飛んでしまうと思うとそれ以上力も込められない。


 真剣に俺に訴えかけてくるそのまっすぐな瞳に、俺はしぶしぶと引き下がった。

 それでも我慢できずに男子生徒を睨みつけていると、新たに登場人物が増えた。

 やってきたのはさっきのあの体育の先生だった。

 まったく今日はよく会う日だ。


 先生は仔猫を見つけると、普段は温厚な顔を厳しい表情に変えて回りを見すえた。

「――――!」

 咄嗟に仔猫を抱き上げた井上が、怯えたように背を向けて仔猫を隠したのを見て、俺はその小柄な姿を背に庇う。

 そのまま対峙すると、先生が苦笑して言った。

「まあ落ち着け。別に怒るわけじゃない。

 ・・・いったい何があったんだ?

 えらい勢いで、工藤と一緒に校舎裏に走りこんで来たと思ったら、井上がいないとわかったとたん走り去っていくし。なにかもめごとか?

 ・・・どうもそのネコ怪我してるし、普通の雰囲気じゃななかったようだが」

 ジャージ姿の体育の先生は、そう言うと視線を隣の男子生徒に移した。

「春日。お前はさっきもここに居たな?その時はそのネコは居なかったようだが

 ・・・なにがあった。お前が、石を投げてそのネコに当てたのか?」

 眼光鋭くそう問い詰めれば、青い顔をしたままのその男子生徒は、顔を歪めながらも認める言葉を吐き出した。

 とたん、ぴんとした緊張感が回りに張り詰める。

「どういう理由があって、そんなことをしたんだ。

 ―――まさかとは思うが、動物を虐待して楽しんでたとかじゃないだろうな」

 普段は明るくのんびりとした先生だから気づかないが、鍛えた体躯の大柄の先生が怒ると迫力があった。 

 しかし。

 そこで何故か井上が、男子生徒を庇い出したのだった。


「ち、違うんです、先生」 

 なんだかよくわからないが、自分より随分と背の高いその男子生徒の前に立ちふさがって、一生懸命先生に向かって色々と言い募っている。

 ・・・どういうことだ。

 俺はというと、呆然としてその成り行きを見守っていた。

 わけがわからなかった。

 しかもその上。

「わ、私たち、黒ネコさんを取り囲む会のメンバーなんです!」


 ・・・って、誰が何だって??

 先生に問い詰められ、行き詰った様子だった井上が思いついたように発した言葉に、思わず俺が唖然としてしまったのは、仕方のないことだと思う。



 

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