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乙女、逃げる 3

 

 

 その日からさらに、私は高橋君を避けるようになった。

 だって、どういう顔して会ったらいいのかわからないよっ。

 高橋君の目の前に立つ勇気がなかった。

 だって、あの甘くて熱の籠った視線を向けられたら、また身動きがとれなくなってしまうのがわかっていたから。



 隣のクラスだから、会わないようにすればそんなに姿を見かけることもない。教室に閉じこもっていればいいだけだ。

 ここ数日、私はそうやって高橋君に会わないように気をつけていた。

 できるだけ意識の外に持っていくようにして、友達とわざとはしゃいで、高橋君のことを考えないようにしたり。

 普通にするようにがんばっていたんだけど、凜にはばれてしまっていたみたいで、心配そうな視線は感じていたけど敢えて気づかないふりをした。

 そんな風に過ごした数日後の、金曜日。2時間目の休み時間。体育の授業が終って、凜たちと教室に戻る途中。

 高橋君が廊下の向こう側からやってくるのが見えた。

 友達と一緒の高橋君とすれ違う私は、またしてもの不意打ちに頭の中がまっしろになった。

 顔を見ないように俯いてその横を通り過ぎる。

 視線を感じた。背中を追いかけてくる、問いかけるようなそれに、逃げるようにして教室の中に入った。

 それは廊下での一瞬の出来事だったけれど、私には長い時間に感じた。

 視線を感じた背中が熱くて、きゅっと体操服の入った袋を抱きしめる。

 もうやだよぉ、なんで逃げちゃうの、私・・・!

 高橋君のことが好きなのに、今はもう、顔を見ることさえできそうもなかった。

 なんだかどっと疲れてしまって、机に突っ伏してしまった。

 その視界の端で、凜と鈴木さん、何故か氷室まで一緒にどこかへ出ていくのが見えたけど、今の私はそれを気にする余裕もなかった。


 自分の気持ちなのに、コントロール出来なくって苦しい。

 こんなことしていたら、嫌われてしまうかもしれない・・・!

 そう思うのに、高橋君の前に立つことを考えただけで逃げ出したくなる自分がいて、その相反する想いに心の中は相変わらずぐっちゃぐちゃだった。


 そんな感じで自分の心を持て余していたその日の昼休みのこと。

「おー、なんか井上、ひでえ顔色じゃね?」

 いつもの通り、お弁当を皆で食べているところに氷室がやってきた。

「・・・そんなことないわよ」

 私はテンション低く返すと、3分の1ほどしか減っていないお弁当の蓋を閉める。最近食欲が落ちて、兄ちゃん達にも心配されていたんだけど、私は夏バテだと誤魔化していた。お陰で体重が2キロくらい落ちた。

 うんまあ、いいダイエットにはなってる・・・とでも思わないとやってられない。

 はあっとため息を吐いたところで、鈴木さんが私と氷室の顔をじっと見ているのに気づいて、うわっと私ばっかり話してたら鈴木さんに悪いな、と凜を誘ってトイレにでも行こうとしたんだけど。

  あれ?凜がいない。探そうと視線を教室内に走らせようとしたとき、氷室が私の席の前に立った。

 なによ、という意味を込めて見上げると、氷室が眉をしかめていた。

「そんだけしか食わないのか?」

「・・・氷室には関係ないでしょー」

 ぷいと顔を背けようとしたら、ふ、と頭に影が差した。

「どうしたんだ?おまえ、おかしいぞ」

 と言いながら、氷室が身体をかがめてくる。私はその整った顔が近づいてくるのをぼんやりと見つめていて・・・・って、ちょっとちょっとっ・・・!

 こつん、と額に氷室の額がくっついた。

 長い睫が、ものすごく近くにある。形のいい唇が、動いた。

「熱はないな」

「ってあほかー!」

 私はべっちん!と氷室の頬を殴った。当たり前だ、突然何してくれるの!

 うわあ、とかひゅーう、とか、興味津々の黄色い声やら冷やかしの声が周囲から聞こえてきて顔が赤くなる。がたがたと音を立てて椅子から立ち上がった。

「なにすんのよ、いきなりあんたはっ」 

 叫びながらふと目の端に飛び込んできた姿に私は思わず呆然としてしまった。

 教室の扉が開いていて、その前を通り過ぎる風情で、こちらに視線を向けている高橋君がそこには居た。

 って、どんなタイミングで・・・!

 視線が合って私はびくっとしたんだけど、高橋君はふいっと視線を逸らしてしまった。そしてすぐ立ち去ってしまう。

 ・・・・・あ。

 ずきん、と胸が痛んだ。

 勝手なもので、自分が避けてたくせに高橋君にそうされると、心がきゅうっと萎んでしまう。

「いってぇ・・・ひでえな、心配してやったのに」

「ばかばかばかー!!あんたなんてお腹でも壊してしまえっ」

「・・・なんだその地味に嫌な文句は」

 赤くなった頬に手をやりながら、にやっと楽しそうな笑みを浮かべている氷室の足を、私は八つ当たりも込めて思い切り踏んづけてやった。

「いでぇっ」 

「ざまぁみろ」

 ふん、とせいせいした気分で言い放つ私の背中に突き刺さる視線に、振り返って私はちょっと慌ててしまった。

「・・・仲、いいんだね」

 引きつった笑みを浮かべる、鈴木さんがそこには居た。

「ただいまー! 」

 機嫌のいい笑みを見せる凜が教室に戻ってきて、私と鈴木さんの様子を見比べてきょとんとする。

「・・・あれ?どうしたの、ふたりとも」

 これってとばっちり、だよね?私は力ない笑みを凜に返した。


 それからなんだか、鈴木さんとの間がぎくしゃくした感じになって、高橋君とのことでただでさえぐちゃぐちゃだった私は、なんていうかダブルパンチを食らった気分でその日を過ごした。

 えーい、氷室のばかやろー!!

 もちろん授業なんて頭に入るはずがない。中間テストが終ってるのがまだ救いだった。

 そしてその日の放課後のことだ。


 HRも終って、周りはがやがやとした騒がしい。

 テストもとうに終わり、夏休みが近づくこの頃。

 ムードはもうお休み前の開放感が漂っていて、そんな教室の中を、私は授業が終ってもしばらく自分の席に座って残っていた。というか、凜がまた、居ないから。

 どこに行っちゃったのかな?一緒に帰ると思ってたんだけど、今日は何か用事でもあったのかな。

 何だか今日は疲れていたし、このまま一人で帰ろうかと悩みだしたその時だった。

「・・・井上さん」

 なんだか硬い表情で、鈴木さんが私の席の前に立ってきたのは。あれ、珍しい。今日は一人だ。

「どうしたの?」

 腕組をして私を見下ろす鈴木さんは、釣りあがり気味の瞳を尖らせて表情と同じ硬い声で、言った。

「ちょっと、付いてきてくれる?」

「?うん、いいよ」

 なんだかいつもと雰囲気が違うので私は首を傾げつつも、鞄は教室に置いたまま鈴木さんの後に付いていった。

 教室から出るとき、私は机の上に行儀悪く座りながら他のクラスメイトと話している氷室と目が合った。

 氷室は、にやっとまたあの、胡散臭い犬っころスマイルを浮かべていた。

 ・・・なに、なんだか嫌な予感がするんですけど。

 眉をしかめて教室を出、鈴木さんの後を追おうとした私はそこで、凜の姿を見つけた。

 隣のクラスの扉前で、誰かと話している。相手は教室の中に居るみたいで、それが誰かは私からは見えなかった。

 一瞬声を掛けようとした私だったんだけど「井上さん、早く!」と鈴木さんに急かされて、仕方なく止めた。

 まあいいや。後で聞こう。そう思って、振り返って私を待つ鈴木さんの下へ駆けて行った。



教室のある3Fから2Fへと階段で降りて、特別教室のあるA棟へと渡り廊下を歩いていく。

 どこに行くんだろう。

 先を歩く、珍しく押し黙ったままの鈴木さんの後に続きながら、私は首を傾げていた。

 授業が終わったこの時間帯、特別教室が集まるA棟にはほとんど生徒の姿はない。図書館利用の生徒たちが来るだけだ。

「・・・ここよ」

 と硬い表情で振り返った鈴木さんが指したのは、視聴覚教室だった。 

「ここって・・・」

 一体なんで、と問いかける暇もなく鈴木さんが教室の中に入って行く。

 そして、奥の方にある準備室の方へと向かっていった。

 首を傾げながらもついていくと、鈴木さんが扉の前で振り返って言った。

「―――内緒の話があるの。この中まで来てくれる?」

「?うん、いいけど・・・」

 別に誰もいないしわざわざ中に入らなくてもここでもいいんじゃ・・・とも思ったんだけど、私は言われたとおりに薄暗い準備室に向かって足を向ける。

 鈴木さんを知る前だったら、警戒して行かなかったかもしれない。でも今、私は鈴木さんのことを信用していたから、何か理由があるのだろうと結論付けて気軽にひょいっと中に足を踏み入れた。

 その瞬間。

「―――先に謝っておくわ。・・・ごめんね、井上さん」

「え?」

 背後で、そんな申し訳なさそうな鈴木さんの声が聴こえて。

 振り返ろうとしたら、ばたん!と音をたてて準備室のドアが閉められた。ただでさえ薄暗い部屋が更に暗くなる。

 は? と思わず訳がわからず硬直してしまった私は、次の瞬間には我に返って慌ててドアにすがりついた。

 あ、開かない・・・!

「鈴木さん?!」

 がちゃがちゃとノブを回すけど、向こうから扉を押さえつけられてて開かない。私はドアの向こうの鈴木さんに向かって叫んだ。

「開けてよ、ちょっと冗談きついから!どうしてこんなことするの?!」

「ごめん。ちょっとだけ、そこで待ってて欲しいのよ。少ししたら、出してあげるから」

「・・・ってどういうこと?!」

 とか話しながら、扉の向こうでがたがたという物音がする。どうも、扉が開かないように棒か何かを使って細工をしているみたいだ。そのすぐ後、鈴木さんが扉の向こうから叫んだ。

「ごめんね。あと、がんばって!」

「はい?!がんばるって何を!って、ちょっと、鈴木さん?!すずきさーんっ」

 扉の向こうに必死に呼びかけるけど、足音は遠ざかってしまった。

 私は呆然とする。

 この部屋の鍵は、実は準備室の中、ドアノブについてある。つまり、普段なら視聴覚教室からは出入り自由の場所なわけで。

 でも、出入り口がここだけかというとそういうわけでもない。

 壁の戸棚に並ぶフィルムやDVD、それらを見るための器具が仕舞われているこの部屋には、廊下側とグラウンド側にそれぞれ窓が一つずつある。廊下側の窓は私のお腹辺りの高さぐらいの窓で、そこから廊下にでることが出来る。

 というかどういうこと。逃げ出そうと思えば逃げ出せる、この中途半端な密室状態に意味がわからない。

 直射日光を避けるためカーテンで締め切られたこの場所は、むわっとした空気が立ち込めていて気持ち悪かった。額に汗が滲む。

 『ちょっとだけ、ここで待っていて』

 ・・・つまり、すぐ出すつもりだから敢えてこの場所を選んだってこと?でもなんでそんなこと・・・

 考える私の頬をつうっと汗が流れた。っていうか、

「あっつーい!」

 もう、締め切った夏場の教室とか有り得ない。汗でシャツが肌に張り付いてくるのが我慢ならない。

 んもう、窓から出てしまおう。そう思って動き出そうとした私の耳に、隣の視聴覚教室で誰かが勢いよく扉を開け放った音が聞こえてきた。

 あら、帰ってきた?何か机にぶち当たる音とかも聴こえて、ほっとして私は扉の向こうに声をかけた。

「おーい、もう、何してるのよー!」

 けど、そんな呑気な私の声に返ってきたのは、信じられない人の声、だった。

「井上? そこにいるのか?!」

 いつもあまり焦りをにじませることのない、聞き覚えのある低音が息を乱した様子で近づいてくるのを耳にしたとたん、私は呆然とししてしまった。


 うそでしょ・・・っ?! 

 

 ―――それは、高橋君の声、だった。

 

 

 


 

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