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    少年、それは手ごわい 3

 

 それから数日後のことだ。

 落ち着いた色合いの、ケーキやクッキーが立ち並ぶ、俺にとっては二回目に訪れたケーキ屋で。


「いらっしゃいませ~!」

 という言葉と共に小さな頭が軽くお辞儀をし、茶目っ気たっぷりな笑顔がその表情を彩るのを俺は呆然と見つめた。


 


 一週間前の土曜日、俺は風邪で寝込んでいた母さんから「アルルのケーキ食べたい!それもロールケーキ!」と頼まれて、部活終了後、わざわざ自分の降りる駅を通り過ぎてローカルな駅で降り、ケーキを買って帰った。

 まあそれは美味しく頂いた。母さんと父さん、俺の三人で。

 姉貴たちは出かけて居なかったのわかっていたから。敢えて三人分買って帰った。

 が。それはすぐに姉貴たちにばれた。

「ちょっとなんで私達の分はないのよ!」

 と一番上の姉・・・茜姉に怒鳴られ、

「・・・出かけてたろうが」

 とげんなりしながらも一応、そう反論すれば、

「普通はねーそういう時は、帰ってきてから食べれるように人数分買ってくるものなのよ?

 相変わらず気が利かないわねー」

 とゆったり口調ながらも嫌味たっぷりの口ぶりで二番目の姉貴、詩織姉がにっこりと笑いながらそんな風に責めてくる。

「そうそう、そんなんだから彼女の一人もできやしないのよ。

 昨今、あんたみたいに硬派気取ってたってもてやしないわよ!気遣いのできるマメさがなくっちゃ」

「将来今流行のイクメンにはなれないわよー」

「・・・・・・・」

 イクメンってなんだ。イケメンとは違うのか。

 そもそも、別にもてたいとは思っていない。俺は俺のペースで居るだけで、硬派を気取ってるつもりもない。

 等、いろいろ思うことはあったが胸の中に留めておくことにする。

 言い返したら倍になって返ってくるのはわかっていた。

 むっつり亀を決め込んだ俺の頭を、背伸びをしながらぐいっと腕を回して自分の高さまでホールドしてきたのは、茜姉だった。

 160センチと俺からしてみれば小柄の茜姉に無理に肩を並べさせられて、思わず「・・・いてえ」と抗議するが勿論聞き届けられることもなく。

 にんまりと、肉食獣系の攻撃性たっぷりの笑みを浮かべた茜姉が、言った。

「というわけで今度また買ってくるのよ!わかったわね?」

「あ。私久しぶりにあそこのロールケーキが食べたいー!」

「あら。良いわねぇ。じゃあ私もそれで」

 おい。俺の意思は無視か。

 諦めのため息を吐きながらも、俺は答えた。

 勿論「わかった」と。


 というわけで俺はまた、部活帰りに例のケーキ屋に来たというわけだ。平日は部活で遅くなるから、わざわざ土曜日の午後にな。

 場所は母さんの仕事場の近く。

 ああわかってる。何も言わないでくれ。

 『なぜ母さんに頼まなかったのか』だろう?そりゃそうだ。平日は母さん常にここに来ているんだから。

 そんなの決まっている、姉貴たちの嫌がらせだ。

『あんたが買ってこなかったんだから、母さんを当てにしないで自分で買ってくるのよ!』という有難い仰せに従っているというわけだ。

 ったく、厄介な・・・


 けれどそうやって件のケーキ屋に来て見れば、信じられない姿をショーケースの向こうに見つけて、話は冒頭に戻るというわけだ。


 ―――なぜ井上がここにいる?


「ご注文は?」

 入り口のところで思わず立ち尽くしてしまった俺に、悪戯っぽい声が掛けられる。

 気のせいか、してやったりの爽やかな笑顔を振りまく彼女の姿に、なんだかむっとしたものを感じつつ、俺はすたすたとショーケースまで歩いて行ってロールケーキを注文した。

 手際よく商品を詰め込んでゆく小柄な姿をじっと視線で追う。ケーキを入れる箱を組み立てる手つき、賞味期限の書いたシールを貼っていくその流れるような作業に、昨日今日ここで働いていたわけではないことが知れる。

「ありがとうございました!」

 初めて会ったときから向けられる、朗らかな笑顔にからかいの色が見える。俺は憮然とした気持ちを隠せずに、その顔を睨みつけてしまった。

「・・・どうしてここに」

「えっとそれは、ここがわたしのお家だからです!ちなみに先週も居たよ?

 高橋君、うちのロールケーキ気に入ってくれたんだ?」 

「・・・・・・」

 ―――くっ。思わず俺は何も言い返せずに黙り込んでしまった。そんな俺に追い討ちを掛けるようにくすくすと井上が笑う。 

 円い瞳を楽しげに煌かせる井上の姿に、俺はすでに自分の甘いもの好きがばればれだったことを知る。

 ここ数日、仔猫に与えていたパンの種類からうすうすばれるんではないか・・・と感じてはいたが、むしろもっと前からばれてしまっていたらしい。 

 くそ、なんだかものすごくむず痒い。気恥ずかしいぞ。


 そうこうしていると、後ろの厨房のほうから、井上と同じエプロン姿の年配の女性がひょいっと顔を覗かせてきた。

「愛那?どうしたの、お友達?」

 癖っ毛らしいふわっとした髪を後ろで縛った、優しそうな雰囲気を持つその人は、どう見ても井上と同じ遺伝子を持っていた。井上の母親だろう。

 とりあえず姿勢を正して挨拶すると、井上の母親の瞳がきらきらと輝いた。さすが親子。そっくりだな。

 クラスメイトの女子には怖がられる俺だが、意外と年配の人からの受けは悪くない。やはり年の功もあるのだと思うが。

 興味津々に俺を見上げてくる、目元に皺はあるもののまだ充分に若々しい雰囲気のその人を見下ろすと、ちらりとその視線が井上の方に向いた。と思ったら。

「愛那ちゃん、せっかくお友達が来てくれたんだから、ちょっと出てきたら?ここは、いいから」

「「え?」」

 俺と井上の声がはもった。

 というか俺はケーキを買いに来ただけなんだが。わざわざそんなことしなくても。

 それに、そこまで親しい仲でもない。

 案の定、背中を母親に押されてバックヤードから出てきた井上が、慌てたように振り返るのを見て俺は眉をしかめた。

「お、お母さん、何か勘違いしてる・・・!」

「いいからいいから。行ってらっしゃ~い」

 どこの世界でも母親というのは最強らしい。背中を押し出された井上が、諦めたようにはあっとため息をつくと、肩を竦めながら立ち尽くす俺を見上げてきた。

「行こっか?」

 ・・・いいのか?

 そう聞き返そうとした同じタイミングで。

 にこっとまた、自然な笑顔を向けられて気が削がれてしまった。

 そうしてするりと身を翻し、軽やかな足取りで「行ってきまーす」と店を出て行く井上を思わず視線で見送ってしまってから、俺は我に返った。

 その後を追おうとしてふと振り返り、井上の母親に向かって軽く会釈を返す。

「行ってらっしゃーい」

 井上と良く似た朗らかな、若々しい笑顔に見送られて、俺は店の前で待つ井上の後を追った。

 




         


 商店街を抜けた所にある小さな公園にやって来ると、井上は小さな砂場の前にある二人がけのベンチに座った。

 目線で隣にどうぞと問いかけられたが、軽く首を振って断る。俺にはそのベンチはどう考えても小さすぎて、きつきつになってしまうのがわかったから。

 井上は、首を傾げて俺を見上げてくる。

「高橋君は今日、部活だったんだ?

 ね、黒ネコさんに会ってきた?」

 問いかけに、俺は静かに頷いた。井上の言う通り、部活帰り、確かに俺はまたひとり校舎裏に行っていたから。

 俺の返答に井上の口元が緩んだ。

「そっかぁー、私、休みの日は学校行かないから・・・

 黒ネコさん、かわいいよねぇ~!私昨日、ちょっと感動したよ」

 俺を見上げる、その円い瞳が活き活きと煌く。

「ねぇ、高橋君は猫派、それとも犬派?

 私はねー、犬派だったんだけど、断然今は猫派に変わっちゃったよ!」

 大きな黒目勝ちの瞳は、あますことなく感情を映し出していて、表情と一緒に歓びを伝えてくる。

 母親に言われていやいや外に出てきたんだろう、いつもは仔猫というクッションがあったがもとは何の接点もない俺たちだ。さぞかし気詰まりに違いない、早く開放してやろう。そんなことを考えていた俺は、気負うことなく、むしろ嬉々として話す井上の姿に戸惑いを隠せなかった。 

 くるくると変わる感情表現の豊かな表情、人懐っこい笑顔。

 人を寄せつける雰囲気を持つという点では橘と同じだが、井上の場合はまた違う、独特の柔らかさある。

 それは自然とこちらの気持ちも一緒に解きほぐす、不思議なものだった。

 そんな感覚は初めて感じるもので、少し戸惑ったものの不愉快なものではなかった。むしろ心地良い。

 不思議だ。どうして井上は、俺が怖くないんだろう。

 女子生徒に怯えられる俺だが、それでも時が経つにつれて軟化して行くこともあり、全く話をしないわけではない。親しくなることもある。

 それでも皆、初めは例外なくおそるおそる話しかけてきたのに。


 思わずじっと井上の顔を見つめてしまい、そんな俺に気づいた井上が、気遣うように俺を見上げてくる。

「ご、ごめん、うるさかった?」

「いや・・・」

 軽く首を横に振った。

 俺は目の前で座る井上の小さな姿を見下ろす。

 白のブラウスに黒のタイトスカート、そしてその上にピンクのフリルのついたエプロンというケーキ屋の制服は、歳の割りに幼く見える井上に良く似合っている。 

 ことりと井上が首を傾げて疑問を伝えてくるのを見て、俺は口を開いた。

「・・・人見知りしないんだな」

 微妙にずれた問いを口にしたのは、少し迷ったせいだ。

 俺にとっては珍しい、自然に向けられるその笑顔が消えてしまうことを惜しいと感じたからだった。

「・・・・・ぷっ」

 しかしそんな俺の不安なんて吹き飛ばす勢いで、井上は一瞬何を言われたかわからないと言ったようにきょとんとしたあと、笑い声を上げた。

 それはもう、盛大に。お腹を抱えて。

 俺は初め呆然としたんだが、あまりに井上が笑うもので憮然としてしまった。そのことに気づいた井上が慌てたように声を潜める。

「・・・そこまで笑うか」

 思わずそう言うとゴメンと小さな声が返ってきて、それでもまだその肩がぷるぷると震えていた。 

 くすくすと、目尻に溜まった涙を細い指先で拭いながら、まだ笑いの余韻を残した井上が俺を見上げる。

「うん、私、お家の職業柄人見知りはあまりしない方かも。

 あ、でも、高橋君のことはちょっと初めは怖かったかな?」

 ・・・くそ。俺が聞きたかったことも、ちゃんとばれてしまっていた。

 なんだかものすごく決まりが悪くてふいとその円い瞳から目を逸らす。

 くす、ともう一度軽く笑った後で、井上がベンチから立ち上がった。

「ていうかこの眉間の皺がねー、ただでさえ目つき悪そうなのに、怖く見えちゃうんだと思うのよ。

 もったいないなぁ」

 ふてくされて滑り台の方へと視線を向けていた俺は、気配を感じて井上の方を向くと、井上は小柄な身体を精いっぱい伸ばしていた。

 指先がそんな言葉とともに俺の顔に近づいてくるのに、眉を寄せて反射的にその手首を、ケーキの持っていない方の手で掴んで止めた。

 背伸びしても俺の肩くらいまでしか頭が届かない井上は、ぐらりと体勢を崩しそうになっていたから、気をつけてその手首を降ろした。細い手首は、姉貴と同じくらいだったが、姉貴のものより柔らかい感じがした。

「・・・大きなお世話だ」

 眉間に皺、は俺の癖だ。感情を抑えたり、考えたりするとき無意識に寄ってしまってるらしい。

 それが怖がられる要因になっているとはわかってはいたが、意識してやってるものではないので今更直せるとは思えなかった。     

 すると、何故か呆然と俺の顔を見上げた井上の顔が突然真っ赤になった。

「ご、ごごごごごめんっ」

 思い切りどもって、焦ったように井上が後ろに飛びずさろうとした。

 そのとたん狙ったように、砂場の前、あちこち散乱していた砂に足を取られてずるりと小柄な身体が滑る。

 ―――危ない。

 

 反射的に手が伸びる。右の手首を捕まえて、後ろのベンチに頭を打ち付けそうになる寸前で、腰を支えてそれを防いだ。ロールケーキの入った紙の袋が、がさりと井上の背中で音をたてて衝撃に少し揺れる。

 間に合った安堵に、思わずほっと息を吐いた。


「・・・そそっかしいと言われないか」

「ええっと・・・ごめんなさーい・・・」

 ため息混じりに、井上を助け起こしながらそう咎めると申し訳なさそうな声が返ってきた。

 軽いな。比べるのが姉貴とばかりというのが悲しいところだが、姉貴の骨ばった感触じゃなく、柔らかい。それに、今までお店に居たからだろう、ほんわりと甘いケーキの匂いがした。

 別に怒っていたわけではないのだが、井上は俺の言葉に落ち込んでしまったようだ。

 しまった・・・きつかったのか?そんな顔をさせるつもりはなかったんだが。

 しゅんと肩を落とす井上の姿は、なんだか小動物を思い出させる。

 なんだか苛めてしまったような罪悪感が芽生えてきて、気がついたら口を開いていた。

「・・・月曜日」

「え?」

 円い瞳が俺を見上げてきて、その目を俺はふいと逸らした。

 しまった。俺はいったい何を言おうとしているんだ。

 そんなことを思ったが、一度唇を開いたらもう、止めることはできなかった。

「また、昼休みに校舎裏に、行く」

 そこまで言うと、俺は言葉を途切らせた。

 きょとんとした気配が伝わってくる。


「黒猫さんに、会いに?」

「・・・・・・・」

 ちらりと視線を向けて「そうだ」の意を伝えると、思いがけず、あの朗らかな笑顔に出会った。

「じゃ、私も昼休みに行くね!」

 間髪居れずに返ってきた返事に一瞬固まってしまってから、俺は頷いた。

 

 それから井上は店に戻り、俺は家へと帰るために駅へと向かうため、公園の前で別れたのだが。

 

 

 ―――どうやら俺はまた、井上と話をしてみたいとそう思っていることに、後になってから気づいたのだった。

 





 

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