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乙女、逃げる 2


 凜と昼ごはんを食べたあと。相も変わらず上の空状態の私は授業も全然聞いてないという腑抜けぶりだった。

 だってしょうがないじゃない、ひと時も昨日のことが忘れられないんだもの・・・!

 けど、そんなことは日常にとっては関係ないことで。

 考えすぎて疲労困憊状態の私に向かって、5限目終了後、先生が言った。

「井上、このプリント、後で集めて職員室に持ってきてくれ」

 ・・・そうでした、今週私、日直だった。私はため息を吐きながら「はい」と頷いた。




 日直のある週は、忙しい。

 授業の終わりにそんなことを頼まれて、私はため息を吐きながら、集まったプリントの束を抱えながら職員室に向かっていた。

 なんていうか今日一日で、すごく疲れていた。ぐるぐる悩んだり悶えたりそんなことを繰り返しているうちに、疲れるあまり今はふっと虚脱状態になっていて。

 そんな心の緩みを狙ったように、忘れたころに、それ・・はやってくるもので。

 まあつまり、ぼおっとしながら階段を下りる私は一瞬、高橋君のことを忘れていた。

 

 階段の最後の一段を降りた時、角を曲がってきた人物を見て私の身体はだから、硬直してしまった。

 眉を寄せて不機嫌そうなオーラ満開で、いつもより二割増しくらい鋭い目つきをした高橋君が、はっとしたように私の数メートル先目の前に立っている。

 二人の間に、見えない緊張感が走った。

「・・・・・・!」

 目が合いそうになって、慌てて私はぱっと目を伏せてしまった。

 だめだ、顔が見れないよ・・・!

 一気に顔が赤くなった。

 心臓の音も、ばくばくと騒がしい。他の音が何も聞こえなくなる。

「―――井上」

 いつも訊いていて安心する、静かな声が今日は固く耳に届いたとたん、緊張感がはじけた。

 ぴくりと肩を揺らして、その拍子に手の中のプリントを廊下にぶちまけてしまう。

「―――・・・!」

 ばかばか私、何してるのよー!  

 恥ずかしさに涙が滲みながら、私はすとん、とその場にしゃがみこんでプリントを集めだした。

「ご、ごめんね大丈夫だから・・・!」 

 お願い高橋君、もう気にしないで行ってくれませんか・・・!

 そんな願いは訊き届くはずもなく。

 ふうというため息が頭上から届いて、大きな身体がプリントを拾い出すのが目の端に映った。


 ああ、馬鹿だ私。高橋君が、困ってる女の子、ほうっておくはずないじゃない。

 泣きそうな思考で、そんなことを考える。もう、頭の中がぐちゃぐちゃで、自分がどうしてこんなに泣きそうになっているのかとか、恥ずかしくて目もあわせられないのか、訳がわからなかった。

 顔が熱い。心臓の音が煩い。とにかくその場を逃げ出したい気分で、いっぱいだった。


「・・・ほら」

 高橋君の、声が聞こえる。集めたプリントの束が、差し出された。

 私は立ち上がって、顔を上げないままプリントを受け取るためそろそろと手を伸ばす。

「あ、ありがとう、ごめんね・・・!」

 心臓がずっとどきどきと鳴りっぱなしで、伸ばした自分の指が微かに震えてるのがわかった。

 ダメだ、すごく緊張してる私・・・!

 プリントを受け取った瞬間。

 無骨な指が、偶然私の指に触れた。

「・・・・・っ!」

 その温かさに驚いて、またプリントから手を放してしまい、ばさばさと床に再びぶちまけてしまう。

「あっ・・・」

 ばかばか、私のばかっ、何やってるの。

 プリントは、私の足元に散らばってしまった。私はでも、身体が固まってしまって動くことができない。

 階段には人気がない。クーラーは教室にだけしかついてないから、夏場の休み時間は、あまり廊下や階段には人気が少なくなる。この時も、そうだった。

 

 高橋君が黙ったまましゃがみこんで、またプリントを拾い出す。私はその高橋君の後頭部を、なぜだか泣きたい気持ちで見下ろしていた。

 なにこれ、どうして。

 胸が破裂しそうなくらいどきどきしてて、もう、まともに何も考えられる状態じゃなかった。 

 高橋君がまた、立ち上がった。私は俯いたまま、高橋君の顔を見ることができない。

 どうしよう。ここから今すぐ、逃げてしまいたい。

「・・・・ほら」

 今度は落とさないように、高橋君が差し出したプリントの束を震える指を伸ばして受け取って、私はプリントの束を胸の中に抱え込んだ。

「あ・・・りがと」

 びっくりするくらい小さな声が、私の唇から零れた。もうだめだ。もう限界だった。

 

「・・・井上」

 そんな私の頭上から、いつもより少し硬い高橋君の声が名前を呼ぶ。

「昨日は・・・すまなかった」

「――――」

 私は返事が出来ずにぎゅう、とプリントの束を抱きしめた。 

 すまないと言われた瞬間、胸の中がきゅっと思い切り引き絞られた感覚がして、俯いたままぎゅっと目を瞑る。

「俺は―――」 

「だ、大丈夫!」

 ああダメだ・・・!私、これ以上この話を聞いてられない。

 堪えきれなくなって、高橋君の言葉を途中で遮って私は顔を上げた。驚いた表情の高橋君が目に入る。

 心臓がどっくんどっくんと激しく鳴っていて、自分でももう何を言おうとしているのかわからないまま衝動に駆られて唇を開いた。

「わ、私平気だから。なんとも思ってないから、気にしなくていいよ!」

 私の言葉が進むにつれて、呆気にとられていた高橋君の表情が真剣なものになっていく。最近はあまり怖いと思わなくなっていた、眉間の皺に身が竦んだ。

 気持ちが焦って、更に言葉を重ねた。

「だ、大丈夫だから、もう忘れるから、」

 だから、高橋君も忘れていいから。

 喉がからからで、自分の足先を見つめながらそう言うのがやっとで、ぎゅうっとプリントの束を抱きしめながら高橋君の脇をすり抜けようとした。

「―――違う」

 低い声が追いかけてきて、右の手首が捕まれる。その手のひらの熱に、昨日のことを思い出してびくりと肩が跳ねる。

「井上」

 いつにない強引な仕草で、高橋君が私を自分の方に引き寄せた。その拍子に思わず、顔が上がる。高橋君と、視線が合う。

 う・・・あ。

 その瞬間、甘くてむず痒い何かが背筋を走った。

 だってまたあの瞳だ。まっすぐで、真剣で、熱の籠った瞳が私を見つめる。私はその熱に竦んでしまって、きゅ、と目を閉じてしまう。

 目の前からはっとした気配を感じて、手のひらの熱が遠のいて行った。

「悪かった、でも・・・話が、あるんだ」

「は・・・なし?」

 ゆるゆると目を開けて、少し距離をとった高橋君の顔を見上げて、またどきりと胸が跳ね上がる。

 ああ、ダメだ。どうして。

 どうして、そんな瞳で、私を見るの。

 きりっとした瞳に宿る、熱の色に眩暈がする。どきどきする。浮かされたように頭の中がかあっとなる。

 ・・・ダメだ!

「ごめん・・・!私、行かないと・・・っ」

 もう、堪えられなかった。逃げたい気持ちが身体を突き動かして、走り出す。

「―――井上!」

 高橋君の声が、追いかけてきたけど。

 私は振り返らずに、その場からまた、逃げ出した。


 ああ、もうどうして。ダメだ。

 高橋君に見つめられたら私、逃げ出したい気分でいっぱいになってしまう。

 

 ―――今までにない焦うような、熱に浮かされたような瞳で見つめられて、まるで『好きだ』って言われてる気分になる。

 その感覚は、慣れない私には甘すぎる毒のようで、どうすればいいのかわからなかった。

 だからただ、捕まらないように逃げ出すしかなかった。 

 

 だってもう、ほんとにどうしたらいいのかわからないよう・・・!

 恥ずかしくて胸がどきどきして頭の中がもう、ぐちゃぐちゃだった。







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