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乙女、恋に落ちる



 


 校舎の中を、ひた走る。ちらほらと残る生徒達が何事かと振り返ってくるけど、私には気にする余裕はなかった。


 ―――逃げなくっちゃ・・・!


 走ってるせいだけじゃない、爆発寸前の心臓を抱えて私は廊下の角を曲がる。その時に、後ろを一瞬だけ振り返って後悔した。


 怖いよー!!分っていたけど、高橋君が凄い勢いで追いかけてくる。氷室とのやり取りで多少は時間稼ぎになったみたいだけど、もともとのリーチが違う上、そういえば高橋君ってリレーにも選ばれるくらい足が速いんだっけ・・・!と早くも敗北感に打ちひしがりそうになりながらも、捕まったときのことを考えると羞恥心で死にそうな気分になる。

 うぎゃーだめ、捕まるわけにはいかない・・・!私はすでに疲れを訴える足を叱咤して、目の前の階段を駆け上がり始めた。


「・・・井上、待て!」

 一階分上がったとき、下の方から高橋君のなんだか切羽詰った声が聴こえてきたけど、私は止まらなかった。

 無理だよー!息を切らしながらも、必死に階段下に向かって叫ぶ。

「ごめん、追い、かけ、ないでーっ!」

「だめだ!」

「明日!明日、はなす、からっ」

「そう言って、明日になれば、また今度とはぐらかすんだろう・・・!」

 図星だった。逃げ道がさらになくなって、私はもう走るしかなかった。


 上へ上へと逃げ出して、とにかく鍵のかかるところ・・・!ととんでもなく息を切らしながら走る私が最後に思いついたのは屋上だった。

 あそこなら鍵がかけられる・・・!

「待て・・・!」

 同じように息を切らした高橋君の声が近い。

 もう振り返る余裕なんてなかった。


 もつれる足を必死で動かし、何度か膝を階段にぶつけながらも階段を上りきる。

 肩で息をしながらも、必死に屋上のドアノブを回した時だった。


「・・・・・っきゃっ」

 ぐい、と後ろから急に伸びてきた太い腕に右腕を引っ張っられて、体勢を崩した私はそのまま高橋君の胸に倒れ込んだ。

 視界いっぱいに白いシャツが広がる。勢い余って私は鼻先をしたたかに高橋君の胸に打ちつけた。

 と同時に高橋君のもう片方の腕がだん、と私の逃げ道を塞ぐために、屋上のドアを押し戻した音が階段に反響した。

「つか・・・まえた・・・!」

 頭上から呻るような息遣いが聞こえた。さすがに高橋君も息が切れたらしい。

 私も肩で荒い息を繰り返す。足が、がくがくした。目の前にある熱い体温に耐えられなくなってずるずるとその場に座りこんでいく。

 なんというか、力が抜けてしまって立っていることができなくなってしまったんだ。

「おい?!」

 右腕を掴んでいた大きな手のひらが怯んだように緩んだ隙を見逃さずに、私は自分の腕を取り返して顔を腕の中に隠した。 

 恥ずかしくてもう、たまらなかった。

 どうやって高橋君の顔を見たらいいのかわからない。


 高橋君のことが、好きで。

 傍に居るだけでどきどきして、それと同じくらいいつも胸があたたかくなって。

 この気持ち、大事にしていきたいって気持ち、嘘じゃない。今だって胸の中にちゃんとある。


 けど、おんなじ気持ちだなんて思わなかったんだ。

 高橋君がおんなじように、私に対してそんな風に好意をもってくれてるなんて全然、私の予定にはなかった。

 好きっていう気持ちを向けられると、胸が痛いほどどきどきしてきゅううっとして、恥ずかしくって、とにかくどうしていいかわからなくなる。


「井上」

 しばらくそんな状態で黙っていて、ようやくお互いの息が整ったころ、高橋君の声が頭上から響いた。

「顔を、上げてくれないか」

 私の好きな、ぴんと張った糸のような、芯のある低い声が甘く耳に届く。

 けれど私は、顔を隠したままゆるゆると首を横に振った。だってもう、ほんとに無理。

「・・・そうか。じゃあ、そのままでいい」 

 そんな声と共に。ふ、と高橋君の気配が近づいてくる。

「井上」

 くしゃりと、髪を優しくかき混ぜられた。その大きな、温かい、骨ばった指の感触に胸の奥が甘く震える。ゆるゆると優しく髪の毛を梳かれて、強張っていた身体から少しずつ力が抜けていく。

 そんな私の様子を見計らったように、高橋君が唇を開いた。

「―――井上が、好きだ」

「・・・・・!!」

 ぴくり、と私は肩を揺らした。

 うあ・・・!隠した顔に、一気に熱が集まるのがわかった。

 高橋君の声が、静かに振ってくる。

「井上の、明るい笑顔が好きだ。

 見た目だけじゃなくて、ちゃんと人を見ることのできる優しさが好きだ。

 意外とお人よしなところも、できることは一人でがんばろうとするところも、好ましく思う」

「・・・っ」

 耳に届く高橋君の言葉が熱をもってるかのように、全身が熱くなっていく。動機が激しくなって、胸がきゅうっとする。

 固まってしまって動けない私の頭の上で、くすりと高橋君が笑った。

「―――しっかりしてるようで抜けていて、意外とおっちょこちょいなところも」

「・・・・!」

 それって、褒めてるの?微妙だよ、高橋君・・・!

 と心の中でしかつっこめなかった私は、ぎゅう、と三角すわりした膝を引き寄せて、抱きしめた。

 もうだめ、胸がきゅんきゅんして死にそう。

「・・・井上」

 ふいに温度を変えた声が名前を呼んで、そっと大きな手のひらが顔を埋めた私の腕を柔らかく外していく。

 優しいけれど、逃がさないだけの力を込められたそれに、逆らえずに私は砦を失ってしまった。

 急に外気に触れた顔が涼しくて、心もとなくなる。思わず顔を手で覆おうとしたけど、両腕を捕られて叶わない。仕方なくきゅっと目を瞑って俯く。  

「―――顔が見たい」

 掠れた声が、頭の上から降ってくる。その髪に触れる吐息でさえ、熱がこもってるみたいでどきどきする。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 腕を外して、頬に触れてきた高橋君の指のあたたかさに眩暈がした。そっと触れてくる優しさに胸がきゅんっと響いて、好きだという気持ちが伝わってきて、その恥ずかしさにぎゅっと目を瞑った。

 もう、どうしたらいいかわからなかった。


 だって私、高橋君のことが好き。眉を寄せた顔も、照れると見せるちょっとむっとした顔も、甘いものを食べる時に見せる緩んだ顔も、いつもきりっとした瞳がふっと優しく和む瞬間も、ぜんぶぜんぶ大好き。

 想いが溢れて、どきどきして、心臓が破れそう。

「わ・・・たし」

 その気持ちに突き動かされるようにして、私は唇を開いた。

「わたしも、だいすき・・・」

「・・・・!」

 ぴくり、と頬に触れた指が震えたのを感じた。

 言ってしまった・・・!と、私は目を瞑って次に何が起こるのかを待った。

 期待と不安で、動機が更に激しくなる。

 沈黙が、更に緊張感を煽った。

 けれど。

 なぜだかそこから動く気配のない高橋君の様子に、私はそろそろと瞳を開けた。

 そこには、片手で顔を覆った高橋君の姿がある。私は拍子抜けした気分になって、目を丸くした。

 ・・・あれ?

 気のせいでなければ、その目元が赤い。

 

 思わずまじまじとその顔を眺めると、気づいた高橋君がす、と目を逸らして言った。

「・・・すまん、照れる」

「―――」

 少し掠れた声。瞳がちょっと揺れていて、高橋君も動揺しているんだってわかった。

 ああ、そうか。

 おなじ、なんだ。

 そう気づいたとたん、今までのことが嘘のようにすとん、と気持ちが落ち着いたのを感じた。

 

 私が恥ずかしいのと同じ。高橋君だって、照れるんだ。

 私が好きだって言ったから。

 嬉しくて、恥ずかしくて、・・・おんなじだ。

 

 なんだかすごくくすぐったい気分になって、口元がやわらかく緩んだ。

「私なんてさっきから、恥ずかしくて胸がどきどきして死にそうだよ?」

 ちょっと悪戯っぽく、そんな本音を吐き出してみた。

 

 高橋君が私を見る。

「・・・そうか」

 その目元が柔らかく緩んで。私の、大好きな顔がそこにある。

 胸がどきどきして、相変わらずくすぐったくて恥ずかしくてたまらなかったけど、私は逃げ出したい気持ちを堪えて、目を逸らさずに微笑み返した。

 恥ずかしさと同じくらい胸の真ん中が温かい気分で満たされていたから、堪えることができた。

 ああ、やっぱり大好きだなあと思いながら見つめていると、ふ、と高橋君の目が細くなって。

 またあの、熱の色がちらりと瞳に宿るのを見て私の心臓がどきりとした。

 一瞬のうちにまた、空気が変わってしまった。


 ぐい、と腕を引っ張られて、思わず床に膝をついたままつんのめる。バランスを取ろうと何かにしがみつこうとした左の手首をとられて、そのまま私は大きな胸の中に飛び込んだ。

 床に座った高橋君の足の間に座り込むような体勢で、力強い腕が私の背中に回される。

 咄嗟にじたばたと暴れようとした私の抵抗ごと、ぎゅうっと抱きすくめられた。

「た、たかはしく」

「すまん・・・でも井上が悪い。そんな目で見るから」

「う、え?」

「気のせいかもしれないが―――好きだと言われてるような気分になる」  

「・・・・・・!!!」

 私の顔はみるみる真っ赤になった。

 っていうかどうしてわかったの?!確かにそんなこと考えてましたがでも!目で通じるなんてそんな、歌詞じゃあるまいし・・・!

「社会科準備室のときも、そうだった。どうもその目に俺は、弱いらしい」

「・・・・・っ」

 恥ずかしさのあまり目の前がくらくらした。そ、そんな目ってどんな目・・・?!

 ああもう、なんだかすごく悔しくなってきた・・・!

 数日前からどきどきしっぱなしで高橋君に翻弄されてきた私は、ちょっとやけくそな気分になってきた。

 もうこうなったらとことん恥ずかしくなってやる・・・!

 私は腕の力をこめてがばっと高橋君から離れると、精一杯怖い顔をしてその飄々とした顔を睨んだ。

「・・・井上?」

 戸惑ったような高橋君の声には答えずに、そおっと顔を近づけて行く。

 高橋君の目が見開かれた。

 至近距離で目が合って、私はちょっとたじろいだ。けど、ここまで来たら後に引けない。ぎゅっと目を瞑った。

 えいっと勢いをつけて、私は手を伸ばして硬直した高橋君の首元に抱きついた。

 堪えきれずに、高橋君が後ろに手をつく。

「・・・・・!」

「どう?恥ずかしいでしょ?!高橋君も私の気持ち、分ればいいんだっ」

「た、確かに恥ずかしい。―――が、もっと違うことされるかと思った・・・」

「え?」

 高橋君の言葉にきょとんとして私は顔を上げて、すごい至近距離にお互いの顔があるのに気づく。

「「・・・・!」」

 同時に顔が真っ赤になって、慌てて高橋君は顔を横に、私はまた抱きついて顔を隠した。

 びく、と高橋くんの身体が反応する。

「・・・おい、井上、充分恥ずかしいから、離れてくれないか」

「だ、だめだめだめっ」

「何?」

「だって、私ばっかりいっつもわたわたして、ずるいっ。高橋君もたまには逆の立場になってみればいいんだっ」

「・・・・・・」

 高橋君が沈黙した。

 呆れられた?と自分で仕掛けておきながら不安になったころに、高橋君の片手が私の背中に回される。

 そして、ぐ、と力を込めて抱きしめてから私の耳元に低く囁いた。

「―――逆の立場になったら、余計恥ずかしいことしたくなるが、いいか」

「・・・・・!!!」

 瞬間湯沸し沸騰器のようにぼんっと私の顔が赤くなった。慌てて高橋君から離れて、立ち上がる。背中に、屋上の扉が当たった。

 う、冗談、だよね?と思って見下ろした高橋君の目は存外真剣で、心臓がばっくんばっくんする。

 私は逃げるように急いで階段に足を掛けた。

「ご、ごめんなさいっ行こっか、そろそろっ」 

 上ずった声でそう言うと、はあっと高橋君がため息をついて立ち上がった。

「そうだな、・・・とはいえ部活は遅刻決定だな」

「あ・・・!ごめんね・・・!」

 そうか。普段なら高橋君は今頃部活中なんだ。申し訳なくて顔を見上げると、高橋君が軽く首を振った。

「いや、いい。心配だったからな・・・井上」

「え?」

 ぽんと手のひらをのせられる。くしゃり、と髪をかき混ぜられた。

「また、くろすけに会いにくるか?」

「―――うん!」

 大きく頷くと、私の好きな、やわらかく緩む、高橋君の瞳。

 その瞳に私の姿が映ることが、とてもくすぐったくて。甘い気持ちで胸が満たされて、私は高橋君の顔を見上げて、微笑んだ。



 隣で並んで階段を下りる、私の手をふいに高橋君の手のひらが包んだ。

 一度確かめるように手がきゅっと握られて。その大きな手のひらの暖かさに、胸がきゅんっとなって、自分が世界で一番幸せなんかじゃないかと錯覚しそうになる。

 これからも、こうやって隣で歩いていけたらいい。

 見上げたら傍に高橋君が居て、手の届く距離で、微笑んでくれたら、私はとても嬉しい。

 おんなじように、私もそうやって隣で微笑っていけたら、もっと幸せ。


 

 偶然から始まった、私たちの想いはこれから一緒に並んで、一緒に歩いていく。

 隣のクラスの、高橋君。

 私はあなたが、だいすきです。


 



 

 もう一話続きます。

 補足みたいな感じです。

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