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    少年、それは手ごわい 2


 



「た、高橋君」

「・・・?」

 名前を呼ばれてクラスメイトと話していた視線を上に向けると、そこには同じクラスの女子生徒の姿があった。

 俺と目が合うと、びく、とその女子生徒の肩が揺れて体がちょっと後ろに退くのを目にし、無意識に眉を寄せてしまう。

 


 一限目終了後、授業の合間の休み時間。

まだ朝の気だるさの漂う教室では、クラスメイトたちの話し声が聞こえてくる。

 到って俺は普通に目をやったつもりだったんだが、どうやらそれは結構な威力があったらしい。

 目の前で引きつった表情を浮かべる女子生徒の様子に視線を和らげる努力をしてみるが、あまり成功したとは言えなかった。

「―――ええっと、あの、今週私達、週番で・・・」

「・・・ああ、そうだったか」

 軽く頷くと、ぎこちない笑みが返ってくる。

「それで・・・あの。わ、私、黒板拭いてくるからえっと、こ、これを」

「ああ、日誌か。わかった俺が書く」

「あ、ありがとう!明日は私、書くから!」

 あからさまにほっとした顔になったクラスメイトから日誌を受け取ると、彼女はまだぎこちない足取りでこの場を去って行った。俺はそれを、ため息混じりに見送る。

 

 昔から俺は、無愛想だと言われていた。

 そんなつもりは毛頭ないのだが、どうやらすごく目つきが悪いらしい。

 釣りあがり気味の目は遺伝だから仕方ないんだが、加えて俺の場合このガタイだ。180センチの長身に、ごっつい身体つきはどこにいても目立つ。

 それに人好きする性格でもないので、とっつきにくいと人から思われているのは、姉貴達に言われるまでもなく自分でもわかっていた。

 そんな俺だから、さっきみたいに女子生徒達には敬遠されがちになる。

 毎年この時期はいつものこととはいえ、ちょっとげんなりする。

 だって俺は、別に相手を威嚇してるつもりも苛めるつもりも、まったくない。毎度のことながら俺は平和主義なんだと訴えたい気分になる。

 

 仕方がないと気分を切り替え、先ほど受け取った日誌を開いたところで、くっくっく、と押し殺した笑いが目の前から起こった。

「相変わらず怖がられてんのな」

 肩を震わせてそんなことを言うのは、目の前の席で俺と話をしていた橘 春斗だ。

 俺とは違って自然と人を寄せ付ける雰囲気を持つこいつは、中学から同じ学校で、数少ない俺の友達と言っていい存在だ。

 俺と同じくらいの長身に、軽くウェーブのかかった茶髪に隠れるようにして右の耳には小さく銀のピアス。

 顔立ちも端整で、いかにも今時といった雰囲気のこいつは、見かけはとてもちゃらい感じだ。 

 そんな橘と、口数が少なくいかついイメージの俺とが一緒にいるのは違和感があるらしく、クラスが変わって一ヶ月が経つ今でもちらちらと視線を感じる。


「おい、顔。また凄んだ表情になってるぞ」

「・・・うるさい」

 思わず顔をしかめたら、そんな言葉が返ってきて軽く睨みつけるがどこ吹く風だ。おーこわ、とか全然怖がる様子も見せずにわざとらしく肩を竦めて見せる。

 目の前の相手より、近くに居た女子がこちらを伺うよう視線を向けてきたのがわかって俺はまた眉を寄せた。

 まったく、めんどくさい。心の中で呟きながらふと前を向くと、先ほどの女子生徒が、背が届かないらしくぴょんぴょんとジャンプしながら黒板の文字を消しているのが目に入ってきた。

 誰か助けてやればいいのにと視線を巡らせるが、あいにく他のクラスメイトたちは自分たちの世界に忙しいようだった。

 

「高橋さあ、笑みの一つでも浮かべてみ?それだけで印象がらりと変わるのに」

「楽しくもないのに笑えるか」

 橘の言葉にあっさりと返す。そんなことすぐ出来るようなら、今頃もっと違う人生を歩いていただろう。人間、得て不得手がある。

 だいたい俺に対する女子生徒の反応なんて、さっきのようなものだ。年度初め、クラス替え直後の今頃が一番酷くて、だんだん、だんだん、軟化していく。中学のころもそうだった。

 そうやって、やっと見かけより怖くない・・・と認識されたころにクラス替え。去年のクラスもようやく馴染んできたか、と思った頃に新学期がやってきた。また振り出しに戻ったわけだ。

 そんなことを考えていた俺の脳裏に、昨日会った、朗らかな笑みを浮かべる一人の女子生徒の顔が浮かんだ。

 初めから、俺に対して怖がる素振りを見せなかった隣のクラスの女子。 

 やっぱりあの女子生徒の反応の方が珍しいのだと再認識する。


「まあまあ兄貴、そう言うなって」

「変な渾名で呼ぶな」

 中学時代につけられた、あまり嬉しくないその呼び名にまたまた眉間に皺が寄る。

 無愛想だのとっつきにくいだのと、たびたび姉貴たちに罵られる俺は、何故か女子生徒には怖がられるが男子生徒には妙に好かれていた。同じ歳なのに「高橋君」呼びの敬語だったりするが。

 そんな俺を揶揄って、中学時代、橘のような人懐っこい奴らからは『兄貴』という嫌な渾名で呼ばれていた。もちろん「親分」「兄貴」、そういった意味でだ。

 まったく冗談じゃない。俺は平和主義なんだ。 

「つうかあれだ、別に見かけだけで高橋のこと『兄貴』って呼び出したわけじゃないぞ?」

 俺の表情を読んだ橘がにんまりと笑いながら言った。

 怪訝そうな俺の視線に、茶髪の髪を軽く掻き揚げながら続ける。きらりと現れたピアスが反射した。

「自覚ねえの?高橋、むっちゃ面倒見いいじゃん」

「・・・誰がだ」

 眉を寄せながら答えると、橘の目尻に皺が寄って、人懐っこい笑みが現れた。そんな表情をすると一気にやんちゃっぽい雰囲気になる。

「中学時代、苛められてたクラスメイトを助けてたの誰だっけ。それもむっちゃ気合入った連中から」

「―――あれは」

 俺は言葉に詰まった。

 中学時代、確かに俺は、橘いわく『気合の入った連中』が見るからに気弱そうなクラスメイトをいじめている現場に出くわして、それを庇った覚えがある。

 その上。

「自分も一緒にやられそうになって、でも逆に返り打ちにしてたの誰だ?」

 面白そうな口調で、橘がにやっと唇を吊り上げながら俺の目を覗き込んできたから、俺はふいと目を逸らす。

「・・・返り討ちじゃない。向こうが突っかかってきたから、やり返しただけだ」

「それを返り討ちっていうんだろーが」

 橘が楽しげに突っ込んでくるが、俺はそれには答えずに沈黙した。

 実際はそんなもんじゃない。なまじっか腕に自信のある奴らが相手だったばっかりに、こちらも手加減なんかできなかっただけだ。

 だから、返り討ちとかそんな、言葉だけ見たような格好良いもんじゃない。俺もぼろぼろだった。


「しかもその後苛めてきた奴らにも懐かれてただろ?

 知ってるか?あの時のクラス、『奇跡のクラス』って呼ばれてるの。問題児が大人しくなったって先生たちの間でも有名な話らしーぞ」

 なんだその仰々しい名前は。

 だいたいそれも、だいぶと脚色入ってる。あの後、俺は個人的にその『問題児』たちと親しくなっただけだ。

 ・・・まあ、あいつらが『兄貴』って呼び出したんだけどな・・・

 俺よりずっと凄みのある眼力を持つ、派手な中学時代のクラスメイトたちの姿を思い浮かべるとどこか懐かしい気分になった。

 そんな俺ににやっと笑みを向け、橘が言う。


「気が優しくて力持ち、『兄貴』以外の何者でもないじゃん」 

「・・・・・・・」 

 からかいの色を浮かべながらも、親愛の込められた明るい瞳を認めて俺は何も言い返せなくなった。

 そんな風に持ち上げられたら、なんだか嫌だと言いにくい。


 知らず眉を寄せながら、がたりと椅子から立ち上がった俺を見て、橘が片眉を上げた。

「どうした?」

「・・・トイレだ」

 と答えて、俺は教室を出るために扉へと向かった。

 黒板の前を通るとき、ふと思いついて黒板消しを手にとり、黒板に残っていた文字を消していく。

 自分の背より高い、頭上の文字を四苦八苦して消そうとがんばっていた女子生徒がぽかんと俺を見上げてくるのがわかった。

 だが特に視線は向けず、チョーク受けに黒板消しを置くと今度こそ教室を出てゆく。

 目の端に、楽しげな表情を浮かべた橘の顔が見えて軽く顔をしかめながら。

 また後でからかわれる。そんなことを考えて。



                  ※       ※       ※ 



 

 そしてその日の放課後。

 ゴミ当番を当然のごとく引き受けた俺は、ほんの少しの期待を胸に、パンをブレザーのポケットに忍ばせて校舎裏に来ていた。

そうして、黄色いたんぽぽの花が咲くその草むらの中で俺は、仔猫の姿を見つけた。

 昨日と同じで警戒した様子を見せながらも、仔猫は俺の姿を見つけるとひょっこりと首を草むらから覗かせる。

 俺が懐からパンを取り出すと、仔猫の目がパンに釘付けになって、引き寄せられるようにそろそろと草むらから出てきた。

 その期待に満ち満ちた黄緑色の輝きに俺は口元を緩めると、昨日と同じようにパンを袋から取り出して地面に置いてやる。そして、怖がらないように後ろに下がってまた、仔猫が近づいてパンを食べる様子を見守っていた。

 そんな俺の背後に、す、と静かに影が差した。

 ちらりと視線をやると、昨日の女子生徒―――井上、だったか?―――が、口元にしいっと人差し指を当てながら、俺の隣にすとん、としゃがみ込んできた。

「こんにちは」

 仔猫を怖がらせないためか、そう小さく囁いて、にこりと微笑む。

 その表情は、昨日と同じ屈託のないもので、俺はまた微かに目を見張った。

 なんだ?いったい、どうして俺の隣に?

 そう思ったが、にこにこと表情を崩しながら、しゃがみこんだ自分の膝に頬杖をついて仔猫の様子を見守る井上の姿に、疑問をぶつけるまでもないことに気づいた。

 仔猫を見に、来たのか。

 確かに、一心不乱にパンに喰らいついてる仔猫の姿は愛らしい。心が和む。

 納得すると俺はまた、井上から仔猫に視線を戻した。

 しゃがみ込んでいると地面が近い。土の匂いと草の匂いが鼻に届く。

 そろそろ初夏に差し掛かるこの季節、それでもまだしぶとく黄色いたんぽぽやらちょうちょが飛んでいて、風景だけ見るとまだ春のよう。

 それでも午後の日差しは鋭さを含んできていて、ブレザーを着込んだこの格好ではうっすらと汗が滲んできた。

 

 パンを食べ終わった仔猫が、満足そうに目を細めてこちらを見上げてきた。じいっと下から見上げてくるその姿は、なんとも言えないいじらしさを感じさせる。

「美味しかった?」

 隣から、そんな問いかけが聞こえてきた。柔らかい響きを持つ、よく通る声だ。

 仔猫はわかっているのかいないのか、尻尾をゆらりと揺らした後、くるり、と身を翻した。

 そうして、ほんの少しだけちらりと視線をこちらに向けた後、草むらの向こうへと行ってしまった。

「行っちゃった、ね。残念」

 立ち上がりながら、井上はそんなことを言った。軽く肩を竦めている。ふわりと肩にかかる髪が動きに合わせて揺れた。

 くるくると表情を変える黒目がちのその瞳が、笑みの形に柔らかく細められて俺を見る。

「・・・パンが目当てなだけだからだろう。」

 俺も同じように立ち上がりながらそう答えた。

 餌さえもらえれば俺たちには用はない。現金なものだ。そんな意味を込めて呟いたんだが、何故か井上はくすっと笑った。

「・・・なんだ」

 気になってそう見下ろす。

 やっぱり小さいな、と思った。見上げてくる井上の首が痛そうだった。

「ううん。分ってても、あげるんだなぁと思っただけ」

 ふふっと口元を緩めながらそんなことを言われ、俺はなんだか胸の中がむず痒くなった。

 ふいと視線を避けるように、背を向けて歩き出す。

 まだ笑みを浮かべたままの井上が追いかけてくる気配がして、歩みを緩めるとなんだか上機嫌な円い瞳と出会って思わず眉を寄せてしまった。

 別に不機嫌だったわけではない。・・・なんだか照れくさかっただけだ。

 けれど、俺のそんな傍からみれば見事に機嫌悪そうな表情を見ても、井上の笑顔が崩れることはなかった。

 

 特にそのまま何を話すわけでもなく、昨日と同じ玄関口まで一緒に戻って別れる。

 「バイバイ、またね」という明るいソプラノの声が耳に残った。

  不思議と人を明るい気分にさせる、気持ちのいい笑顔と一緒に。

  

  そんなことが4日続いて、俺の中の井上への認識が、少しずつ変わっていった。

  唯の隣のクラスの女子生徒から、「知り合い」の女子生徒―――へと。

  それは、俺にとってはとても早いといえる、ちょっとした変化だった。





 

 

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